下窪 陽介
9
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名前 |
しもくぼ ようすけ |
生年月日 |
1979年1月21日 |
経歴 |
鹿児島実業高校−日本大学−日本通運−横浜(06年D5巡目) |
入団年 |
06年に大学/社会人ドラフト5巡目で入団 |
在籍年 |
07年−10年 |
背番号 |
07年−10年[9] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
外野手 |
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:全国制覇:
地元に少年野球チームがなかったこともあって剣道をやっていたが、中1から軟式野球を始めた。ポジションは投手で当初は制球難だったが集中しての投球練習を続けるうちにコントロールがついてチームを鹿児島大会優勝に導くほど力をつけた。地元に進学予定だったが鹿児島実業の久保監督から熱心なスカウトを受けて進学、故障した際に下半身を徹底的に鍛え上げたことで投球レベルが上がり、3年春に甲子園で5試合全てを投げ抜いて鹿児島県勢としては初の全国制覇を達成した。
:夏の甲子園:
夏の大会でも鹿児島実業は圧倒的な実力を見せて甲子園に進出。だが県大会の決勝戦後に右肩を痛めて、痛み止めの注射を打って望んだ甲子園では2回戦の私立船橋戦で8安打完封を記録したが、下窪の肩は限界を迎えていた。準々決勝の朝、下窪は「もう投げられない」と訴えたが、チームメイトに「最後はお前と一緒に負けたい」と言われマウンドに上がった。下窪は痛む肩で9回を投げぬき8奪三振を奪ったが試合は2対5で敗れた。大会後に精密検査を受けて剥離骨折が判明した。
:野手転向:
日大に進学して再起を計ったが一年経っても肩の痛みは消えなかった。下窪は野球を続けるべきか悩みリハビリをさぼって渋谷をうろつく日々が続いたが、プロ野球選手も通うスポーツマッサージ療院に通い始めると肩が上がるようになり、指示されたインナーマッスルトレーニングで取り入れると数か月で球速が145キロを超えるまでになった。再びプロ野球を目指してトレーニングを開始したが、3年時にチーム方針で強制的に野手転向となった。野手としても4年生時にはドラフト候補と呼ばれるまで実力をつけたが、結局ドラフトにはかからなかった。
:代打で:
日本通運に入社すると関東リーグの朝日生命戦で二死満塁のチャンスで4番打者が投球を受けて故障し、しかもスイングしていたので二死満塁フルカウントという状態でいきなり代打で起用されることになり、急いでスパイクを履いた状態で臨んだ打席で西武ドームの外野スタンドに満塁ホームランを叩き込んで一年目からレギュラーを獲得した。その後はドラフト候補と言われながら毎年のように故障してチャンスを逃し続けた。
:都市対抗:
27歳とプロ入りには後が無くなった06年の都市対抗野球の準決勝ではTDKと対戦。下窪のスリーランなどで5対1とリードしたが、満塁ホームランなどで5対8と逆転を許すと、試合はそのまま9回裏を迎えた。そして二死一、二塁という一打同点という場面で打席に入った下窪はライトにあわやホームランというツーベースを放ち同点ランナーとして二塁ベースに残った。続く打者がセンター前に弾き返し、下窪は迷うことなくホームに突貫したがセンターからの好返球でタッチアウトになり試合は終了した。打率.414を記録した下窪は同大会の首位打者に輝いた。
:初打点:
ドラフト会議で横浜から5巡目指名を受けて入団するとオープン戦でまずまずの成績を残して開幕一軍に選ばれた。その後一度は二軍に落ちたが、湘南で43打数21安打、打率.488を記録して一軍に復帰。6月6日に地元九州で行なわれたソフトバンク戦では同点で迎えた9回表二死満塁という場面で打席に入り、カウント0−2からのボール球を空振りしてしまったが、続くストレートを右中間に弾き返して試合にけりをつけた。同年には72試合に出場して打率.277、長打は二塁打6本のみだったが10四死球で出塁率.336という上々のルーキーイヤーとなった。
:戦力外:
2年目の08年は二軍で打率.300を記録したが一軍では15打数2安打と多くのチャンスは貰えなかった。その後は二軍成績も徐々に落とし、迎えた10年には二軍のシーズン最終戦で9回裏二死から代打で起用されて四球を選び、同年限りでの退団が決定していた佐伯に打順を回して大きな声援を受けた。だがその二日後に自身も戦力外通告を受けて退団となった。一度はサラリーマンに転身したが、15年から父が創業した下窪勲製茶の社員となって全国にお茶を広める新たなスタートを切った。 |
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初記録 |
初出場 |
07年3月31日巨人戦:代打でバント |
初安打 |
07年4月29日中日戦:中田から |
初本塁打 |
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初打点 |
07年6月6日ソフトバンク戦:柳瀬から |
初盗塁 |
07年8月1日巨人戦 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
07 |
横浜 |
72 |
112 |
10 |
31 |
6 |
0 |
0 |
37 |
9 |
1 |
0 |
7 |
0 |
6 |
4 |
22 |
2 |
0 |
.277 |
08 |
横浜 |
14 |
15 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
4 |
0 |
0 |
.133 |
09 |
横浜 |
7 |
11 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
.000 |
10 |
横浜 |
3 |
5 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.200 |
|
通算 |
4年 |
96 |
143 |
11 |
34 |
6 |
0 |
0 |
40 |
10 |
1 |
0 |
7 |
0 |
8 |
4 |
31 |
2 |
0 |
.238 |
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二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
07 |
湘南 |
17 |
68 |
12 |
27 |
3 |
1 |
1 |
35 |
9 |
3 |
0 |
0 |
7 |
4 |
0 |
1 |
.397 |
08 |
湘南 |
66 |
200 |
33 |
60 |
10 |
2 |
2 |
80 |
17 |
0 |
8 |
1 |
18 |
16 |
5 |
2 |
.300 |
09 |
湘南 |
83 |
267 |
31 |
76 |
10 |
3 |
4 |
104 |
41 |
0 |
6 |
2 |
23 |
34 |
11 |
0 |
.285 |
10 |
湘南 |
76 |
139 |
14 |
37 |
11 |
0 |
1 |
51 |
14 |
0 |
1 |
2 |
20 |
20 |
2 |
0 |
.266 |
|
通算 |
4年 |
252 |
674 |
90 |
200 |
34 |
6 |
8 |
166 |
81 |
3 |
15 |
5 |
68 |
74 |
18 |
3 |
.297 |
|
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