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鄭 凱文



62
名前 ぜん かいうん
生年月日 1988年7月26日
経歴 台湾・文化大−阪神−横浜
入団年 13年に阪神から移籍
在籍年 13年
背番号 13年[117]、[62]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
台湾代表
南英商工高時代には1年時からから台湾代表に選出されて国際経験をつみ、08年の北京オリンピックにも台湾代表として出場。1次リーグのオランダ戦では先発のチェン(当時・中日)をリリーフして2イニングを無失点に抑えたが、日本戦では1対2とリードを許して迎えた9回表に一死一、二塁という場面で登板したが、いきなりG・G・佐藤に死球をぶつけてしまうと、中島にライト前、西岡にセンター前、青木はセカンドゴロに打ち取ったが、荒木に死球、新井に四球と乱調が続いて、最後は稲葉を空振り三振に仕留めたが1対6と試合を壊してしまった。

阪神入団
09年の春季キャンプで阪神の入団テストを受けて合格。まだ大学2年生だったが退学はせずにオフに通学して卒業を目指す事になった。台湾の「西華飯店」で行われた入団会見には50人を超える地元メディアが集まるなど20歳という若さでの日本行きは高い注目を集めた。03年の阪神対ソフトバンクの日本シリーズをテレビ観戦していたという鄭は台湾の英雄である王 貞治が率いるソフトバンクではなく阪神ファンの熱狂的な応援に憧れていた事を明かし「僕はタイガースのファンです。矢野さん、新井さん、金本さん、球児さん」と喜びを現した。

初登板
第2回WBCにも台湾代表として出場。第1ラウンドの初戦となる韓国戦で0.1回でKOされた李 振昌をリリーフして1.2回を無失点に抑えた。プロ野球の開幕は二軍で迎えたが4月26日の広島戦で一軍初登板。初回のピンチを併殺で切り抜けると、2回裏からは尻上がりに調子を上げて広島打線に付け入る隙を与えない。6回表に桜井のタイムリーで阪神が待望の先取点をあげると、その裏も鄭が三者凡退に抑えて試合を作ったが、7回裏にリリーフしたアッチソンが石井琢への四球から逆転を許して初登板初勝利はならなかった。

初勝利
2回目の登板となった5月3日の巨人戦では中盤に掴まって5.0回で7安打、1四球で4失点。続く5月9日の横浜戦ではリリーフとして起用されたが村田にツーベースを打たれて降板。二軍降格となった鄭はウエスタンリーグでは6勝1敗、防御率2.17という素晴らしい成績を残したが、なかなか一軍では結果が残せない日々が続いた。だがシーズン終盤の9月20日広島戦で3度目の先発のチャンスを貰うと、3回表にフィリップスのツーランで2点を失ったが、その裏に阪神打線がコルビー・ルイスに6安打を集中して一挙5得点を上げて逆転。大量援護に守られた鄭は7回を投げて9安打、2四球ながら2失点に抑えて見事に初勝利を記録した。

35イニング連続無失点
10年は二軍で38試合に登板したが防御率5.20と結果が残せず、同年の終盤からサイドスローにフォームを改造。翌11年は二軍で防御率1点前後という素晴らしいピッチングを続けていたが、マートン、ブラゼル、メッセンジャー、スタンリッジという4人の外国人選手が好調だったため外国人枠の関係でなかなかチャンスを貰えなかった。だが腐らずに二軍で35イニング連続無失点をを記録して、オールスター直前に前半戦最後の登板を終えたメッセンジャーに代わってようやく一軍に昇格した。

664日ぶり
1年3ヶ月ぶりの一軍登板となった7月16日の横浜戦だったが、鄭がマウンドに上がる前の1回表に阪神打線が横浜先発の山本を攻めて3点を先制すると、3回表にも小林太から4点を奪うなど序盤に8得点を上げて鄭を大量援護。鄭は3回裏まで横浜打線をノーヒットに抑え込むなど、6.2回を投げて5安打、2四球、2失点という好投で664日ぶりの白星を記録した。横浜スタジアムのお立ち台に上がった鄭は通訳をつけずにカンニングペーパーを見ながら「絶対に、勝つ、思った」、「フジイサン、サインど、おり、投げました」と答えて大歓声を浴びた。

横浜入団
オールスター明けにも7月30日の横浜戦で先発のチャンスを貰ったが3回2失点ながら8安打と打ち込まれて登録抹消。同年にはウエスタンリーグで防御率1.72を記録して最優秀防御率に輝いたが、一軍ではわずか3試合登板に留まった。翌12年もウエスタンリーグで防御率2.50という好成績を残し、一軍でも防御率2.45を記録したが外国人枠の関係で10試合登板に終わり同年限りで退団となった。

被安打1で5失点
12月25日に横浜に入団。当初は選手枠の関係で育成選手としての契約となったが、松坂が獲得できなかったため翌年の2月に支配下登録となった。開幕第3戦の先発を任されたが2.0回7安打、1四球で4失点KOとなり登録抹消。5月22日のソフトバンク戦で一軍に復帰したが初回に3四球で塁を埋めると松田にグランドスラムを打たれて4失点。2回からは立ち直ったが5回裏に死球からの犠飛で1点を追加されて5回で被安打1ながら5四死球で5失点という珍記録を残した。その後も先発のチャンスを貰ったが結果が残せず同年限りで退団となった。


初記録
初登板 09年4月26日広島戦
初勝利 09年9月20日広島戦
初奪三振 09年4月26日広島戦:石原から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
09 阪神 13 0 0 1 1 0 31.1 39 4 6 0 18 1 0 20 19 5.46
10 阪神 1 0 0 0 0 0 1.0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0.00
11 阪神 3 0 0 1 0 0 10.2 14 1 2 1 5 0 0 4 4 3.38
12 阪神 10 0 0 0 0 0 11.0 10 1 4 0 6 0 0 3 3 2.45
13 横浜 6 0 0 0 2 0 21.0 27 4 11 1 11 1 0 17 17 7.29
球団 1年 6 0 0 0 2 0 21.0 27 4 11 1 11 1 0 17 17 7.29
通算 5年 33 0 0 2 3 0 75.0 91 10 24 2 40 2 0 44 43 5.16


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
09 阪神 13 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 1 .167
10 阪神 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
11 阪神 3 3 1 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .333
12 阪神 10 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
13 横浜 6 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
球団 1年 6 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 5年 33 14 1 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 5 1 1 .143


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
09 阪神 13 1 6 1 0 66.1 54 4 17 37 20 16 2.17
10 阪神 38 0 3 2 2 45.0 49 5 12 31 28 26 5.20
11 阪神 22 0 5 1 1 89.0 55 4 7 67 18 17 1.72
12 阪神 28 0 3 2 4 39.2 41 2 7 25 14 11 2.50
13 横浜 9 0 0 3 0 38.0 46 2 8 17 20 15 3.55
通算 5年 110 1 17 9 7 278.0 245 17 51 177 100 85 2.75


  WBC投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
09 台湾 1 0 0 0 0 0 1.2 1 0 0 0 0 ? ? 0 0 0.00
通算 1年 1 0 0 0 0 0 1.2 1 0 0 0 0 ? ? 0 0 0.00