:MLB初登板:
98年にカージナルスからドラフト13位指名を受けて入団。02年にAAAで8勝7敗を記録して頭角を現すと、翌03年にMLB初登板。04年、06年、07年とAAAで二桁勝利を記録。08年はフィリーズ傘下のAAAで2完封を達成するなど防御率3.32を記録。7月6日には17奪三振も記録している。
:MLB初勝利:
08年にはシーズン終盤にMLB昇格を果たすと9月28日のナショナルズ戦では4回裏にフィリーズが田口の2点タイムリーなどで4対3と逆転に成功すると、5回表からマウンドに上がったウォーランドが2イニングを2安打、無四球で4奪三振を奪う好投を見せてMLB初勝利を記録した。翌09年に横浜ベイスターズに入団。
:初勝利:
来日初登板となった4月9日の巨人戦では6回途中3失点で敗戦投手になったが、4月16日の広島戦で6回途中1失点で勝利に貢献。4月23日の広島戦でも6回1失点に抑えたが援護なく敗戦と好投しながら白星が付かなかったが、4月29日の阪神戦では5回4失点ながら味方の大量援護で初勝利を記録。続く5月5日の巨人戦では粘りのピッチングで6回2失点に抑えて勝利投手。5月20日のロッテ戦では7回を1失点に抑えてチームの成績不振で代行監督に就任した田代監督に初勝利をプレゼントした。
:故障:
前半戦終了時には5勝7敗で防御率3.86と、ダントツの最下位に沈むチームにあって貴重な戦力になっていたが、前半戦最後の登板となった7月20日の巨人戦で6回まで無失点に抑える好投を見せていたが、7回表にアルフォンゾが放った高いバウンドのゴロを捕球しようとして転倒。左肩を強打して負傷交代となってしまうと、中12日を空けて登板した広島戦では2回途中5失点でKO。その後も打ち込まれて後半戦の防御率8.59と大幅に数字を落とし、9月に入ると左肘も痛めて登録抹消。同年限りで退団となった。
:変化球:
110.2投球回で50四球とコントロールは悪かったが、変化球、特に大きなカーブはチームメイトだった工藤も認めるキレで、週刊ベースボールの企画「選手に聞く変化球ランキング」ではセリーグ部門のカーブ2位になった。ソフトバンクの田上は「なんぼ曲がっとんねん!と突っ込みたくなる変化球」、巨人の鈴木は「ボールが上に浮いて視界から消えてしまう」と絶賛した。またチェンジアップも1票を獲得したが横浜の選手への票はその二つだけだった。
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10年は韓国の斗山ベアーズと契約して7勝9敗、防御率4.95を記録した。 |
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