福地 元春
28
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名前 |
ふくち もとはる |
生年月日 |
1990年6月21日 |
経歴 |
自由ヶ丘高−九州共立大−三菱日立パワーシステムズ横浜−横浜(14年D4位)ーBCリーグ信濃 |
入団年 |
14年ドラフト4位 |
在籍年 |
15年−18年 |
背番号 |
15年−18年[28] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
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:大学1年で151キロも:
沖縄県の名護生まれ。6歳から野球をはじめ、福岡の自由ヶ丘高では2年夏に県大会ベスト8まで駒を進めたが甲子園進出はならなかった。九州共立大に進学すると1年時に151キロを計測したが、同期に川満 寛弥、1学年下に大瀬良
大地らがいたため出場機会に恵まれなかった。そのこともあって福地の気持ちが野球から離れ、自主練習も疎かになるなど大きな潜在力を持ちながらリーグ戦はわずか5登板に留まった。
:スピード取り戻す:
福地のストレートの球速は130キロ台中盤まで落ちていたが、大学1年時に福地のピッチングを見ていた三菱日立パワーシステムズ横浜の松下監督に制球を重視する小さなピッチングを「それはお前の投球じゃない」と諭されて、入社後にフォーム修正に着手、またたくまにスピードを取り戻した福地は1年目からイニング数を大幅に上回る奪三振数を記録、都市対抗野球でも強豪のJR東日本戦で1.2回を投げて3奪三振を記録した。
:横浜入団:
社会人2年目の14年には7月3日に行われた大学日本代表との練習試合では9球団のスカウトが見守る中で5回を1安打、無四球で8奪三振と完璧に抑え込んで注目を集めた。9月27日には日本ハム2軍戦で4回を無失点と好結果を残した。ドラフト会議の当日には福地の実家に約30人の親戚らが集結して、居間でテレビ中継を見守り、横浜から4位指名を受けると、みんなで万歳三唱して大騒ぎとなり、両親は号泣して感激に浸った。
:元春:
シンガー・ソングライター佐野 元春の大ファンである父安夫さんの希望で元春と命名された。プロ入り後の登場曲には佐野
元春の代表曲である「SOMEDAY」を選んだが、父親孝行のためで自身は「SOMEDAY」がどんな曲かも知らなかった。
:凱旋登板:
ドラフトの指名あいさつ時に中畑監督から減量指示を受けて合同自主トレには5キロ減の89キロで合流した。ルーキーイヤーは6月23日に昇格を果たすと初登板となった6月28日の阪神戦では1点を追う6回裏一死一、二塁という厳しい場面でマウンドに上がったが、いきなり鳥谷をストレートの四球で歩かせると併殺崩れとピッチャー藤浪のタイムリーで追加点を奪われて降板となってしまった。続く地元沖縄で行われた7月1日の中日戦では両親が見守る中で1.1回を無失点に抑えて凱旋登板を飾った。同年には13試合に登板して左打者は打率.182に抑えたが、13試合中10試合で四球を出してしまうなど安定した成績は残せなかった。
:制球難:
16年は開幕一軍を勝ち取ったが3月31日の巨人戦で延長11回表に登板も亀井に勝ち越しタイムリーを打たれてしまうと、続く4月2日、3日の阪神戦と3試合連続失点を喫して登録抹消となった。7月には再昇格を果たしたが11日の中日戦で藤井に満塁被弾を浴びるなどわずか6試合に登板に留まった。イースタンリーグでは29試合の登板で36.2回を投げて被安打19の44奪三振ながら、23四死球という制球難に苦しんだ。17年もイースタンリーグでイニング数を超える奪三振を奪ったが制球難は改善せず一軍登板は果たせなかった。18年は一軍キャンプでアピールしたがキャンプ手版にひじ痛を発症して離脱、イースタンリーグでは38試合に登板して防御率3.53を記録したが2年連続で一軍登板なしに終わって戦力外通告を受けた。 |
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初記録 |
初登板 |
2015年6月28日阪神戦 |
初勝利 |
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初奪三振 |
2015年7月1日中日戦:松井雅から |
初完投 |
|
初セーブ |
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投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
15 |
横浜 |
13 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
15.2 |
16 |
0 |
12 |
0 |
16 |
1 |
0 |
9 |
5 |
2.87 |
16 |
横浜 |
6 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
6.2 |
11 |
2 |
6 |
0 |
5 |
1 |
0 |
9 |
9 |
12.15 |
|
通算 |
2年 |
19 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
22.1 |
27 |
2 |
18 |
0 |
21 |
2 |
0 |
18 |
14 |
5.64 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
15 |
横浜 |
13 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
.000 |
16 |
横浜 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
2年 |
19 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
.000 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
15 |
横浜 |
23 |
0 |
2 |
1 |
1 |
26.0 |
21 |
0 |
22 |
34 |
7 |
7 |
2.42 |
16 |
横浜 |
29 |
0 |
2 |
0 |
1 |
36.2 |
19 |
1 |
23 |
44 |
5 |
3 |
0.74 |
17 |
横浜 |
30 |
0 |
0 |
1 |
2 |
29.0 |
22 |
0 |
17 |
36 |
11 |
11 |
3.41 |
18 |
横浜 |
38 |
0 |
0 |
1 |
0 |
35.2 |
32 |
1 |
23 |
40 |
14 |
14 |
3.53 |
|
通算 |
4年 |
120 |
0 |
4 |
3 |
4 |
127.1 |
94 |
2 |
85 |
154 |
37 |
35 |
2.47 |
|
|
|