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監督
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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全選手
MLB記録
タイトル
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今永 昇太
21
名前
いまなが しょうた
生年月日
1993年9月1日
経歴
北筑高−駒澤大−横浜(15年D1位)−カブス
入団年
15年ドラフト1位
在籍年
16年−23年
背番号
16年−23年[21]
投打
左投げ左打ち
守備
投手
:
教師一家に生まれる
:
北九州市内の学校で校長を務めながら大型バイクのハーレーを乗り回す父親と、同じく中学校で音楽教師を務める母親との間に生まれる。小学校1年でソフトボールを始めて、中学では軟式野球部に入部。目立つピッチャーではなかったが、地元の進学高である北筑高に進むと1年秋からマウンドを任されて県ベスト8入り。2年春にもベスト8入りを果たしたが、その後に調子を落として2年夏は1回戦でコールド負け、2年秋も3回戦で敗退と思ったような結果が残せなかった。この頃から何をしなければいけないのかを考えるようになった今永は肩甲骨を意識したトレーニングを開始してスピードが増し、3年春も1回戦負けとはなったが14奪三振を奪って手応えをつかんだ。
:
駒沢へ進学
:
進学校ということもあって一日の練習時間は2時間半程度に限られていたが鍛える箇所をイメージしながらトレーニングを積んで1年時には126キロだった球速が140キロを超えるまでにアップ、北九州市長杯では3試合連続完封を記録するなど3イニングを投げて1失点に抑えてスカウトの注目を集めた。3年夏は2回戦の戸畑戦で1対1で迎えた9回裏に自らのツーベースでサヨナラ勝利を飾り、母親が初めて見たという涙を流した。3回戦でも完封勝利を飾るなどプロ入りも見えてきたが、プロ志望届は出さずに駒沢大へ進学した。
:
6勝
:
駒沢大では1年春の日大戦で初登板、8回二死からマウンドに上がるといきなり死球をぶつけたが、バッテリーを組んだ戸柱の「ど真ん中真っすぐ」のサイン通りにオールストレートで4者連続三振という衝撃のデビューを飾った。2年春には専修大戦で7回までノーヒットに抑えて初勝利を自責0の完投で飾った。するとそこから6連勝を記録して最優秀投手に選出された。
:
6敗
:
2年秋は一転して完璧なピッチングを追い求めた事が裏目に出てピッチングが窮屈になり1勝6敗と大幅に負け越し、チームも最下位で東洋大との入れ替え戦となったが、入れ替え戦では開き直った今永が初戦で15奪三振を奪って3安打完封、第2戦もリリーフで2回を投げて5奪三振という好投を見せて一部残留を勝ち取った
:
MVP
:
3年春はリーグタイ記録の3試合連続完封を記録したが球数を使いすぎて試合終盤にスタミナ切れを起こすことが多かったため」、「力で押すだけでなく、バッターが何を考えているか、アウトカウント、試合の状況全てを考慮した根拠ある配球」を研究、それが実った3年秋には6完投を記録し、自己最速の148キロも計測するなど7勝2敗、防御率1.67を記録してチームを優勝へ導き、MVPに選出された(同シーズンの89奪三振は史上4位)。明治神宮大会でも14イニングを投げて1失点に抑えて全国制覇に大きく貢献した。
:
故障
:
3年時までは競合必死のドラフトの目玉だったが、ドラフト会議を迎える2015年には春先の日本代表合宿で左肩を痛めて離脱し、春のリーグ戦は登板なしに終わった。秋の日大戦で延長12回裏に復帰登板を果たして1回を無失点に抑えると、1年ぶりの先発となった専修大戦では8回を投げて8奪三振を奪ったが4失点を喫して敗戦、今永は「『復帰』じゃなく『復活』にしないと」とコメントした。ふがいなさからプロ志望届を出すか社会人へと進むか悩んだが「社会人に行くためにやってきたのか?」と自問自答してプロ入りを決断し、横浜から1位指名を受けた。
:
入れ替え戦で敗れる
:
ドラフト後に行われた入れ替え戦は親友でもありヤクルトから1位指名を受けた東洋大のエース原 樹里と史上初めてドラフト1位同士が入れ替え戦で投げ合うという大一番となった。初戦は今永が3安打、12奪三振という復活の完封勝利を記録したが、1勝1敗で迎えた第3戦では7四球を与えながら1失点で粘った原に対して今永は6回途中11安打で9失点KOとなり二部降格となってしまった。今永は「あの時、勝っていた人生と、負けた人生。両方の道があると思いますけど、現実にいるのは負けてしまった自分なので。それを正解にするのも不正解にするのも自分だと思っています。僕は幸いにも野球でそれを取り返すことができますから」とコメントした。
:
援護得られず
:
ルーキーイヤーは練習試合からオープン戦にかけて雨天中止となった試合を含めて14イニング連続無失点に抑える圧倒的な成績を残して、球団のルーキーとしては斎藤 隆以来24年ぶりとなる本拠地での開幕戦を任されることになった。開幕前に目標を尋ねられた今永は「先に到達点を決めるのではなく、積み上げていった結果が納得いく数字になればいい」と新人とは思えない意識の高さを見せたが、巨人とのホーム開幕戦では7回を被安打5も3被弾で4失点、続く4月5日の中日戦では7回を3安打、無四球も犠牲フライで1失点、14日の阪神戦では6回途中3失点、22日の巨人戦では7回1失点と好投を続けながら、4試合での援護点がダブルスチールで上げた1点のみで守っても失点につながる致命的な守備のミスが3つという悲劇的な試合が続いて初勝利は掴めなかった。
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負けた投手の名は残らない
:
4月29日の阪神戦では初回から3者連続三振を奪うなど4回までに無安打、1四球で9奪三振という日本記録を超えるペースで奪三振を量産したが、1対0で迎えた5回裏に二死走者なしから鳥谷を四球で歩かせてしまうと、続く陽川にバックスクリーンへツーランを叩き込まれて逆転、続投した今永は6.2回で球団記録にあと1つに迫る14奪三振を記録して追加点も阻止したが、打線が無死三塁を逃すなど援護点を奪えず敗戦。この時点で 防御率はリーグ5位の2.45にもかかわらず0勝4敗という悲劇的な勝敗となったが、今永は不運を嘆くどころか「負けた投手の名は残らない」、「『援護がない』と言うのは防御率0点台の投手が言うこと」、「エースを目指すなら、味方のミスもカバーできる存在にならないと」という数々の名言を残してファンの心を掴んだ。
:
54年ぶりの月間4勝
:
雨天の中で行われた5月6日の広島戦では初回に2四球を与えるなど毎回のようにピンチを背負ったが粘り続けて7回を無失点に抑えると、打線も駒大の先輩である白崎、戸柱がタイムリーを放ち、今永自身もスクイズを決めるなど6対0で快勝、待望の初勝利を掴んだ今永は「今日は広島に勝ったというより、過去の自分に勝つことができた」と大きな壁を乗り越えた喜びを語った。すると14日の阪神戦では5回一死まで無安打に抑えるなど6回1失点、打席でも粘って四球を選び得点に繋げるなど投打の活躍で連勝、21日のヤクルト戦でも7回3安打に抑えて1失点、28日の広島戦でも7回途中1失点と好投を続けて球団の新人としては54年ぶりの月間4勝を記録した。
:
抹消
:
5月終了時点で防御率1.66と新人王レースを独走していたが、6月に入ると4日のロッテ戦で3回表二死から連続四球からの4連続タイムリーを浴びて3回5失点で降板、続く11日のオリックス戦では6回を3安打無失点に抑えて、球団史上初の新人投手による先発での5連勝を記録したが、18日の楽天戦ではルーキーのオコエに初本塁打を許すなど4回4失点でKOとなり登録抹消となった。オールスターゲームにはファン投票でも選手間投票でも菅野に次ぐ2位という高い評価を受けたが、疲労からの復活に時間がかかり球宴選出はならなかった。
:
CS争いの中で連勝
:
復帰戦となった7月24日の巨人戦では村田、ギャレット、小林とイニング3被本塁打を喫して7失点KOとなったが、8月7日の中日戦では7回を1失点に抑えて久々の白星を記録。その後は14日の広島戦で8回3失点、21日の中日戦で7回1失点、28日の巨人戦では1時間15分の雨天中断を挟みながら6回2失点、9月4日の阪神戦で7回無失点と好投を続けながら白星を逃し続けたが、ローテをずらして任されたCSを争うヤクルトとの直接対決では7回を2安打に抑えて勝利に貢献、勝てば球団初のCS出場が決定する19日の広島戦では6.2回を1失点に抑えてCS出場を掴み取るなど正念場で連勝、CSでもファーストステージの第2戦を任されて7回1失点とエース格の活躍を続けた。だがCSファイナルでは不運な判定もあって初回6失点と打ち込まれて悔しい幕切れとなった。
:
1安打で初完封
:
17年はホーム開幕戦を任されて巨人のエース菅野と投手戦を演じたが7回表に両足をつって降板、中7日で4月12日の阪神戦に登板したがスピードを欠いて4回表にイニング5安打、3四球という大炎上で6失点KO、心配されたが19日の広島戦で半年前のCSで涙を流したマツダスタジアムのマウンドに上がると、初回の無死から菊池にセンター前ヒットを許した以降は1本のヒットも許さず9イニングを投げ抜いて初完封勝利を達成、1安打完封は球団13年ぶりで初回無死からの1安打のみでの完封勝利はプロ野球史上19年ぶりの快挙だった。
:
10勝
:
4月29日の広島戦で3被本塁打を浴びるなど横浜スタジアムでは5月まで6試合に登板しながら0勝3敗で防御率5.20と苦しんだが、5月28日の阪神戦からプレートを踏む位置を三塁側に変更して右打者への内角への精度を高めると以後は投球が安定し、6月11日の西武戦で1失点完投を記録して手応えをつかんだ。続くヤクルト戦で完封を記録すると、7月2日の巨人戦ではかつての同僚山口との初対戦で5回無失点に抑えて大勝、続く広島戦は代打バティスタに逆転弾を浴びて7回2失点で敗れたが、因縁の原との初対決となった7月17日のヤクルト戦では投げては6.1回を無失点、打っては先制に繋がるヒットという一人舞台で素晴らしい投手戦を制して雪辱を果たした。するとそこから5連勝を達成して8月17日にして球団の左腕としては12年ぶりの10勝に到達した。
:
日本シリーズで二桁奪三振
:
投手タイトルも視野に入ってきたが西武の菊池が二段モーションで反則投球と判定された事が影響したのか、8月下旬から投球フォームを変更すると大幅に数字を落として11勝7敗、防御率2.98に留まった。CSでも豪雨の中で強行された阪神とのファーストS第2戦で3回3失点でKOされてしまったが、広島とのファイナルSではラミレス監督からジョーカーに指名されて第4戦に中継ぎ登板し2イニングをパーフェクトに抑えて日本シリーズ進出に貢献。日本シリーズでは第2戦に登板して6回1失点で史上20人目(セ4人目)の10奪三振を記録、続く第6戦でも7.0回を2安打、3四球で2失点に抑えてダルビッシュ有以来史上2人目となる2試合連続二桁奪三振を達成する圧巻のピッチングを見せたが共に勝利には届かなかった。
:
まさかの迷宮入り
:
18年はキャンプ序盤から140キロを超えるストレートを投げ込み、2段モーションの規制緩和や新たに習得を目指した高速カーブなどもあって更なる飛躍が期待されたが、3月中旬に左肩の違和感を訴えて離脱、すぐにブルペン投球を開始するなど当初は軽傷と思われていたが、4月24日になってようやく一軍合流、同日の広島戦で自らのエラーもあって5回7失点を喫すると、続く阪神戦も4回6失点でKOされて抹消となった。一か月の調整期間を経て6月1日に復帰したがソフトバンク打線に打ち込まれて3回6失点と暗闇の中に迷い込んだ。
:
5試合連続KO
:
6月10日の日本ハム戦では豪雨の中で四球と暴投や、味方の拙守で先制を許したが5回を3失点にまとめて雨天コールドで勝利投手になった。28日の阪神戦では拙守に苦しみながらも7回を6安打2四球で2失点に抑えると、7月5日の巨人戦で6回3失点で2勝目、11日の中日戦では7回2失点と復調したかに思われたが、その後に再び状態を落とし、8月19日の広島戦で4回途中7失点でKOされてしまうと、そこから5試合連続で5回を投げ切れず防御率が7点台まで上昇、9月下旬からはリリーフで起用されたがシーズンを通して制球が甘く、球速は出ていたがストレートを打ち込まれる試合を多く最後まで復活の足掛かりを掴めなかった。
:
オーストラリアで復活
:
オフには主力投手としては異例のオーストラリアのウインターリーグに参加。秋季キャンプから修正した投球フォームを固めてストレートの威力が戻り、6試合に先発して防御率0.51、レベル差があるとはいえ35回で被安打14、1四球で57奪三振という圧巻の成績を残した。キャンプ、オープン戦でも評価を高めて初の大役を任された開幕戦では中日打線を8回5安打1四球で無失点、3年ぶりの2桁となる11三振を奪い、0対0で迎えた7回裏に自ら先制につながるレフト前ヒットを放つ一人舞台でラミレス監督から「全てがパーフェクト。きょうは彼の日だった」と絶賛された。続く巨人戦は菅野に投げ負けたが、4月12日の広島戦では1安打1四球で完封勝利、さらに翌週の広島戦でも7回無失点、25日の阪神戦で7回2失点、5月2日のヤクルト戦で8回無失点と相手打線を圧倒した。
:
月間MVP
:
5月10日の広島戦では同カード21イニング目にして失点こそ喫したが5回一死までノーヒットに抑え込み、全力疾走の内野安打で追加点も奪うなど躍動、17日のヤクルト戦では拙守に足を引っ張られながらも6.1回3失点、続く阪神戦は6四死球の乱調となったが、31日のヤクルト戦では7回を3安打2四球で無失点、11三振も奪って球団の左腕投手では間柴以来44年ぶりとなる5月までに6勝を達成、投手タイトルでも主要部門でトップに立ち、初の月間MVPも受賞、6月7日の西武戦では5失点ながら強打の西武打線から12三振を奪うと、千賀とのセパの防御率1位対決となった14日のソフトバンク戦では凄まじい集中力で5回二死までパーフェクトに抑え込むと、ソトの満塁弾で勝ち越した直後の6回裏に追い上げは許したが投げ勝って地元福岡でお立ち台に上がった。
:
エース
:
7月5日の巨人戦では山口との防御率1位2位対決で5回一死までパーフェクトに抑えたが、四球から若林のツーランで追いつかれると、6回表の打席でへ粘って四球を選ぶ執念を見せたが、その裏に山口のツーベースから勝ち越しを許して敗戦となった。初めて選出された球宴では自己最速の152キロを投じるなど22球中21球でストレートで2回をパーフェクトに抑えた。シーズン中盤には状態を落としたが7月25日の阪神戦では4安打完封、8月18日の広島戦でも1対0の投手戦を制して5安打完封と復調、25日の巨人戦では投手タイトルを争う山口に6回2安打2四球無失点で投げ勝って沢村賞の有力候補になった。
:
無冠
:
9月1日の広島戦では粘って7.1回を2失点に抑えてリーグ単独トップの13勝目を記録、左腕史上初の投手5冠も視野に入ったが、首位攻防の大一番となった10日の巨人戦では5回まで1安打に抑えながら、6回表に不運な判定で四球を出した直後に岡本に初球逆転弾を浴びて敗戦、19日の広島戦では長野のスリーランなどでまさかの4.1回7失点KO、シーズン最終戦では最多奪三振を目指して8回途中まで続投したが2戦連続の7失点と大幅に数字を落としてノータイトルに終わった。CSではラミレス監督から「JOKER」に指名されて勝負所での中継ぎ起用となったが、接戦となった第3戦では登板機会がないままファースト・ステージ敗退となった。オフの世界大会プレミア12ではメキシコ戦で6回を1安打に抑えて世界一に貢献した。
:
7連続K
:
20年はコロナウイルスの影響で開幕が延期となり、目標の一つとしていた東京五輪も中止となった。3か月遅れでの開催となった開幕戦は大瀬良との投げ合いとなったが、その大瀬良にタイムリーを打たれて敗戦投手となった。だが西との息詰まる投げ合いとなった翌週の阪神戦では8回を無失点に抑えて投げ勝つと、その後もエースとしてチームを引っ張り、8月1日の阪神戦では勝ち越し点を貰った直後の5回裏を三者三振に抑えると、6回裏にはサンズ、大山、ボーアのクリーンアップを全員空振り三振に斬って取って6者連続奪三振、さらに7回裏に梅野を空振り三振に抑えてリーグ史上2位タイとなる7者連続奪三振を記録した。
:
手術
:
8月8日のヤクルト戦でも5.2回を村上のツーランのみに抑えて3連勝、チームも首位巨人に2.0ゲーム差の2位につけるなど優勝への期待が徐々に高まっていたが、15日のヤクルト戦でピッチャー小川へのストレートの四球や自らの拙守などで自滅して3.1回6失点KO、動揺した打線は小川にノーヒットノーランを許し、今永は翌日に左肩の違和感で抹消となった。エースを失ったチームは上位争いから後退し、当初はシーズン中の復帰を目指していた今永も10月5日に左肩のクリーニング手術を受けてシーズンを終えた。
:
309日ぶり
:
21年は3月31日に2軍戦で228日ぶりに実戦復帰、徐々に球数を増やして5月23日に1軍昇格、同日のヤクルト戦はストレートが走らず3球で先取点を奪われると連続四球もあって初回に3失点、5回裏には村上に特大弾を浴びるなど4.1回6失点KOとなったが、続く楽天戦では6回7安打3四球ながら1失点に抑えると、続くロッテ戦では球速も戻って6回4安打1四球で1失点と状態を上げた。そして迎えた6月13日の日本ハム戦では万波に初本塁打となるソロこそ浴びたが、7回を4安打1四球で危なげなく抑えて309日ぶりの白星を挙げた。
:
好投も
:
前半戦の最終戦となった7月14日の阪神戦では投げては7回を4安打1四球で10奪三振、打ってはタイムリーを含む2安打、牽制球でも走者を刺してピンチを回避するなど高い集中力を見せて勝利に貢献。後半戦に入っても好投を続けたが8月22日の巨人戦で6回まで2安打無四球も、7回裏に中田とウィーラーに連続ホームランを被弾して追いつかれると、ライバル原との投げ合いとなった29日のヤクルト戦では4回までパーフェクトに抑えて、5回表の打席ではレフト前ヒットを野手が後逸する間に三塁を狙う激走を見せたが、その裏に先取点を許して6回1失点ながら敗戦投手と白星は伸び悩んだ。
:
13奪三振
:
駒沢大学時代の同級生で8月3日に急逝した中日の木下さんの追悼試合として開催された9月5日の中日戦では7回3安打1四球で無失点に抑えると、続く阪神戦では初回に不運な失点こそあったが8回を6安打無四球で1失点に抑えて11奪三振、さらに続く中日戦で4安打無四球で1失点完投、10月3日の巨人戦でも7回を3安打2四球で全て空振りで13個の三振を奪うなど圧巻の投球を続けた。同年は5勝5敗ながら120回以上を投げた投手の中では奪三振率8.25、WHIP1.03は共にリーグ2位という好成績を残し、打撃でも自身初のシーズン10安打を記録するなどエース復活を印象付ける1年となった。
:
ノーヒットノーラン
:
22年はキャンプで左前腕の肉離れという珍しい症状で離脱、1軍復帰は5月までずれ込んだが、復帰第2戦となった5月17日の中日戦では力強いストレートで空振りを量産して4安打1四球で13奪三振という圧倒的な内容で完封勝利を達成、6月7日の日本ハム戦では2回裏に清宮に四球を与えたものの斎藤コーチが「何も言うことがない」というほど完璧な立ち上がりを見せると、6回裏には唯一のヒット性の打球となった今川のピッチャー返しを自ら好捕して無安打無失点ピッチを継続、9回表に宮崎のタイムリーで待望の先取点をもらうと、その裏もストレートで連続見逃し三振を奪って球団史上52年ぶりとなるノーヒットノーランを達成した。今永は「何者でもない、いち投手をみんながこういった結果に導いてくれました」と独特の表現で喜びを表した。
:
65年ぶり
:
快挙から13日後に父・孝司さんの死去が発表され、その前後に3試合連続で大量失点が続いたが、7月8日の巨人戦では6回二死まで無安打無四球で1死球のみのノーノーピッチを継続、吉川にセンター前ヒットこそ許したが8回を投げて1安打無四球に抑え込んだ。8月には9日の阪神戦で9回を4安打無四球で投げ抜いて2失点に抑えると、9回裏に今永への代打太田がサヨナラヒットを放って勝利投手になるなど連戦連勝、16日の巨人戦では7回1失点で「投げ勝つことが目標だった」という菅野相手に初めて白星を上げ、30日の中日戦では8回無失点に抑えて球団左腕では権藤正利以来65年ぶりとなる月間5勝を記録、防御率1.25も評価されて月間MVPに選出された。
:
首位攻防戦でも好投
:
優勝へのわずかな可能性を残した9月には12日に行われたヤクルトとの首位攻防戦に中5日で先発して7回1失点、打っても2点タイムリーを含む2安打を放った。敗れればヤクルトの優勝が決定する25日の直接対決でも圧巻の内容で7回を零封して意地を見せた。共にリーグ3位となる11勝、防御率2.26、1位のWHIP0.94を記録してチームの快進撃に大きく貢献した。CSでもファーストステージの初戦を任されたが0対0で迎えた5回表にピッチャー青柳のヒットから先取点を許して敗戦投手となった。
:
WBC決勝で先発
:
23年は日本代表としてWBCに出場、当初は第2先発としての起用だったがアメリカとの決勝戦で先発を任されて2回4安打ながら1失点に抑えて大役を果たした。またMLB球での回転数がMLBトップクラスの2658を記録してアメリカ球界からの評価を高めた。帰国後はNPB球に適応した投球フォームに戻す作業に時間を要したが、初登板となった4月21日の広島戦で8回零封、続く中日戦で7回4安打1四球で12奪三振を記録、5月には強風などの不運もあって数字を落としたが、6月には3日のソフトバンク戦で8回1安打、13日の日本ハム戦で7回2失点、23日の阪神戦で1失点完投、30日の中日戦で8回1失点と好投を続けてチームの首位浮上に貢献した。
:
奪三振
:
7月にはさらに状態を上げて7日の巨人戦で2回裏二死からリーグ記録にあと一つに迫る7者連続奪三振を記録すると、1点リードの7回裏には一死二、三塁のピンチを背負ったが連続三振で切り抜けて球団タイ記録となる15奪三振を記録、15日の広島戦では8回無失点、25日の中日戦では8回1失点という圧巻の投球を続けた。だが8月1日の広島戦で足をつって降板すると暗転、足をつりにくい投球フォームへの修正を試みたが続く中日戦で初回4失点、16日のヤクルト戦で6失点、22日の広島戦でも初回4失点と意識の高さが裏目に出て1点台だった防御率が一気に悪化した。
:
メジャーへ
:
8月29日の阪神戦では制球に苦しんだが球威が戻って7回3安打5四球で無失点に抑えると、9月6日の広島戦では球団の投手としては63年ぶりに1試合でスリーベースとツーベースを放った。13日の中日戦では27人のメジャースカウトが集結する中で11奪三振を記録して球団最速(史上8位)のスピードで1000奪三振に到達した。同年は8月以降は白星は記録できず22試合の登板で7勝にとどまったが174奪三振で最多奪三振を受賞、オフにはポスティングシステムでMLBに挑戦。
初記録
初登板
2016年3月29日巨人戦
初勝利
2016年5月6日広島戦
初奪三振
2016年3月29日巨人戦:長野から
初完投
2017年4月19日広島戦
初セーブ
記録達成日
1000奪三振
2023年9月13日中日戦ブライトから
1000投球回
2023年9月30日ヤクルト戦
その他の記録
ノーヒットノーラン
2022年6月7日日本ハム戦
月間MVP
19年5月、22年8月
16
17
18
19
20
21
22
23
最多奪三振
●
1回
オールスター
●
●
2回
投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
16
横浜
22
0
0
8
9
0
135.1
108
16
38
2
136
1
0
47
44
2.93
17
横浜
24
3
2
11
7
0
148.0
115
13
52
5
140
3
0
49
49
2.98
18
横浜
23
1
0
4
11
0
84.2
108
18
38
4
80
6
0
77
64
6.80
19
横浜
25
3
3
13
7
0
170.0
128
18
56
4
186
2
0
59
55
2.91
20
横浜
9
0
0
5
3
0
53.0
47
2
17
1
63
2
0
24
19
3.23
21
横浜
19
1
0
5
5
0
120.0
97
16
26
4
110
0
0
43
41
3.08
22
横浜
21
3
2
11
4
0
143.2
106
14
29
3
132
3
0
37
36
2.26
23
横浜
22
2
0
7
4
0
148.0
132
17
24
4
174
2
0
46
46
2.80
通算
8年
165
13
7
64
50
0
1002.2
841
114
280
27
1021
19
0
382
354
3.18
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
16
横浜
22
36
0
5
0
0
0
5
1
0
0
5
0
2
0
13
0
1
.139
17
横浜
24
43
2
6
0
0
0
6
0
0
0
4
0
2
0
18
0
1
.140
18
横浜
23
23
1
4
0
0
0
4
1
0
0
1
1
1
0
9
0
1
.174
19
横浜
25
43
2
7
0
0
0
7
1
0
0
11
0
2
0
9
2
1
.163
20
横浜
9
18
0
2
0
0
0
2
0
0
0
0
0
1
0
8
1
2
.111
21
横浜
19
37
1
10
1
0
0
11
3
0
0
2
0
1
0
12
1
1
.270
22
横浜
21
38
2
7
1
0
0
8
4
0
0
8
0
1
0
9
1
0
.184
23
横浜
22
38
2
10
2
1
0
14
3
0
0
7
0
0
0
10
0
0
.263
通算
8年
165
276
10
51
4
1
0
57
13
0
0
38
1
10
0
88
5
7
.185
日本シリーズ投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
17
横浜
2
0
0
0
0
0
13.0
7
1
5
0
21
0
0
3
3
2.08
通算
1年
2
0
0
0
0
0
13.0
7
1
5
0
21
0
0
3
3
2.08
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
17
横浜
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
1年
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
クライマックスシリーズ投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
16
横浜
2
0
0
0
1
0
8.0
8
2
6
0
9
0
0
7
7
7.88
17
横浜
2
0
0
0
0
0
5.0
4
1
2
0
8
0
0
3
3
5.40
19
横浜
2
0
0
0
0
0
3.0
3
0
0
0
1
1
0
1
1
3.00
22
横浜
1
0
0
0
1
0
5.0
7
0
2
0
3
0
0
2
2
3.60
23
横浜
1
0
0
0
0
0
5.0
4
2
1
0
3
0
0
2
2
3.60
通算
5年
8
0
0
0
2
0
26.0
26
5
11
0
24
1
0
15
15
5.19
クライマックスシリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
16
横浜
2
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
17
横浜
2
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
19
横浜
2
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
22
横浜
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
23
横浜
1
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
5年
8
9
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
4
0
0
.000
オールスター投球成績
回数
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
通算
2回
2
0
0
0
0
0
3.0
0
0
0
0
2
0
0
0
0
0.00
二軍投球成績
チーム
登板
完投
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四死
三振
失点
自責
防御率
16
横浜
3
0
0
1
0
10.0
7
0
2
16
2
2
1.80
17
横浜
1
0
1
0
0
6.0
2
0
1
6
0
0
0.00
18
横浜
6
0
1
2
0
20.2
18
0
8
20
11
7
3.05
21
横浜
6
0
3
1
0
29.1
21
2
7
30
6
6
1.84
22
横浜
3
0
1
0
0
15.0
5
0
3
19
0
0
0.00
23
横浜
2
0
0
1
0
11.0
6
1
0
14
3
1
0.82
通算
6年
21
0
6
5
0
92.0
59
3
21
105
22
16
1.57
WBC投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
23
日本
3
0
0
1
0
0
6.0
7
2
0
0
7
0
0
2
2
3.00
通算
1年
3
0
0
1
0
0
6.0
7
2
0
0
7
0
0
2
2
3.00