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福山 博之



45
名前 ふくやま ひろゆき
生年月日 1989年3月27日
経歴 島根県立大東高校−大阪商業大学−横浜(10年D6位)−楽天
入団年 10年ドラフト6位
在籍年 11年−12年
背番号 11年−12年[45]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
大学から投手転向
大東高までは内野手だったが、大商大で野球部に入部する際に無名ゆえに誰も内野手という事を知らないだろうと考えて「ポジションはピッチャーです」とウソをついて投手に転向。当初は内野手用のグラブで練習を行いストレートも130キロに届かなかったが、公園で犬の散歩をしていたおじさんに「オレが投げ方を教えてやる」と声を掛けられ、話を聞くと横浜ベイスターズの金城の叔父さんだという。それから金城さんに投げ方やトレーニングを教わるうちに球速が上がり最速148キロを計測するまでになり、10年のドラフト会議で横浜から6位指名を受けて入団した。大学通算17勝。

初登板
ルーキーイヤーの開幕は二軍で迎えたがイースタンリーグで10試合に登板して8イニングで3安打、1四球という好投を見せて8月7日に一軍昇格。13日の中日戦では三者凡退に抑える上々の初登板を飾った。24日の広島戦で2イニングを6者凡退に打ち取ると、翌日の広島戦でも2.1回を7者連続凡退、28日の中日戦でも1.1回を4者連続凡退と30日の巨人戦で長野に死球をぶつけるまで17者連続凡退を記録した。その後は9月25日の広島戦で1.2回を投げて5失点を喫するなど打ち込まれる試合が増えたがシーズンの最後まで一軍で起用された。

キャンプで話題も2年で退団
12年は春のキャンプで朝の声出しで踊りを披露したり、ランニングで中畑監督の現役時代の応援歌を歌い出したりとムードメーカーとして注目を集めたが開幕直前に二軍降格。6月29日に一軍昇格を果たしたが、7月7日の中日戦で和田、ブランコに連続タイムリーを打たれて2失点。続く13日の広島戦ではエルドレッドに危険球を投じて退場とわずか2試合で登録抹消になってしまうと、同年のオフにフロントから打診された野手転向を拒否すると入団2年目にして戦力外通告を受けて退団となった。合同トライアウトを経て楽天に入団。

飛躍
楽天でもキャンプの声出しでお笑い芸人の小島よしおのモノマネで笑いを誘うなどチームを盛り上げ、シーズンに入っても7月31日の西武戦で降雨コールドが決まった直後にグラウンドに飛び出して、ダイヤモンドを駆け巡ると三本間では挟殺プレーで逃げ惑う走者を演じるなどムードメーカーとして活躍。本職の投手としては4月21日から3試合連続で失点を記録して登録抹消となったが、夏場に復帰すると好投を続けて、初優勝を目前にした9月25日の西武戦では危険球で降板となったハウザーに代わっての緊急登板で4.1回を2安打、無四球で無失点に抑えたが、リリーフ陣が打ち込まれて初勝利はならなかった。その後も俊足を買われて10月12日のオリックス戦で代走で出場し、アジアシリーズでも登板と飛躍のシーズンとなった。

初勝利
アジアシリーズで登板したもののプレーオフや日本シリーズで登板機会がなかった悔しさから、13年のオフに一日6食で体重アップをはかり、重たくなる身体になれるために5キロの重りが付いたベストをつけて生活した。すると翌年のキャンプイン初日から自分でも驚くほど見違える球がいくようになり、開幕から8試合(10イニング)連続無失点を記録、4月6日のソフトバンク戦では2対2の同点に追いつかれた直後の8回表無死一塁という場面で登板すると、内川をピッチャーゴロに打ち取るなど後続を抑えて初勝利を記録した。

オールスター
4月19日の日本ハム戦で内野ゴロの間に1点を失って連続試合無失点はストップしたが、続く試合から再び15試合連続無失点を記録して一時は防御率0.33という驚異的な数字を残した。監督推薦で選出されたオールスターゲームでは投手が不足していたため2試合連続で2イニングを投げて歴史に名を残すと、後半戦も好投を続けて低迷するチームを支え続けた。同年の春季キャンプでは朝の声出しで60試合以上登板できなかったら台湾でダンサーデビューという謎の公約を宣言したが、65試合に登板して見事にダンサー転向を回避した。また67.1イニングを投げて防御率1.87、四球はわずか12という抜群の成績を記録した。

3年連続65試合登板
15年は開幕戦で連続四球からの2失点を喫してしまったが、翌日から8試合連続で無失点を記録。6月6日の広島戦では7回裏の無死満塁でリリーフして會澤をピッチャーゴロ、小窪をセカンドゴロ併殺で無失点に抑えるなど好投を続けてリーグ3位の65試合に登板して防御率2,76という好成績を残した。翌16年もリーグトップの69試合に登板して防御率2.71、3年連続でフルシーズンを一軍で通すなどチームに欠かせない投手となった。

前半戦防御率0.00
16年のシーズンオフにはカキや生肉を食べて意図的に腹を壊して腹痛となり、シーズン中の不調を再現する珍トレを行っているという趣旨のコメントを残して話題になった(実際には完全な生肉を食べているわけではなかったとか)。17年シーズンは開幕からオールスターまで36試合に登板して防御率0.00、33.1回を投げて被安打22、四球はわずか5という驚異的な活躍を見せてチーム躍進の大きな原動力になった。7月20日の日本ハム戦でレアードに同点スリーランを喫して連続無失点はストップしたが、離脱した松井祐に代わって抑えを任された30日のオリックス戦では小谷野のピッチャー返しを見事な反射神経で好捕して試合を締めるなどシーズンの最後まで活躍し、65試合登板で6勝無敗7セーブで防御率1.06を記録した。

育成契約へ
登板過多の影響が出たのか18年は4月8日のソフトバンク戦で4失点、25日のロッテ戦でも4失点と打ち込まれる試合が続いて5月16日に登録抹消、右肩痛に苦しみながらも6月に復帰したが状態は上がらず同年は21試合の登板で防御率6.75と大幅に成績を落とした。19年は7試合に登板して防御率5.19に終わり4月29日に登録抹消、7月に右肩と右ひじのクリーニング手術を受けて長期離脱となり、オフには限度額を大幅に超える81%ダウンの育成契約を提示された。福山は「チームのために身を削って投げてきたので、育成契約はどうかなという気持ちはある」と返事を保留したが、受け入れて育成契約となった。

引退
20年はイースタンリーグで12試合に登板して防御率0.79を記録、9月21日に支配下へ復帰した。翌日に一軍昇格を果たすと同日のロッテ戦で517日ぶりに一軍登板、1回を無失点に抑えて球団通算1000勝に貢献した。同年は14試合に登板して防御率0.75をを記録した。21年には開幕から13試合連続無失点を記録、5月3日のソフトバンク戦で100ホールドを達成したが後半戦は1軍登板なしに終わって24試合登板に留まった。翌22年はイースタンリーグではまずまずの成績を残したが、1軍では3試合登板に留まって現役を引退した。


初記録
初登板 11年8月13日中日戦
初勝利 14年4月6日ソフトバンク戦
初奪三振 11年8月13日中日戦:平田から
初完投
初セーブ 14年9月25日ソフトバンク戦


11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22
オールスター 1回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
11 横浜 19 0 0 0 1 0 25.0 27 1 5 1 10 1 1 20 16 5.76
12 横浜 2 0 0 0 0 0 2.0 3 0 1 1 0 0 0 4 4 18.00
13 楽天 22 0 0 0 0 0 34.2 34 1 10 0 20 0 0 17 17 4.41
14 楽天 65 0 0 4 2 1 67.1 63 2 12 1 32 0 0 14 14 1.87
15 楽天 65 0 0 2 3 1 58.2 62 2 21 1 29 3 0 21 18 2.76
16 楽天 69 0 0 4 5 0 69.2 65 2 19 5 30 1 1 24 21 2.71
17 楽天 65 0 0 6 0 7 59.2 49 2 14 3 31 2 0 8 7 1.06
18 楽天 21 0 0 1 2 0 21.1 28 1 14 0 4 1 0 16 16 6.75
19 楽天 7 0 0 0 0 0 8.2 8 0 1 3 4 0 0 5 5 5.19
20 楽天 14 0 0 0 0 0 12.0 12 1 5 0 8 0 0 1 1 0.75
21 楽天 24 0 0 0 2 0 22.2 23 3 12 0 13 0 0 6 6 2.38
22 楽天 3 0 0 0 0 0 3.0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0.00
球団 2年 21 0 0 0 1 0 27.0 30 1 6 2 10 1 1 24 20 6.67
通算 12年 376 0 0 17 15 9 384.2 377 15 114 15 184 8 2 136 125 2.92


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
11 横浜 19 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 3 .000
12 横浜 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
13 楽天 23 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
14 楽天 65 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
15 楽天 65 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
16 楽天 69 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
17 楽天 65 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
18 楽天 21 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
19 楽天 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
20 楽天 14 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
21 楽天 24 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
22 楽天 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 2年 21 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 3 .000
通算 12年 378 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 5 .000


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
17 楽天 5 0 0 0 1 0 5.2 7 1 0 0 5 0 0 3 3 4.76
通算 1年 5 0 0 0 1 0 5.2 7 1 0 0 5 0 0 3 3 4.76


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 楽天 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 1回 2 0 0 0 0 0 4.0 6 1 0 0 2 0 0 2 2 4.50


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
11 横浜 10 0 0 1 0 8.0 3 1 2 5 2 2 2.25
12 横浜 20 0 2 2 0 22.0 29 2 10 11 9 7 2.86
13 楽天 22 0 1 1 1 37.1 35 0 12 18 11 8 1.93
18 楽天 12 0 1 0 0 11.2 14 3 2 6 8 8 6.17
19 楽天 8 0 1 3 0 7.2 8 1 2 1 8 5 5.87
20 楽天 12 0 0 0 1 11.1 10 0 3 4 1 1 0.79
21 楽天 1 0 0 0 0 1.0 2 0 0 2 0 0 0.00
22 楽天 27 0 0 3 0 27.2 27 3 6 17 13 12 3.90
通算 8年 112 0 5 10 2 99.0 133 10 37 64 52 43 3.91