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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
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相川 亮二
8
名前
あいかわ りょうじ
生年月日
1976年7月11日
経歴
東京学館高校−横浜(94年D5位)−ヤクルト−巨人
入団年
94年ドラフト5位
在籍年
95年−08年
背番号
95年−03年[59]:04年−08年[8]
投打
右投げ右打ち
守備
捕手
:
横浜入団
:
94年のオフにドラフト5位で横浜入団。初年度は二軍でも1安打しか放てなかったが、二年目の96年には教育リーグで35打数16安打、打率.457と爆発し首位打者に。シーズンに入っても二軍で150打数39安打で打率.260と高卒2年目としてはまずまずの成績を残した。
:
サヨナラ
:
04年9月23日巨人戦。7対10とリードされて迎えた9回裏にニ死から河野の打ち上げた打球をライト堀田が照明で見失って三塁打にすると、続く多村の打球も見失い三塁打、さらに金城のファーストゴロを清原が照明で見失うという信じられない展開で1点差になった。そして古木が四球で歩いて二死一二塁とすると打席に入った相川が左中間を割る逆転サヨナラツーベースを放ち、6本塁打の巨人に0本塁打で打ち勝った。相川は「やるしかないと腹を決めて打った。自分たちが一番びっくりしている」と驚きを隠せなかった。
:
1回に2回
:
05年4月3日中日戦。5回表一死ランナー無しで相川が三振をしてツーアウトになった。しかしそこから横浜は2四死球を挟んで6連打の猛攻を見せて、二死二塁でまたも相川に打席が回ってきた。だが相川はまた三振をしてしまい、セリーグ史上27人目の1イニング2三振を記録した。
:
捕手で3割
:
05年にほぼフル出場を果たして正捕手を不動のものにすると、翌06年の春には日本代表に選出されて第1回ワールド・ベースボール・クラシックに出場した。更なる飛躍が期待された06年シーズンだったが出場119試合で打率.245という今一つの成績の終わった。だが同年から続けていた徹底した右打ちが翌07年に花開いて開幕から高打率をキープし、初のオールスターにも選ばれた。後半戦に一時戦列を離れたが、終盤に規定打席に乗せ球団の捕手では二人目となるの打率3割を記録、打率.302は球団捕手最高打率となった。
:
ヤクルト移籍
:
08年は腰痛の影響で101試合出場に留まった。同年のオフにはMLB移籍を目指してFA宣言したが、メジャー契約が得られず、翌09年にヤクルトと契約した。シーズンの前半は打率.272と結果を残して、8月4日に横浜スタジアムで行なわれた横浜戦で延長10回表に木塚から勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台に上がるなど活躍したが、後半戦は故障もあって成績を落としてしまった。
:
骨折も強行出場
:
10年は打率.293、11本塁打、65打点という自己最高の成績を残した。翌11年は8月26日の阪神戦で右手親指を骨折し全治6週間と診断されたが、チームが優勝を争っていたため抹消せずに強行出場を続けてチームを引っ張った。巨人とのクライマックスシリーズファーストステージでは1勝1敗で迎えた最終戦で先制ソロを放ってファイナルステージ進出に貢献したが、中日に2勝4敗で敗れて日本シリーズ進出はならなかった。
:
故障
:
12年は開幕直後の4月12日の横浜戦で守備の際にファウルチップを足に受けて骨折。一ヶ月で復帰を果たしたが8月18日にも守備の際に投球を胸で止めて骨折。100試合出場が8年連続でストップしてしまった。翌13年はWBCに日本代表として出場したが、ペナントレースでは開幕直後の4月6日の横浜戦で中村 紀洋のライト前ヒットで本塁を狙った二塁走者ブランコに強烈なタックルを受けて左肩の鎖関節を亜脱臼して長期離脱となってしまった。
:
巨人移籍
:
14年は若手の中村と併用される形での起用が続いていたが、中村が開幕から3割を大幅に超える打率をキープするなど急成長した事もあってシーズンが進むにつれて出場機会が減少してしまう。同年はわずか58試合出場に終わると「勝負させてもらえる」環境を求めてFAを宣言し、巨人へ移籍した。年俸面ではヤクルトを下回っていたが、阿部のファースト転向で捕手が手薄になって横一線で勝負できる事が移籍の決め手となった。
:
故障に泣く
:
15年は開幕直後の4月2日中日戦で走塁中に右太ももを故障、5月下旬に復帰すると27日の西武戦で3安打、29日の楽天戦でソロ、6月9日からの日本ハム3連戦では7打数連続出塁を含む7打数6安打3四球という凄まじい活躍を見せて原監督から「今一番、信頼できるバッター」と称賛された。その後も正捕手として出場を続けて打率3割を超える活躍を見せていたが、7月28日の横浜戦で一塁走者としてマイコラスの送りバントで二塁へ進塁した際に浮いた送球をジャンピングキャッチで捕球した倉本にのしかかられて左橈骨(とうこつ)遠位端骨折および左尺骨(しゃっこつ)茎状突起骨折の重傷を負って離脱となってしまった。
:
菅野が9失点
:
16年は新たに就任した高橋監督が若手の小林を起用した事もあって2番手捕手として開幕を迎えた。小林が死球で骨折した6月中旬からスタメンマスクを被ったが、6月24日の横浜戦でそこまで防御率0点台という驚異的な成績を残していた菅野が2.1回9失点という衝撃的なKO劇を演じた事で評価を大幅に落として、以降は代打としての起用のみとなり、7月10日の横浜戦では代打で満塁走者一掃の勝ち越し打を放ったが、わずか37試合出場という00年以降ではワーストの成績に終わってしまった。
:
サヨナラ打
:
代打で起用が主になった17年は7月30日の横浜戦で8回裏に代打で起用されてファーストゴロに倒れて、この時点で13打数連続ノーヒットとなったが、そのまま試合に残ると3対4で迎えた9回裏二死一、三塁で山崎康から左中間へを逆転サヨナラとなる2点ツーベースを放って最後の晴れ舞台を作った。この一打は巨人史上最年長サヨナラ打となる41歳0か月での激弾となった。10月3日に現役引退を発表、同日のヤクルト戦で代打で起用されて最終打席で内野安打を放ち、試合後に神宮球場が相川コールに包まれる中で両軍の選手から胴上げされた。
初記録
初出場
99年8月21日ヤクルト戦
初安打
99年9月3日神:清原から
初本塁打
01年5月3日ヤ:石井弘から
初打点
00年8月20日神:湯舟から
初盗塁
03年9月19日中:4回にニ盗
記録達成日
1000試合
2010年6月2日ソフトバンク戦
1500試合
2017年8月4日中日戦
1000安打
2013年5月28日オリックス戦
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
オールスター
●
●
●
●
●
5回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
99
横浜
8
8
1
2
0
0
0
2
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.250
00
横浜
39
73
6
16
2
0
0
18
7
0
0
3
1
3
2
11
2
0
.219
01
横浜
59
64
7
15
2
0
2
23
12
0
0
2
3
1
0
12
1
1
.234
02
横浜
73
174
16
39
6
0
1
48
12
0
1
1
1
6
2
34
5
4
.224
03
横浜
70
165
16
41
8
1
5
66
14
1
1
5
1
10
1
50
1
2
.248
04
横浜
102
304
31
80
16
1
8
122
46
3
0
5
1
13
0
77
8
2
.263
05
横浜
144
498
38
129
20
0
8
173
46
0
2
9
7
39
6
90
13
9
.259
06
横浜
119
388
36
95
19
0
6
132
39
2
1
9
7
29
5
83
11
5
.245
07
横浜
123
391
37
118
12
1
2
138
33
0
1
16
1
40
2
51
6
5
.302
08
横浜
101
306
27
78
5
1
7
106
22
0
1
11
1
19
2
52
7
4
.255
09
ヤクルト
122
413
26
102
21
1
5
140
43
2
2
6
3
23
1
69
14
3
.247
10
ヤクルト
120
427
44
125
17
2
11
179
65
2
0
6
7
30
4
70
8
2
.293
11
ヤクルト
126
409
24
100
14
1
1
119
33
0
0
11
4
30
4
62
13
8
.244
12
ヤクルト
72
220
19
54
8
0
1
65
28
0
0
1
2
20
1
33
7
5
.245
13
ヤクルト
66
219
23
61
13
0
6
92
30
1
1
4
2
14
0
42
2
1
.279
14
ヤクルト
58
192
19
48
8
0
2
62
21
0
0
2
2
9
2
31
5
1
.250
15
巨人
40
99
11
31
3
2
4
50
17
1
0
2
1
12
0
16
1
2
.313
16
巨人
37
41
2
10
2
0
0
12
4
0
0
0
1
6
0
10
0
0
.244
17
巨人
29
38
0
6
1
0
0
7
3
0
0
0
1
1
0
9
1
0
.158
球団
10年
838
2371
215
613
90
4
39
828
231
6
7
61
23
160
20
461
54
32
.259
通算
19年
1508
4429
383
1150
177
10
69
1554
475
12
10
93
46
305
32
803
105
54
.260
プレーオフ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
09
ヤクルト
1
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
0
1
0
0
.000
11
ヤクルト
8
28
1
9
2
0
1
14
1
0
0
0
0
1
0
6
0
0
.321
12
ヤクルト
3
12
0
5
2
0
0
7
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.417
16
巨人
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
4年
13
44
1
14
4
0
1
21
2
0
0
1
0
1
0
7
0
0
.318
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
5回
10
12
1
2
1
0
0
3
0
0
0
0
0
1
0
4
0
0
.167
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
95
横浜
12
19
1
1
0
0
1
4
2
0
0
0
1
3
0
0
.053
96
横浜
58
150
11
39
8
2
1
54
19
1
0
1
11
36
4
4
.260
97
横浜
61
110
14
24
3
0
3
36
14
1
3
1
8
26
4
3
.218
98
横浜
83
242
17
60
8
3
1
77
20
2
7
0
16
22
10
8
.248
99
横浜
43
115
16
33
5
0
4
50
16
3
2
2
9
19
3
1
.287
00
湘南
50
145
16
44
5
1
3
60
21
2
0
1
12
18
3
4
.303
03
湘南
18
54
8
15
5
0
1
23
8
0
1
0
7
5
0
0
.278
06
湘南
3
11
2
7
1
0
0
8
3
0
0
0
0
2
0
0
.636
08
湘南
1
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
通算
9年
326
848
85
223
35
6
14
315
103
9
13
5
64
132
24
20
.263
球団在籍時のみ
WBC打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
06
日本
1
2
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.500
13
日本
4
3
1
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
2
0
1
0
0
.333
通算
2年
5
5
1
2
0
0
0
2
0
0
0
0
0
2
0
1
0
0
.400
オリンピック打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
04
日本
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
1年
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000