:外野手から投手に転向:
ドミニカ生まれ。95年にロッキーズと契約。当初は外野手として起用されていたが、00年になってもA-で打率.230で4本塁打、わずか200打数で102三振(三振率.510)と結果が残せず、01年から強肩を見込まれて投手に転向。転向初年度にA-で21試合に登板して防御率1.69を記録すると、デビルレイズに移籍した翌02年には投手転向2年目にしてMLB初昇格を果たした。
:初勝利:
MLB初登板となった4月4日のタイガース戦では9対0と大量リードした9回表のマウンドに上がったが、クルーズ、リベラに連続ホームランを被弾する苦いデビュー戦となった。初先発となった6月25日のブルージェイズ戦では翌年に横浜へ移籍するコックスのタイムリーなどで3点の援護を受けたが、四死球から崩れて3回6失点と試合を作れず降板。5試合目の先発となった7月21日のブルージェイス戦では2本のホームランを打たれながらも6回3失点でまとめると、コックスが先制犠牲フライと勝ち越しタイムリーを放ってソーサに初勝利が記録された。
:初完封:
03年は開幕から結果が残せず、5月11日のタイガース戦では1.1回で6安打、2四球で6失点と滅多打ちにあって先発から外れてしまう。だが先発に復帰した6月29日のブレーブス戦で6イニングを1失点に抑えると、続くホワイトソックス戦でも5.1回無失点に抑えて勝利投手になるなど後半戦は先発に定着。8月28日のマリナーズ戦ではイチローを空振り三振を含む3打数0安打に抑え込むなど6回1失点に抑えて勝利に貢献。翌週のマリナーズ戦ではイチローが欠場したマリナーズ打線を寄せ付けず見事に被安打4で初完封勝利を達成した。
:最高勝率:
05年には開幕を目前にした3月31日にトレードでブレーブスに移籍。リリーフ投手として防御率2点台の安定した活躍を見せると、チームの先発投手が故障で戦列を外れた6月からは先発に回って大活躍。短いイニング数ながらも着実に試合を作って白星を重ねると、シーズン最終盤の9月には首位を争うフィリーズ戦での2勝を含む4勝0敗を記録。同年にはナ・リーグの最高勝率となる勝率.813(13勝3敗)、惜しく規定投球回には届かなかったが、先発した20試合中19試合で3失点以下に抑えてナ・リーグ防御率3位のドントレル・ウィリスが記録した2.63を上回る防御率2.55という素晴らしい成績を残した。
:ポストシーズンでタイムリー:
ポストシーズンではアストロズとのディビジョンシリーズ第3戦で先発。1回裏に2点の先制を許してしまうと、2回表のチャンスで自らロイ・オズワルドから同点タイムリーを放ったが、3回裏にマイク・ラムに勝ち越しソロを運ばれて敗戦。チームも同シリーズで敗れてワールドシリーズ制覇はならなかった。
:WBCドミニカ代表:
06年にはドミニカ代表として第1回WBCに出場。2次リーグのキューバ戦ではグリエルにソロホームランを運ばれたが2試合の登板で6イニングを1失点に抑えてドミニカの準決勝進出に貢献した。だがシーズンに入ると初登板となった4月6日のジャイアンツ戦で2.1回6失点と打ち込まれるなど勝ち星なしで5連敗。5月18日のマーリンズ戦で連敗を止めたが、翌週から再び4連敗と結果が残せずリリーフ転向。当初は抑えとして起用されたが6月28日のヤンキース戦で1点をリードした12回裏にA・ロドリゲスに逆転サヨナラツーランを被弾するなど期待に応えられず7月31日にカージナルスに移籍した。
:7試合で6勝:
メッツに移籍した07年はマイナースタートとなったが、AAAで4勝0敗、防御率1.13という好成績を記録してMLBに昇格。昇格後は6月8日のタイガース戦で8イニングを4安打、無失点に抑えるなど7試合の先発で6勝という素晴らしいピッチングを続けたが7月上旬に太ももを痛めて故障者リストに入ってしまう。7月中旬に復帰したが打ち込まれる試合が続いて3連敗。7月31日からはリリーフに回って2勝を記録したが9勝8敗と二桁勝利には届かなかった。
:出場停止:
08年の開幕はメジャーで迎えたが20試合の登板で防御率7.06に終わってメッツから戦力外を受けた。その後はアストロズ傘下のマイナーで投げたが、すぐ解雇になってしまうと、マリナーズとマイナー契約を結んだが8月22日にドーピングテストでアンフェタミンが検出されて50試合の出場停止処分を受けた。09年、10年はMLBで20試合前後に登板したが、11年はメキシカンリーグで10試合に登板したがMLB登板は10年ぶりに0に終わった。
:中日入団:
12年は中日の春季キャンプで入団テストを受けるために来日。報道陣に「97マイル(156キロ)は出るよ」、「サミー・ソーサの親戚」と語り、MLBで10打数6安打と一見すると打ち込まれている印象を受ける松井
秀喜については「ゴジラとは何度も対戦した。三振も取ったしヒットも打たれたけど、ホームランはない。怖いとは思わなかった」と豪語するなどビックマウスで注目を集めた。だが入団テストが始まると初ブルペンを見守った権藤コーチが「力もあるし、制球も良い。なんでここにいるのかなという感じ」と絶賛するほどのピッチングを見せて合格を決めた。
:防御率0.00:
シーズンが始まると当初はビハインドゲームを中心に起用されたが、安定感のあるピッチングで信頼を高めて徐々に勝ちゲームを任されるようになる。4月、5対、6月と全て1失点ずつは失ったが自責点は0で6月が終わって防御率0.00という素晴らしいピッチングを続ける。7月に入っても6日の横浜戦で10回表を三者凡退に抑えると、その裏に和田のサヨナラホームランが飛び出して勝利投手、その二日後の横浜戦でも10回表を無失点に抑えて藤井のサヨナラヒットで勝利投手とチームの勝利に貢献した。。
:防御率0.18:
オールスターゲームが終わっても防御率0.00を継続したが、抑えを任された7月28日のヤクルト戦で先頭の畠山のツーベースから送りバント、スクイズという形でついに自責点を喫して、開幕からの連続自責0が32試合(40.1イニング)で終了した。その翌日からも8試合連続自責0を記録して8月26日のヤクルト戦終了時には防御率0.18という驚異的な数字を残したが、チームの順位がほぼ決定した9月11日からの横浜3連戦で3連投という不可解な起用が響いたのか、シーズンの最終盤に大幅に数字を落として最終的な防御率は1.85に留まった。
:横浜移籍:
12年オフにチームメイトのブランコ、ソトと共に史上初の3外国人選手の同一球団への移籍で横浜に入団した。開幕当初はセットアップとして起用されたが、山口の不調もあって5月18日の日本ハム戦から抑えを任されると、チームが低迷していた事もあってなかなか訪れない登板機会や複数イニング登板に苦しんだが、チームが状態を上げ始めた7月11日からは26試合連続で自責0を記録するなど素晴らしい安定感でチームの5位浮上に貢献した。
:退団:
14年は前年に150キロを計測していたストレートがオープン戦で130キロ台に留まるなど調整不足を隠せない状態で開幕を迎えてしまう。開幕後は140キロは越えるようになったがスライダーでかわすピッチングに終始して打ち込まれる試合が続いてしまう。4月20日の広島戦で左太ももを痛めてしまうと、翌日の移動日には羽田空港に集合したが「まだ万全ではない」ともらした事が中畑監督の逆鱗に触れて二軍降格となった。5月6日に昇格すると28日のソフトバンク戦では同点で迎えた9回表に二死満塁でハマスタ凱旋となった吉村と息詰まる対戦の末に空振り三振に切って取ってハマスタを盛り上げたが、翌日のソフトバンク戦では8回表に代打吉村に同点ツーランを運ばれてしまうなど不安定な内容が続いて7月3日に登録抹消となり、同年限りで退団となった。 |
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