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後藤 武敏



55
名前 ごとう たけとし(登録名:後藤 武敏G(15年)、.後藤 G 武敏(16年)、G.後藤 武敏(17年)、G後藤武敏(18年))
生年月日 1980年6月5日
経歴 横浜高−西武(02年D自由枠)−横浜
入団年 12年に西武から移籍
在籍年 12年−18年
背番号 12年−18年[55]
投打 右投げ右打ち
守備 内野手
横浜高校進学
小学2年の時に兄に誘われてソフトボールをはじめる。翌年にリトルリーグに転向。中学時代にはシニアリーグの「浜松シニア」で全国準優勝。シニアの全日本でチームメイトだった松坂、小山、小池、常盤と共に横浜高校へ進学。後藤は1年からベンチ入りを果たして、夏の甲子園でも3回戦の福井商業戦で代打で起用されてヒットを放っている。

甲子園で村田からホームラン
3年春の甲子園では3回戦の東福岡戦で松坂と村田 修一の投げ合いで中盤まで0対0が続いたが、6回裏に松坂のタイムリーで先制すると、8回裏に後藤が村田のストレートをレフトスタンドにはじき返して突き放す。松坂は村田を4打数ノーヒットに抑えこむなど東福岡打線を2安打に抑えて完封勝利。準決勝のPL学園との接戦も刺して勝ち進むと決勝の関大一戦でも松坂が4安打完封に抑えて横浜高校を25年ぶりのセンバツ優勝に導いた。

大熱戦で7打数ノーヒット
3年夏の甲子園では後藤は疲労骨折の腰に痛み止めの注射を打って出場を続けたが結果が残せず、伝説の試合となったPL学園との延長17回の熱戦ではバントミスを含む7打数ノーヒットで、延長16回裏の守備では悪送球を投じて同点に追い付かれるなどチームの足を引っ張って監督から試合中に「お前とは縁を切る」とまで言われてしまった。後藤はその日の夜に宿舎の館内電話で250球を投じた松坂に電話をかけて謝ったが、松坂は「全然いいよ。お前がいるだけでチームのムードが違うんだから、明日は打てるよ」と励まされた。

準決勝で同点打
準決勝の明徳義塾戦は松坂が先発回避したこともあって8回表が終わって0対6という苦しい展開になったが、8回裏に後藤がタイムリーを放って1点を返すと、そこから松坂のタイムリー、暴投、柴のタイムリーで2点差に追い上げる。9回表にマウンドに上がった松坂が三人で抑えると、その裏に無死満塁というチャンスで打席に入った後藤がセンター前に2点タイムリーを放って同点に追い付く。さらに松坂の犠打などで一死満塁と攻め立てると最後は柴がセンター前に落として球史に残る劇的なサヨナラ勝ちとなった。決勝の京都成章戦では松坂がノーヒットノーランを達成して見事に春夏連覇を達成した。

2年春に三冠王
法政大学に進学すると1年時は左足の肉離れに苦しんだが、2年の春には打率.455、2本塁打、14打点で史上最年少の三冠王に輝いた。2年の秋にも打率.395で史上3人目の2季連続首位打者を達成。2年の春秋にファーストでベストナイン、3年の春にはサードで3季連続のベストナインに選出された。六大学通算258打数79安打、8本塁打、52打点。02年のドラフト会議で西武に自由獲得枠で入団。なお横浜高校の同期は松坂、小池、小山に後藤を含めて4人がプロ入りを果たした。

44年ぶりの新人4番
前年に55本塁打を放った不動の4番カブレラが右肩の炎症で開幕一軍を外れると、西武の伊原監督は日本ハムとの開幕戦に新人の後藤を4番で起用した。新人選手が開幕戦で4番を打つのは59年の桑田 武(大洋)以来44年ぶりで2リーグ制になってからでもわずか7人目という異例の起用だった。後藤は開幕戦こそ3タコで途中交代となったが、翌日には金村からタイムリーを放って初安打、初打点を記録した。

新人で11本塁打
9月1日の近鉄戦で2対3とリードされて迎えた8回表に代打で起用されると、レフトスタンドに逆転スリーランを運んで西武の新人としては86年の清原以来となる二桁本塁打を達成。パの新人としても92年の片岡(日本ハム)以来11年ぶりの快挙だった。後半戦は数字を落としたものの101試合に出場して打率262で11本塁打、44打点を記録した。

二軍で二冠王も
素晴らしいプロデビューを飾った後藤だったが、翌年はわずか24試合出場で打率.191と大幅に数字を落とし、二軍でも打率.260、3本塁打に終わってしまった。翌05年には二軍で打率.362、243打数で11本塁打、58打点という素晴らしい成績を残して首位打者と打点王に輝いたが、一軍では39打数8安打で打率.205と結果が残せなかった。06年はついに一軍出場0になってしまうと、07年には二軍で打率.325、9本塁打42打点も一軍では打率.162に終わって、4年間で一軍では23安打しか打てなかった。

復活の2本塁打1
08年も二軍スタートとなったがイースタン・リーグで打率.313、わずか160打数で10本塁打、42打点という素晴らしい成績を残して一軍に昇格。6月27日のロッテ戦でスタメンで起用されると3打数連続安打を放って勝利に貢献。翌28日に長男が生まれると、29日のロッテ戦で2回裏に小林宏からルーキーイヤー以来5年ぶりとなるツーランを放つと、5回裏にも小林宏からソロホームランを放って自身初の1試合2本塁打を記録した。

復活の2本塁打2
お立ち台に上がった後藤は1本目は「輪太郎の為にも嫁さんの為にも何とか1本打って「パパ頑張るぞ」ってアピールしたかったです」と答えて球場を沸かせると、2本目は「親父と、先月亡くなった母ちゃんの為に打ちました」と涙ながらに答え、最後は「母ちゃん、やったぞ!!」と絶叫した。

月間7本塁打
チャンスを掴んだ後藤は7月18日のロッテ戦で逆転スリーランを含む3安打を記録すると、翌日には17対10という乱打戦の中でまたも勝ち越しスリーランを含む3安打を記録してお立ち台に上がった。8月に北京五輪で中島とGG.佐藤がチームを離れると、代わって5番で起用されて本塁打を量産。月間打率.308、7本塁打と打ちまくってチームを支えた。8月25日の日本ハム戦で2本塁打を放って本塁打を二桁に乗せたが、29日のソフトバンク戦で右足首を痛めて登録抹消となってしまう。

大一番で逆転打も
優勝までマジック1で迎えた9月23日の楽天戦で一軍に復帰すると、いきなり4番で起用されたが第4打席までは全て走者を置きながら凡退してしまう。チームも8回表終了時点で2対5とリードを許していたが、8回裏に石井義のヒットからチャンスを作って1点差に追い上げると、なおも二死満塁というチャンスで打席に入った後藤がライトフェンス直撃の走者一掃のツーベースを放って劇的な逆転に成功した。だが9回表に抑えのグラマンが5失点と打ち込まれて地元での優勝を逃してしまった。

日本一に貢献
クライマックスシリーズでも4番で起用されてセカンドステージ初戦でグリンから試合を決めるスリーラン、3勝2敗で迎えた第5戦でもグリンから先制ソロを放つなど3安打を記録して日本シリーズ進出に貢献した。日本シリーズでは23打数3安打に留まったが、初戦では上原から同点ソロを放って勝利に貢献した。

お立ち台男
09年は開幕直後に腰を痛めて離脱したが、7月9日に一軍復帰を果たすと同日の日本ハム戦で同点タイムリーを含む2安打を放ってお立ち台に上がった。すると7月31日のオリックス戦で7回表に勝ち越しをソロを放ってお立ち台、8月5日の日本ハム戦でも7回裏に勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台、8日のソフトバンク戦でも初回にスリーランを放ってお立ち台、25日の楽天戦では11回裏に自身初のサヨナラホームランを放ってお立ち台、9月10日の日本ハム戦でも8回裏に逆転タイムリーを打ってお立ち台と2ヶ月間で6度のお立ち台に上がった。

横浜移籍
10年には腰痛に加えて右太ももの肉離れに苦しんで打率.138で16試合出場に留まった。翌11年には二軍でも打率.217に終わって同年のオフに武山とのトレードで横浜に移籍した。移籍初年度は故障もあって開幕は二軍で迎えたがイースタン・リーグでは171打数で8本塁打を放ってオールスター明けから一軍合流。8月には4日、5日の巨人戦で2試合連続ホームランを放つと、15、16日の阪神戦でも2試合連続ホームラン。21日の広島戦では前田 健太から月間6本塁打目となる勝ち越しホームランを放って月間MVP候補にも名前が上がった。

ハマスタでお立ち台
13年はポジションが重なるブランコが加入した事もあって開幕は二軍スタート。4月19日に一軍へ昇格すると2本塁打を放ったが好調が続かず登録抹消となった。だが再昇格後にはブランコが欠場した8月20日の阪神戦で4番を任されてソロホームランにサヨナラに繋がる犠打で勝利に貢献。9月4日の阪神戦では初回に先制タイムリーを放って初めてハマスタのお立ち台に上がり、6日にはCSを争う3位広島との3連戦初戦で代打スリーランと結果を残した。同年のシーズン最終戦では横浜高校時代からの盟友である小池が引退試合で涙を流しながら最終打席で本塁打を放つと、ベンチの後藤が号泣している姿がテレビに大写しになり話題を集めた。

ゴメス
14年も開幕を二軍で迎えると、5月7日に昇格して4番を任された同日の巨人戦の第1打席で先制ソロを放ったが、3日後のヤクルト戦で左内転筋を痛めて登録抹消。だが6月18日のロッテ戦で再昇格を果たすと再び4番を任されて第1打席で先制ツーランを放つと、その後もツーベース、レフト前、ツーベースと打ちまくって自身初の4安打4打点を記録。お立ち台に上がった後藤はインタビュアーに「後藤選手」と紹介されると、「ゴメスです」と自身のニックネームをアピールした。なおゴメスの由来は石川と松本が待ち合わせをした際に遅れてきた松本が「ごめんっす」と謝ったのを、石川が「後藤さんの事をごめすと呼ぶなんて」とからかったのが始まり。

サード後藤
6月26日の日本ハム戦でも勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台に上がると、長男の誕生日である28日の広島戦でもスリーランを放って「力んでしまって特別な日に打ったことなんて一度もなかった。最高だね」とお立ち台で笑顔を見せた。その後も7月9日の巨人戦で先制スリーランを放ってお立ち台と3週間あまりで4度のお立ち台に上がり、そのたびに「ゴメスです」とアピールを続けた。ブランコの復帰に伴って7月23日の中日戦から7年ぶりのサードでスタメン起用されると守備は無難にこなしたが肝心の打撃で9打数0安打と結果が残せず代打に回る事になった。だがサードを守った事が幸運を呼んだのか8月31日の巨人戦でサードベースに当たる同点タイムリー、1週間後の広島戦でも再びサードベースに当たる内野安打とハマスタのサードベースに愛された。

2試合連続で抑え打ち
15年はユニホームの背中ネームをGOMEZに変更し、開幕日には登録名も後藤 武敏G.に変更して話題になった。4月21日の阪神戦で8回裏に代打で同点ソロを放つと、そこから全て代打で4打席連続ヒットを放ったが5月6日のヤクルト戦からは12打数連続ノーヒットを記録。6月2日のソフトバンク戦では4番で起用されたが3タコで途中交代に終わるなど打率1割台に低迷したが、7月3日の阪神戦では2点を追う9回裏に抑えのオ・スンファンから起死回生の同点ツーランを放つと、翌日の阪神戦でもオ・スンファンからソロを放って自身10本目の代打本塁打を記録した。だが8月1日の広島戦でフルスイングで空振りした際に股関節を痛めて登録抹消となった。

体質改善
16年はキャンプでの右太ももの軽い肉離れから左手首、左太もも、右ひざ、右足付け根と続けざまに故障を重ねて長期間離脱、危機感を募らせていた4月下旬に二軍球場で調整を行っていた筒香から動物性たんぱくを減らして血流をよくするなどの効果がある植物性油などを食事に使用するように進言されて体質改善を決意、肉類やお菓子などを避けた食事管理で体重がわずか一か月間で10キロ減の83キロになりコンディションが改善。前半戦最終戦の7月13日に一軍昇格を果たすと同日の中日戦で大歓声を受けて代打タイムリーを放った。同年も8月2日の阪神戦では8回裏に同点弾、9月7日のヤクルト戦では2点タイムリーと右の代打の切り札として活躍した。

13打数0安打
17年は7月23日に初昇格、同日の巨人戦で同点の8回裏二死満塁で大歓声を浴びながら代打起用されたがマシソンにレフトフライに打ち取られた。27日の阪神戦では奥さんの体調不良のためベンチ入りを外れたロペスに代わって5番ファーストを任されたが、四球こそ選んだがノーヒットでエラーも記録してしまった。8月11日の試合前にはアントニオ猪木からビンタで闘魂注入を受けて、試合では三遊間にヒット性の打球を放ったが大和の好守で併殺になるなど初ヒットが遠く13打数まで連続ノーヒットを続けてしまったが、8月18日の巨人戦でレフト前タイムリーで初ヒットを記録すると、24日の広島戦では同点の9回裏二死からフェンス最上段に当たるツーベースでサヨナラにつなげるなど存在感を見せて同年は3安打に終わったが残留を勝ち取った。

引退
18年は中日に移籍した松坂が4月30日の横浜戦で4241日ぶりの勝利を記録するなど復活を果たしたため、横浜高の同期であり西武でも共に戦った盟友との初対戦が期待されたが後藤は一軍昇格のチャンスを貰えないまま9月上旬に戦力外を通告されて引退を決断した。引退発表後に行われた中日対阪神戦でお立ち台に上がった松坂が「同世代の村田・後藤、杉内が引退を発表して、彼らの分も気持ちを込めて『僕はもう少し頑張るよ』という決意表明のような日にしたいなと思っていました」と話した場面を見て後藤は涙を流した。

松坂世代
引退試合となった9月22日の中日戦では熱望していた松坂との対戦は叶わなかったが、試合後のセレモニーでは「松坂世代の一員でいられた事に感謝し、引退します!」と思いを語り、横浜高の同期である横浜の小池コーチと松坂から花束を受け取り、3人で涙を流した。松坂は中日ベンチに小山スカウトと共に後藤がグラウンドを一周する姿を笑顔で見守り、後藤が三塁ベンチ前までやってくると大きく手を振り、最後の胴上げにも飛び入りで参加して後藤の花道を飾った。


初記録
初出場 2003年3月28日日本ハム戦
初安打 2003年3月29日日本ハム戦:金村から
初本塁打 2003年4月18日日本ハム戦:岩本から
初打点 2003年3月29日日本ハム戦
初盗塁 2003年7月23日オリックス戦


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
03 西武 101 252 30 66 15 1 11 116 44 1 2 0 1 17 2 57 9 3 .262
04 西武 24 47 5 9 2 0 0 11 4 0 0 0 0 5 0 15 1 2 .191
05 西武 25 39 4 8 4 0 0 12 3 0 1 0 0 8 0 11 1 4 .205
07 西武 20 37 2 6 0 0 0 6 1 0 0 1 1 3 0 12 1 0 .162
08 西武 49 166 34 50 14 0 12 100 27 0 0 0 0 16 2 31 3 0 .301
09 西武 54 147 13 43 4 1 5 64 23 0 2 0 1 13 0 33 4 0 .293
10 西武 16 29 2 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 3 1 9 1 0 .138
11 西武 24 33 0 5 2 0 0 7 1 0 0 0 0 4 0 13 0 1 .152
12 横浜 51 125 11 32 3 0 6 53 15 0 1 0 1 12 0 26 2 4 .256
13 横浜 62 88 13 25 6 0 6 49 14 0 1 1 0 9 3 19 1 1 .284
14 横浜 68 145 17 41 8 0 7 70 31 0 0 1 1 18 0 34 4 3 .283
15 横浜 70 68 4 14 4 0 4 30 11 0 0 0 0 8 0 17 2 1 .206
16 横浜 27 23 2 6 1 0 1 10 6 0 0 0 0 7 0 9 1 0 .261
17 横浜 26 26 0 3 1 0 0 4 3 0 0 0 0 3 0 7 1 1 .115
18 横浜 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
球団 7 305 476 47 121 23 0 24 216 80 0 2 2 2 57 3 113 11 10 .254
通算 15年 618 1226 137 312 64 2 52 536 184 1 7 3 5 126 8 294 31 20 .254


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
08 西武 7 23 1 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 1 0 7 0 0 .130
通算 1年 7 23 1 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 1 0 7 0 0 .130


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
05 西武 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
08 西武 5 19 3 6 1 0 2 13 8 0 0 0 0 2 0 1 0 0 .316
10 西武 1 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
16 横浜 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 0 .000
17 横浜 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 5年 11 26 3 6 1 0 2 13 8 0 0 0 0 3 0 5 0 0 .231


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
03 西武 6 25 6 10 2 0 1 15 6 0 0 0 1 0 0 ? .400
04 西武 68 250 40 65 18 0 3 92 22 1 0 0 28 61 9 ? .260
05 西武 63 243 41 88 20 0 11 141 58 0 0 1 47 37 8 14 .362
06 西武 84 295 41 78 21 3 9 132 52 1 0 7 44 57 2 17 .264
07 西武 57 212 35 69 16 0 9 112 42 0 0 2 32 40 8 10 .325
08 西武 47 160 31 50 8 0 10 88 42 0 0 5 29 36 3 2 .313
09 西武 18 57 10 21 7 0 3 37 14 0 0 0 9 10 3 0 .368
10 西武 48 160 31 50 12 0 7 83 29 0 0 5 35 30 3 5 .313
11 西武 84 272 29 59 13 0 11 105 38 0 0 5 30 46 7 5 .217
12 横浜 52 171 21 43 8 0 8 75 36 0 0 4 17 29 2 0 .251
13 横浜 42 117 17 37 7 0 8 68 34 1 0 4 15 15 2 0 .316
14 横浜 25 77 7 23 6 1 2 37 14 0 0 1 8 9 4 0 .299
15 横浜 7 16 1 6 0 0 0 6 2 0 0 1 4 0 0 0 .375
16 横浜 27 46 3 14 4 0 1 21 9 0 0 0 6 10 1 0 .304
17 横浜 52 81 7 24 3 0 2 33 6 0 0 0 5 11 1 0 .296
18 横浜 60 116 9 32 8 0 4 52 18 0 0 2 14 23 5 0 .276
通算 16年 740 2298 329 669 153 4 89 1097 422 3 0 37 324 404 58 ? .291