網谷 圭将
100
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名前 |
あみや けいしょう |
生年月日 |
1997年10月3日 |
経歴 |
千葉英和高−横浜 (15年育成D1位) |
入団年 |
15年育成ドラフト1位 |
在籍年 |
16年−18年 |
背番号 |
16年−18年[100] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
捕手 |
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:横浜入団:
小学6年時にマリーンズJr、中学時代には千葉市リトルシニアで全国制覇を経験。千葉英和では1年春からベンチ入りし、1年秋から強肩を買われて捕手に転向。主将を任された2年秋から全く打てなくなったが、2年冬に猛練習を積んで飛躍、3年春には県大会2回戦の千葉黎明戦で140メートルの場外弾を放って、相手チームの2年生投手川口
廉の視察に来ていたスカウトの注目を集めた。3年夏は初戦で2者連続スクイズを決められて初戦敗退、同年のドラフト会議で横浜から育成1位で指名されて入団した。
:骨折:
ルーキーイヤーは高卒の育成選手でありながら春季キャンプで一軍との紅白戦で2安打を放って一軍に合流した。だが合流直後の練習試合で左手の有鉤骨を骨折し、イースタンリーグ出場も夏場になってからと出遅れてしまった。同年オフにはアジア・ウインターリーグに参加して50打数18安打という好成績を残した。
:第2の筒香:
17年にはキャンプで1軍メンバーに抜擢されてラミレス監督から「第2の筒香のポテンシャルがある。19歳としては見たことがないくらい素晴らしい。網谷という名前はいずれ全国区になる」と高い期待を受けた。阪神との練習試合でチーム1号本塁打を放つなど紙面を賑わせたが、シーズンは二軍で打率180の108三振という厳しい結果に留まった。翌18年もイースタンリーグで打率.203で期待された長打も量産できず、21歳の誕生日に戦力外通告を受けた。 |
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二軍打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
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16 |
横浜 |
19 |
38 |
5 |
7 |
3 |
0 |
0 |
10 |
5 |
0 |
3 |
0 |
5 |
15 |
0 |
2 |
.184 |
17 |
横浜 |
97 |
316 |
24 |
57 |
9 |
1 |
4 |
80 |
24 |
0 |
9 |
0 |
26 |
108 |
10 |
8 |
.180 |
18 |
横浜 |
62 |
128 |
13 |
26 |
2 |
2 |
4 |
44 |
11 |
0 |
0 |
0 |
10 |
38 |
2 |
1 |
.203 |
|
通算 |
3年 |
178 |
482 |
42 |
90 |
14 |
3 |
8 |
134 |
40 |
0 |
12 |
0 |
41 |
161 |
12 |
11 |
.187 |
|
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