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山口 俊



11
名前 やまぐち しゅん
生年月日 1987年7月11日
経歴 柳ヶ浦高−横浜(05年D1巡目)−巨人−ブルージェイズ−巨人
入団年 05年に高校生ドラフト1巡目で入団
在籍年 06年−16年
背番号 06年−16年[11]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
相撲
父親は幕内で46勝をあげた元前頭4枚目の谷嵐で、山口本人もわんぱく相撲に出場し市内大会で優勝したりもした。野球は小学校3年時に友達に誘われて地元の軟式野球チーム『太陽クラブ』で始め、中3年の冬に野球一筋に絞る決意を父に伝えた。

サヨナラ
豊陽中では3年夏に県大会で優勝。柳ケ浦高では1年生ながら甲子園で登板して2回を無失点に抑え込んだ。だが2年生の大分県大会では9回二死まで3対0とリードしながら、四球などで満塁のピンチを招くと、押し出しのフォアボールと自らのエラーなどで同点にされ、最後は2ストライクから左中間を破られてサヨナラ負け。「外角低めのつもりが高くいった。三振を狙ったボールを打たれたのは僕の力不足です」

開花
サヨナラ負けから三日間は何も考えられなかったが、父親に「これがお前の実力。やらんといけんことが分かったか」と言われ目を覚めた。それからは苦手だったランニングなども精力的にこなし一気に力をつけた。秋の明治神宮大会では全試合に登板しチームを初優勝に導くと、翌05年の選抜では初戦で敗れたもののストレートの威力は大会史上最速の151キロを計測するまでに上がっていた。夏は県大会準決勝の別府青山戦で腕に力が入らなくなって降板となり甲子園出場はならなかった。高校生ドラフトの一巡目で横浜に指名され入団。

初登板初勝利
開幕は二軍スタートとなったが6月15日にイースタンのインボイス戦で7回を1安打無失点に抑えて一軍昇格。6月29日の巨人戦で初登板初先発という大役を任された。山口は初回を三者凡退に抑えると、2回表に李から高めのストレートで空振り三振を奪って初奪三振を記録。勢いに乗った山口は5回二死まで巨人打線をパーフェクトに抑え込んだ。亀井に初ヒットとなるソロホームランを打たれて初登板ノーヒットノーランという大記録はならなかったが、6回まで投げて被安打2、無四球という素晴らしいピッチングで初登板初勝利を飾った。高卒ルーキーの初登板初勝利は球団としては野村 弘樹以来18年ぶりの快挙だった。

リリーフ転向
2年目の07年はファームで97奪三振を奪って最多奪三振、8勝5敗、防御率4.26という成績を残し、8月には4勝1敗、防御率2.75でイースタンリーグの月間MVPに選出されるなど格の違いを見せたが、一軍では0勝3敗、防御率6.30と期待に応えられなかった。08年はシーズンの中盤からリリーフに転向したにもかかわらず2年連続でイースタンリーグトップの98奪三振を記録。9月に一軍昇格を果たすと、閉幕までの1月あまりで16試合に登板し、防御率0.76、被安打率.132、奪三振率10.65という圧巻のピッチングを見せた。

ストッパー
09年は4月に10試合に登板して防御率0.64、2勝0敗5ホールドという素晴らしい成績を残して月間MVPに選出された。5月になると石井裕に代わってストッパーを任されて5月5日の巨人戦で初セーブを記録した。だが月間MVPが発表された5月7日の巨人戦では初登板の藤江の好投で3対1とリードした8回裏の一死一、二塁でマウンドに上がったが、小笠原に逆転スリーランを許すと、ラミレスの三振と亀井のヒットを挟んで李、阿部に連続本塁打を打たれて4失点と勝ちゲームを壊してしまった。

サヨナラのホーム踏む
09年5月13日の巨人戦では2点をリードした9回表にマウンドに上がったが、連続四球などで二死二、三塁というピンチを作ると、ラミレスの打ち上げたフライをセカンドの北川が落球して同点に追いつかれてしまう。だが山口はその裏に先頭打者として打席に入ると豊田のフォークをセンター前に運んで出塁する。そしてエラーをした北川のヒットなど一死満塁というチャンスを作ると最後は村田の押し出し死球でサヨナラ勝ち。お立ち台に上がった山口は「すいません」と誤り、村田には「クローザーで出てきて2点取られ、先頭打者でヒット。お立ち台にいる意味が分かりませんね」と笑顔で皮肉られてしまった。

痛い目見るも
09年5月16日の中日戦では同点の9回裏にマウンドに上がって三者連続三振を奪ったが、10回裏に3連打を打たれてサヨナラ負け。6月29日の阪神戦では2対0の9回裏に4安打を打たれて逆転サヨナラ負け。7月8日の巨人戦では同点に追いついた直後の9回裏に先頭の坂本にサヨナラ本塁打と痛い目にもあったが、後半戦は持ち直して51試合に登板し、防御率3.27で5勝4敗18セーブ。被安打率は.222で奪三振率11.13という非凡な数字を残した。

30セーブ
10年は春のキャンプで先発投手として調整していたが、ブーチェックの不調により開幕直前に抑えを任される事になった。6月5日の楽天戦でルイーズにレフトスタンドの「ありあけのハーバー」の看板をを越え、公園の木でバウンドし、最終的にはブラジャーのワゴンセールに飛び込む場外弾を被弾するなど、同点時の登板が多かったこともあり敗戦数がかさんだが、シーズンを通して安定したピッチングを見せて同年の最終戦で自身初の30セーブを達成した。また7月17日の巨人戦で同点で迎えた8回裏に自ら勝ち越し打を放ってお立ち台に上がった。

最終戦で劇的敗戦
11年は同年から導入された統一球への対応に苦戦してオープン戦では不安定な内容が続いたが、開幕すると14試合連続無失点という素晴らしいスタートを切る。6月4日のロッテ戦では2点をリードした9回表に金泰均が打ち上げた飛球が強風に乗ってスタンドに飛び込む不運もあって初敗戦を喫したが、その後も好投を続けて2年連続でオールスターにも選出された。10月4日の巨人戦ではチームでは97〜98年の佐々木以来となる2年連続30セーブを達成したが、シーズンの最終戦となった巨人戦では9回裏に長野に逆転満塁ホームランを打たれて劇的なサヨナラ負けを喫して、同年限りでオーナーから外れるTBS体勢の最後を飾れなかった。

セーブ機会25回
12年は開幕戦で1点をリードした延長10回裏に阪神平野のスリーベースなど追い付かれて横浜DeNAの初勝利をフイにしてしまうと、4月8日の広島戦で3失点、10日のヤクルト戦では田中のツーベースでサヨナラ負けと開幕から不調が続いた。だがサヨナラ負けの翌日に春先から金髪の染め上げていた髪を丸刈りに一新すると、5月1日から21試合連続無失点を記録するなど60試合に登板して防御率1.74という素晴らしい成績を残した。ただ同年はセーブ機会がわずか25回しかなかった事が響いてセーブ数は22に留まった。

抑え剥奪
13年は開幕から7試合連続無失点に抑えていたが、4月18日の広島戦では3点リードを守れずエルドレッドの逆転タイムリーでサヨナラ負け、内転筋の故障を押して登板した5月17日の日本ハム戦では2暴投で逆転負けと悪いイメージを残してしまう。故障の影響もあって登録抹消となり抑えの座をソーサに奪われてしまうと、中10日で復帰したが今度は背中の張りで登録抹消、夏場に復帰するも本来の投球は最後まで見せられず44試合の登板で防御率5.40という散々たる成績に終わった。また前年のオフにMLB挑戦を希望していた事も関係してかシーズン終盤にはきついヤジが飛ぶなど厳しいシーズンとなってしまった。

イニング10失点
味方のはずのファンからブーイングを浴びて人間不信に陥り、500円玉大の円形脱毛症をを発症するほど苦しんだ山口だったが、14年も開幕直後の巨人戦で5点をリードした8回表に1点を返されてなお一死満塁というピンチでマウンドに上がると、長野のセンター前、藤村のショート内野安打、アンダーソンのライト前と3連打を浴びて同点に追いつかれると、続く村田はピッチャーゴロに打ち取ったが、ロペスに四球で二死満塁となり、阿部への押し出し四球で負け越し、坂本にレフト前、橋本に走者一掃のツーベースと大炎上してイニング10失点で大逆転負けという非常に厳しい幕開けとなってしまった。

先発転向
ショックの残る敗戦が尾を引いたのか、その後もふがいないピッチングが続き、ヤジは前年にも増して厳しいものになっていった。そして5月1日の中日戦では3四球で一死満塁というピンチを作って降板し、中畑監督を「勝ってうれしくないのは初めてかもしれない」と激怒させ、ついに登録抹消となってしまった。2軍降格後は7年ぶりとなる先発転向を命じられて調整を開始。イースタン・リーグの巨人戦で6回1安打、無四球で無失点という完璧な結果を残して1軍昇格。6月1日のロッテ戦で先発のマウンドに上がると高校時代は最も得意な変化球に上げていたカーブと覚えたてのスプリットを有効に使うモデルチェンジしたピッチングで6回を投げて2安打、2四球で無失点、三塁すら踏ませない完璧な内容で2894日ぶり先発勝利を記録した。

月間MVP
続く6月8日の楽天戦は厳しいヤジに悩まされたハマスタでの登板となったが、8回を投げて4安打、3四球で1失点に抑えて2連勝。お立ち台では何か吹っ切ったようにに「ヤジを飛ばされないように頑張ります!」と答えて大歓声を浴びた。続くソフトバンク戦では6回裏の一死二、三塁で李大浩、長谷川を連続三振に切って取るなど強打のソフトバンク打線を抑え込み、惜しくも初完投こそ逃したが8.1回を8安打、1四球の1失点で3連勝。続く日本ハム戦は自らのエラーなどもあって敗れたが月間防御率0.99で自身二度目の月間MVPを受賞した。

5球で
7月1日の中日戦では3回表の打席で初本塁打となる同点ソロを放ったが、肝心のピッチングは6回途中6失点KO、続く試合を雨で流すと、7月14日の広島戦では6回まで無失点に抑えたが、7回裏に天谷に2点タイムリーを打たれて勝ち負けなしと白星から遠ざかってしまう。それでも後半戦の開幕投手を任されたが、初回に中日打線に掴まって先頭の藤井に初球をセンター前、荒木に初球をレフト前、森野に2球目をライト線と3連打を打たれて先制を許すと、続く和田に投じた初球が頭部危険球となり、わずか5球で4出塁を許して退場となってしまった。なお先発投手が5球で退場は史上最速。翌日には救援のマウンドに上がったが2失点を喫してしまった。

初完投、初完封
7月30日の巨人戦は7回2失点に抑えたが勝利には結びつかず、これで1ヵ月半に渡って白星から見放されてしまう。続く8月6日の巨人戦は味方のミスにも動じず6回1失点(自責0)に抑えて久々に白星を上げたが、13日の中日戦は7四球の乱調で4失点、20日の広島戦は3回までに7点の大量援護を貰いながら、4回途中7失点KOと信頼を失いかけたが、続く中日戦で8回裏の二死まで無失点に抑えてお立ち台に上がると、9月3日の阪神戦では前日のサヨナラ負けの空気をを吹き飛ばす11奪三振の快投で自身初の完投勝利(1失点)、さらに続くヤクルト戦では4安打、無四球という圧巻の内容で初完封勝利を記録した。

声援
9月16日の中日戦では初回に3失点で敗戦投手、続くCSを争う阪神戦では5四球の乱調もあって5回4失点KOとなりCS争いから後退してしまう。続く阪神戦では久保と最多勝を争うメッセンジャーと投げ合って、1対0のスコアで3安打完封を記録して年間2回目の月間MVPに選出された。だがシーズン最後の登板となったヤクルト戦では二桁勝利がかかるモスコーソを6回裏からリリーフしたが、8回裏に山田に日本人右打者最多安打となる逆転満塁ホームランを浴びてしまった。同年はリリーフとしては防御率8.00を記録したが、先発としては8勝3敗、防御率2.04という素晴らしい成績を残した。ハマスタ最終戦の試合後に流されたシーズンを振り返るVTRでは山口の姿が映るとスタンドから拍手が上がるなど沢山の声援を浴びたシーズンとなった。

危険球
15年は開幕第2戦を任されると、10年目にして初めての東京ドーム先発となった巨人戦で8回を6安打、2四球で2失点の好投で勝利投手になった。続くヤクルト戦でも好投を見せたが4回表に田中浩に自身3度目となる危険球をぶつけて退場になってしまうと、続く中日戦では5回までは1失点に抑えたが、6回表の横浜の攻撃でバルディリスが頭部に死球を受けてタンカで退場すると、これに動揺したのか、その裏に無死から5連続出塁を許して降板となってしまった。さらに続くヤクルト戦では5回まで内野安打2本に抑えるも、守備の乱れに拙攻と野手の助けが得られず敗戦投手と波に乗れない試合が続いてしまう。

5月以降未勝利
4月25日の中日戦は開幕から続けてきた緩急を意識したピッチングではなく152キロを連発する力強い投球で6安打、2四球で11奪三振で2失点完投勝利という圧巻の内容で今後に期待を持たせる。だが続く中日戦で7回を2失点に抑えながら白星を逃すと、続く巨人戦では初回の二死から18者連続凡退に打ち取るなど8回まで2安打、無四球に抑えながら、9回表にエラー、二盗、犠打で一死三塁というピンチを背負うと、代打高橋由は見逃し三振に切って取ったが、亀井のボテボテの打球が一二塁間を抜けて同点となり、この試合も白星を逃してしまう。中畑監督が「今季世紀最高」と絶賛するほどのピッチングで白星を掴めなかった山口は続く広島戦で6回5失点、さらに続く阪神戦で3回5失点と大幅に調子を狂わせてしまう。その後もきっかけをつかめないままシーズンが進み、結局5月以降は5連敗、15試合連続白星無しでシーズンを終えてしまった。

開幕投手指名も
15年はわずか3勝に留まったにもかかわらず新たに就任したラミレス監督から年明け早々に開幕投手にする意向を告げられた。意気に感じた山口はキャンプで1978球の投げ込みを行い、オープン戦でも抜群の内容を見せていたが、開幕直前の調整登板でベースカバーに入った際に右足首を痛めて負傷し、開幕投手を逃した。だが2週間遅れの初登板となった4月9日のヤクルト戦で自らツーランを放ってお立ち台に上がると、その後は投打のかみ合わせが悪く白星は続かなかったが5月8日の広島戦で1失点完投で2勝目、6月5日のロッテ戦で3安打1四球、12日のオリックス戦では5安打2四球で07年の寺原以来球団9年ぶりとなる2試合連続完封を達成した。

好投と故障
7月5日のヤクルト戦でも3安打3四球で完封勝利を達成し5年ぶりとなる球宴選出を果たした。球宴第2戦がハマスタ開催ということもあって先発が内定していたが、投球練習で左足首を痛めて開幕投手に続いて大役を逃すことになった。一月ぶりの登板となった8月3日の阪神戦では7回2失点に抑えて復帰戦を飾ると、20日の中日戦で9回途中1失点、27日の巨人戦で3失点完投と疲れの見えるリリーフ陣を救う好投を見せた。9月に入っても3日の阪神戦で7回2失点で自身初の10勝を達成、続く10日の中日戦でも8回を無失点に抑えたが、8回裏のマウンドで右肩を負傷し、球速が落ちた状態でイニングを投げ終えたが右肩は回復せずCSでの登板も見送りとなった。

FAで巨人移籍
開幕戦、オールスター、CSと大舞台に上がることはできなかったが、三度故障で戦列を離れたにもかかわらず19試合の登板で平均7.1回を投げて防御率2.86、被安打率.218という自己最高の成績を残した。オフには球団から年棒倍増の3年契約を提示されたが、11月8日に涙を流しながらFA権行使を表明、ファン感謝デーでは山口が登場するたびに残留を求める大きな歓声が上がったが条件で上回る巨人へ移籍した。山口はFAで悩んだ理由について「チームに対する愛着がある。優勝を目指せるチームと感じているので、自分が…」と言葉を詰まらせて大粒の涙を流し「FAする意味合いは分かっているし、そういうところで悩んでいた」と語った。

移籍後初登板でノーヒットノーラン
巨人では日本人選手が嫌う背番号42を背負ったが右肩痛の回復が思わしくなくファーム調整が続いた。だが移籍後初登板となった6月14日のソフトバンク戦では6回まで無安打、4四球という好投を見せると、故障明けという事もあってノーヒットのまま降板となったが、リリーフ陣もノーヒットのまま試合を締めて史上4回目の継投でのノーヒットノーランを達成。お立ち台に上がった山口は「嬉しさよりもほっとしている?」と問われて、号泣しながら「すごく長かったです。勝ててほっとしています…」とジャビット人形で涙をぬぐった。

古巣との初対戦で
6月25日の中日戦でも6回3失点に抑えてチームの勝利に貢献したが、レフトスタンドの横浜ファンから激しいブーイングを浴びてマウンドに上がった7月2日の横浜戦では変化球中心のらしくない配球で滅多打ちにあって2回表ロペスに先制ソロ、宮崎ヒット、嶺井ヒット、バント失敗の今永にもヒット、倉本はレフトフライに打ち取ったかに思えたが急増外野手の中井が後逸してイニング3失点、3回表に筒香に甘いフォークをライトスタンドに運ばれると、4回表にも失点して4回6失点KOとなった。

右手を負傷したのちに暴行
横浜戦が転機となってしまったのか、続く9日の阪神戦でも5回6失点でKOされてしまうと、その二日後の30歳の誕生日に泥酔して右手を負傷した上に病院で暴れて扉を破壊し、警備員も負傷させてしまう。しかもその事実を球団に伝えなかったが、先発予定だった18日の中日戦の試合前に不祥事が発覚して先発自粛となった。その後は選手会も巻き込んだ大問題となり、8月18日に1億円を超える減俸と罰金に加えて契約年数の短縮、シーズン終了までの出場停止が発表された。一部報道によれば自主退団を迫られたのちに契約年数短縮などの3億円近い減収での再契約となった。

8連勝中の横浜から14奪三振
18年は268日ぶりの1軍登板となった4月3日の中日戦で6回3失点で復帰戦を勝利で飾った。続く横浜戦は7回1失点に抑えながら白星を逃したが、新潟開催となった17日の横浜戦では8連勝中の古巣相手に6連続三振を含む14奪三振を記録する圧巻のピッチングを見せた。続く中日戦でも3安打、1四球で1失点完投という前年の憂さを晴らす好投を続けたが、曾澤に連続死球をぶつけて警告試合になった5月1日の広島戦で5回途中6失点KOされてしまうと、心を乱したのか続く阪神戦でも5回7失点を喫するなど3連敗で大幅に数字を落としてしまった。

ノーヒット・ノーラン
5月22日には宇都宮球場で首位広島相手に2安打完封を記録、地方球場では4戦4完投となったが、お立ち台で「ちゃんとした球場でも…あっ、イヤ…」と失言して話題になった。6月には3試合連続で1失点というピッチングを見せながら、7月には5日の横浜戦で変化球を多投して6回5失点、20日の広島戦では2回7失点という安定感のないシーズンとなった。だがブルペンでは制球がバラバラだったという27日の中日戦では6回までパーフェクトに抑え込むと、7回表に先頭の大島に四球を与えたが、1安打も許さないまま9回を投げ抜いて1四球のみの準完全で史上79人目のノーヒットノーランを達成、お立ち台では泣きまねをしてから「泣かないよー!ありがとうございます!」とおどける奇妙なファンサービスを見せた。

抑え転向も
齋藤投手コーチからは菅野とともに「ウチの2枚看板」との高い評価を受けたが、快挙から1週間後の8月3日の中日戦で7回3失点、続く阪神戦でも7回2失点に抑えながら白星を逃すと、14日のヤクルト戦では4回6失点KO、23日には移籍2年目にして初のハマスタ登板となった横浜戦で初回にソトと筒香のソロで被弾すると、6回裏にも筒香のソロを浴びるなど背番号11を引き継いだ東に完敗、一旦抹消となるとリリーフ陣に故障者が相次いだ事もあって9月から抑え転向となった。だが転向後初登板となった8日の阪神戦で1失点を喫すると、続く12日のヤクルト戦では山田への死球から四球、四球、犠飛とノーヒットで同点に追いつかれ、29日の広島戦でも四球から勝ち越し点を献上するなど抑え転向後は12イニングで8四死球という乱調で1セーブしか記録できなかった。

月間MVP2回
19年は開幕からすべて7イニング以上を投げて4連勝、中でも4月23日のヤクルト戦は8回を投げて被安打1の圧巻のピッチングだった。続く29日に10連敗中だった古巣横浜戦で5回4安打4四死球という今一つのピッチングに終わるとそこから4戦連続で白星を逃したが、5月26日の広島戦で6回1失点、続く中日戦で7回を1失点に抑えて原監督から「スターターとして100点」と絶賛された。6月には4勝0敗、防御率0.77で4月に続きシーズン2度目の月間MVPを受賞、今永との防御率1位2位対決となった7月5日の横浜戦では中5日で132球を投げて8回を2安打12奪三振、6回表の打席では自らフェンス直撃のツーベースを放って勝ち越しに繋げるなど独り舞台の活躍を見せた。

8連勝
前半戦をリーグトップの防御率2.01で折り返すと7月16日のヤクルト戦でリーグ最速で10勝に到達、球宴明けは打ち込まれる試合も続いたが大量援護もあって5月26日から8月18日の阪神戦まで先発12試合で負けなしの8連勝、勝敗がつかなった試合も含めて先発試合チーム11勝1敗という成績でチームを引っ張った。8月25日に横浜戦ではタイトルを争う今永に投げ負けたが、9月20日の横浜戦ではFA移籍の際に人的保障として横浜に移籍した平良と初対戦、中盤を完ぺきに抑えて完勝、お立ち台では「ハマスタで勝ててね、すごく気持ちいいっす」と喜びを表した。シーズン最終戦では7回までノーヒットに抑えて奪三振もリーグトップとなり、最多勝、勝率と合わせて3冠を獲得、沢村賞も有力視されていたが完投0が響いて該当者なしとなった。

メジャー移籍
プレーオフでも阪神とのCSファイナルの初戦で7.1回を1失点に抑えたが、ソフトバンクとの日本シリーズ初戦はグラシアルに逆転ツーランを被弾して6回3失点、チームはそこから4連敗で日本一はならなかった。MVP投票では坂本に次ぐ2位の665点を集め、セの投手としては最も遅い14年目のベストナイン初受賞というキャリアハイを大幅に更新するシーズンとなった。オフにはポスティングでのメジャー移籍をを表明、巨人はポスティング移籍を認めていなかったが、FAで山口を獲得する際の契約にポスティング移籍を認める条項が含まれていたため移籍容認となった。12月18日にブルージェイズと2年総額6億6000万円で契約した。

2戦で1位に
20年は世界的に大流行したコロナウイルスの影響でMLBの開幕が大幅に延期され、レギュラーシーズンが半減以下の60試合という異例のシーズンとなった。開幕から間もない7月26日のレイズ戦で1対0で迎えた10回裏に特別ルールのタイブレークの無死二塁という厳しい場面でメジャーデビュー、抑えれば初登板初セーブだったが死球とスリーベースで逆転を許して敗戦投手になった。続く2試合目も0対0の10回表に登板してタイブレークの無死二塁から連続四球を与えると、内野安打と走者一掃スリーベースで瞬く間に4失点(自責3)を喫して2戦2敗を記録、防御率は36.00となりカナダのツイッターでトレンド1位となった。

初勝利も
3試合目の登板からはまずまずのピッチングを見せて、8月26日レッドソックス戦では3回表からの4イニングを2安打2四球で1失点に抑えてメジャー初勝利を記録した。防御率も3点台に改善したが注目度の高い9月15日のヤンキース戦で1.1回で6四死球を出して7失点と高まっていた信頼を一気に失った。レイズとのプレーオフでは筒香との対戦が期待されたが出場登録外となり対戦はならなかった。

巨人復帰
21年は2年契約の2年目だったがキャンプイン前に40人枠から外れて自由契約にとなった。サンフランシスコ・ジャイアンツのキャンプに招待選手として参加したがメジャー契約は果たせず6月5日に日本へ帰国、古巣巨人に復帰した。2軍での調整登板もない状態で6月23日の横浜戦で復帰登板、本調子ではなかったが5.2回を柴田のソロのみに抑えて642日ぶりに日本球界で勝利投手になった。続く広島戦では8回の一死までノーヒットに抑え込んだが野間に初安打となる先制弾を浴びて8回を1安打1四球で10三振を奪いながら敗戦投手になった。

援護なく
大エース菅野が戦列を離れていたこともあって東京五輪を挟んだ前半戦の最終戦と後半戦の開幕投手を任されるなど高い期待を受けていたが、好投しても勝ち星が付かない試合が続き、自らのエラーから大量失点を喫するなど勝利に貢献することはできなかった。9月2日のヤクルトとの首位攻防戦では7回を2安打3四球で1失点に抑えたが白星を逃すと次戦から5試合連続で敗戦を記録、9月14日に横浜戦ではソトの頭部に死球をぶつけて史上最多となる4度目の危険球退場となった。同年は15試合の先発で防御率3.56ながら2勝8敗に終わり、初戦を任されたCSファイナルでも初回に3失点を喫して原監督から「フォローできない」と突き放された。

戦力外
22年は開幕直後のリリーフ登板1試合のみで抹消となるとシーズン後半には右ひざを痛めて離脱するなど故障も重なって1軍登板は1試合のみで戦力外通告を受けた。


初記録
初登板 2006年6月29日巨人戦
初勝利 2006年6月29日巨人戦
初奪三振 2006年6月29日巨人戦:李から
初セーブ 2009年5月5日巨人戦
初完投 2014年9月3日阪神戦
その他の記録
月間MVP 09年4月、14年6月、9月、19年4月、6月
100セーブ 2012年9月4日ヤクルト戦
ノーヒットノーラン 2018年7月27日中日戦
1000投球回 2019年6月29日ヤクルト戦



NPB MLB NPB
06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22
最多勝 1回
奪三振王 1回
最高勝率 1回
ベストナイン 1回
オールスター 3回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
06 横浜 5 0 0 1 2 0 21.0 22 8 8 2 17 0 0 15 15 6.43
07 横浜 6 0 0 0 3 0 20.0 21 4 10 1 14 1 0 16 14 6.30
08 横浜 16 0 0 1 1 0 23.2 10 1 16 1 28 2 0 2 2 0.76
09 横浜 51 0 0 5 4 18 55.0 44 7 17 4 68 5 0 22 20 3.27
10 横浜 54 0 0 2 8 30 68.2 57 6 24 1 78 3 0 20 20 2.62
11 横浜 59 0 0 2 6 34 61.1 46 5 19 4 48 3 0 20 17 2.49
12 横浜 60 0 0 1 2 22 62.0 46 1 22 5 62 2 0 13 12 1.74
13 横浜 44 0 0 5 2 7 46.2 46 6 16 2 48 5 0 28 28 5.40
14 横浜 33 3 2 8 5 0 124.0 107 5 60 3 96 5 0 58 40 2.90
15 横浜 20 2 0 3 6 0 114.1 127 13 42 3 119 6 1 67 57 4.49
16 横浜 19 5 3 11 5 0 138.2 112 10 44 4 121 5 0 48 44 2.86
17 巨人 4 0 0 1 1 0 21.0 24 5 16 1 22 1 1 15 15 6.43
18 巨人 30 6 2 9 9 1 154.0 127 18 60 9 144 4 0 66 63 3.68
19 巨人 26 0 0 15 4 0 170.0 137 8 60 13 188 4 0 60 55 2.91
21 巨人 15 0 0 2 8 0 78.1 66 6 37 3 83 0 0 34 31 3.56
22 巨人 1 0 0 0 0 0 2.0 0 0 2 0 4 0 0 0 0 0.00
球団 11年 367 10 5 39 44 111 735.1 638 66 278 30 699 37 1 309 269 3.29
通算 16年 443 16 7 66 66 112 1160.2 992 103 453 56 1140 46 2 484 433 3.36


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
06 横浜 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 .200
07 横浜 7 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 2 0 0 .000
08 横浜 16 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
09 横浜 51 2 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500
10 横浜 54 4 0 1 0 0 0 1 2 0 0 1 0 1 0 1 0 0 .250
11 横浜 59 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
12 横浜 60 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
13 横浜 44 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
14 横浜 33 30 1 3 0 0 1 6 2 0 0 6 0 0 0 23 0 2 .100
15 横浜 20 29 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 0 0 17 1 5 .000
16 横浜 19 43 2 5 0 0 1 8 4 0 0 4 0 3 0 23 2 4 .174
17 巨人 4 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 3 0 0 .200
18 巨人 30 47 3 7 2 0 0 9 2 0 0 2 0 0 0 17 2 1 .149
19 巨人 26 56 2 4 2 0 0 6 2 0 0 10 0 3 0 34 1 1 .071
21 巨人 15 22 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 14 3 3 .000
22 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 11年 368 120 4 11 0 0 2 17 8 0 0 16 0 4 0 70 4 12 .092
通算 16年 444 250 9 23 4 0 2 33 12 0 0 28 0 9 0 138 10 17 .092


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
19 巨人 1 0 0 0 1 0 6.0 5 1 1 1 8 0 0 3 3 4.50
通算 1年 1 0 0 0 1 0 6.0 5 1 1 1 8 0 0 3 3 4.50


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
18 巨人 1 0 0 0 0 1 2.0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00
19 巨人 1 0 0 1 0 0 7.1 4 0 3 0 7 1 0 1 1 1.23
21 巨人 1 0 0 0 1 0 4.0 3 1 4 0 4 1 0 3 3 6,75
通算 3年 3 0 0 1 1 1 13.1 7 1 7 0 13 2 0 4 4 2.70


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
18 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
19 巨人 1 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
21 巨人 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 3年 3 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 3回 5 0 0 1 0 0 6.0 7 2 0 0 2 0 0 3 3 4.50


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
06 湘南 7 0 1 1 0 31.0 22 2 16 30 13 9 2.61
07 湘南 20 0 8 5 0 99.1 93 16 64 97 53 47 4.26
08 湘南 35 0 4 3 3 85.0 69 6 44 98 29 25 2.65
09 湘南 2 0 0 0 1 2.2 1 0 0 3 0 0 0.00
11 横浜 1 0 0 0 0 1.0 0 0 0 2 0 0 0.00
13 横浜 4 0 0 0 0 6.0 4 0 0 9 0 0 0.00
14 横浜 2 0 1 0 1 10.0 2 0 1 11 0 0 0.00
15 横浜 5 0 2 2 0 31.0 20 0 12 30 13 10 2.90
16 横浜 3 0 0 2 0 19.0 15 0 4 22 7 7 3.32
17 巨人 3 0 1 0 0 14.0 5 0 5 8 1 1 0.64
18 巨人 2 0 0 0 0 2.0 3 0 1 2 1 1 4.50
19 巨人 2 0 1 0 0 11.0 11 0 4 6 2 1 0.82
22 巨人 23 0 1 2 3 29.0 32 3 10 31 14 13 4.03
通算 13年 109 0 19 15 8 341.0 277 27 161 349 133 114 3.01


  MLB投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
21 ブルージェイズ 17 0 0 2 4 0 25.2 28 6 17 2 26 2 1 25 23 8.06
通算 1年 17 0 0 2 4 0 25.2 28 6 17 2 26 2 1 25 23 8.06


  MLB打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
21 ブルージェイズ 17 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 17 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000