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細川 成也



52
名前 ほそかわ せいや
生年月日 1998年8月4日
経歴 明秀学園日立高−横浜(16年D5位)−中日
入団年 16年ドラフト5位
在籍年 17年−22年
背番号 17年−22年[52]
投打 右投げ右打ち
守備 外野手
やり投げで全国2位
小学校3年から北茨城リトルで野球を始める。中学時代には陸上部の顧問から「肩が強いからやってみないか?」と誘われたジャベリックスロー(小中学生向けのやり投げ)で、わずか3か月の練習で当時の中学記録の77.42メトールを投擲して全国2位に入り、JOCの強化指定選手にまで誘われた。野球では目立った成績は残せなかったが明秀日立へ進学すると、かつて光星学院で春夏8度の甲子園出場を果たした金沢監督に下半身の重要性や打撃フォームを教えられて力をつけた。

150メートル弾
1日1000本の素振りや走り込み、2日に1度の筋トレなどで鍛え上げて、坂本 勇人らを育て上げた名将金沢監督が「こんなに飛ばす子は見たことない。ナンバー1です」と語るほどの規格外のパワーを身に着けた。2年春からベンチ入りし、翌年の3月に岐阜で開催された高校野球フェスタで長良川球場のレフトスタンドの屋根に推定150メートルの特大弾を叩き込むなど6試合で5本塁打を放って名前を売った。

横浜入団
3年春から投手にも挑戦し140キロ台後半を記録。最後の夏はエースで4番としてチームを初めての県大会決勝まで導くと、決勝の常総学院戦でも8回を6安打1失点に抑え込んだが、打撃では4打数0安打に倒れるなど結果を残せず鈴木 昭汰に完封負けで甲子園出場はならなかった。高校通算63本塁打。同年のドラフト会議で横浜から5位指名を受けて入団した。入団時の筋力測定ではベンチプレス130キロ、スクワット230キロという最近30年間の高卒新人では最高の数値をはじき出した。

三振記録更新も
春季キャンプでは2軍キャンプを視察したラミレス監督から「18歳とは思えないパワー」と絶賛されて1軍に合流、阪神との練習試合では初打席でバックスクリーンに初ホームランを叩き込んだ。だがシーズンの幕が開けると変化球への対応に苦しみ2軍で打率2割前後、5割に迫る三振率とプロの壁にぶち当たった。一時は三振を恐れてスイングが小さくなったが、引き付けて逆方向への強い打球を意識した9月に月間5本塁打と飛躍し目標としていた10本塁打に到達、114試合に出場して打率.201でイースタンリーグ記録を41も更新する181三振(三振率.469)ながら期待を抱かせるシーズンとなった。

史上初のデビューから2試合連発
イースタンリーグ終了後の10月3日に一軍へ昇格すると同日の中日戦で5番ライトで起用されて初回の二死一、三塁のチャンスで打席に入ると1-0からの一軍初スイングでバックスクリーンにスリーランを叩き込む衝撃のデビューを飾った。高卒ルーキーの初打席初本塁打は史上7人目で球団では初、また決勝弾となったのは史上初の快挙だった。さらに翌日のシーズン最終戦でも5回裏にライトスタンドに決勝ソロを運んで2リーグ制以降では初の高卒新人デビューからの2試合連発を記録した。

ポストシーズンでも活躍
シーズンでは6打席に立って2本塁打1四球で3三振という長距離砲らしい成績を残したが、ヤクルトの山田以来となる高卒新人野手出場となったCSでも四球、三振、四球、三振、タイムリーヒットと「出塁か三振」を継続して話題になった。セでは中日の立浪以来29年ぶりの高卒新人出場となった日本シリーズでは初戦の9回表に寺原から高卒新人野手初となる初打席初安打を記録(投手の工藤が記録しているので二人目)、第2戦では史上6人目の高卒新人野手スタメンとなる7番DHに抜擢されたが2回表の一死一、二塁で空振り三振、第2打席では初めての三振以外のアウトとなるファーストゴロに倒れて途中交代となった。だが第5戦では代打で右中間へツーベースを放って清原以来となる史上7人目の高卒新人の長打を記録した。

4戦連続打点
18年には年明け早々にラミレス監督から梶谷と並んで7番ライトの開幕スタメン候補に指名されるなど飛躍が期待されたがキャンプの練習試合で結果が残せず2軍降格、イースタン・リーグでも前半戦は打率.211で三振率.385と苦しみ、6月下旬からの1か月間は二軍戦にも出場せず打ち込みに費やした。前年同様9月に状態を上げて、2日からの5試合で21打数10安打を記録して11日に1軍昇格。いきなり同日の広島戦で7番ライトを任されるとジョンソンから先制打を含む2安打を放って見せた。翌日には6番に昇格して先制ソロを放って前年からデビュー戦から4戦連続打点というドラフト制度以後では初の快挙を成し遂げ(。しかも全て先制、勝ち越し、先制、先制という肩書付きの打点だった)。だがその後は課題の三振を量産して登録抹消となってしまった。

ファーム月間MVP
19年も二軍で開幕を迎えたが、6月21日に横浜スタジアムで開催された2軍戦で140メートルの場外弾を放つなど6月にイースタンリーグで月間打率.322、5本塁打、14打点を記録してファーム月間MVPに選出された。7月6日に昇格を果たすと、スタメンで起用された同日の巨人戦は3タコに終わったが、翌日には同点タイムリーを含む2安打を放った。前年までと比較するとミート重視の打撃でまずまずの成績を残したが、順位決定後の9月27日巨人戦では4番を任されたが4打数4三振を記録するなど、72打数で24三振、長打も3本と飛躍はならなかった。

2軍で三冠
20年はイースタンリーグで8月から大幅に状態を上げて8月26日に一軍昇格、翌27日の広島戦で6番で起用されて逆転につながるセンター前ヒットと初盗塁を記録、9月2日の巨人戦では右打者を25打数0安打に抑え込んでいた高梨からライトフェンス直撃のツーベースを放った。オースティンの復帰に伴って9月12日に抹消となったが、10月30日に再昇格を果たすと11月1日の阪神戦でファウル落球後の打ち直しでレフトスタンドの最上段に運ぶ特大ソロを放った。同年は1軍では19試合出場に留まったが、2軍ではリーグダントツのOPS.995(2位は869)という圧巻の成績を残し、本塁打、打点、出塁率の三冠にも輝いた。また10月〜11月に長打率.807を記録してイースタンリーグ史上初の2度目の月間MVPに選出された。

中日移籍
21年はコロナウイルスの影響でオースティンら外国人選手の来日が遅れた事もあって開幕1軍に残ったが、9打数0安打で4月12日にオースティンらと入れ替わりで抹消となった。同年も2軍ではOPS.968という圧倒的な成績を残したが、1軍では39打数6安打で打率.154とブレイクはならなかった。22年は開幕から全て代打で11打席連続凡退を記録、12打席目に四球を選ぶと15打席目に初ヒットをホームランで記録したが、翌日のスタメンのチャンスは生かせず同年は1安打のみでシーズンを終えた。オフに第1回現役ドラフトで中日から指名されて移籍、中日からは初本塁打を放った笠原が横浜から指名されて移籍というトレードのような形になった。

大ブレイク
中日では飛躍のきっかけとなる和田コーチと出会いに恵まれて打撃フォームを大きく変更、開幕第2戦で代打で移籍後初打席初安打を記録すると、翌日にはスタメンを任されて8回表に同点タイムリーを放った。4月8日の横浜戦では代走ながらハマスタ凱旋を飾って大きな拍手を受けると、11日からクリーンナップを任されて16日の巨人戦では2安打2打点でお立ち台に上がった。不慣れなファーストでも倉本から譲り受けたファーストミットで必死に守り、23日の阪神戦では逆転タイムリーを放ってお立ち台、5月5日の巨人戦でも8回裏の逆転打を含む3安打でお立ち台、13日のヤクルト戦で待望の移籍後初本塁打を放つと、21日の巨人戦では三上からツーランと大ブレイクを果たした。

バウアー
5月27日の横浜戦ではワールドクラスのバウアーから2本塁打を放つとツーベースを含む4安打も放ってサイクル越えを達成した。5月にはリーグトップの打率.360、59塁打を記録して月間MVPに選出されると、同賞の発表日だった6月8日に4番を任されて3安打3打点でお立ち台と勢いは止まらず一時は打点王争いで上位につけた。オールスターにも選出されてHRダービーにも出場、バウアーが細川のタオルを掲げて応援した事もあって大きな話題になった。

球団13年ぶりの大台
7月には数字を落としたが25歳の誕生日の8月4日ヤクルト戦で2本塁打6打点を記録して球団通算5500勝試合でお立ち台に上がり、9月2日の広島戦では球団の日本人選手としては師匠の和田以来となる13年ぶりの20本塁打に到達、同年には140試合に出場して打率.253、リーグ4位の24本塁打、5位の78打点、球団新記録となる161三振というチームNo1の打撃成績を残した。


初記録
初出場 2017年10月3日中日戦
初安打 2017年10月3日中日戦:笠原から
初本塁打 2017年10月3日中日戦:笠原から
初打点 2017年10月3日中日戦:笠原から
初盗塁 2020年8月27日広島戦
記録達成日
月間MVP 23年5月






17 18 19 20 21 22 23 24
オールスター 2回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 2 5 2 2 0 0 2 8 4 0 0 0 0 1 0 3 0 0 .400
18 横浜 11 18 2 4 1 0 1 8 2 0 0 0 0 3 1 11 0 0 .222
19 横浜 36 72 9 16 2 0 1 21 10 0 0 0 1 8 2 24 1 1 .222
20 横浜 19 51 6 12 2 0 1 17 1 1 0 0 0 2 1 20 1 0 .235
21 横浜 37 39 3 6 1 0 0 7 1 0 0 0 0 3 2 13 0 0 .154
22 横浜 18 19 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 1 0 9 0 0 .053
23 中日 140 518 62 131 30 1 24 235 78 0 0 0 1 49 8 161 17 4 .253
球団 6年 123 204 23 41 6 0 6 65 19 1 0 0 1 18 6 80 2 1 .201
通算 7年 263 722 85 172 36 1 30 300 97 1 0 0 2 67 14 241 19 5 .238


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 4 4 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .500
通算 1年 4 4 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .500


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 5 3 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 0 2 0 0 .333
通算 1年 5 3 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 0 2 0 0 .333


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 2回 4 12 0 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 0 0 5 1 0 .111


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 114 388 42 78 14 2 10 126 33 4 2 4 41 182 7 3 .201
18 横浜 81 286 29 66 8 3 8 104 29 6 0 1 41 122 8 4 .231
19 横浜 73 270 47 79 19 1 15 145 51 3 0 4 34 75 9 2 .293
20 横浜 64 214 41 68 6 2 13 117 53 7 0 3 53 62 1 2 .318
21 横浜 56 186 38 52 9 0 16 109 32 2 0 2 32 39 3 0 .280
22 横浜 62 207 32 57 10 0 11 100 28 0 0 2 25 56 6 0 .275
23 中日 2 9 1 3 1 0 1 7 1 0 0 0 0 2 0 0 .333
通算 7年 452 1560 230 403 67 8 74 708 227 22 2 16 226 538 34 11 .258