:リーグチャンピオンシップで好投:
両親がインドネシアのボルネオ島を旅行中に生まれた。アメリカのインディアナ州で育ち、03年にブルージェイスからドラフト11巡目指名を受けて入団。大学時代から先発で投げてきたが、06年にリリーフに転向するとマイナーで好成績を残してMLBに初昇格。翌07年には51試合に登板して7勝2敗、防御率4.68を記録。元横浜のベタンコートと共にインディアンスのブルペンを支えた。同年のリーグチャンピオンシップの第2戦では同点で迎えた延長10回裏に登板し、レッドソックスの誇る中軸オルティス、ラミレス、ローウェルを三者凡退に抑えて勝利投手になった。
:初登板:
09年に横浜に入団。当初はリリーフとして期待されていたが、オープン戦で打ち込まれて湘南スタート。湘南では先発として調整し、4月15日の広島戦で一軍初登板。初回、2回は三者凡退に抑えたが、3回裏に先頭の石井琢に四球を選ばれてしまうと、二死一、三塁から佐伯のエラーで先取点を失ってしまう。4回表に佐伯の2点タイムリーで逆転したが、5回裏に石井琢への死球から暴投、内野ゴロ、死球で一死一、三塁となり犠牲フライで同点に追いつかれてしまう。6回裏にはまたも死球をぶつけると、喜田剛のツーベースで勝ち越し点を奪われて、6回を2安打に抑えながら、1四球、3死球で3点を失い敗戦投手になってしまった。
:悪夢の逆転負け:
2試合目の登板となった4月30日の阪神戦では2試合連続の3死球をぶつけたが、7回途中まで3安打、無四球で無失点に抑え込んだ。試合は梶谷のツーランで先制した2点を継投で守って、勝利まであと1アウトまで来たが、抑えの石井裕がそこから5連打を打たれて悪夢の逆転サヨナラ負けとなりマストニーの初勝利はお預けとなってしまった。3試合目の登板となった巨人戦でも7回まで7安打、1四球と2死球で2失点に抑える好投を見せたが打線の援護なく同点でマウンドを降りると、9回裏に真田が坂本にサヨナラアーチを打たれて敗戦となった。
:初勝利ならず:
4試合目の5月13日の巨人戦では3回まで三者凡退に抑えたが、4回表に石川のエラーから4失点。5回表にも追加点を失ってKOされたが、試合は村田の押し出し死球でサヨナラ勝ちした。5試合目の5月19日のロッテ戦でも5回1失点で白星が付かず、ここまで5試合に先発して防御率2.46を記録しながら0勝1敗と初勝利が遠かった。
:10試合目の初勝利:
6月28日に阪神戦では7回途中まで7安打、1四球と1死球で無失点に抑える好投を見せたが、2月前の甲子園をなぞるように、2対0で迎えた9回裏に新ストッパーの山口が4安打を集中されて逆転サヨナラ負け。完全にツキに見放されたマストニーだったが、10試合目の登板となった7月11日のヤクルト戦で5回1失点でようやく初勝利を記録した。だが続く7月17日の中日戦で4回途中9失点でKOされてしまうと、7月29日の阪神戦でも3回5失点と打ち込まれて二軍降格。8月下旬に復帰したが、結果が残せず1年限りで退団となった。 |
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