:MLB昇格:
06年にデトロイト・タイガースから19巡目指名を受けて入団。翌07年にはAで13勝5敗、防御率2.97、145.2イニングを投げて160奪三振という素晴らしい成績を残した。翌08年はA+で133.1回を投げて被安打144、70四球で防御率4.46、09年にはA+で6試合に先発して防御率3.14を記録してAAに初昇格。5月24日には6.1回を投げて2安打、1四球に抑える好投を見せたが同シーズンはこれが最後のマウンドとなった。翌10年にはAAで7勝12敗、防御率4.93ながら右肩上がりの成績でシーズンを終えると、翌11年にはAAAで開幕から好投を続けて9勝4敗、防御率3.13という好成績を残してMLB初昇格を果たした。
:初登板で500号:
7月20日のアスレチックス戦で初登板を初先発で飾ると、松井秀をセンターフライに打ち取るなど初回と2回表を三者凡退に抑えたが、3回表に味方のエラーや自らの暴投でピンチを招くと松井秀にピッチャー強襲のタイムリーを打たれるなど2失点、4回表、5回表は立ち直って抑えたが2対2の同点で迎えた6回表に松井秀に日米通算500本塁打となるライトポール直撃のソロを打たれて降板となった。報道陣から日本で有名になるのではと聞かれたビロウは「あれが500号になったとは知らなかったが、彼がよく打っているのは知っていたよ」と苦笑いで答えた。その後は主に中継ぎとしてシーズン最後までMLBに残ったが初勝利はならなかった。
:MLB初勝利:
12年には4月7日のレッドソックス戦で緊急降板となったフィスターの後を受けて4回表途中から同年の初マウンドに上がると、2.1回を1安打、無四球に抑えてMLB初勝利を記録。大乱戦となった翌日のレッドソックス戦では10対10で迎えた11回表に2点を勝ち越された所でマウンドに上がってゴンザレスを空振り三振に切って取ると、その裏にタイガースがアビラのサヨナラホームランで逆転勝利し、ビロウはMLB初勝利の翌日にも勝利投手になった。その後は白星が付く事はなかったが27試合に登板して防御率3.88というまずまずの成績を記録した。
:横浜入団:
13年はシーズン開幕後に解雇となり、マーリンズに移籍したがMLBでの登板はわずか2試合に留まり、同年の夏には韓国の起亜タイガースに移籍して3勝2敗、防御率4.02を記録。翌14年はデトロイト・タイガースに復帰したがMLB登板は果たせなかった。15年にはAAAで5月19日に4安打、1四球で完封勝利、続く登板でも7安打、無四球で完投と好投を続けると横浜DeNAベイスターズからオファーがありシーズン途中での入団となった。
:初登板:
6月27日に入団が発表されて7月1日に来日。当初はオールスター明けの一軍合流と報道されていたが、二軍での調整登板で好成績が残せず、シーズン終盤の9月6日にようやく一軍昇格。同日の巨人戦で先発を任されたが雨天中止となり、スライド登板となった8日のヤクルト戦も雨天中止と雨に泣かされて、当初の予定から10日遅れとなった16日のヤクルト戦で小雨が降る中でようやく初登板初先発のマウンドに上がったが、初回にいきなり3四球で無死満塁とすると、この回は畠山のサードゴロの間の1点に抑えたが、2回裏にも乱調で1.1回で2安打、5四球、5失点を記録して降板。翌日に登録抹消となり1試合限りで退団となった。 |
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