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梶谷 隆幸



名前 かじたに たかゆき
生年月日 1988年8月28日
経歴 開星高校−横浜(06年D3巡目)−巨人
入団年 06年に高校生ドラフト3巡目で入団
在籍年 07年−20年
背番号 07年−13年[63]:14年−20年[3]
投打 右投げ左打ち
守備 内野手
県大会
4年時に「持田ボンバーズ」で野球を始める。当時は投手と捕手をしていたが中学から内野手転向。学業の特待生として入学した開星高では1年から野球部でショートのレギュラーを獲得。ヘルニアになり授業を受けるのも厳しい状態となり、医者からは「もうスポーツは出来ない」と言われたが、東洋医学の病院や整形外科にも数多く通うなど諦めずに再起。3年の夏には県大会で20打数9安打を記録し開星高校の4年ぶりの甲子園進出に大きく貢献した。

甲子園
甲子園の初戦では日大山形と対戦。梶谷は「甲子園で1勝して伝説をつくりたい」と語っていたが試合は劣勢のまま9回の裏に入り、サードゴロでヘッドスライディングを見せた梶谷も間一髪アウトになってしまい、そのまま試合にも敗れてしまった。同年の高校生ドラフトで横浜から3巡目指名を受けて入団。梶谷は「チームの一員として、まずは甲子園で1勝したいです」と語った。

甲子園で1勝ならず
09年には初スタメンとなった4月26日のヤクルト戦で松岡から初ヒットを記録。4月30日に甲子園で行なわれた阪神戦では0対0で迎えた5回表に久保から初本塁打となる先制ツーランをライトスタンドに運んだ。試合はそのまま9回表を終えて梶谷のお立ち台が目前だったが、9回裏に石井裕が連打を打たれて1点差に追い上げられ、なおも二死三塁というピンチを作ってしまう。そして続く関本が放った打球に梶谷がよく追いついたが、一塁への送球が逸れて同点に追いつかれると石井裕が鳥谷、金本と5連打を打たれてサヨナラ負けとなってしまった。

アスリート
10年は二軍で打率.251ながらリーグ2位の49四球を選んで出塁率.344を記録。リーグトップの33盗塁に19犠打とリードオフらしい活躍を見せた。だが梶谷を開星高の1年時から指導してきたトレーニングジム「アスリート」の平岡代表は手がけてきた数々のプロ野球選手と比較してもトップクラスの身体能力を持つ梶谷の体つきがプロ入り以来変化が無いことに業を煮やして、同年オフに梶谷を呼び出して合宿を敢行。高校時代より落ちていた筋力を何とか回復させた。翌11年は故障もあって二軍でも結果が残せなかったが、同年オフに行われたアスリートでのトレーニングを終える頃には足筋力が前年比で30%上昇するなど飛躍的に筋力が上昇した。

首脳陣の期待に応えれず
12年にはオープン戦で1試合3盗塁を2度記録するなど12球団トップの13盗塁、打率も.347(49打数17安打)という好成績を残して開幕一軍の座を勝ち取った。開幕戦に1番ショートで出場した梶谷はヒット性の打球を2本好捕される不運もあったが、7回表に能見から3年ぶりのヒットとなるライト前ヒットを放った。その後もスタメンで起用されたが36打数3安打で盗塁0と結果が残せなかった。5月11日の阪神戦から4試合連続ヒットを放って徐々に数字を上げると、6月20日の楽天戦で3打数3安打1四球を記録して打率が2割台に乗せる。だが7月11日のヤクルト戦で走塁中に右足首を痛めて登録抹消。復帰後は8月30日の阪神戦でメッセンジャーから先制ツーラン、9月22日の広島戦で野村から逆転スリーランを放ったが数字は伸び悩んで打率.179、5盗塁に終わった。

チョンボ
13年もオープン戦で打率.314を記録して開幕一軍に残ったが、4月9日の広島戦で二死満塁のピンチで大竹が放ったショートゴロでセカンドの梶谷がベースカバーを怠って大量失点となり二軍降格。午前3時まで放心状態になるほどショックを受けたという梶谷だったが、最短の10日間で一軍に復帰すると同日の中日戦で同点で迎えた8回裏に三塁線を抜く2点タイムリーを放ってお立ち台に上がった。だが6月3日の日本ハム戦で無死満塁のチャンスでブランコの浅いライトフライで二塁走者の梶谷が三塁走走がスタート切っていないにもかかわらずタッチアップしてチャンスを潰してしまうと、同月の下旬に右手の甲を骨折して登録抹消になった。

大ブレイク
8月2日に一軍へ復帰すると翌日の中日戦で岩瀬からのツーランを含む4安打2盗塁を記録した。すると11日のヤクルト戦で9連敗中のチームを救う5安打5得点を記録。15日の巨人戦では同点ソロと逆転ツーラン、23日の巨人戦で4安打6打点と打ちまくり月間打率.398を記録。月間31得点は同月に32得点を記録した巨人の村田に次ぐセ史上2位で球団新記録となった。9月になっても26日の阪神戦で球団通算7000号を含む2打席連続本塁打を放つなど好調を持続させてチームの最下位脱出に大きく貢献した。最終的には打率.346で出塁率.413、わずか254打数で16本塁打、44打点を記録して長打率.634という凄まじい成績を記録した。

サイクル超え
14年は4月16日の中日戦から16試合連続ヒットを記録。その間には5月1日の中日戦で4打数4安打、続く広島3連戦で初戦に2本塁打、第2戦で通算28打数0安打と天敵だった前田 健太からスリーベース、第3戦ではランニングホームランという印象的な活躍を残した。5月下旬から大不振に陥ったが、7月11日のヤクルト戦で初回に左中間を割る打球を好走塁で三塁打にすると、第2打席でレフト前、第3打席で二ヶ月ぶりのホームラン、ツーベースでサイクルヒットとなる第5打席で左中間へ大飛球を放ったが、打球がそのままスタンドに飛び込んでサイクル越え、20安打の猛攻で回ってきた第6打席でもライト前を放って13塁打という凄まじい大暴れを見せた。

筒香と交錯
ショートからコンバートとなった外野でも身体能力を生かしたプレーで度々チームを救ってきたが、8月13日の中日戦で大島が放った左中間への飛球を追ってレフトの筒香と激しく交錯。梶谷は無事だったが親友の筒香は後頭部を強打して意識を失い救急車で病院へ運ばれる事態になってしまう。梶谷はそのまま出場を続けたが攻守に集中力を欠いたプレーを見せて途中交代になってしまうと、翌日にも3三振に守備でも交錯を恐れて石川とお見合いするなどショックを隠せなかった。だが筒香が15日に無事退院すると翌日の阪神戦では初回に先制ツーランを叩き込むと、ベンチ前のカメラに向かって指を2、2、5(ツツゴー)と抹消中の筒香にサインを送った

盗塁王
9月9日のヤクルト戦で先頭打者初球本塁打を放つと、翌日のヤクルト戦でも先頭打者本塁打を放って史上31人目、球団では77年4月の山下 大輔以来2人目となる2試合連続先頭打者本塁打を記録した。9月28日の巨人戦では人生初のサヨナラヒットを放つなどシーズンの最後まで活躍を続けた。打率は.263と期待されたほどの数字は残せなかったが、8月25日からの中日3連戦で7四球を選ぶなどチームトップの70四球を記録して出塁率は.355、ほぼフル出場となる142試合に出場して16本塁打、72打点、39盗塁(盗塁王)という上々の成績を残した。

月間MVP
15年は巨人との開幕第2戦で3本のツーベースを含む4安打を放って大勝に貢献、4月2日の広島戦では延長12回裏にサヨナラヒット、28日の広島戦で9回表に勝ち越しタイムリー、30日の広島戦で決勝の先制ソロ、5月3日の中日戦では先制ツーランに勝ち越しタイムリーと開幕から17勝中7戦で勝利打点を記録するなどチームを牽引し3、4月度の月間MVPも受賞した。5月13日に走塁中に左足を捻挫して10日間チームを離れたが復帰戦で3安打を放つと、6月3日のソフトバンク戦では小学生以来となる4番起用、初出場となったオールスターゲームにはファン投票で選出されるなどチームの前半戦首位に大きく貢献した。

夏場に失速:
後半戦に入ると7月25日の阪神戦で逆転タイムリー、8月2日の広島戦で逆転スリーランを放つなど勝負所では快打を見せたが8月の月間打率.221と課題の夏場に失速。スターナイト初戦の8月18日のヤクルト戦では8回裏に勝ち越しの場外弾を放ち、5回表の守備では雄平のライトフェンス際のライナーをジャンピングキャッチで好捕したがフェンスの扉が前日のゆずのコンサートで使用されて鍵がかけられていなかったため扉が開き梶谷が場外に消える好珍プレーとなった。9月4日の巨人戦では同点ツーランと逆転スリーランを放ったがチームをは山崎康が初のセーブ失敗となって逆転負けになるなど史上初の首位ターンからの最下位となり、梶谷自身も開幕当初は独走していた盗塁王も足を痛めてからは数字を伸ばせずタイトルを逃すなど悔しさの残るシーズンとなった。

ホームスチール
16年はセンターへのコンバートと2番打者への配置転向が発表されてラミレス新監督からキーマンとして高い期待を受けて日本代表にも選出されていたが、キャンプの守備練習でフェンスに激突して左肋骨を損傷、長期離脱となりチームも開幕から低迷という苦しい時期を送った。5月4日のヤクルト戦で3番センターで一軍復帰を果たすといきなり先制タイムリーとスリーベースを放ってお立ち台に上がり、翌日にはヤクルト先発の石川が一塁へ緩い牽制球を投じた隙をついて同年のハイライトの一つともなったホームスチールを成功してチームを勢いづけた。

後半戦で爆発
梶谷の合流でチームは息を吹き返して二桁に達していた借金をわずか25日間で完済、起爆剤として大きなインパクトを見せた梶谷だったが自身の成績は6月終了時点で打率.209という不振に陥った。だが交流戦明けの巨人戦から昨年までのライトで起用されると同日に菅野から先制タイムリーを放つなど徐々に復調、7月29日の広島戦で満塁弾、翌日に2本塁打、8月3日の阪神戦では場外ツーラン、11日の巨人戦ではライトポールを直撃するスリーランを含む4安打とホームランも量産してチームを牽引、7月以降は打率.321で13本塁打を記録して初のCS進出に大きく貢献した。

骨折しながら
CSは2番ライトで出場してファーストステージ初戦の3回表にチームのCS初得点となる同点ソロを放った。だが第3戦の初回に死球を受けて左手薬指を骨折、広島とのファイナルシリーズ出場は絶望的かと思われたが、グラブや手袋をはさみで切って強行出場、初戦で右手だけの流し打ちで2安打を放つと、立ちくらみをするほどの痛みの中で第3戦では引っ張ってライト前にタイムリー、守っても8回裏の二死満塁のピンチで新井のライトファウルフライをダイビングキャッチで好捕すると痛めた左手を強打しフェンスに激突しながらも離さないビッグプレーを見せて勝利に貢献、翌日にはライトスタンドにツーランという驚異的な執念を見せて多くのファンの心を打った。

攻撃的2番
17年は開幕から2番で起用されて第2戦で二塁打3本を放つと、4月9日の中日戦で5回まで1安打無四球に抑え込まれていた吉見からバックスクリーンに逆転ツーラン、5月6日のヤクルト戦では起死回生の同点満塁弾、6月28日の広島戦で逆転スリーラン、30日巨人戦で菅野から先制弾と攻撃的な2番打者として長打を量産した。だが三振数がリーグトップを独走し、出塁率もラミレス監督の期待ほどの数字は残せなかった箏もあって7月からは下位打線に降格となった。

20本20盗塁
後半戦は8月23日の広島戦で10回裏にサヨナラヒット、翌日にはソロ、3位攻防戦となった9月16日の巨人戦では2番起用で決勝ソロを放つなど印象的な活躍を見せ、9月28日の阪神戦で20号ソロを記録して78年の長崎以来となる球団史上3人目(4度目)で12球団唯一の20本塁打20盗塁を達成。CSでは豪雨の中で強行された阪神とのファーストステージ第2戦で同点の7回表にボテボテの一塁線への打球が泥にささって一塁線に留まり内野安打となり、その後に決勝のホームを踏んだ。第3戦では初回にライト前ヒットで出塁するとロペスのレフト前ヒットで三塁を陥れて甲子園をどよめかせた。だが日本シリーズでは2勝3敗で迎えた第6戦の延長11回裏二死一、二塁で川島のライト前ヒットを前進守備で捕球すると、バックホームを投じたがベース付近で大きくバウンドして日本一は逃した。

故障
18年は日本シリーズの悪送球の原因ともなった右肩痛も影響もあって2軍キャンプでの調整となり、3月中旬から1軍に合流したがオープン戦最終戦の試合前に背中を痛めて2軍スタートとなった。だが4月22日にイースタンリーグで4打数4安打を放って昇格すると復帰第2戦となった25日の広島戦でホームランを含む2安打を放って存在感を見せた。その後は主に6番として活躍したが、5月18日からの巨人3連戦では1番で起用されて初戦で菅野から同点ソロ、第2戦で4安打に好走塁、第3戦でツーランを含む2安打を記録、25日のヤクルト戦では2本塁打を含むサイクル越えの5安打(13塁打)を放って打率を.359まで上昇させた。だが6月7日に腰痛で抹消となると、7月16日に復帰を果たしたが、8月1日の巨人戦で吉川から手首に死球を受けて骨折となり離脱となった。シーズン中の復帰が困難なことから、慢性的な痛みを抱えていた右肩を8月20日に手術して翌年に備えた。

大不振
19年は右肩が万全ではない状態で開幕戦に1番センターで起用されたが16打数1安打と苦しんで登録抹消となった。4月16日から20日にかけて2軍で18打数12安打を記録して昇格となったが、ほぼ代打で10打数0安打、打率.038となり再び抹消となった。2軍では出塁率.405、長打率.546と格の違いを見せたが、なかなか再昇格のチャンスは訪れなかった。抹消から100日以上が経過した8月23日にようやく再昇格を果たすと、同日の巨人戦でスタメン出場、第2打席で3位に転落したチームを救う395日ぶりのホームランを放って左手を握り締める小さなガッツポーズを見せた。

バースデーアーチ
31歳の誕生日となった8月28日のヤクルト戦では6回裏に代打で登場するとハッピーバースデーの合唱が終わりかけた2球目をライトスタンドに運んで大歓声を受けた。翌日のヤクルト戦では勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台に上がると、9月5日の阪神戦では3安打に加えて守備でライトゴロなど好守を連発、10日の巨人戦でもゲレーロが放った大飛球をフェンスにぶつかりながら好捕するなど好守連発、翌日の巨人戦でも途中出場でツーランと気を吐いた。

劇的な100号
2位争いの大一番となった9月19日の広島戦では0対7からソトのスリーランで追い上げて、なおも続いた一死満塁のチャンスで代打起用されて通算100号となる劇的な同点満塁弾を放ち、勝ち越しを許した8回表になおも続いたピンチで右中間へのライナーを好捕すると、その裏にフランスアから同点タイムリーという驚異的な活躍で大逆転勝利に貢献、初のCS本拠地開催を決定づけた。だが優勝へのわずかな可能性を残した21日の巨人との首位攻防戦ではリードをして迎えた9回表に右中間への難しい打球をスーパーキャッチしたが、二死一、二塁からの小林のライト前でバックホームを試みたが逸れてハマスタでの巨人の胴上げを許すことになった。同年は序盤の大不振が響いて打率.215に留まったが夏場の復帰以降は出塁率.400、長打率.567という好成績を残した。

帰ってきた梶谷
20年は直訴して3年ぶりに1軍キャンプスタート、前年後半からの好調のままにオープン戦で結果を残してラミレス監督から「すごい梶谷が帰ってきた」と絶賛された。コロナウイルスの影響で開幕が延期となったが練習試合でもアピールを続けて開幕1番を勝ち取った。開幕直後には6月25日中日戦で2試合連発となるホームランを含む3安打を放つなど12試合連続ヒットを記録、有観客試合初戦となった7月10日の阪神戦で先頭打者弾を含む3安打を放つと、翌日には好走塁で同点のホームを踏み、14日の中日戦では3安打1盗塁とチームを引っ張ってレギュラーを掴んだ。21日のヤクルト戦で788日ぶりに2本塁打を記録すると、26日の広島戦でスリーラン、29日の巨人戦で先制ソロ、8月2日の阪神戦で先頭打者弾とホームランも量産、この時点でリーグ3位の9本塁打を記録した。

月間42安打
8月中旬に体調を崩したが、25日の広島戦で4安打を放つと、翌日には同点ツーラン、30日のヤクルト戦ではスリーベースを含む2安打と復調、9月に入ると4日の広島戦で3安打、翌日には4安打を記録、さらに9日の阪神戦でも4安打を放つと、15日から2試合連続猛打賞と固め打ちを続けた。29日のヤクルト戦で月間3度目の4安打を放ってパチョレックと佐伯が記録した月間41安打の球団記録に並ぶと、30日のヤクルト戦で左中間へタイムリーツーベースを放って球団新記録を樹立した。なお月間7度の猛打賞も球団記録タイとなった。また同月には25得点も記録して自身2度目の月間MVPに選出された。

首位打者逃す
10月18日の巨人戦で起死回生の逆転満塁ホームランを含む2本塁打という離れ業でお立ち台に上がると、23日の広島戦でも先制タイムリーを含む3安打を放ってお立ち台と観客上限が緩和されたハマスタで大きな拍手を浴びた。27日の巨人戦で4安打を放って、ついに佐野に並ぶ打率トップに浮上、翌日には単独首位に躍り出た。11月1日の阪神戦でサヨナラヒットを含む2安打を放って最多安打も見えてきたが、4日の中日戦で背中を痛めて途中交代となった。最終戦でスタメンに復帰、4打数3安打を放てば首位打者だったが2打数0安打に終わってタイトル獲得はならなかった。同年は逆方向への打撃が大幅に増えてリーグ2位の打率.323、88得点で球団史上2人目の得点王というキャリアハイを大幅に更新するシーズンとなった。

巨人移籍
オフにFAを宣言して4年8億円という大型契約で巨人に移籍した。巨人のドレスコードに合わせて髭を剃り落した若々しい姿で入団会見に臨むと「特別なものがある」と意識して臨んだ古巣横浜との開幕カードでは第2戦で2盗塁に加えて満塁ホームランで移籍後初安打、第3戦では8回裏に同点タイムリーを記録するなど華々しい巨人デビューを飾った。だが打率は1割台に低迷、4月13日の中日戦ではスタメン落ちの連絡を受けていたが、原監督から「率直にどう思う」と聞かれて「試合に出たいです」と答えると、3番スタメンで起用されて大野からタイムリーを含む2安打を放つと、次戦でホームラン、さらに次戦で4安打と一気に状態を上げた。

負傷の連鎖
5月11日の横浜戦ではピッチャーゴロに打ち取られた際にタッチにきたエスコバーに手を差し出してエスコバーもそれに応じる仲良しタッチをして話題になった。5月には月間打率.356と1番打者としてチームをけん引していたが23日の中日戦でスライディングキャッチを試みた際にセカンド吉川と交錯して負傷、一か月後の6月22日に復帰したが7月10日の阪神戦で右手甲に死球を受けて骨折、シーズン終盤に復帰予定だったがヘルニアを発症してシーズン終了と最後まで故障に泣き続けた1年間となった。

2年ぶり
10月に椎間板ヘルニアの手術を受けて迎えた22年だったが、5月中旬に左ひざの半月板の手術を受けてシーズンをリハビリで終えてオフには年俸2億円の育成契約という異例の対応がとられた。翌23年には開幕直前に支配下契約に復帰、2年ぶりのスタメン出場となった4月1日の中日戦で2安打を放ってお立ち台に上がり「長かったな」と喜びをかみしめた。その後も6月2日の日本ハム戦で2年ぶりのホームランを含む2安打、15日の西武戦でサヨナラヒット、1000試合出場となった7月5日の中日戦で延長12回表に決勝タイムリー、7月27日の阪神戦で勝ち越しソロとベテランらしい勝負強さを見せて102試合に出場した。


初記録
初出場 09年4月9日巨人戦
初安打 09年4月26日ヤクルト戦:松岡から
初本塁打 09年4月30日阪神戦:久保から
初打点 09年4月30日阪神戦:久保から
初盗塁 09年4月26日ヤクルト戦
記録達成日
100本塁打 2019年9月19日広島戦:九里から
1000試合 2023年7月5日中日戦
その他の記録
月間MVP 15年4月、20年9月



09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23
盗塁王 1回
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
09 横浜 22 39 4 5 1 0 1 9 2 1 0 4 0 1 0 10 0 2 .128
10 横浜 5 4 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 0 .000
12 横浜 80 223 17 40 5 3 2 57 11 5 8 7 0 21 1 61 4 10 .179
13 横浜 77 254 59 88 17 4 16 161 44 7 4 4 0 27 2 60 6 10 .346
14 横浜 142 525 76 138 26 9 16 230 72 39 8 3 4 70 7 135 12 6 .263
15 横浜 134 520 70 143 35 2 13 221 66 28 13 2 2 54 0 132 4 2 .275
16 横浜 107 396 69 108 20 4 18 190 56 26 7 1 0 49 4 110 2 4 .273
17 横浜 137 511 83 124 27 2 21 218 60 21 3 0 2 62 3 157 10 1 .243
18 横浜 41 127 21 34 8 0 8 66 18 5 2 0 0 8 2 21 1 0 .268
19 横浜 41 93 13 20 5 0 5 40 15 3 0 1 0 16 0 20 1 0 .215
20 横浜 109 433 88 140 29 1 19 228 53 14 8 1 2 45 1 85 4 2 .323
21 巨人 61 227 31 64 10 1 4 88 23 11 8 0 1 15 3 40 2 1 .282
23 巨人 102 265 26 73 8 0 2 87 19 2 2 6 0 17 3 45 2 0 .275
球団 11年 895 3125 500 840 173 25 119 1420 397 149 54 23 10 353 20 794 44 37 .269
通算 13年 1058 3617 557 977 191 26 125 1595 439 162 64 29 11 385 26 879 48 38 .270


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 6 23 3 5 1 0 1 9 1 0 1 1 0 1 0 6 0 0 .217
通算 1年 6 23 3 5 1 0 1 9 1 0 1 1 0 1 0 6 0 0 .217


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 7 24 2 5 0 0 2 11 4 0 0 0 0 1 1 8 1 0 .208
17 横浜 8 28 6 10 0 0 1 13 4 0 2 0 0 6 0 8 0 0 .357
19 横浜 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
通算 3年 17 54 8 15 0 0 3 24 8 0 2 0 0 7 1 18 1 0 .278


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 2 9 2 4 1 0 0 5 3 0 0 0 0 0 0 4 0 0 .444


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
07 湘南 52 44 10 6 0 0 0 6 3 6 1 0 4 13 0 6 .136
08 湘南 84 272 34 68 12 3 0 86 19 14 17 2 25 61 7 12 .250
09 湘南 84 337 64 94 16 8 6 144 34 20 13 1 38 67 4 12 .279
10 湘南 98 359 64 90 6 8 7 133 38 33 19 0 51 52 0 16 .251
11 横浜 53 211 27 55 6 2 5 80 15 6 0 1 17 56 1 5 .261
12 横浜 22 65 10 19 2 0 2 27 12 2 1 0 11 14 0 5 .292
13 横浜 19 62 10 28 4 1 1 37 7 5 0 1 7 12 1 4 .452
15 横浜 1 2 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 1 1 0 0 .500
16 横浜 4 17 5 8 2 0 2 16 7 1 0 0 1 4 0 0 .471
18 横浜 9 22 3 9 1 0 1 13 6 2 0 0 4 4 0 0 .409
19 横浜 60 205 34 61 8 2 13 112 33 10 0 0 37 42 4 0 .298
21 巨人 5 14 4 6 1 0 0 7 1 1 0 0 1 2 0 0 .429
23 巨人 9 19 5 5 3 0 0 8 3 0 0 1 9 2 2 0 .263
通算 13年 500 1629 271 450 61 24 37 670 178 100 51 6 206 330 19 60 .276