高崎 健太郎
22
|
名前 |
たかさき けんたろう |
生年月日 |
1985年6月24日 |
経歴 |
鎮西高校−日産自動車−横浜(06年D希望枠) |
入団年 |
06年にドラフト希望入団枠で入団 |
在籍年 |
07年− |
背番号 |
07年−[22] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:指名されず:
小学4年で野球を始め、中学まではピッチャーとショートを兼任していた。高崎はショートで誘ってくれた鎮西高に進学したが、1年の秋から投手に専念し「九州のドクターK」の異名を持った。3年夏の県大会準決勝で九州学園に敗れるなどで甲子園出場はならなかったが、プロ入りを希望していた高崎のもとには幾人かのスカウトが訪れた。下位指名を確約されていたため高崎はプロ入りに絞っていたが、同年のドラフト会議で高崎の指名はなかった。高崎は「何も考えられなかった。残りの高校生活もどうでもよくなった」と失意に沈んだ。
:日産自動車:
日産自動車の久保監督に「もう一度やってみよう」と声をかけられ同社に入社。メキメキと力をつけた高崎は高卒2年目にして名門日産自動車のエース格にまで成長。同年にはアジア選手権、IBAワールドカップなど国際舞台も経験。ワールドカップでは5試合で14.2回を投げて19奪三振、失点は1だった。なお日産自動車ではシーレックスの本拠地である横須賀スタジアムから道路を挟んで向いの追浜工場に務めていた。
:2年連続準V:
06年は右ヒジを痛めて不調に陥ったが、6月に行なわれた都市対抗の神奈川予選で復活。本戦でも2回戦のトヨタ自動車戦で初回に150キロを投げ込むなど8回を3失点に抑えて勝利投手になった。準決勝のJR東日本戦でも8回からリリーフのマウンドに上がり2回をパーフェクトに抑えるなどチームの2年連続の準優勝に貢献した。日産自動車では3年間で9勝2敗、防御率2.43。
:アジア大会決勝:
06年12月にドーハ行なわれたアジア大会では日本代表に選出。台湾との決勝戦では逆転された直後の8回表に日産自動車の同僚である吉浦のツーランで再逆転に成功。7回途中からマウンドに上がっていた高崎は8回裏の無死二塁は無失点で凌いだが、9回裏に先頭バッターに四球とツーベースで一死ニ、三塁というピンチを作ってしまう。そしてカウント2−3から投じたスライダーを台湾の5番林
智勝に弾き返され、打球はショートの横を抜けるサヨナラヒットとなった。高崎はマウンドに崩れ落ち、起き上がれなかった。
:最多勝:
希望枠で横浜に入団すると、ルーキーイヤーは二軍で117イニングを投げて、防御率2.46、10勝5敗で最多勝を獲得。シーズン終盤には一軍に昇格し、10月2日の阪神戦で7回を被安打2、無失点に抑えて初勝利。続く10月7日の中日戦でも勝利投手と結果を残した。
:開幕ローテ入りも:
08年はローテション入りが期待され、開幕第三戦の先発を任されたが初回に4安打を集中されて2点の先制を許すと、3回裏にも追加点を与えて3回3失点でKOされてしまう。4月6日の広島戦でも4回6失点でKOされチームは3対17で大敗と結果が残せず二軍降格となった。09年は開幕から一軍に定着して56試合に登板。ロングリリーフもこなすなど74.0イニングを投げて4勝0敗、防御率4.01と結果を残した。
:最終戦で好投:
10年はシーズンの大半を二軍で過ごしたが、シーズン最終戦となった10月7日の阪神戦で先発。当日は本拠地移転を含む身売り報道が流れたばかりとあって、横浜スタジアムには25000人を超える観衆がつめかけ注目されていたが、高崎は初回から素晴らしいピッチングを続けて7回を4安打、2四球で無失点に抑えて、先発としては自身3年ぶりの白星を記録した。
:好投続けるも:
11年にはオープン戦で好投を続けてローテ入りを勝ち取って開幕カードの中日第3戦で先発。初回、2回と三者凡退に打ち取る上々の立ち上がりを見せると、5回表にブランコのソロで1点こそ失ったが、打線の援護にも守られた高崎は7回を3安打、3四球で1失点に抑えて見事に勝利投手になった。その後も好投を続けて6月終了時点で13試合に先発して11試合で自責3以下、10試合で6イニング以上を投げたが、打線の援護が得られないばかりか、山口に2度白星を消されるなど、2戦目からは12試合連続で白星が付かなかった。
:沖縄で好投:
7月6日に沖縄で行われた広島戦で2回途中にスコールで57分の中断を挟むという難しいコンデションの中でも集中力を切らさず8回を投げて4安打、1四球で無失点という非の付け所のないピッチングで13試合ぶりの白星となる2勝目を挙げた。高崎は翌週の広島戦でも7回無失点に抑えて3勝目、オールスター明けの開幕戦となった巨人戦でも6.0回無失点で4勝目と月間3勝を稼いだ。
:ローテ守る:
だが8月に入ると再び好投しても援護が得られない展開となって7試合白星なしの5連敗。9月18日のヤクルト戦では8回まで2安打、無四球という完璧な投球を見せると、9回二死からタイムリーを打たれて完封を逃したが5勝目を挙げた。その後は疲れが出たのか、打ち込まれる試合が続いて防御率は3.45まで落ちたが、1年間ローテを守って177.1イニングを投げた。ルーキー時代から同年の初先発試合まで横浜スタジアムでは6連勝を記録していたが、そこから全く勝てなくなって8連敗を喫したのも響いて勝敗は5勝15敗と大幅に負け越した。
:開幕投手:
12年には横浜DeNAベイスターズとなってから初めての公式戦となる3月30日の開幕戦で自身初の開幕投手を任された。高崎は6回裏まで阪神打線を1点に抑えて試合を作ったが、7回裏に味方のエラーなどでピンチを招いて降板。救援した加賀が関本にスリーランを打たれて開幕戦白星はならなかった。翌週の広島戦ではチームが前日に喫したノーヒット・ノーランの屈辱を晴らすかのように6回表まで広島打線をノーヒットに抑え込む。だが7回表に梵にセンター前ヒットを打たれて大記録を逃すと、8回表まで無失点に抑えたがその裏のチャンスで代打を出されて無失点のまま降板。9回表にリリーフが打たれて敗戦となり高崎の好投は報われなかった。
:後半戦好調:
5月3日のヤクルト戦で7回1失点に抑えてようやく同年の初勝利を記録したが、その後も7月6日の中日戦で142球の力投で8イニングを無失点に抑えながら勝ち負けなしに終わるなど打線の援護が得られず前半戦終了時点で3勝7敗と白星が伸び悩んだ。だが球宴休みに行なったミニキャンプの成果が出たのか、7月27日の阪神戦で8回1失点、8月2日の広島戦で7回1失点という好投を続けて前年に並ぶ5勝目を記録した。
:2歩前進:
勢いに乗るかと思われたが8月9日のヤクルト戦で7回1失点に抑えながら敗戦投手になってしまうと、23日の広島戦では8回を2失点(自責0)に抑えて、自らタイムリーをも放ちながら1対2で破れて敗戦投手、30日の阪神戦でも6回2失点(自責0)で勝ち負けなしと再び援護から見放されてしまう。9月6日のヤクルト戦では1対1で迎えた6回表二死三塁という場面でそこまで3打数3安打だったバレンティンと勝負して場外に消える特大ツーランを被弾するなど気持ちが空回り。19日の阪神戦でも7回無失点で勝てなかったが、9月27日の中日戦で6回1失点(自責0)でようやく6勝目を記録。最終登板にも勝って前年を2勝上回る7勝10敗まで数字を伸ばした。
:2年連続の開幕投手候補も:
13年も開幕投手候補に名前が上がっていたが開幕を直前に控えた阪神とのオープン戦で西岡の打球を左ふくらはぎに受けて開幕ローテから外れてしまうと、4月5日のヤクルト戦で復帰して7回1失点で勝利投手になったが、26日の阪神戦で4.1回8失点、5月10日の巨人戦でも初回にいきなり5失点を記録して5回8失点となり先発から外されてしまう。リリーフ転向後は8回を投げるセットアップを任されたが打ち込まれる試合が続き、6月中旬からは先発に復帰したが好成績は残せず、2勝5敗、防御率5.83と期待を裏切る結果に終わった。
:スターナイト最終日:
14年は久保、モスコーソが加入した事もあって中継ぎでシーズンをスタートしたが、4月19日の広島戦で堂林に満塁ホームランを被弾するなど結果が残せず登録抹消となった。だが7月23日に一軍へ復帰して同日の中日戦で先発として6回2失点に抑えると、8月10日のヤクルト戦では豪雨で試合時間が遅れに遅れたが、スターナイト最終日という事もあって1時間21分遅れで試合が始まると、ブルペンで3度投げ込みを行い80球近くを投じた状態での先発となった高崎は投げては6回2失点、打ってはタイムリーという素晴らしい活躍で先発としては1年4ヶ月ぶりに勝利投手になった。チームの先発陣が近年にないほどの好成績を残していたため、先発の谷間としての起用となったが新たに習得したシュートを効果的に生かして後半戦はまずまずのピッチングを見せた。
:最高の開幕も:
15年は開幕6戦目の広島戦で先発を任されると7回を4安打、1四球で1失点に抑える抜群の内容で中5日での登板となった広島の開幕投手前田健大に投げ勝った。リリーフ陣が打たれて白星こそ逃したがチームは延長12回の末にサヨナラ勝利となり、中畑監督は「ここ数年で最高の出来だった」と高崎を絶賛した。続く阪神戦でも川村コーチが「文句のつけようがない」と絶賛する内容で7回を無失点に抑えて勝利投手になった。復活のシーズンになるかと思われたが続く2試合は序盤でKOされて登録抹消。3ヵ月後の8月1日に昇格すると同日の広島戦では毎回のようにピンチを招きながら5回を1失点にまとめて勝利投手となったが、続く阪神戦は不運な内野安打が重なって事もあって2回5失点でKOされて登録抹消。結局3年連続の2勝に終わってしまった。
:引退:
16年はキャンプで痛風を発症して離脱、4月14日には熊本を襲った大地震で実家が半壊、リハビリで歩けない状態の中で肉体的にも精神的にも厳しいシーズンとなり、イースタンリーグでの15試合登板に留まった。ラストイヤーとなった17年は開幕戦でのリリーフ登板が唯一の一軍登板となり、秋に戦力外通告を受けてげ現役引退を決断。引退試合を打診されたが一軍が激しくCSを争っていた事もあって断り、一軍が2年連続のCS出場を決めた10月1日に横須賀球場で行われた二軍戦でベンチ入り選手全員が花道を作って高崎を最後のマウンドに送り出した。引退後は球団職員に転身。 |
|
初記録 |
初登板 |
07年4月25日巨人戦 |
初勝利 |
07年10月2日阪神戦 |
初奪三振 |
07年4月25日巨人戦小笠原から |
初セーブ |
09年8月22日中日戦 |
初完投 |
12年6月29日広島戦 |
|
|
|
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
07 |
横浜 |
9 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
30.0 |
35 |
3 |
14 |
2 |
23 |
1 |
0 |
24 |
18 |
5.40 |
08 |
横浜 |
11 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
17.0 |
30 |
3 |
9 |
0 |
17 |
1 |
0 |
17 |
15 |
7.94 |
09 |
横浜 |
56 |
0 |
0 |
4 |
0 |
1 |
74.0 |
81 |
5 |
16 |
1 |
59 |
2 |
0 |
36 |
33 |
4.01 |
10 |
横浜 |
7 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
15.0 |
23 |
3 |
4 |
0 |
9 |
0 |
0 |
13 |
13 |
7.80 |
11 |
横浜 |
29 |
0 |
0 |
5 |
15 |
0 |
177.1 |
182 |
9 |
36 |
2 |
127 |
3 |
0 |
71 |
68 |
3.45 |
12 |
横浜 |
24 |
2 |
0 |
7 |
10 |
0 |
151.2 |
155 |
9 |
40 |
4 |
97 |
2 |
0 |
63 |
54 |
3.20 |
13 |
横浜 |
20 |
0 |
0 |
2 |
5 |
0 |
66.1 |
76 |
10 |
31 |
0 |
54 |
0 |
0 |
44 |
43 |
5.83 |
14 |
横浜 |
14 |
0 |
0 |
2 |
3 |
0 |
49.2 |
54 |
6 |
14 |
0 |
30 |
0 |
0 |
26 |
23 |
4.17 |
15 |
横浜 |
7 |
0 |
0 |
2 |
3 |
0 |
34.1 |
46 |
1 |
10 |
0 |
19 |
1 |
0 |
19 |
19 |
4.98 |
17 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.0 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
3 |
27.00 |
|
通算 |
10年 |
178 |
2 |
0 |
25 |
40 |
1 |
616.1 |
686 |
49 |
175 |
9 |
435 |
10 |
0 |
316 |
289 |
4.22 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
07 |
横浜 |
10 |
7 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
.143 |
08 |
横浜 |
11 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
09 |
横浜 |
56 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
10 |
横浜 |
7 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
11 |
横浜 |
30 |
41 |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
1 |
0 |
13 |
0 |
0 |
.073 |
12 |
横浜 |
24 |
40 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
4 |
1 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
0 |
9 |
3 |
1 |
.100 |
13 |
横浜 |
20 |
14 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
0 |
.143 |
14 |
横浜 |
14 |
11 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
.182 |
15 |
横浜 |
7 |
8 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
.250 |
17 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
10年 |
180 |
129 |
2 |
14 |
0 |
0 |
0 |
14 |
3 |
0 |
0 |
22 |
0 |
2 |
0 |
37 |
3 |
1 |
.109 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
07 |
湘南 |
27 |
1 |
10 |
5 |
0 |
117.0 |
109 |
13 |
27 |
95 |
40 |
32 |
2.46 |
08 |
湘南 |
16 |
0 |
2 |
2 |
0 |
26.0 |
16 |
1 |
3 |
23 |
6 |
6 |
2.08 |
09 |
湘南 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0.00 |
10 |
湘南 |
21 |
0 |
3 |
1 |
3 |
51.2 |
35 |
4 |
13 |
46 |
12 |
12 |
2.09 |
12 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
13 |
横浜 |
8 |
0 |
2 |
3 |
0 |
44.0 |
54 |
5 |
8 |
35 |
23 |
22 |
4.50 |
14 |
横浜 |
18 |
0 |
2 |
3 |
2 |
44.0 |
43 |
1 |
12 |
34 |
19 |
13 |
2.66 |
15 |
横浜 |
13 |
0 |
6 |
1 |
0 |
76.0 |
74 |
2 |
12 |
53 |
26 |
23 |
2.72 |
16 |
横浜 |
15 |
0 |
0 |
3 |
1 |
20.2 |
25 |
0 |
9 |
14 |
11 |
10 |
4.35 |
17 |
横浜 |
22 |
0 |
1 |
2 |
0 |
29.1 |
30 |
3 |
12 |
17 |
15 |
15 |
4.60 |
|
通算 |
10年 |
143 |
1 |
26 |
20 |
6 |
411.1 |
386 |
29 |
96 |
318 |
152 |
133 |
2.91 |
|
|
|