:完全試合:
ベネズエラ生まれ。やんちゃな少年時代を過ごしたが、7歳の時に父親に連れられて行ったウインターリーグの試合で野球の魅力に魅せられて、帰りの車の中で父親から「きっとお前は将来あそこでプレーするよ」といわれたモスコーソはめきめきと力をつけて02年11月27日にデトロイト・タイガースと契約。03年はドミニカのサマーリーグでプレーして、05年からアメリカに渡った。07年には7月15日にA-レベルのバタビア戦で被安打0、無四球、無失点、7奪三振でパーフェクト・ゲームを達成。翌08年にAAへ初昇格すると6試合の登板ながら3勝1敗、防御率3.12を記録。同年のオフにレンジャーズへ移籍した。
:MLB初登板:
09年5月25日にAAで8回まで被安打2、無四球という素晴らしいピッチングを見せると、9回には3点を失ったが好投が評価されてMLBに初昇格。5月30日のアスレチックス戦で14対1と大量リードした9回表に初登板のマウンドに上がり、ジオンビーのヒットなどで一死一、二塁というピンチを背負ったが、カニンガムをダブルプレーに打ち取って無失点デビューを飾った。同年はメジャーとAAAを行き来しながら、MLBでは10試合の登板で防御率3.21、AAAでは12試合の登板で防御率2.31という好成績を残した。10年はAAAで22試合に先発して7勝7敗、防御率5.18を記録したがMLBでの登板は1試合に留まった。
:MLB初先発:
11年にアスレチックスへ移籍するとAAAで5月7日に6回を投げて被安打1、12日に6回を投げて被安打2というインパクトの強いピッチングを続けてMLBに昇格。5月24日のエンゼルス戦でMLB初先発のチャンスを掴むと、6回を投げて被安打3、与四球3で無失点に抑えてMLB初勝利。続く29日のオリオールズ戦は5回4失点ながら打線の援護に恵まれて逆転勝利。延長14回裏にリリーフで起用された6月4日のレッドソックス戦でJ・D・ドリュ−にサヨナラヒットを打たれてしまうと、そこから4連敗と苦しんだが、7月6日のマリナーズ戦では7回を投げて被安打2、1四球で無失点という完璧なピッチングで3勝目を上げた。イチローをフライアウト3つに打ち取ったモスコーソは「どんな球でも打てる打者。内外角に投げ分けることを考えた」としてやったりの表情だった。
:先発に定着:
7月30日のツインズ戦で4勝目を上げると、8月11日のブルージェイス戦では松井
秀喜が4安打を放つなど打線の大量援護もあって5勝目。続くオリオールズ戦で6勝目と白星を重ねた。9月2日のマリナーズ戦では初回にイチローのヒットから先取点を失うなど序盤は苦しんだが、3回裏に松井
秀喜が走者一掃の3点タイムリーを放って逆転すると、モスコーソは4回以降は一人の走者も出さずに7回まで投げて7勝目を記録した。
:大記録ならず:
そして続く9月7日のロイヤルズ戦では6回二死までパーフェクト、8回二死までノーヒット・ノーランという素晴らしいピッチングを見せたが、サルバドール・ペレスにライト前ヒットを打たれて歴史に名を残すことは出来なかった。9回2死で降板となり完封も逃したが、マウンドを降りるモスコーソには地元ファンから大声援が送られた。またチームメイトの松井
秀喜は「あそこまでいったから、期待して見てましたね」とコメントした。ノーヒット・ノーランは逃したものの同年には8勝10敗、防御率3.38とメジャーの先発ローテーション投手として活躍した。
:1.2回8失点:
12年はロッキーズに移籍したが開幕メジャーを逃すと、マイナーでも4月11日に3回8失点を記録するなど結果が残せず、4月下旬にメジャーへ昇格したが2試合連続6失点KOでマイナー降格。6月に再昇格を果たしたが26日のナショナルズ戦では5回途中からマウンドに上がって、ヒット、ヒット、四球、ツーベース、スリーランと一死も取れずに5失点、続投したが続く回にも2本塁打などで失点を重ねて1.2回で8失点。7月15日のブリュワーズ戦では久々に先発のチャンスを貰って4回までは無失点に抑えたが、5回表に無死から四球を挟んで3連打と打ち込まれて降板。代わったピッチャーもモーガンに同点タイムリーを打たれるなど逆転を許してしまった。
:横浜入団:
13年はロイヤルズに移籍したが開幕前の3月16日にブルージェイズ、その11日後にカブスへ移籍。カブス傘下のAAAでは翌年も同僚となる高橋 尚成とチームメイトになり、7勝5敗、防御率3.93というまずまずの成績を残した。7月26日にジャイアンツへ移籍して即MLBに昇格。その後はシーズン終了までメジャーでプレーして13試合に登板、2勝2敗、防御率5.10を記録した。同年のオフに横浜DeNAベイスターズと契約した。
:初勝利&マエケンから2安打:
14年は登板予定だった巨人戦が雨で流れたため開幕から9試合目の広島戦で初登板。3回裏に菊池のタイムリーで1点を失うと、6回を4安打、2四球、1失点(自責0)に抑えたが、打線が前田
健太に零封されたため惜しくも敗戦投手になってしまった。続くヤクルト戦でも敗戦投手になったが、チームが6連敗という状態で迎えた4月20日の広島戦では再び前田
健太とのマッチアップとなったが、2回裏と5回裏の打席で自ら前田 健太からセンター前ヒットを放って共に得点に繋げると、肝心のピッチングでも6回表の無死満塁を連続奪三振などでゼロに抑えるなど粘り強く広島打線を抑えて6回無失点でお立ち台に上がった。
:1000勝:
チームの6連敗をストップさせたモスコーソは続くヤクルト戦でも4連敗のチームを救う好投で連勝。5月10日のヤクルト戦では7回まで3安打、無失点に抑えると、打線はヤクルト先発のナーブソンに6回までノーヒット・ノーランに抑え込まれてきたが、7回裏に一死から梶谷が四球で歩くと、モスコーソに「俺がホームランを打ってくる」と伝えて打席に入ったバルディリスがレフトスタンドに先制ツーランを叩き込んで1安打勝利。モスコーソには記念すべき横浜スタジアム通算1000勝目の白星が記録された。表ローテとして結果を残していたが、グリエルの加入で外国人枠が足らなくなって6月1日に登録抹消となった。
:球団史上最高:
二軍降格にも腐ることなく二軍でツーシームを習得すると、ブランコの故障で6月21日に一軍復帰。7月12日のヤクルト戦では7回を1失点に抑えると、打撃でもツーランを叩き込むなど投打に大活躍。そこから破竹の4連勝を記録して8月16日に早くもチームの外国人投手のシーズン最多に並ぶ8勝を記録した。だがそこから6回1失点、6.1回2失点と試合を作りながら救援陣に白星を消されてしまうと、9月6日の広島戦では8回1失点に抑えながら打線が大瀬良に完封を許して敗戦。続く巨人戦でも初回から完璧な投球を続けたが、0対0で迎えた8回裏に長野の2点タイムリーで先制を許して敗戦と援護に恵まれない試合が続いてしまう。
:新記録も:
5度目の正直となった9月19日の広島戦で6回2失点&中押しタイムリーの活躍で03年のドミンゴを超える外国人シーズン最多の9勝目を記録。モスコーソは「キョウハ、インコース、アウトコース、ヨカッタデス」と日本語で答えた。二桁勝利がかかる続く中日戦では完投したが4失点敗戦投手、シーズン最終登板となった10月6日のヤクルト戦では5回3失点で勝利投手の権利を持ったまま降板したが、リリーフした山口が山田
哲人に日本人右打者シーズン最多安打となる逆転満塁ホームランを被弾して惜しくも二桁勝利はならなかった。同年にはホームのハマスタで6勝3敗、防御率3.30という好成績を残した。
:連敗止める粘投も:
ローテーションの柱として期待された15年は初登板となった4月1日の広島戦で7回を4安打、無四球で1失点に抑えて勝利投手、続く阪神戦では5回1失点に抑えて連勝を記録した。続く巨人戦でも6回まで2安打に抑え込む完璧なピッチングを見せたが、7回表に不運な内野安打と四球で二死一、二塁というピンチを背負うと、ハマスタ凱旋試合となった金城にライトスタンドに叩き込まれて敗戦投手となった。続く阪神戦では雨天の中でチームの連敗を7で止める気迫の投球を見せたが、雨で荒れたマウンドでの粘投が影響したのか7回表のピッチングで左太もも裏を痛めて降板。肉離れの重傷で長期離脱となってしまった。
:復帰も:
故障から一ヵ月後の5月下旬に二軍で復帰すると、調整登板もそこそこに6月4日のソフトバンク戦で一軍へ復帰したが本来の力強いピッチングが見せれず2回4失点KO、続く楽天戦でも5回3失点でKOされてしまうと、チーム事情もあってリリーフ転向となったが、リリーフ初登板となった6月20日の広島戦で4対4の同点で迎えた7回表に登板も5安打を集中されてチームの連敗を12まで伸ばしてしまった。続く試合でも打ち込まれて登録抹消となると、8月には先発として復帰したが好結果が残せず故障以降は未勝利でシーズンを終えてしまった。
:サクラ:
16年は力強いストレートが戻り3月30日の巨人戦で7回を4安打、1四球で3失点に抑えると、打っても逆転のきっかけとなる内野安打を放ってお立ち台、夫人が長女を出産予定だったにもかかわらず帰国を遅らせて臨んだ20日の広島戦では7回を4安打無失点に抑えて再びお立ち台と苦しいチーム状況の中で頼もしい活躍を見せた。なお試合後の深夜便で帰国し出産には間に合った。また日本で受けた不妊治療を経ての長女出産だったこともあって「シルバーナ・サクラ・モスコーソ」と長女のミドルネームに日本にちなんだ桜と名付けた。
:球団外国人最多勝利:
再来日後は連敗となったが5月17日の巨人戦は本来のパワーピッチで9回を投げ抜き5安打、2四球で1失点完投を記録し、球団の外国人投手史上1位の通算15勝目を上げた。5月31日には西武との交流戦初戦を任されて7回1失点と順調に白星を積み上げたが、6月7日のソフトバンク戦では6回裏に内川、長谷川に連続アーチを浴びるなどイニング4失点、14日の日本ハム戦では6者連続三振を奪うなど来日初となる10奪三振を記録したが打線の援護なく完敗、26日の巨人戦ではギャレットにまさかの3打席連続ホームランを喫するなど5回8失点KO、7月3日の広島戦では新井のスリーランなどで初回4失点と試合を作れず登録抹消となった。
:終盤に好投:
9月17日の阪神戦で故障の山口に代わって2月半ぶりの一軍マウンドに立つと6回を4安打、3四球で2失点に抑えてCS初進出を決定的にした。CSでは広島とのファイナルシリーズの初戦を任されると、初回から毎回のように先頭打者出塁を許しながら気迫のピッチングで試合を作り、ベンチでも声を張り上げるなど勝利への執念を見せたが、打線がジョンソンの前に手も足も出ず3安打完封を喫して下剋上はならなかった。惜しまれながら同年限りで退団となった。
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ベネズエラ出身だが17年に開催されたWBCには両親のルーツであるコロンビア代表として出場。初戦のアメリカ戦では同点の9回裏一死で登板し、ポージーをサードゴロ、スタントンをキャッチャーフライとアメリカの中軸を抑えたが、続投となった10回裏には2四球でピンチを作ってジョーンズにサヨナラヒットを浴びて敗戦投手となった。同年にはメキシコや母国ベネズエラでプレー。ベネズエラでは5勝2敗、防御率2.05を記録してベネズエラ最優秀投手に選出された。18年はドジャースとマイナー契約を結んだ。 |
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