柿田 裕太
91
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名前 |
かきた ゆうた |
生年月日 |
1992年8月27日 |
経歴 |
松本工高−日本生命−横浜(13年D1位) |
入団年 |
13年ドラフト1位 |
在籍年 |
14年−17年 |
背番号 |
14年−16年[13]:17年[91] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
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:全試合で完投:
小学校1年から野球を初めて、松本工では1年の春からベンチ入り。冬場に自宅と学校の往復14キロを走り込んで努力が3年になって開花。3年春の県大会で3試合全てに完投して防御率0.72を記録。3年夏の県大会では初戦から全て完投勝利で勝ち上がると、決勝の名門・松商学園戦では酷使の影響で「5回くらいから肩が上がらなくなってきた」という状態にもかかわらず延長10回を5失点で完投して松本工高を春夏を通じて初の甲子園出場に導いた。
:甲子園:
県大会で3試合の延長戦を含む全6試合を完投して60イニングを一人で投げ抜いた柿田だったが、甲子園大会では初戦の九州学院戦で初回に満塁から走者一掃のツーベースを打たれてしまうと、3回表には自らのバント処理で悪送球を投じてしまうなど失点を重ねて4回まで12失点。ストレートも最速139キロと本来の力には程遠い状態で4回終了時点で交代を打診されたが、続投を志願して上がった5回は無失点に抑えて意地を見せた。プロ志望届けを出したが指名はなく日本生命に入社した。
:3球団競合:
日本生命では入社3年目の13年に京都大会で強豪のJX-ENEOS戦で2失点完投(8回まで被安打1)に抑える素晴らしいピッチングを見せる。都市対抗野球では近畿予選の大阪ガス戦で4回1失点、ニチダイ戦で8回被安打1で無失点に抑えて本選出場に大きく貢献。ドラフトを直前に控えた9月22日にはJR東日本との練習試合でスカウト30人が注目する中でロッテから1位指名される事になる吉田との投げ合いを制して5安打完封勝利。同年のドラフト会議では外れ1位ながら横浜、日本ハム、阪神と3球団が競合して、クジ引きの末に横浜が交渉権を引き当てた。また日本生命でバッテリーを組んだ小林も巨人から外れ1位で指名された。
:当て逃げ:
ルーキーイヤーはキャンプで右肘を痛めてしまうと、イースタン・リーグでは13試合に登板して7勝5敗、防御率3.93、フレッシュオールスターでも2回をパーフェクトに抑えるなどまずまずの活躍を見せてシーズン終盤の先発候補として名前が上がっていたが、8月下旬に虫垂炎を患って離脱。手術後の8月29日には駐車場で止まっていた車と接触事故を起こし、降車して状況を確認した後に乗車して逃走。他の利用者がナンバーを確認していたため道交法違反(事故不申告)で事情聴取を受けた。
:一軍登板は果たせず:
15年はイースタン・リーグで18試合に登板して99.2イニングを投げるなど経験を積んだが一軍昇格はならなかった。オフには台湾で行われたウインターリーグにNPB選抜の一員として参加、ダイナミックな投球フォームからノーワインドアップの新フォームにも取り組んで防御率1.71という好成績を残したが、先発を任された台湾アマ代表との決勝戦では自らのエラーなどで7.0回3失点と崩れて敗戦投手となった。16年もイースタンリーグで防御率5点台ときっかけがつかめず、オフには背番号が91に変更と正念場に追い込まれた。ドラフト1位指名から4年目の17年にイースタンリーグで5試合の登板と留まり同年オフに戦力外通告を受けた。合同トライアウトでは打者4人全てを空振り三振に抑えたがNPB復帰はならなかった。 |
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二軍投球成績
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チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
14 |
横浜 |
13 |
0 |
7 |
5 |
0 |
71.0 |
82 |
5 |
26 |
39 |
37 |
31 |
3.93 |
15 |
横浜 |
18 |
0 |
5 |
3 |
1 |
99.2 |
104 |
4 |
38 |
51 |
48 |
43 |
3.88 |
16 |
横浜 |
13 |
0 |
5 |
1 |
1 |
34.0 |
37 |
3 |
21 |
25 |
22 |
20 |
5.29 |
17 |
横浜 |
5 |
0 |
1 |
0 |
0 |
4.1 |
6 |
0 |
8 |
4 |
7 |
7 |
14.54 |
|
通算 |
4年 |
49 |
0 |
18 |
9 |
2 |
209.0 |
229 |
12 |
93 |
119 |
114 |
101 |
4.35 |
|
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