森 大輔
50
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名前 |
もり だいすけ |
生年月日 |
1982年8月31日 |
経歴 |
七尾工-三菱ふそう川崎−横浜(03年D自由枠) |
入団年 |
03年ドラフト自由獲得枠 |
在籍年 |
04年−06年 |
背番号 |
04年−05年[15]:06年[50] |
投打 |
左投げ左打ち |
守備 |
投手 |
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小学校3年時に野球を始めて6年時にはエースで4番となった。だが軟式野球部に所属した中学時代は成長痛の苦しみを指導者が理解してくれず過酷な練習を課され、同級生からのいじめにも合うなど辛い日々を過ごした。中学時代は控え投手で高校も強豪校とは言えない七尾工へ進学。
3年夏には県大会1回戦で23奪三振のノーヒットノーランを達成。
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三菱ふそう川崎時代には02年のベーブルース杯でMVP。
03年のドラフト会議で横浜から自由獲得枠で指名を受けたが、その直前にイップスと左ひじ痛を発症、キャンプは1軍で迎えたが投球練習どころか投内連携の守備練習でも悪送球を連発して二軍に降格。
二軍のブルペン投球では145キロを投じるなどまずまずのピッチングを見せたが、シート打撃練習ではコントロールできず、個人練習では痛まないヒジが打者を前にすると痛み出した。
森は「キャッチャーが100メトール先に見える」ほど重度のイップスとなり、ファンからサインを求められた自身の野球カードを見てストレートに握りを間違えていることに気付くほど混乱状態に落ち散っていた。
ルーキーイヤーは2軍で1.2回を投げて8四死球を記録、フェニックスリーグでは
スタンドから聞こえてきた野球ファンの「本当は右投げなんじゃねえの」というヤジまで浴びた。
3年目にはベイスターズが業務提携を結んでいた中国の天津ライオンズに派遣されたが、同年限りで戦力外通告を受けた。左ひじを手術して翌年のトライアウト受験を目指したが、トライアウトでは128キロに留まり獲得を表明する球団は現れなかった。
地元石川県で就職したが野球への思いを捨てられず、08年の7月にBCリーグの石川ミリオンスターズに練習生として入団。翌09年は正式に契約して5勝3敗で防御率1.88と活躍、11年のシーズン途中に戦力外となり、医療機器メーカー白寿生科学研究所に入社、白寿ヘルストロンデーと銘打って行われた15年6月6日の西武戦でハクジュプラザ店の店長として横浜スタジアムのマウンドに上がり始球式を行った。 |
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二軍投球成績
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チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
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04 |
湘南 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.2 |
1 |
0 |
8 |
0 |
4 |
4 |
21.60 |
06 |
湘南 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.0 |
1 |
0 |
1 |
2 |
1 |
1 |
9.00 |
|
通算 |
2年 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2.2 |
2 |
0 |
9 |
2 |
5 |
5 |
16.88 |
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