:2年間野球から離れる:
01年のドラフトでシアトル・マリナーズから3巡目指名を受けたが入団には至らなかった。翌02年に左肘のトミージョン手術を受けて、03年にタンパベイ・デビルレイズとアマチュアFAで契約。04年にはA+で35試合に登板して6勝4敗、防御率3.32という成績を残したが、左肘を痛めて8月18日に故障者リストに入り、翌05年の4月1日に解雇されてしまった。その後2年間は高校の非常勤の数学教師や、シェル石油のパイプラインでメンテナンス技術者として働いた。
:契約、解雇、再契約:
レイズを解雇されてから2年後の07年5月18日にアスレチックスと契約を果たすと、同年にはA+とAAで21試合に登板して9勝2敗、防御率2.77という故障前を上回る成績を残した。翌08年にはインピンジメント症候群で出遅れて解雇されてしまったが、独立リーグのゴールデン・ベースボール・リーグで19試合に登板して7勝4敗、防御率3.88を記録すると、プエルトリコのウインター・リーグにも参加して防御率2.08という好成績を残し、さらにイタリアのリーグへも参加を検討していたが、翌09年の1月22日にアスレチックスとの再契約を果たした。
:30歳でMLB初昇格:
09年には29歳で初めてAAA昇格を果たすなどマイナーで5勝5敗、防御率3.88を記録したが再び肘を痛めて後半戦を欠場した。たび重なる故障でチャンスを掴めめないまま年齢を重ねてしまったが、30歳で迎えた10年には打高投低のメキシカン・リーグでリーグトップの13勝3敗、同1位の123奪三振、同2位の防御率2.95(1位はマック・鈴木の2.89)という好成績を残してメキシカン・リーグのピッチャー・オブ・ザ・イヤーに選出された。帰国後にもAAAで2勝2敗、防御率1.94を記録して、ついに9月10日にMLB昇格を果たした。
:30歳でMLB初登板初勝利:
9月13日のロイヤルズ戦で先発としてMLBデビュー。30歳と320日でのMLB初登板はアスレチックスでは1945年5月13日に32歳で初登板を果たしたスティーブ・ガーキン以来となる30歳を超えてのMLB初登板となった。そして先発のマウンドに上がったクレイマーは4回裏にマイク・アビレスのソロホームランで1点を失ったが、5.1回を4安打、1四球で1失点に抑えて見事にMLB初登板を初勝利を飾った。30歳以上の投手がMLBのデビュー戦で先発して勝利投手になったのは1950年以降ではMLBで5人目の快挙だった。また他の4人は上原、吉井、黒田、川上であり、アメリカ人の選手が記録したのは1950年以降では初めてだった。
:開幕戦でイチローを打ち取る:
続く9月19日のツインズ戦でも5.2回をソロホームラン2本の2失点に抑えると、打線が岩村の2点タイムリーなどで5回までに5点の援護点をあげてクレイマーに2勝目が記録された。翌11年には開幕ロースターに残り、マリナーズとの開幕戦で2対6とリードされて迎えた7回表の一死一、三塁という場面でマウンドに上がって、イチローをセカンドゴロ併殺に打ち取る好リリーフを見せた。
:サヨナラ被弾:
開幕戦で1.2回を無失点に抑える好投を見せたクレイマーだったが、続くチャンスがなかなか貰えず、4月12日のホワイトソックス戦で5対5の同点で迎えた延長10回裏という厳しい場面で11日ぶりのマウンドに上がったが、二死後にアレクセイ・ラミレスにホームランを打たれてサヨナラ負けとなってしまった。続く試合では1.1回を無安打、無四球に抑えたがマイナー降格。6月に再昇格を果たすと2試合で4.2回を無失点に抑えたが再びマイナー降格となり、同年には防御率1.08という好成績を残しながらわずか5登板に留まった。
:横浜入団:
12年にはリーグ平均防御率が5点近いメキシカンリーグで防御率2.22という好成績を記録して、7月4日に横浜ベイスターズに入団した。初登板初先発となった7月26日の巨人戦で2回裏から3イニング連続で失点を重ねると、5回裏に無死満塁というピンチを作った所でKOとなってしまう。続く8月1日の広島戦でも初回に堂林のスリーランなどで4点を失うと、5回裏にも3点を追加されて7失点KO。二軍降格となったクレイマーは二軍でも結果を残せず同年限りで退団となった。 |
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