浅田 将汰
54
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名前 |
あさだ そうた |
生年月日 |
2001年4月23日 |
経歴 |
有明高−横浜(19年D7位) |
入団年 |
19年ドラフト7位 |
在籍年 |
20年−22年 |
背番号 |
20年−22年[54] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
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:秀岳館を倒して:
小学校2年から野球を初めて、6年生で投手として福岡優勝。中学時代にも飯塚ボーイズでエースとして活躍し、九州代表で世界大会も経験。強豪校からの誘いも受けたが、甲子園常連校の秀岳館を倒して甲子園へ行きたいという思いで有明高へ進学、1年春からベンチ入りし、夏には投手兼外野手としてプレー、秋に140キロを投じてエースになった。2年春にはRKK旗の決勝戦で秀岳館戦と対戦、145キロを投じて3失点完投勝利で打倒秀岳館を成し遂げた。
:横浜入団:
2年夏にはチームを7年ぶりの県ベスト8に導いた。2年秋には148キロを計測、3年春には県大会準優勝するなど順調にステップアップして3年夏はは県大会で準決勝まで進出、準決勝でも好投を見せたが熊本工に0対2で敗れて甲子園出場はならなかった。U18日本代表に選ばれてワールドカップでは南アフリカ戦で5回をノーヒットに抑え込んだが、オーストラリア戦では先発を任されたが2回途中4失点でKOとなった。最速149キロに加えて、打っても4番を務めて通算29本塁打を記録。ドラフト会議で横浜から7位指名を受けて入団した。
:故障:
ルーキーイヤーはイースタンリーグで9度の先発を含む11試合に登板、3勝2敗、防御率4.09を記録した。2年目は春先に右手首にガングリオンを発症すると、その後も肩甲骨の負傷や脇腹の肉離れなど相次ぐ故障に苦しんでイースタンリーグでの5登板に留まった。22年にはイースタンリーグで22試合に登板したが、防御率11.92と好結果は残せず戦力外通告を受けて引退となった。 |
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二軍投球成績
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チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
20 |
横浜 |
11 |
0 |
3 |
2 |
0 |
50.2 |
48 |
8 |
36 |
24 |
29 |
23 |
4.09 |
21 |
横浜 |
5 |
0 |
0 |
3 |
0 |
11.0 |
16 |
2 |
18 |
4 |
21 |
18 |
14.73 |
22 |
横浜 |
22 |
0 |
0 |
6 |
1 |
25.2 |
34 |
3 |
45 |
9 |
43 |
34 |
11.92 |
|
通算 |
3年 |
38 |
0 |
3 |
11 |
1 |
87.1 |
98 |
13 |
99 |
37 |
93 |
75 |
7.73 |
|
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