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武山 真吾



61
名前 たけやま しんご
生年月日 1984年6月22日
経歴 享栄高校−横浜(02年D10巡目)−西武ー中日
入団年 02年ドラフト10巡目
在籍年 03年−11年
背番号 03年−11年[61]
投打 右投げ右打ち
守備 捕手
初スタメン
08年の5月31日ロッテ戦で初出場を果たすと、翌6月1日のロッテ戦では初スタメンで那須野を好リード。5回裏の一死満塁ではサブローに9球粘られたが最後は「那須野さんが自信を持っている球を要求した」と内角のストレートで空振り三振に片づけると、続く大松も三振に仕留めてピンチを脱出した。9回表には初ヒットも放つなど勝利に貢献した。

打撃妨害
09年には49試合に出場し、打率.242を記録した。8月28日の広島戦ではスタメンマスクをかぶったが、栗原の打席で2度の打撃妨害を犯すという珍記録を残した。武山は「1回目は分からないが、2回目はひもに当たった。ああいう角度でバットが出てくる人はあまりいない」。田代監督は「けっ飛ばしてやろうと思ったら、どこかに行って、いなかったよ」と苦笑いだった。9月17日のヤクルト戦では2回裏にセンター前ヒットを放つと、4回裏にもセンター前、6回裏にレフトにツーベース、8回裏にはライト前ヒットと自身初の4安打を記録した。

初本塁打
10年は橋本の故障でチャンスを掴むと、4月30日のヤクルト戦で5回表に館山から初本塁打となるスリーランを放って逆転勝利に貢献。同年には自己記録を大幅に更新する95試合に出場したが、打率.187、盗塁阻止率.247と結果が残せなかった。また8月20日の広島戦では木村省吾のファウルチップをマスクに受けて唇を4針縫う裂傷を負った。

西武移籍
11年は開幕スタメンを勝ち取るとリーグトップクラスの盗塁阻止率を記録するなど光るものも見せたが、課題の打撃が88打数11安打(打率.125)と全く結果が残せずオールスター明けに登録抹消。そのまま二軍でシーズンを終えると、同年のオフに後藤 武敏とのトレードで西武に移籍した。移籍初年度の12年には5月にバセドー病を発症。投薬治療で何とか回復したが体重が10キロ減り一時は引退も覚悟したが、翌13年は1軍で19試合に出場するまでに回復。翌14年の5月2日に金銭トレードで地元の中日へ移籍した。

一軍定着も
移籍から間もない5月16日に一軍へ昇格。同日のヤクルト戦で5回裏に代打で起用されてレフト前ヒットを放つと、そのままマスクをかぶって6回裏に犠牲フライ、8回裏にセンター前と活躍。守りでもヤクルト打線に追加点を与えないなどアピールして谷繁監督に「使える事が十分わかった」と強い印象を残した。5月23日の楽天戦で移籍後初のスタメンマスクを任されると4投手をリードして1失点に抑え、4回表にはレフト前ヒット、1回裏の守備では聖澤の盗塁を刺すなど攻守に活躍、その後も長く一軍に登録されたが課題の打撃で打率.127と苦しんだ事もあってチャンスを掴みきれなかった。

小笠原を援護
15年は開幕から多くの試合でスタメンマスクを任されたが、4月18日の広島戦でホームへのスライディングで右前距腓靱帯損傷という重傷を負いシーズンを棒に振った。谷繁兼任監督が引退となりチャンスが広がった16年は途中出場のみの15試合出場に留まった。17年も二軍スタートとなったが6月中旬に第3捕手として昇格すると横浜ファンだった小笠原が先発する試合のスタメンマスクを任されるようになり、8月20日の阪神戦で同点ソロ、27日の広島戦でタイムリー、9月3日の阪神戦では決勝打となるセンターオーバーの2点タイムリーツーベースと可愛い後輩を援護した。小笠原は冗談まじりに武山に「ファンでした」と告げるなど公私ともに仲が良い関係。

お立ち台
18年は4月13日に昇格も出場機会は訪れないまま抹消となり、5月16日の再昇格後もなかなかチャンスは貰えなかったが、6月7日のロッテ戦で6対8で迎えた9回裏の二死一、三塁という責任重大な場面で同年の初打席を迎えると起死回生の2点タイムリーツーベースを放ってお立ち台に上がった。7月27日からの巨人3連戦では初戦で同年の初スタメンも山口にノーヒットノーランを喫してしまったが、第2戦では菅野からツーベースを放った。だが第3戦の第2打席からシーズン終了まで32打数連続ノーヒットという悲劇的な打撃不振に苦しんだ。

山崎から最後のヒット
19年は5月26日に1軍昇格、たびたびスタメンを任されて6月7日の楽天戦では2安打1四球を放った。8月10日にはハマスタで行われた横浜戦にスタメン出場、1点を追う9回表に山崎からライト前ヒットを放ったが、翌日の横浜戦では2回裏に横浜打線の猛攻を止められず5失点を喫して途中交代となり登録抹消となった。同年オフに戦力外通告を受けて現役を引退した。


初記録
初出場 08年5月31日ロッテ戦
初安打 08年6月1日ロッテ戦
初本塁打 10年4月30日ヤクルト戦:館山から
初打点 08年7月20日巨人戦:押し出しで
初盗塁 09年9月21日阪神戦


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
08 横浜 33 74 2 17 3 0 0 20 5 0 0 3 0 3 1 23 1 1 .230
09 横浜 49 120 7 29 5 0 0 34 5 1 1 2 0 7 1 35 2 2 .242
10 横浜 95 257 15 48 8 2 1 63 22 0 0 16 2 20 1 56 5 4 .187
11 横浜 46 88 4 11 3 0 1 17 5 0 0 6 1 4 3 26 4 0 .125
13 西武 19 15 2 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 1 6 0 0 .067
14 西武 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
14 中日 33 63 4 8 0 0 1 11 5 0 0 4 1 3 1 15 1 1 .127
15 中日 11 22 1 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 4 0 8 1 0 .091
16 中日 15 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 2 0 0 .000
17 中日 50 66 2 15 1 0 1 19 7 0 0 2 0 7 1 21 3 0 .227
18 中日 30 44 1 3 2 0 0 5 6 0 0 2 3 5 0 17 0 0 .068
19 中日 30 45 6 9 2 0 1 14 4 0 0 1 0 3 2 13 1 0 .200
球団 4年 223 539 28 105 19 2 2 134 37 1 1 27 3 34 6 140 12 7 .195
通算 11年 412 799 45 143 24 2 5 186 61 1 1 37 7 57 11 223 18 8 .179


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
03 湘南 27 30 4 5 0 0 0 5 2 0 0 0 4 9 1 0 .167
04 湘南 56 134 12 31 2 0 5 48 19 3 1 0 14 39 2 1 .231
05 湘南 65 148 13 25 6 1 1 36 9 1 4 0 13 34 2 3 .169
06 湘南 51 135 12 35 6 0 3 50 19 0 0 3 5 33 6 1 .259
07 湘南 70 180 32 54 10 1 9 93 32 0 2 1 14 36 3 7 .300
08 湘南 29 73 4 16 2 0 1 21 2 0 2 0 7 12 1 2 .219
09 湘南 32 62 10 18 4 1 2 30 6 0 3 1 2 16 1 0 .290
10 湘南 9 22 5 7 4 0 1 14 5 0 0 0 2 4 1 0 .318
11 横浜 18 43 1 8 0 0 0 8 0 0 0 0 5 16 1 0 .186
通算 9年 357 827 93 199 34 3 22 305 94 4 12 5 66 199 18 14 .241
球団在籍時のみ