ベイスターズ記録あと何?
サイト内検索>
ホーム
ニュース
|
通算記録
|
シーズン記録
|
日本記録
|
MLB記録
|
選手名鑑
|
タイトル
|
球団歴史
|
ドラフト
|
選手名鑑
■>
打者:あ:
■>
打者:か:
■>
打者:さ:
■>
打者:た:
■>
打者:な:
■>
打者:は:
■>
打者:まや:
■>
打者:らわ:
■>
投手:あ:
■>
投手:か:
■>
投手:さ:
■>
投手:た:
■>
投手:な:
■>
投手:は:
■>
投手:まや:
■>
投手:らわ:
■>
監督
■>
その他
■>
大洋ホエールズ
■>
横浜大洋
■>
横浜ベイスターズ
■>
全選手
MLB記録
タイトル
関連リンク
種田 仁
3
名前
たねだ ひとし
生年月日
1971年7月18日
経歴
上宮高校−中日−横浜
−西武
入団年
01年に中日から移籍
在籍年
01年−07年
背番号
01年−03年[12]:04年−07年[3]
投打
右投げ右打ち
守備
内野手
:
野球始める
:
兄が所属していたリトルリーグのチームは毎年、夏休みにキャンプに行くのが恒例で、仁も兄に連れられて何度か参加していたが、小学校2年の夏休み前に、チームの元監督であった父親が「チームに入れへんかったら、連れていかれへん」と言い出した。仁は渋りながらも、それまで入っていたサッカーのクラブからリトルリーグに転向した。チームでは岩本 勉がエースで、仁は1番セカンドだった。
:
甲子園決勝
:
上宮高校では元木 大介らと共に甲子園に3度出場し、3年春には決勝戦まで勝ち進んだ。決勝では山田 喜久雄を擁する東邦高と対戦。5回表に1点を先制したが、その裏に同点に追いつかれて試合は延長戦に入った。そして10回表に元木のヒットなどで待望の勝ち越し点を挙げると、その裏も二死となって、ついに全国制覇まであと一人となった。
:
甲子園決勝2
:
だがここからドラマが起こる。四球と内野安打で二死一、ニ塁となり、続く打者の打球はセンター前へ、ホームはクロスプレイとなったがセーフで同点、さらに飛び出していた走者を刺そうと、送球がサードの種田に送られ、種田はさらにセカンドに送球したが、これが悪送球となって、ランナーは進塁、そしてカバーに入ったライトの前でボールがバウンドを変えて外野を転々、ライトがこれを追いかける間に二塁走者がホームインして、まさかのサヨナラ負けとなった。
:
プロヘ
:
卒業後の進路は専修大学への進学で決まっていたが、中日が6位で強行指名したため種田は悩み、反対する親を「4年間やってみて、アカンかったらやめるから」と説得して中日に入団した。ちなみに5位は決勝で対戦した東邦高のエース山田 喜久雄。
:
オールスター
:
4年間という約束だったが、1年目にして一軍を経験すると、2年目には早くも81安打を放って、19歳にしてレギュラーを獲得した。約束の期日である4年目には全試合に出場して130安打を放ち、オールスターにまで出場した。
:
フォーム改造
:
最高のスタートを切ったプロ生活だったが、94年からは相次ぐ怪我もあって打率.200前後と結果を残せず、97年にはわずか1安打とどん底に沈んだ。「何とかしないと、と必死だった」という種田は二軍低迷を何とか打ち破ろうと打撃フォーム改造に踏み切った。左肩がベースに向かって入りすぎる事を悩んでいた種田は「それなら、初めから体を開いておいて、左足をつま先立ちすれば、左肩は入りようがない」と考えた。まず左足を開いてつま先立ちにし、さらに顔を左肩へ乗せるなど徹底的に修正した。いつしか種田のフォームは常識を覆すようなフォームへと変貌していった。
:
カムバック賞
:
新フォームは「自分で考えたから、自信があった。周囲の声は気にならなかった」という種田は、98年に28安打を放って一軍復帰を果たした。00年には6月2日から代打で3打席連続で四球を選ぶと、15日にヒット、17日にスリーベース、24日に四球、28日にヒット、30日にヒット、7月4日に四球と連続出塁を続け、11日の阪神戦で中込からライト前を放って代打10打席連続出塁という日本記録を達成した。種田は7月12日の阪神戦でも四球を選んで11打席まで記録を伸ばした。同年には規定打数不足ながら打率.314という高打率を残してカムバック賞を受賞した。また代打では打率423(26打数11安打)を記録した。
:
トレード
:
00年にカムバック賞を受賞したにもかかわらずゴメス、立浪、福留、井端らが強力な内野陣を形成したため、種田は本来の内野ではなく外野を守ることが多くなっていた。その頃ベイスターズではローズ、進藤が抜けたため内野が手薄になり、逆に外野は金城が出てきたため余剰気味だった。そして01年4月20日に森監督の強い要望もあって守れる外野手を探していた中日との間で種田、山田<<>>波留のトレードが発表された。
:
タネダンス
:
種田が苦心の末に編み出した珍妙な打撃フォームは「ガニマタ打法」と呼ばれて人気を集め、いつしか横浜スタジアムでは応援歌にあわせて打撃フォームを真似る「タネダンス」なるものまで生まれるに至った。
:
2年連続、最高の一年
:
04年は種田自身が「最高の一年だった」と語ったように、リーグトップの得点圏打率.386を記録するなど勝負強い打撃で、打率.300に自己最高の52打点で2度目のオールスターにも選ばれた。05年には8月30日の広島戦で1000安打を達成するなど前年に続き大活躍。164安打、61打点、打率.310は全て自己記録を更新した。
:
サヨナラ
:
06年は怪我もあってわずか50安打で打率.217に終わると、翌07年の開幕戦では巨人から移籍してきた仁志にポジションを奪われ代打からスタートすることになった。4月21日の広島戦では1点のリードを許して迎えた9回裏に二死ニ、三塁となった所で代打で起用され、「ストレートでもフォークでも低目だけは振らない」と高めに狙い球を絞り、永川の投じた2球目の真ん中高めのストレートを一閃、打球は前進守備のレフトを越えるサヨナラタイムリーとなった。
:
退団
:
その後も5月11日の広島戦で逆転スリーラン、6月13日の日本ハム戦では決勝タイムリーと印象的な一打は放ったが、7月終了時点で打率.191と数字は残せなかった。それでも8月に入ると調子が上向いて打率も2割台中盤まで上昇した。9月19日の広島戦では9対10で迎えた9回裏二死三塁で空振り三振に倒れたが、捕手が後逸したのを確認すると、素晴らしいスタートダッシュで一塁を駆け抜けて、振り逃げに成功するなど意地も見せたが、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。
初記録
初出場
90年8月20日大洋戦
初安打
91年4月6日巨:木田から
初本塁打
91年6月16日神:藤本から
初打点
91年4月18日ヤ:内藤から
初盗塁
91年5月17日神:9回にニ盗
記録達成日
1000試合
03年8月19日巨人戦
1000安打
05年8月30日広島戦
その他の記録
代打11打席連続出塁
00年6月2日−7月12日
90
91
92
93
94
95
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
カムバック賞
●
1回
オールスター
●
●
●
3回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
90
中日
8
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
0
1
0
1
0
0
.000
91
中日
107
298
44
81
12
3
5
114
15
13
5
33
2
31
4
42
7
5
.272
92
中日
102
317
42
78
11
4
3
106
27
7
2
22
1
17
0
35
0
15
.246
93
中日
132
512
65
130
13
4
10
181
40
10
6
29
2
30
5
85
8
14
.254
94
中日
41
120
14
19
5
1
3
35
10
6
0
7
1
11
0
27
7
3
.158
95
中日
89
244
25
55
10
0
8
89
22
8
3
9
1
20
1
48
3
9
.225
96
中日
40
107
6
19
1
0
1
23
6
2
3
6
1
7
1
17
1
7
.178
97
中日
8
13
1
1
1
0
0
2
0
0
0
5
0
1
0
2
0
1
.077
98
中日
43
100
10
28
4
1
3
43
8
2
1
4
1
8
0
11
4
0
.280
99
中日
43
51
6
10
3
1
0
15
2
3
0
4
0
6
0
10
0
0
.196
00
中日
102
264
30
83
14
3
7
124
31
4
4
3
2
25
1
30
5
1
.314
01
中日
8
17
0
3
0
0
0
3
1
0
0
0
0
1
0
1
0
0
.176
01
横浜
98
237
30
66
12
2
4
94
42
1
3
12
4
22
3
15
9
3
.278
02
横浜
116
397
47
100
18
0
5
133
29
5
0
14
1
22
4
84
6
10
.252
03
横浜
92
261
24
75
13
0
3
97
21
3
4
4
0
10
6
34
8
3
.287
04
横浜
120
410
52
123
27
3
8
180
52
2
6
15
5
38
2
50
11
8
.300
05
横浜
145
529
66
164
24
1
9
217
61
7
3
10
2
60
5
62
16
8
.310
06
横浜
80
230
33
50
9
0
1
62
17
3
1
8
1
25
4
25
5
6
.217
07
横浜
60
66
6
17
6
1
1
28
17
0
0
3
0
6
1
7
1
1
.258
球団
7年
711
2130
258
595
109
7
31
811
239
21
17
66
13
183
25
277
56
39
.279
通算
18年
1434
4176
501
1102
183
24
71
1546
401
76
41
190
24
341
37
586
91
94
.264
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
99
中日
3
4
0
1
0
0
0
1
0
0
0
1
0
0
0
1
0
0
.250
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
3回
5
7
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
0
0
.000
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
02
湘南
2
4
1
2
1
0
0
3
2
1
1
1
0
2
0
0
.500
03
湘南
7
15
2
4
2
0
0
6
1
0
0
0
1
1
0
1
.267
06
湘南
8
29
4
5
0
0
0
5
2
0
0
0
4
1
0
2
.172
通算
3年
17
48
7
11
3
0
0
14
5
1
1
1
5
4
0
3
.229
球団在籍時のみ