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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
石川 雄洋
42
名前
いしかわ たけひろ
生年月日
1986年7月10日
経歴
横浜高−横浜
入団年
04年ドラフト6巡目
在籍年
05年−20年
背番号
05年−09年[52]:10年−19年[7]:20年[42]
投打
右投げ左打ち
守備
内野手
:
スイッチ転向
:
3年夏の甲子園では14打数10安打を放った打撃と50メートル5.9秒の俊足、そして強肩と3拍子そろったプレーヤー。04年のドラフトで横浜から6巡目指名を受けて入団。06年の8月からスイッチヒッターに転向。翌07年にはオープンで28打数11安打、打率393を記録し初の開幕一軍を勝ち取った。開幕第3戦の巨人戦では高橋尚から右打席で初ヒットも記録した。
:
初盗塁
:
07年4月19日ヤクルト戦は初回に相川のグランドスラムが飛び出すなど6回が終わって10対0と横浜が序盤から圧倒していた。だが先発の加藤がヤクルトのクリーンナップに3死球を与えるなど試合は荒れムードだった。そんな中で7回表に代走に起用された石川が大量点差にもかかわらず初盗塁をしてしまい、これにヤクルトの古田が激怒し横浜ベンチにヤジを飛ばし、続く内川、村田に連続死球という報復行為を仕掛けてきた。これに大矢監督も激怒しマウンドに突進し、両ベンチから選手が飛び出して乱闘になり、ヤクルトの投手遠藤、捕手古田が退場となった。なおヤクルトの古田は2000試合出場達成の記念試合だった。
:
チャンス掴む
:
08年には代打で徹底した流し打ちを続けて結果を残すと、8月に北京五輪でチームを離れた村田に代わってサードのスタメンを任された。石川は月間24安打を放ってチャンスを掴むと、9月以降も若手起用のチーム方針もあってショートのスタメンを与えられた。最終的には打率.243まで落ち込んだが、共にチームトップの5三塁打、10盗塁を記録するなど飛躍の年になった。
:
レギュラー掴む
:
09年には134試合に出場して打率.242ながら、23歳の選手としては球団史上3位の19盗塁を記録。112安打も横浜移転後では田代、吉村に次ぐ3位とシーズンを戦える体力を身に付けた。翌10年には開幕から3割前後の打率をキープし、盗塁も広島の梵とトップを争うなどリードオフマンとしてチームを引っ張った。8月に自打球で負傷して登録抹消になった事が響いて盗塁王は逃したが、ヘッドスライディングで負った左手薬指の骨折は隠して出場を続けて131試合に出場、リーグ2位の38盗塁にチーム2位の打率.294と大幅に数字を上げた。
:
最終戦でエラー
:
11年は課題だった出塁率アップを目指してカットバッティングを重視したスタイルに切り替えた。ファール数がリーグトップクラスまでに増加して四球も多少増加したが、打率が.260に留まった事が響いて出塁率は.307に低下してしまった。シーズン終盤に故障で登録抹消となりシーズン最終戦の10月22日の巨人戦で復帰して2対1とリードして迎えた9回裏から守備固めで登場したが、谷が放った平凡なショートゴロをはじいて出塁させてしまうと、そこから山口が打ち込まれて長野にサヨナラ逆転満塁ホームランという最悪の形でシーズンを終えた。
:
骨折×2
:
12年は右太ももを痛めた事もあって1割台の低打率が続き、117打席連続で打点なしを記録するなど苦しんだが、打撃フォームをオープンスタンスに変えると5月下旬から16試合連続ヒットを記録するなど状態を上げた。6月30日の広島戦で4安打を放つなど、連続ヒットが途切れた次の試合から再び8試合連続ヒットを記録して打率が急上昇。7月に入っても16日のヤクルト戦で3年ぶりのホームランを放つなど素晴らしい活躍を続けて首位打者争いにも顔を見せ始めたが、前半戦のラストゲームでファウルを打った際に球が右手に当たって小指を骨折。一ヵ月後に復帰したがその翌日にバントを試みた際に左手人差し指を骨折して再び抹消となってしまった。
:
二軍降格
:
13年は開幕戦で8回表に逆転のきっかけとなるツーベースを放つと、4月3日の巨人戦では3点を追う8回裏に絶対的リリーバーの山口から16球粘った末に気迫のヘッドスライディングで内野安打、6日のヤクルト戦ではラミレスが2000安打を達成した直後のチャンスでライトスタンドに逆転スリーランを運んで快挙に花を添えるなど開幕から8試合中5試合で複数安打を記録する上々のスタートを切った。だがその後は大幅に状態を落として打順降格を経てスタメン落ち。そして5試合連続で出場なしで迎えた5月20日に中畑監督から練習態度やベンチでの姿が「ふてくされてチンタラやっているように見える」と判断されて故障以外では5年ぶりの二軍降格となった。
:
8試合連続複数安打
:
6月8日のオリックス戦で一軍に復帰すると1番セカンドで起用されて3安打1四球という活躍を見せた。後半戦に入ると7月30日の広島戦で4安打、8月1日の広島戦で3安打、3日、4日の中日戦で2試合連続3安打と打ちまくり.237まで落ち込んでいた打率が急上昇。続く巨人3連戦、ヤクルト2連戦でもヒットを重ねて、13日の巨人戦では勝ち越し打を含む2安打を放って球団新記録の8試合連続複数安打を記録した。だが翌日の試合でホームでのクロスプレイで左肩を強打、16日には右足を痛めて途中交代となり抹消となってしまった。同年は打率こそ.275に留まったが、目標に掲げていた出塁率.350はクリアし、チームトップの75得点とチームを引っ張った。
:
138試合出場も
:
14年は開幕から11打数連続ノーヒットを記録するなど4月終了時点で打率.193と苦しみ、5月には月間打率323を記録して持ち直したが4安打を記録した5月28日のソフトバンク戦で盗塁の際に首を痛めてしまう。6月からは来日したグリエルに押し出される形で外野での起用も増えるなど厳しい立場に追い込まれ、8月27日の中日戦では3安打、1四球で4得点を記録したが、CSの可能性を残した9月には27打数連続ノーヒットに倒れるなど大幅に数字を落としてCSを逃す一因になってしまった。同年には自己最多の138試合に出場したが打率.248、出塁率も前年から四球数が大幅に減少した事も響いて.306という結果に終わった。
:
初回出塁で14連勝
:
15年は開幕を目前にした3月中旬に右肘を痛めて手術も検討されたがシーズンを棒に振ることになるため痛み止めの注射を打ち続けて試合に出場する事を選択。4月1日の広島戦で決勝打を含む3安打を放つと翌日には4安打を記録、7日の阪神戦でも4安打、翌日には2安打とスクイズ、さらに翌日には3安打、25日の中日戦ではホームでのクロスプレイでキャッチャーのタッチを華麗に交わしてホームインとリードオフマンとしてチームを引っ張った。また初回に出塁した試合は開幕から14連勝という不敗神話も話題になった。
:
サヨナラヒット
:
5月30日のロッテ戦から4試合連続複数安打を記録して打率が.306まで上昇したが、6月6日の西武戦で2打席連続の死球を痛めている右肘に受けて途中交代、翌日から出場を続けたが股関節も痛めるなど負傷が続いて月間打率.169と大幅に数字を落としてしまう。そんな中でも6月24日の巨人戦で筒香の併殺崩れの間に二塁から一気にホームへ還る好走塁を見せると、7月3日の阪神戦では抑えのオ・スンファンからサヨナラヒットという印象的な活躍を見せて前半戦首位ターンとなったチームを引っ張った。だが7月7日の広島戦ではホームでのクロスプレイで右膝に裂傷を負うと、31日には左太もも裏を痛めて登録抹消となり89試合出場に留まった。
:
右肘
:
16年はオフに右肘のクリーニング手術を受けた影響で出遅れると4月8日に一軍に合流して2番セカンドを任されたが状態が上がらず打率1割台に低迷、5月25日の試合前練習で手応えをつかむと同日の中日戦で3安打を放ち、次戦でも3安打を記録したが、右肘の痛みが引かず苦しい日々が続いた。同年は送りバントや進塁打を評価されて95試合に出場したが打率.209という自己ワーストの成績に留まった。初出場を果たしたCSではファイナル第3戦で8回裏にエルドレッドのファウルフライを好捕すると痛めていた右ひじをフェンスに強打したが打球を離さない気迫のプレーでチームを勝利に導いた。
:
プレーオフに出場できず
:
17年には同年の初出場となった4月20日の広島戦で同点の9回裏にライト前に落ちそうな飛球を好捕すると、翌日には勝ち越しに繋がるツーベースを含む2安打、30日の広島戦では2ランを含む3安打1四球、5月19日の巨人戦では難敵マイコラスから勝ち越しタイムリーとまずまずの出足を見せたが、交流戦で打率.148と低迷すると7月5日の阪神戦では13球粘って四球を選ぶと、中押しソロを含む2安打も放って勝利に貢献したが、11日の広島戦でベースランで足を負傷して抹消、8月下旬に一軍へ復帰したが若手の柴田がチャンスを掴んでいたため代打での起用が主となり、CS、日本シリーズはテレビ観戦という悔しさを味わった。
:
数少ない出番の中で
:
18年はオープン戦から2軍暮らしとさらに厳しい立場となった。7月1日に昇格を果たすと3日の巨人戦で同点の7回表に代打で起用されてレフト前ヒットで出塁して勝ち越しのホームも踏んだ。誕生日の7月10日にはスタメンで起用されて守備ではセカンドのベースカバーでみなしアウトを取ってもらえずエラーが記録されたがヒットと四球で出塁して12年連続盗塁も記録した。7月25日中日戦では6回裏の守備で一死二塁から代打堂上が放った一二塁間への打球を好捕してピンチを救い、ラミレス監督から「今日1番大きかった」と称賛された。8月3日の広島戦では途中出場でセンター前ヒットを放つと、11回裏にはサヨナラに繋げる四球を選んで勝利に貢献、8月12日の阪神戦では2安打に加えて12球粘って同点の押し出し四球を選び、9月21日の中日戦では二死満塁からのショートゴロでヘッドスライディングを見せて内野安打を勝ち取るなど存在感を見せた。
:
悪夢を止める
:
32歳にして野手最年長となった19年は10連敗中でダントツの最下位に沈む苦しい状況だった4月29日に1軍昇格、即2番で起用された同日の巨人戦で3回表に先制につながるライト前ヒットを放つと、同点に追い付いてなおも二死一塁とした8回表にライトスタンドにツーランを叩き込んで悪夢の10連敗をストップ、そこからチームが浮上していったこともあって同年のハイライトとして強く記憶された。7月27日の中日戦では松坂からタイムリー、8月2日の巨人戦では菅野攻略のきっかけとなるレフト前ヒット、4日の巨人戦で一塁線を抜くスリーベースで1000安打を達成し、お立ち台では筒香から小さなケーキでお祝いされた。打率.208ながらムードメーカーとしても貢献していたが、9月5日に右肩痛で離脱、チームも同日から大きく失速して21年ぶりの優勝を逃すことになった。
:
ラストゲーム
:
20年シーズンは憧れていた阪口 智隆の背番号42に変更して再起をはかったが、キャンプから二軍暮らしとなり、少しでもチャンスを増やすために内野に加えて外野や一塁でも出場して1軍昇格の日を待ったが、イースタンリーグで打率.226と結果が残せなかったこともあって戦力外通告となった。横須賀スタジアムで行われた2軍のシーズン最終戦で大きな拍手を受けて途中出場、1点を追う9回裏に13球粘って四球を選んで出塁して、田部のタイムリーで同点のホームを踏むと、10回裏には再び11球粘って四球でチャンスを広げて田部のタイムリーでサヨナラのホームを踏むなど、最後までベイスターズの勝利に泥臭く貢献した。
:
引退
:
戦力外後も「可能性がある限り挑戦したい」と現役続行を目指して自主トレを続けたが、翌年の開幕1週間前に野球選手としての現役引退を発表した。5月10日にかねてから憧れていたアメリカンフットボールの選手に転向することを発表、Xリーグのノジマ相模原ライズにワイドレシーバーとして入団した。6月5日には横浜スタジアムの試合後に引退セレモニーが開催されて、藤田、涌井、両親らからメッセージが送られた。
初記録
初出場
06年10月12日ヤクルト戦:代打で三振
初安打
07年4月1日巨人戦:高橋尚から
初本塁打
08年8月31日ヤクルト戦:石川から
初打点
07年4月19日ヤクルト戦
初盗塁
07年4月19日ヤクルト戦
記録達成日
1000試合
2016年8月13日広島戦
1000安打
2019年8月4日巨人戦:桜井から
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
06
横浜
2
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
0
0
.000
07
横浜
19
24
5
3
0
0
0
3
1
1
0
1
0
2
0
6
0
0
.125
08
横浜
83
259
24
63
4
5
1
80
13
10
5
6
1
6
1
60
5
9
.243
09
横浜
134
463
38
112
15
3
2
139
24
19
4
15
1
13
3
98
8
17
.242
10
横浜
131
521
69
153
23
6
0
188
18
36
13
38
1
21
3
91
6
6
.294
11
横浜
125
466
49
121
11
1
0
134
22
12
7
32
0
30
2
95
8
13
.260
12
横浜
80
263
31
75
10
1
1
90
14
7
6
13
1
24
3
49
3
2
.285
13
横浜
119
459
75
126
12
4
5
161
41
5
2
5
0
51
8
76
6
14
.275
14
横浜
138
483
66
120
16
5
7
167
36
9
3
16
0
32
8
98
9
9
.248
15
横浜
89
343
43
89
8
1
1
102
18
6
3
9
0
16
7
82
2
8
.259
16
横浜
95
297
35
62
8
2
2
80
14
6
4
11
1
18
2
67
3
3
.209
17
横浜
63
167
18
41
7
0
2
54
11
1
1
6
3
12
4
41
4
2
.246
18
横浜
41
74
10
17
1
0
0
18
7
5
3
4
2
11
0
19
1
4
.230
19
横浜
50
101
14
21
3
1
2
32
5
1
3
6
0
5
1
34
1
1
.208
通算
14年
1169
3922
477
1003
118
29
23
1248
224
118
54
162
10
241
42
818
56
88
.256
プレーオフ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
16
横浜
5
10
0
3
0
0
0
3
0
0
0
1
0
1
0
1
0
0
.300
通算
1年
5
10
0
3
0
0
0
3
0
0
0
1
0
1
0
1
0
0
.300
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
05
湘南
45
74
12
18
5
1
0
25
2
2
1
0
5
25
0
4
.243
06
湘南
48
171
17
44
8
1
1
57
14
12
12
0
12
52
4
10
.257
07
湘南
39
115
15
26
0
0
1
29
5
5
5
0
6
30
0
4
.226
08
湘南
23
91
10
27
4
0
0
31
2
3
3
1
6
14
3
3
.297
10
湘南
2
8
1
1
1
0
0
2
1
0
0
0
0
2
0
0
.125
11
横浜
2
5
1
1
0
0
0
1
0
1
0
0
3
0
0
0
.200
12
横浜
3
6
4
2
0
0
0
2
0
0
0
0
5
1
0
1
.333
13
横浜
10
38
6
11
3
0
2
20
8
1
0
0
2
9
2
0
.289
15
横浜
7
22
3
7
2
1
0
11
0
0
0
0
0
3
0
1
.318
16
横浜
20
65
4
16
4
0
0
20
3
1
0
1
4
17
1
2
.246
17
横浜
20
49
10
15
5
0
1
23
5
3
0
0
8
11
1
0
.306
18
横浜
34
99
8
22
2
1
0
26
14
3
2
1
11
25
1
3
.222
19
横浜
17
45
10
12
3
0
1
18
5
1
1
0
12
15
1
1
.267
20
横浜
36
106
14
24
3
1
0
29
6
2
4
1
19
26
0
0
.226
通算
14年
306
894
115
226
40
5
6
294
65
34
28
4
93
230
13
29
.253