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安部 建輝



43
名前 あべ たてき
生年月日 1986年9月3日
経歴 近大附属高−近畿大−NTT西日本−横浜(12年D5位)
入団年 12年ドラフト5位
在籍年 13年−16年
背番号 13年−16年[43]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
横浜入団
近大附属高では2年春に控え投手としてセンバツに出場したが登板機会は得られなかった。3年時にも1学年下の鶴直人の控え投手としてプレー。近畿大でも巽 真悟らの控え投手として限られた出番しか与えられず、白星は唯一の先発となった4年秋の京大戦で6回無失点で記録した1勝に留まった。NTT西日本に入社すると3年目の都市対抗野球のセガサミー戦で4安打完封勝利を達成。王子製紙戦でも8回途中3失点に抑える好投を見せた。12年のドラフト会議で横浜から5位指名を受けて入団。ドラフト後の日本選手権では三菱重工横浜戦で10.1回を投げて4安打無失点に抑える好投でチームのサヨナラ勝ちに貢献した。

即戦力期待も
即戦力としての入団となったがルーキーイヤーはわずか1試合登板、2年目も4試合と期待に応える事はできなかった。3年目の15年にはロングリリーフ要員として昇格すると、5月19日のヤクルト戦で危険球退場の久保康に代わって2回裏一死一、三塁で緊急登板、犠牲フライで勝ち越し点こそ奪われたが、2.2回を1安打、1四球に抑えて試合を作った。だが続く23日の阪神戦では同点で迎えた延長10回表のマウンドを任されたが、緊張からか四球、暴投、四球、四球で二死満塁とすると福留にタイムリーを打たれて敗戦投手となり登録抹消になった。

球団スタッフに
大学、社会人を経ての入団という事もあって後がなくなってきた4年目の16年はキャンプで右ひじを痛めてしまった。当初は保存療法での復帰を目指したが回復が思わしくなく、球団側とも話し合い5月にトミー・ジョン手術を受けたが復帰は果たせず同年オフに戦力外通告を受けて球団スタッフに転身した。


初記録
初登板 2013年6月28日中日戦
初勝利
初奪三振 2014年6月27日広島戦:前田健太から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
13 横浜 1 0 0 0 0 0 1.0 1 0 2 0 0 0 0 1 1 9.00
14 横浜 4 0 0 0 0 0 4.2 5 2 4 0 6 0 0 3 3 5.79
15 横浜 5 0 0 0 1 0 9.1 6 1 6 0 6 1 0 3 3 2.89
通算 3年 10 0 0 0 1 0 15.0 12 3 12 0 12 1 0 7 7 4.20


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
13 横浜 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
14 横浜 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
15 横浜 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 3年 10 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
13 横浜 27 0 2 0 0 40.2 43 1 15 30 21 17 3.76
14 横浜 23 0 2 1 1 22.2 27 0 7 25 10 10 3.97
15 横浜 20 0 1 1 1 28.0 27 2 11 15 15 10 3.21
通算 3年 70 0 5 2 2 91.1 97 3 33 70 46 37 3.65