大西 宏明
33
|
名前 |
おおにし ひろあき |
生年月日 |
1980年4月28日 |
経歴 |
PL学園−近畿大−近鉄(02年D7巡)−オリックス−横浜−ソフトバンク |
入団年 |
08年にオリックスから移籍 |
在籍年 |
08年−10年 |
背番号 |
08年−10年[33] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
外野手 |
|
|
:対横浜高校:
PL学園では3年夏の甲子園ベスト8で松坂 大輔を擁する横浜高校と対戦。2回裏に大西が松坂からセンター前ヒットを放つと、そこから田中
一徳のタイムリーなどで3点を先制した。その後同点に追いつかれるが7回裏に大西のヒットなどで1点を勝ち越し、だがその直後に再び同点と両チーム共に流れを渡さない。5対5で迎えた延長11回表に一死二塁というピンチから横浜高校の柴にニ遊間を抜けるヒットを打たれてしまう。センターの大西が「今まで一番」という素晴らしいバックホームを見せたが控え捕手の田中が捕球できずに1点を勝ち越されてしまう。
:対横浜高校2:
追い込まれたPLだったがその裏に二死二塁というチャンスを作ると大西がレフト前にタイムリーを放って同点に追いつく。延長16回表には横浜高校の小池の内野安打などで1点を勝ち越されたが、その裏に田中
一徳の好走塁でまたまた同点と真夏の熱戦はどこまでも続いていった。だが再試合目前の延長17回表に常盤のツーランで2点を勝ち越されてしまうと、その裏に先頭の大西がショートゴロに倒れるなど三人で抑えこまれて伝説の試合は幕を下ろした。
:近鉄入団:
近畿大を経て近鉄から7巡目指名を受けて入団。俊足、好守を買われての入団だったが、鈴木
貴久ニ軍打撃コーチとのマンツーマン練習で打撃力が大幅に向上し、ウエスタンリーグで3割を放って初年度から一軍に昇格。翌04年には3月30日に初ヒットを放つと、4月2日には先頭打者本塁打を含む3打数3安打を記録するなど、103試合に出場して打率.265。高校、大学の7年間で5本しか打てなかったホームランも二桁となる10本を記録した。
:鈴木コーチ:
入団して間もなくスイッチヒッターへの転向を打診されるほど打撃には期待されていなかった大西を鍛え上げたのは鈴木
貴久ニ軍打撃コーチで、大西は鈴木を師と慕っている。初年度に大西が夜間練習をサボり深夜に寮に戻ると、鈴木コーチは叱ることなく「これからやるか」と言ってティーバッティングのトスを上げて深夜練習につきあってくれた。04年の5月に大西がニ軍に降格した際には「もう二度と顔を見せるなよ」と言って一軍に送り出してくれたが、その数日後に鈴木コーチは急性気管支肺炎で40歳という若さで亡くなってしまった。
:初本塁打:
04年には4月2日のオリックス戦で1番で起用されると、初回に先頭打者本塁打を放って初本塁打を記録。すると続く第2打席にもライトスタンドに運んで2打席連続本塁打、第3打席にはセンター前ヒットで出塁して勝ち越しのホームを踏むなど勝利に貢献。6月13日の日本ハム戦では初回にツーランを放つと、7回裏に勝ち越しタイムリー、7対7で迎えた9回裏にサヨナラ犠牲フライという素晴らしい活躍を見せた。だがその試合後に「近鉄とオリックスが球団合併」というショッキングなニュースが流れて勝利の余韻は吹き飛んでしまった。
:横浜移籍:
球団合併の分配ドラフトでオリックスに入団すると、左キラーとして名を馳せたが、完全なレギュラーを獲得することは出来なかった。07年のオフに古木とのトレードで横浜に移籍。移籍初年度は開幕直後に二軍降格となったが26打数14安打を記録して一軍復帰。左投手時のスタメンや代打として289打数78安打で打率.270、出塁率.347という好成績を残した。
:ソフトバンク移籍:
09年は64打数9安打で打率.141という極度の不振に陥り、シーズンの多くを二軍で過ごすことになった。翌10年は開幕二軍となったが6月15日に一軍昇格を果たすと、同日のソフトバンク戦でスタメン起用されて2安打1四球を記録してチームの連敗を9で止めるなど月間打率3割5部を超える活躍を見せた。その後不振になった時期もあったが、43打数で13安打を放って打率.302を記録した。だが首脳陣の評価は上がらずチャンスはなかなか貰えないまま二軍降格となり、同年のオフに戦力外通告を受けてソフトバンクに育成契約で入団した。 |
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初記録 |
初出場 |
03年10月3日ロッテ戦 |
初安打 |
04年3月30日ロッテ戦:長崎から |
初本塁打 |
04年4月2日オリックス戦:具臺晟から |
初打点 |
04年4月2日オリックス戦:具臺晟から |
初盗塁 |
04年3月30日ロッテ戦:7回に三盗 |
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|
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
03 |
近鉄 |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.000 |
04 |
近鉄 |
103 |
272 |
45 |
72 |
11 |
2 |
10 |
117 |
43 |
5 |
5 |
7 |
3 |
31 |
3 |
58 |
5 |
1 |
.265 |
05 |
オリックス |
103 |
187 |
29 |
45 |
4 |
0 |
6 |
67 |
23 |
4 |
1 |
1 |
2 |
17 |
4 |
46 |
1 |
1 |
.241 |
06 |
オリックス |
79 |
169 |
19 |
46 |
9 |
1 |
3 |
66 |
15 |
7 |
2 |
7 |
0 |
12 |
2 |
37 |
2 |
1 |
.272 |
07 |
オリックス |
83 |
227 |
28 |
56 |
8 |
0 |
4 |
76 |
16 |
3 |
2 |
5 |
2 |
20 |
3 |
55 |
4 |
2 |
.247 |
08 |
横浜 |
105 |
289 |
37 |
78 |
20 |
0 |
4 |
110 |
26 |
5 |
2 |
4 |
2 |
30 |
5 |
54 |
5 |
2 |
.270 |
09 |
横浜 |
44 |
64 |
1 |
9 |
4 |
0 |
0 |
13 |
6 |
1 |
1 |
2 |
0 |
3 |
1 |
17 |
3 |
1 |
.141 |
10 |
横浜 |
36 |
43 |
3 |
13 |
1 |
0 |
0 |
14 |
2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
8 |
0 |
14 |
2 |
0 |
.302 |
|
球団 |
3年 |
185 |
396 |
41 |
100 |
25 |
0 |
4 |
137 |
34 |
6 |
3 |
7 |
2 |
41 |
6 |
85 |
10 |
3 |
.253 |
|
通算 |
8年 |
554 |
1254 |
162 |
319 |
57 |
3 |
27 |
463 |
131 |
25 |
13 |
27 |
9 |
121 |
18 |
282 |
23 |
8 |
.254 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
08 |
湘南 |
10 |
26 |
4 |
14 |
1 |
0 |
0 |
15 |
3 |
2 |
0 |
0 |
4 |
0 |
1 |
0 |
.538 |
09 |
湘南 |
34 |
123 |
15 |
28 |
8 |
0 |
2 |
42 |
8 |
0 |
2 |
2 |
11 |
21 |
4 |
1 |
.228 |
10 |
湘南 |
44 |
104 |
16 |
32 |
2 |
2 |
1 |
41 |
12 |
3 |
2 |
0 |
23 |
26 |
4 |
1 |
.308 |
|
通算 |
3年 |
88 |
253 |
35 |
74 |
11 |
2 |
3 |
98 |
23 |
5 |
4 |
2 |
38 |
47 |
9 |
2 |
.292 |
球団在籍時のみ |
|
|
|