ベイスターズ記録あと何?

サイト内検索>  
ホーム ニュース 通算記録 シーズン記録 日本記録 MLB記録 選手名鑑 タイトル 球団歴史 ドラフト

選手名鑑

■>打者:あ:
■>打者:か:
■>打者:さ:
■>打者:た:
■>打者:な:
■>打者:は:
■>打者:まや:
■>打者:らわ:

■>投手:あ:
■>投手:か:
■>投手:さ:
■>投手:た:
■>投手:な:
■>投手:は:
■>投手:まや:
■>投手:らわ:

■>監督
■>その他

■>大洋ホエールズ
■>横浜大洋
■>横浜ベイスターズ
■>全選手
MLB記録 タイトル

関連リンク

下園 辰哉



50
名前 しもぞの たつや
生年月日 1984年11月22日
経歴 宮崎日大高校−九州国際大学−横浜(06年D4巡目)
入団年 06年に大学/社会人ドラフト4巡目で入団
在籍年 07年−17年
背番号 07年−17年[50]
投打 左投げ左打ち
守備 外野手
寺原に敗れる
那珂小2年で軟式野球を始める。佐土原中ではエースとして3年夏に県大会優勝。宮崎日大では1年春から外野手としてレギュラーを獲得し、2年春には九州大会で優勝。2年の夏には県大会決勝で寺原 隼人を擁する日南学園と対決、一時は下園のスリーベースなどで同点に追いついたが、終盤に突き放されて敗戦。甲子園出場はならなかった。高校通算25本塁打。

リーグ新
九州国際大学では1年春からレギュラーを獲得すると秋季リーグで一年生にして打点王に輝いた。2年の秋にも打点王に輝くと、4年春には打率.531で首位打者。ベストナインも4回している。九州六大学リーグ通算114安打は連盟新記録。

連敗止める
08年10月4日広島戦。チームは前日まで球団タイ記録の14連敗とドツボに嵌まり、その間にチャンスを与えられていた下園も打率1割台と結果が残せていなかった。だが負ければ球団記録更新となるこの試合で初回にライト前ヒットを放って先制のホームを踏むと、4回裏には初打点となるタイムリーツーベース、6回裏、7回裏にもヒットを放って4安打。守っても長打性の当たりをフェンスの激突しながら好捕するなど攻守に渡る活躍で連敗をストップさせた。

初本塁打
09年には開幕から二軍で活躍し、わずか35試合で打率.359で5本塁打、30打点を記録。5月に田代二軍監督が一軍の監督代行に就任すると一軍に昇格し、5月22日の西武戦では2番で起用され初回に涌井から先制ソロを放って初本塁打を記録した。同年には一軍定着を果たして打率.258で6本塁打、持ち味の四球も20個選ぶなど期待に応えた。

レギュラー掴む
10年は開幕ベンチスタートとなったが、5月に月間出塁率.400を記録してスタメンを奪うと、以後はシーズン終了まで安定した成績を残して規定打席を超える461打席に立って打率.286を記録した。出塁率.365はチーム2位、リーグでも15位の好成績で、左投手相手には打率.314と左を苦にしない所も見せた。

大震災の日に骨折
11年3月11日のヤクルトとのオープン戦でレフトを守っていた下園はフェンス際の大飛球を追ってフェンスに激突して右脚頚骨を骨折。その数時間後に東日本大震災が発生しオープン戦も中止となった。6月29日に一軍に復帰すると同日の中日戦で7回裏に代打で起用されて初球をライトスタンドに運んだ。復帰後は主に1番として起用されて打率.265で出塁率.365を記録。規定打席にこそ達しなかったが、200打席以上の選手の中では出塁率はリーグ6位という好成績を残した。

代打
12年は自主トレで左肘を痛めてキャンプは二軍スタート。オープン戦終盤に一軍昇格を果たしたが中畑監督に大きなアピールは出来なかった。交流戦では8試合連続で5番で起用されるなど打撃は高い評価を受けていたが、レフトにラミレスが加入した事もあって下園は主に代打の切り札として起用されることになった。8月30日には5位を争う阪神戦の8回裏に二死一、三塁というチャンスで代打起用されて勝ち越しタイムリーを放ち、お立ち台に上がった下園は「5位を狙います」と宣言したが同年も最下位に終わってしまった。

選手会長
13年は選手会長に就任したがわずか26試合の出場で打率.146という入団以来ワーストの成績に終わった。翌14年も前半は打撃不振に苦しんで登録抹消となったが、夏場に復帰すると8月16日の阪神戦で3安打を放つなど復調、主に代打としての起用が多かったが68試合の出場で打率.277、出塁率.371という好成績を残した。

連敗止める
15年は開幕を二軍で迎えたが5月14日に一軍へ昇格すると翌日の広島戦で3番ライトで起用されて5回表に同点に追いつくセーフティスクイズを決めて逆転勝利に貢献した。その後もクリーンナップで起用されて6試合連続ヒットを放ったが、交流戦初戦で初回のピンチで落球してしまった事もあって代打起用に回ることになった。6月23日の巨人戦ではチームの連敗を12で食い止める勝ち越しの2点タイムリーポテンヒット、8月28日の広島戦では6連敗で止める3安打1出塁、9月にはすべて代打で16打席で8出塁と代打の切り札として活躍した。

サヨナラヒット
16年は開幕直後の3月31日巨人戦で延長10回裏に四球で出塁しながら次打者のセンター前ヒットで三塁をオーバーランしてサヨナラ機を潰すボーンヘッドを犯してしまったが、翌日の阪神戦では9回裏に代打で自身初のサヨナラヒットを放ってヒーローになった。5月12日の中日戦でレフトポール際に同点ツーラン、15日の阪神戦では9回裏に同点タイムリーという勝負強いバッティングを見せると、交流戦では5試合で3番で起用されて20打数7安打を記録、球宴明けには全て代打で5打席連続出塁など活躍、シーズン終盤は11打数連続ノーヒットで終えたため打率は.270まで落としたが、得点圏打率は.400で出塁率は.500という驚異的な数字を残した。

現役引退
17年は春季キャンプ直前に溶連菌感染症を発症、5月23日に1軍に登録されて同日の中日戦では6回裏に代打でレフト前ヒットを放った。6月1日の日本ハム戦では7番指名打者でスタメン起用されて第2打席でらしい最後の四球を選んだが10打数1安打で1四球と代打の切り札としての期待に応える事ができず、6月5日に登録抹消となり、以後はイースタンリーグでも満足な成績を残せず同年オフに戦力外通告を受けた。当初は現役続行を希望したがベイスターズで選手生活を終わらせたいと現役引退を決断した。


初記録
初出場 07年6月30日阪神戦:代打で三振
初安打 07年7月17日広島戦:上野から二塁打
初本塁打 09年5月22日西武戦:涌井から先制ソロ
初打点 08年10月4日広島戦:ルイスから二塁打で
初盗塁 09年7月18日中日戦


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
07 横浜 28 29 2 6 2 0 0 8 0 0 0 0 0 3 0 11 0 1 .207
08 横浜 19 53 7 11 1 0 0 12 1 0 0 1 0 4 0 15 0 0 .208
09 横浜 81 198 29 51 7 0 6 76 11 2 2 1 1 20 1 34 2 2 .258
10 横浜 131 402 41 115 21 3 3 151 28 1 1 6 2 49 2 82 8 4 .286
11 横浜 85 298 31 79 10 1 4 103 25 2 2 5 0 45 2 54 5 0 .265
12 横浜 90 139 10 35 8 1 0 45 14 0 0 1 0 10 0 21 6 2 .252
13 横浜 26 41 1 6 0 0 0 6 1 0 0 0 0 4 0 10 1 0 .146
14 横浜 68 101 14 28 4 0 1 35 8 0 0 1 0 14 1 18 1 2 .277
15 横浜 53 74 8 21 4 0 1 28 8 0 0 2 0 8 0 14 2 3 .284
16 横浜 67 74 5 20 2 0 1 25 14 0 0 0 1 9 1 13 1 0 .270
17 横浜 8 10 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 2 1 0 .100
通算 11年 656 1419 148 373 59 5 16 490 110 5 5 17 4 167 7 274 27 14 .263


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 1年 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
07 湘南 63 201 27 54 12 2 4 82 21 3 3 1 23 43 4 2 .269
08 湘南 79 281 41 76 12 0 11 121 44 2 5 4 35 57 4 0 .270
09 湘南 35 117 24 42 11 1 5 70 30 1 2 3 24 17 1 0 .359
11 横浜 17 52 2 13 2 0 1 18 3 0 0 0 1 7 1 0 .250
12 横浜 2 7 0 2 0 0 0 2 2 0 0 0 1 0 0 0 .286
13 横浜 41 97 11 29 4 1 1 38 14 1 0 1 12 6 4 0 .299
14 横浜 36 102 16 31 3 0 6 52 18 0 4 0 18 11 2 0 .304
15 横浜 44 112 17 34 8 1 0 44 11 0 0 1 22 20 2 0 .304
16 横浜 8 17 1 6 0 1 0 8 2 0 0 1 3 1 0 0 .353
17 横浜 63 89 8 19 3 0 0 22 5 0 0 1 18 9 2 0 .213
通算 10年 309 1075 147 306 55 6 28 457 150 7 14 12 157 171 20 2 .285