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加賀 繁



16
名前 かが しげる
生年月日 1985年4月13日
経歴 埼玉平成高−上武大−住友金属工業鹿島−横浜(09年D2位)
入団年 09年ドラフト2位
在籍年 10年−18年
背番号 10年−18年[16]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
横浜入団
中学時代は川越ボーイズでサードと控え投手を務めて3年夏にはジャイアンツ・カップに優勝、埼玉平成高でもサードとピッチャーを兼任し、上武大から投手に専念した。谷口監督の勧めもあって1年夏にサイドスローに転向、、4年の秋に4勝無敗、防御率0.43を記録してMVPに輝いた。住友金属鹿島では1年目にJABA四国大会でMVP。09年のドラフトで横浜から2位指名を受けて入団した。

初勝利
3月31日の巨人戦で0対4とリードされた2回途中からマウンドに上がり、5回表までの3.2回を2安打、1四球に抑えて勝利に貢献。初先発となった翌週の4月4日のヤクルト戦で5回途中まで1失点に抑えて試合を作ると、4月25日のヤクルト戦で5回1失点で初勝利。だがその後もまずまずのピッチングを見せながら打線の援護が得られず5月30日のロッテ戦では8回を4安打、無四球で無失点に抑えながら、打線が渡辺俊の前に9回零封されて白星なし、続く6月6日の日本ハム戦でも7回1失点で勝ち負け無しと2勝目がなかなか上げられなかった。

3勝12敗
6月15日のソフトバンク戦で5回2失点に抑えてようやく2勝目をあげたが、その後も打線の援護が得られず8月1日終了時点では防御率2.74にもかかわらず3勝7敗と黒星が大きく先行した。また夏場に入ると加賀も調子を落とし、オールスター開けは1勝もできず6連敗。規定投球回数を超える145回を投げて防御率3.66という好成績を残しながら3勝12敗という成績に終わってしまった。

リリーフ転向で開幕戦で白星
11年はリリーフに転向して4月12日の中日との開幕戦で4対4で迎えた8回表からマウンドに上がると、和田、グスマン、ブランコと三者連続奪三振に切ってとるなど2イニングを投げて4奪三振を記録。9回裏には加賀の代打内藤が浅尾からサヨナラヒットを放って加賀に開幕戦白星が記録された。

先発再転向も
その後もリリーフとしてまずまずのピッチングを続けていたが、先発陣が崩壊したため二軍での先発調整すらないまま5月22日の日本ハム戦から先発に再転向。4回を無失点に抑えたが雨天ノーゲームとなってしまうと、中3日での先発となった26日の楽天戦で5回を無失点に抑える好投を見せた。続く6月3日のロッテ戦では8回を7安打、1四球で1失点に抑えて白星を記録したが、無理が響いたのか6月25日に右肩の張りで登録抹消となって三ヶ月近く一軍から離れることになってしまった。

横浜DeNAの緒戦で
12年は阪神との開幕戦で2点をリードした7回裏に無死一、二塁という場面でマウンドに上がると、バント失敗と森本のファインプレーで二死としたが、関本にまさかの逆転スリーランを運ばれて横浜DeNAの初勝利を消してしまった。翌日の阪神戦では代打関本が告げられた場面でマウンドに上がると直球攻めでショートゴロに打ち取って雪辱を果たした。9月29日の巨人戦では1点をリードした8回表一死一、三塁という苦しい場面で起用されてFAで巨人に移籍した村田と対戦。加賀は気迫のこもった投球で空振り三振に切って取ると珍しくガッツポーズを見せ、お立ち台では「絶対に打たせないつもりだった」と答えて大きな声援を浴びた。同年には61試合に登板して防御率2.86という好成績を残した。

先発転向も
13年は48試合に登板して防御率3.97を記録したが、先発に転向して迎えた14年は左打者対策でカーブを習得したが、同年の初登板となった5月1日の中日戦で5回表にルナ、エルナンデスに相次いでホームランを被弾するなど4.1回5失点KO。8日の巨人戦で4.0回6失点、15日の中日戦でも5回5失点と結果を残せず登録抹消となってしまった。だが再昇格後はワンポイントリリーフとして活躍、7月25日のヤクルト戦では三上の乱調で1点差の9回裏に二死二、三塁というヒットで逆転サヨナラの場面でマウンドに上がってバレンティンをキャッチャーフライに打ち取って初セーブを記録した。

外国人キラー
14年は右打ちの外国人選手を22打数3安打とほぼ完璧に抑え込み、中でもバレンティンは通算でも16打数0安打と完璧に封じて外国人キラーとして存在感をアピールしたが、15年は4月12日の中日戦で引き分けまであと1アウトに迫った12回裏に二死三塁で平田を敬遠してルナを打席に迎えた所で、対ルナ8打数1安打を記録していた加賀がマウンドに上がったが、ルナに甘く入った初球の内角ストレートをセンター前に弾き返されてサヨナラ負け。中畑監督からは「目的のないボールだった」という厳しい言葉を送られてしまうと、続く登板では巨人の橋本にツーランを浴びて登録抹消。6月2日に復帰したが4日のソフトバンク戦で松田にスリーランを喫するなど4失点で再び登録抹消。同シーズンは再昇格を果たせずわずか9試合登板に終わってしまった。

後半戦で活躍
16年はキャンプで右ひじの靭帯を損傷し出遅れたが、7月11日に昇格すると右のワンポイントとして活躍。8月4日の阪神戦では同点で迎えた6回表に無死満塁という大ピンチでマウンドに上がって、ゴメスをサードゴロでホーム経由で併殺、緒方をライトフライに抑えて無失点に抑える好リリーフを見せた。同年もバレンティンに加えて、山田、ビシエドといった名だたる右の強打者を打ち取っていたが、9月1日の広島戦では右のエルドレッドに同点ツーランを被弾してしまうなど打ち込まれる試合も目立つシーズンとなった。

左打者キラーに
17年は33試合に登板して防御率4.44を記録、前年から取り組んできた左打者対策がはまって対左打者には38打数5安打(打率.132)に抑え込んだが、5月7日のヤクルト戦では日本記録の60本塁打を放った13年も7打数ノーヒットに抑え込むなど通算20打数無安打2四球に抑え込んできたバレンティンに初ヒットを許し、中日の主砲ビシエドには5月24日に初球ホームランを被弾、7月19日にはバレンティンにソロを運ばれ、8月5日の広島戦でバティスタにツーラン、翌日にはエルドレッドに被弾と同年には外国人選手に24打数8安打(打率.333)で4被本塁打と打ち込まれて右の外国人キラーという期待された役割を果たせなかった。

バレンティンにとどめを刺される
迎えた18年は二軍では21イニングを投げて被安打6で21奪三振、防御率0.00と格の差を見せたが、一軍では大量リードを許した7月1日の広島戦で二死走者なしから6失点を記録、7月17日のヤクルト戦ではバレンティンにソロを被弾して登録抹消になった。同年限りでの引退を決断した加賀は引退会見で思い出を問われて、初勝利と並んでバレンティンとの対戦を上げて「バレンティン選手との対戦はいい思い出でもあり、苦しい思い出でもありました。今まで抑えていた分、やはり打たれると悔しかったですが、今考えてみると引き際を教えてくれたのかなという気持ちにもなりました」とライバルとの日々を振り返った。

引退試合
引退発表時点でホームのヤクルト戦が終了していた事もあって9月21日の中日戦が引退試合となり、「またいつか投げたいと思っていた」という先発のマウンドに立ち、平田を空振り三振に切って取って有終を飾った。引退セレモニーではVTRでバレンティンが登場して「加賀、バレンティンだ。加賀との対戦はすごく楽しかったよ。抑えられることが多かったけど、加賀の経歴には敬意を表するよ。ホントニ、アリガトウゴザイマシタ!」と21打数目にして初ヒットを放った際に記念ボールを求めるしぐさを見せたライバルの新たな旅立ちを祝福した。


初記録
初登板 10年3月26日阪神戦
初勝利 10年4月25日ヤクルト戦:5回1失点で
初奪三振 10年3月26日阪神戦:鳥谷から
初完投
初セーブ 14年7月25日ヤクルト戦


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
10 横浜 27 0 0 3 12 0 145.0 165 15 28 7 83 1 1 67 59 3.66
11 横浜 29 0 0 4 3 0 70.2 72 8 11 2 51 0 0 28 28 3.57
12 横浜 61 0 0 0 2 0 44.0 34 4 11 2 45 0 0 14 14 2.86
13 横浜 48 0 0 1 4 0 34.0 40 4 10 4 33 0 0 16 15 3.97
14 横浜 37 0 0 2 1 1 38.1 37 6 8 3 26 0 0 21 21 4.93
15 横浜 9 0 0 0 0 0 8.0 11 2 3 0 6 0 0 7 7 7.88
16 横浜 26 0 0 0 0 0 16.2 19 2 6 1 17 0 0 10 10 5.40
17 横浜 33 0 0 2 0 0 26.1 29 4 7 0 20 0 0 15 13 4.44
18 横浜 9 0 0 0 0 0 10.0 14 2 0 0 9 0 0 9 9 8.10
通算 9年 279 0 0 12 22 1 393.0 421 47 84 19 290 1 1 187 176 4.03


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
10 横浜 27 40 0 3 0 0 0 3 0 0 0 5 0 1 0 17 0 2 .075
11 横浜 29 13 0 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 5 0 0 .154
12 横浜 61 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
13 横浜 48 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
14 横浜 37 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .200
15 横浜 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000
16 横浜 26 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
17 横浜 33 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
18 横浜 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 9年 279 58 1 6 0 0 0 6 0 0 0 7 0 1 0 25 0 3 .103


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
10 湘南 2 0 0 0 0 14.0 13 2 2 7 6 6 3.86
11 横浜 4 0 1 1 0 18.0 10 0 1 14 3 2 1.00
13 横浜 7 0 1 0 0 7.2 6 1 2 10 3 1 1.17
14 横浜 9 0 1 0 0 20.0 19 2 3 20 5 5 2.25
15 横浜 21 0 2 0 2 26.0 20 2 4 17 4 4 1.38
16 横浜 51 0 0 0 1 9.0 4 0 1 7 0 0 0.00
17 横浜 15 0 0 0 1 14.1 9 0 2 8 2 2 1.26
18 横浜 23 0 0 0 1 21.0 6 0 2 21 0 0 0.00
通算 8年 81 0 5 1 5 130.0 87 7 17 104 23 20 1.38