加賀美 希昇
67
|
名前 |
かがみ きしょう |
生年月日 |
1988年9月5日 |
経歴 |
桐蔭学園高校−法政大学−横浜(10年D2位)−JR西日本 |
入団年 |
10年ドラフト2位 |
在籍年 |
11年−15年 |
背番号 |
11年−14年[21]:15年[67] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
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|
:法政大進学:
中学時代は捕手で桐蔭学園高にも捕手として野球部に入ったが強肩を見込まれてすぐにピッチャーに転向。2年の秋からエースになったが3年夏の県大会準決勝で横浜高校に敗れて甲子園出場はならなかった。法政大学に進学すると2年春からベンチ入り、同年の秋には先発に定着して3勝2敗、防御率1.20を記録した。
:延長14回:
2年秋の早大4回戦では斎藤祐と投げ合って試合は0対0のまま延長戦に突入。斎藤は9回限りでマウンドを降りたが、加賀美は延長13回まで無失点ピッチングを続ける。だが14回表に二死満塁という場面で上本に押し出し四球、細山田には押し出し死球をぶつけて、実に215球という力投を見せながらマウンドを降りて涙を見せた。3年春には早稲田戦の初戦で9回二死まで2対1とリードしながら杉山
翔太のタイムリーで追いつかれて引き分けに終わると、左わき腹を痛めて戦線離脱という苦難のシーズンとなった。
:世界大学野球選手権で勝利と敗戦:
10年の夏に開催された世界大学野球選手権ではケガで辞退した中大の澤村に代わって日本代表に召集された。予選ラウンドの中国戦で2イニングを1安打、4奪三振に抑えて勝利投手になったが、翌日のキューバ戦では4対4の同点で迎えた5回表にリリーフで起用されたが2安打、1四球で一死も取れずにマウンドを降りて敗戦投手になった。韓国との3位決定戦では1イニングを無失点に抑えて銅メダル獲得に貢献。4年の秋には自己最多の5勝3敗を記録。通算16勝10敗、233奪三振、防御率1.97。ドラフト会議で横浜から2位指名を受けて入団。
:初登板初勝利:
ルーキーイヤーは右肘の手術で出遅れたが9月19日にイースタンリーグのロッテ戦で復帰を果たすと、10月19日の阪神戦で一軍初登板初先発。初回に新井貴のタイムリーで先制を許したが、2回裏からは力強いピッチングで凡退の山を築く。6回表には自ら左中間を破るツーベースを放って逆転のきっかけを作ると、その裏には無死二塁というピンチを招いたが、鳥谷を空振り三振、新井貴をショートゴロ、森田をセカンドゴロに打ち取って無失点で切り抜け、6回4安打、6奪三振、無四球で見事に初登板初勝利を飾った。
:一軍昇格も:
2年目は自主トレで右足首を捻挫してキャンプは二軍スタート。開幕一軍も逃すとイースタン・リーグで好投を続けて7月5日に一軍へ昇格したが、先発した同日の巨人戦で5回7安打、3四球で5失点と打ち込まれ、高校の大先輩である高橋由が打席に入った際には帽子のつばに触って挨拶すると、続く打席でソロホームランを打たれて中畑監督に注意された。続く12日のヤクルト戦では2回6安打、1四球で4失点と早々にKOされた。二軍降格となった加賀美は投球フォームを緩急を意識したゆったりとした動きに変更して再起を図る。
:9回2安打、1四球:
8月11日に一軍再昇格を果たすと翌日の中日戦で6回表からの2イニングを徹底したチェンジアップ攻めで無失点に抑えて勝利投手になった。19日の中日戦で先発を任されると先週の対戦を逆手にとって序盤はチェンジアップを封印して4回裏までノーヒットに抑え込むと、中盤からはチェンジアップ、スライダー、カーブと多彩な変化球を投げ分けて中日打線を翻弄。チームが11連敗中だったナゴヤドームの中日戦で9イニングを投げ抜いて2安打、1四球という完璧な結果を残した。試合は打線の援護なく0対0のまま延長戦に入ったが、加賀美に代打が起用された10回表に2点を勝ち越して何とか加賀美に白星をプレゼントした。
:村田に勝ち越しアーチ:
9月2日の巨人戦では5回まで散発の3安打に抑え込んだが、6回裏に村田のタイムリーで先取点を奪われてしまうと、8回表にようやく1点の援護を受けて同点となったが、その直後の8回裏に二死から村田にレフトポール際にソロを運ばれて好投報われず敗戦投手となった。続く9日の広島戦でも7回まで1失点に抑えながら8回裏に連続タイムリーを浴びて勝利投手を逃すと、16日のヤクルト戦でも6回まで1失点に抑えながら両足に痙攣が出て降板と勝ちきれない試合が続いた。だが1対2とリードを許してマウンドを降りた26日の中日戦では7回表に加賀美への代打後藤がヒットで出塁するなど打線が繋がって逆転勝利。加賀美に白星が記録された。
:スターナイト:
期待された13年だったが結果を残せずニ軍スタート。4月11日にイースタンリーグの巨人戦で7回2安打、無四球という素晴らしいピッチングを見せたが左脇腹を痛めて離脱。6月に復帰すると28日のロッテ戦でイニング10失点を喫したが、7月中旬からは好投を続けて1軍昇格。8月1日の広島戦では1点をリードした6回裏にマウンドへ上がったが堂林のタイムリーで同点に追いつかれてしまうと、明らかに状態が悪いにもかかわらず7回裏にもマウンドに上がってルイスにスリーランを浴びて敗戦投手。8月4日にはユニフォームの無料配布もあって超満員となったスターナイトの第3戦で5回表からマウンドに上がって1.0回で5失点と試合を壊してしまった。
:気迫の投球で白星も:
3試合のリリーフ登板で登録抹消となった加賀美だったが、8月29日に再昇格を果たして同日の広島戦で本来の先発を任されると初回から気迫溢れるピッチングを見せて6回裏まで広島打線を無失点に抑え込む。1点をリードした7回裏には一死ニ、三塁というピンチを背負ったが、石原を浅いライトフライに打ち取ると、木村省吾を空振り三振に切って取って力強いガッツボーズを見せた。結局8回途中まで投げて3安打、2四球で無失点に抑えてCSを争う広島との直接対決で勝利投手になったが、その後の試合では結果が残せず苦しい1年となった。
:白星ならず:
14年は同年の初登板となった5月5日の広島戦で毎回のようにピンチを招きながら4回までは無失点に抑えたが勝利投手の権利まであと一死に迫った5回裏の二死走者無しから4連打を浴びて降板となってしまった。続く11日のヤクルト戦では6回2失点、18日の阪神戦では4回1失点という結果を残したが、首脳陣からは厳しい評価を受けてしまうと、25日のオリックス戦で4.2回で4失点KOとなり登録抹消となってしまった。7月6日に再昇格を果たしたが、同日の阪神戦では2.1回3失点に加えて打撃でも送りバントを失敗と散々な内容でチャンスを生かせなかった。
:背番号67:
背番号が21から67という重い数字に変わり、後が無い状態で迎えた15年は二軍でも打ち込まれる試合が続き、最後の登板となった9月25日のヤクルト戦では5回を4安打、2四球で2失点に抑えたが一軍昇格は果たせず戦力外通告となった。合同トライアウトも受けたが野球を続けなくなることも考えて就職活動も始めていたが、JR西日本から入団テストの打診があり、社会人野球へと進む道を選択した。
:ノーヒットノーラン:
JR西日本へ入社すると広島駅前の会社で経理を行いながら練習する生活となったが、なかなか結果に結び付かない日々が続いた。加賀美は都市対抗の予選で打ち込まれたことをきっかけにして技巧派への転身を決意、緩急と制球を磨き始めると手応えを掴み始め11月5日の日本選手権の2回戦でJR東日本相手に大会史上2人目のノーヒットノーランを達成。しかも1死球とエラーのみという準ノーヒットノーランという快挙だった。
:都市対抗:
17年の都市対抗予選では準決勝のシティライト岡山戦で6回途中4失点でKOされたが、第2代表決定戦でシティライト岡山と再戦して1失点完投勝利を記録して本選出場を決めた。18年には都市対抗野球の東芝戦で7回からの3イニングを1失点に抑えて勝利に貢献すると、JR東日本とのJR決戦となった準々決勝では6回まで1失点に抑えて10奪三振を奪ったが打線の援護なく惜しくも敗れた。 |
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初記録 |
初登板 |
11年10月19日阪神戦 |
初勝利 |
11年10月19日阪神戦:先発で6回1点 |
初奪三振 |
11年10月19日阪神戦:柴田から |
初完投 |
12年9月2日巨人戦 |
初セーブ |
|
|
|
|
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
11 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
6.0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
1 |
1 |
1 |
1.50 |
12 |
横浜 |
10 |
1 |
0 |
3 |
3 |
0 |
57.2 |
56 |
3 |
19 |
2 |
40 |
4 |
0 |
25 |
21 |
3.28 |
13 |
横浜 |
8 |
0 |
0 |
1 |
4 |
0 |
31.1 |
35 |
3 |
20 |
0 |
23 |
1 |
0 |
22 |
21 |
6.03 |
14 |
横浜 |
5 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
21.2 |
27 |
4 |
9 |
1 |
18 |
0 |
0 |
13 |
13 |
5.40 |
|
通算 |
4年 |
24 |
1 |
0 |
5 |
10 |
0 |
116.2 |
122 |
10 |
48 |
3 |
87 |
5 |
1 |
61 |
56 |
4.32 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
11 |
横浜 |
1 |
1 |
1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
12 |
横浜 |
10 |
18 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
4 |
0 |
1 |
.056 |
13 |
横浜 |
8 |
10 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
.300 |
14 |
横浜 |
5 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
.000 |
|
通算 |
4年 |
24 |
33 |
2 |
5 |
1 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
9 |
1 |
2 |
.152 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
11 |
横浜 |
6 |
0 |
0 |
1 |
0 |
11.0 |
17 |
1 |
2 |
9 |
12 |
9 |
7.36 |
12 |
横浜 |
8 |
2 |
4 |
1 |
0 |
46.0 |
39 |
1 |
9 |
30 |
11 |
8 |
1.57 |
13 |
横浜 |
9 |
0 |
3 |
2 |
0 |
50.0 |
47 |
6 |
10 |
30 |
26 |
25 |
4.50 |
14 |
横浜 |
15 |
0 |
3 |
1 |
0 |
66.1 |
63 |
8 |
18 |
56 |
24 |
24 |
3.26 |
15 |
横浜 |
11 |
0 |
1 |
5 |
0 |
42.1 |
51 |
2 |
18 |
40 |
32 |
24 |
5.10 |
|
通算 |
5年 |
49 |
2 |
11 |
10 |
0 |
215.2 |
217 |
18 |
57 |
165 |
105 |
90 |
3.76 |
|
|
|