上茶谷 大河
27
|
名前 |
かみちゃたに たいが |
生年月日 |
1996年8月31日 |
経歴 |
京都学園高−東洋大−横浜(18年D1位) |
入団年 |
18年ドラフト1位 |
在籍年 |
19年− |
背番号 |
19年−[27] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:中学時代は4番手:
京都市出身、小学校1年から金閣リトルタイガースで野球を始めた。料理人の父親が自宅のガレージにカーテンレールを使って作ってくれたピッチネットを使って行うネットスローを中学時代まで続けて持ち味となるコントロールを身につけた。中学時代は身長160センチの4番手投手だったが沢村栄治の母校として名高い京都学園高に進学すると身長が伸びて1年秋からベンチ入り、2年春からエースになった。
:初戦敗退、2回戦敗退:
2年夏は初戦で1失点完投を記録したが0対1で敗退、秋には右ひじを疲労骨折し手術、無理を押して3年夏に復帰したが2回戦で福知山成美に2対8で完敗と目立った成績は残せなかった。だが上茶谷はプロ入りの夢を捨てずに自主参加となる3年冬の練習にも早朝から参加して、東洋大からスポーツ推薦枠での獲得を打診されたが「自力で合格します」と指定校推薦で東洋大に進学した。
:大きく飛躍:
東洋大でも1年時は133キロどまりで2年冬には血行障害の手術と苦しんだが、この間に筋力トレーニングを始めて体力をつけた。3年秋には投球フォームを変更、体づくりも成功して体重が10キロ増加し、球速は140キロ台中盤を記録するまでになった。3年までは全てリリーフでの6登板で防御率5.79に留まっていたが、4年春には楽天2軍とのオープン戦で151キロを計測、リーグ戦では先発に抜擢された開幕戦で6安打完封でリーグ戦初先発初勝利、同僚の甲斐野から伝授されたスプリットも有効に使って16奪三振も記録した。中1日での登板となった中大3回戦でも1失点完投と瞬く間にドラフト上位候補に躍り出た。
:アウト数を超える:
駒大戦では初戦で10奪三振を記録すると、中1日で迎えた第3戦では初回の先頭打者から3者連続三振、2回には振り逃げを含む4者連続三振、3回の先頭打者からも三振を奪って8者連続奪三振を記録。2安打を許したが3回までのアウトは全て三振で記録、振り逃げを含むためアウト9個で10奪三振という驚異的な怪記録を残した。その後も奪三振ショーは続いて5回までにアウト15個で15奪三振を記録、8.0回で降板したにもかかわらず92年秋の門奈哲寛と02年秋の堤内健が記録した東都記録の18奪三振を上回る20奪三振を記録してリーグ史に名を刻んだ。
:優勝をかけて3日連続先発:
立正大戦では横浜で同期となる伊藤に2ランを被弾するなど5回途中7失点KOで初黒星を喫したが、リーグ優勝を争った亜大との3連戦では3日連続先発、19イニングを投げて3失点に抑えて東洋大の3連覇に大きく貢献した、同季は6勝2敗、防御率2.29、リーグ歴代7位の87奪三振という素晴らしい成績を残してMVPに選出された。
:横浜入団:
優勝候補筆頭に上げられていた大学野球選手権では胃腸炎に苦しんで九産大戦で3回途中6失点、リリーフした梅津も打ち込まれて東都勢としては初のコールド負けを喫してしまった。4年秋には中大戦で4安打完封を記録するなど4勝2敗で防御率1.68を記録、同年のドラフト会議で外れ1位で横浜DeNAとヤクルトから指名されて、くじ引きで横浜DeNAが交渉権を獲得した。DeNAの本社を訪れた際にはオーナーに特技の物まねをリクエストされてロペスの打撃フォームを披露して話題になった。
:初登板:
ルーキーイヤーはキャンプから高い評価を受けて開幕ローテを勝ち取ると、大学の先輩である原との投げ合いとなった初登板のヤクルト戦ではカットボールが切れて7回を6安打無四球で青木のソロのみに抑えて7三振を奪う上々のデビュー戦となった。だがリリーフが打ち込まれて初白星を逃すと、続く4月9日の阪神戦でも6回3失点に抑えながらリリーフ陣が8対3から大逆転を許して初勝利が持ち越しとなってしまう。これで焦りが出たのか投球フォームに乱れが出て、牽制球を多投するなどリズムも作れない試合が続き、29日の巨人戦では4回まで無失点も5回表に四球からピンチを招き、押し出し死球を与えるなど3失点で逆転を許して抹消となった。
:初完封を逃すも:
5月11日に一軍に復帰すると同日の広島戦で6回2失点に抑えて復調を印象付けると、続くヤクルト戦で5.2回を村上のスリーランのみに抑えて待望の初勝利を記録、打っても勝ち越しにつながる初ヒットをセンター前に運んだ。続く阪神戦ではストレートが140キロ台後半を連発するなど抜群の内容で8回まで2安打1四球に抑え込み、6対0で迎えた9回表のマウンドに上がったが無死からの4連打を浴びて降板となり完封は逃した。だが続くヤクルト戦では9回を4安打1四球に抑えて初完封、打ってもタイムリーを放って球団のルーキーとしては初の完封&V打を達成、セでも星野
仙一以来50年ぶりの快挙だった。
:ルーキー記録:
6月9日の西武戦で5回2失点、16日のソフトバンク戦で7.1回4安打無四球で2失点と白星こそ付かなかったが強打の2チーム相手にも好結果を残し、23日の楽天戦では6回無失点に抑えたうえに4回裏の打席では巨人坂本の打撃フォームから先制の2点タイムリーを放って57年ぶりの新人投手月間2度目のV打を記録、6回途中無失点に抑えた7月2日の阪神戦では5回表に史上24人目でルーキーとしては史上初の振り逃げを含むイニング4奪三振、30日のヤクルト戦では7回を3安打1四球で山田哲のツーランのみに抑えて球団新記録のルーキー6連勝とマニアックな記録も含めて歴史に名を刻み続けた。
:終盤に失速:
上茶谷が先発した試合ではチームは5月から三か月間負けなしの9連勝(2分含む)、首位を0.5ゲーム差まで追い上げたチームに大きく貢献していたが、疲れの見えた8月には月間防御率8.36と大幅に状態を落とし、9月7日の中日戦では1.2回6失点KOとどん底まで状態を落とした。だが14日のヤクルト戦では開き直ったのか毎回のように四球を出しながらも力を取り戻したストレートで5回1失点に抑えて7勝目、続く21日には勝てば胴上げの巨人相手に6回まで2安打1四球に抑えるなど6.1回1失点(自責0)に抑えて意地を見せた。同年には134回を投げて防御率3.96、ルーキーとしては12球団最多の7勝を記録し、打撃でも8安打を放ったがヤクルトの村上と阪神の近本がハイレベルな成績を残したこともあって新人王投票では1票も集められなかった。
:レベルアップも故障に泣く:
20年は右ひじの炎症で出遅れて、コロナの影響で延期となった開幕から一か月後の7月24日の広島戦で1軍復帰、まずまずのピッチングは見せたが6回表にビレラに逆転ツーランを被弾して白星は逃した。続く31日の阪神戦でも6回3失点と試合は作ったが、8月7日のヤクルト戦では打ち込まれて抹消となった。8月25日の再昇格後は好投を見せながら白星がつかない試合が続いたが、9月9日の阪神戦で7回を5安打1四球で1失点に抑えて勝利投手になり、ラミレス監督から「違うレベルにいった」と絶賛された。続くヤクルト戦でも6回3安打無四球で1失点に抑えると、23日の阪神戦では9回を投げ抜いて三塁も踏ませず10三振を奪っての完封を記録した。だが144球の熱投が影響したのか続く登板で指をつって降板すると、以降は状態を落として2勝2敗でシーズンを終えた。
:イニング6失点:
21年はキャンプからフォーム固めに苦しんだが開幕直前に結果を残して開幕ローテに滑り込んだ。だが開幕第6戦のヤクルト戦で山田にスリーランを被弾するなどヤクルト打線につかまって2回5安打3四球で5失点KOとなった。雪辱を期した阪神線では7回を1失点に抑えたが、続く巨人戦では雨天の中で好投を見せたが1対1で迎えた6回表に二死満塁から暴投で勝ち越し点を献上すると、四球を挟んで香月、吉川に連続ホームランを被弾してイニング6失点、さらに続く阪神線では初回に7安打を集中されて1回6失点KOとなり抹消となった。同年は7試合の先発を含む8試合に登板して防御率7.15と大きく数字を落とした。
:マダックス:
オフに東洋大時代の投球フォームに変更して直球の力強さを取り戻した22年は開幕第7戦のヤクルト戦で7回を2安打1四球で村上のソロのみに抑えるほぼ完ぺきな内容で勝利投手になった。3年ぶりに東洋大の先輩でもある原との投げ合いなった16日のヤクルト戦では91球で無四球完封を達成、100球未満の完封(通称マダックス)を球団では10年ぶりに記録した。先発ローテを勝ち取ったが続く4月23日の広島戦では内容はまずまずだったが5.1回で6失点、続く30日のヤクルト戦でも好投を見せながら打線が完封負け、続く広島戦でも6回無失点に抑えて自ら先制タイムリーを放ったがリリーフが打たれて逆転負けと波に乗れなかった。
:しばくぞ:
防御率リーグトップの2.04で迎えた5月14日の阪神戦ではストライクを集めすぎて5.2回7失点KO、続くヤクルト戦では2回までに4失点、28日の西武戦では山川にバックスクリーンにツーランを運ばれると集中力を失ってイニング8失点で2.2回で10失点KO、続く日本ハム戦ではベースカバーで足を痛めて抹消となった。久々の1軍登板となった9月9日の阪神戦では初回に無死から連続四球を出してしまったが、伊藤光から「お前しばくぞ」とゲキを受けて復調、5回を2失点に抑えてお立ち台に上がった。
:多彩な役割:
23年は5月16日の広島戦で3回を無失点に抑えると、21日のヤクルト戦では11回表一死満塁でリリーフして並木をショートゴロ、山田哲を空振り三振に切って取って零封、12回表も無失点に抑えて引き分けに持ち込むなどロングリリーフの役割をほぼ完ぺきにこなした。勝てば交流戦優勝となる大一番の6月19日の日本ハム戦では先発を任されて4回無失点に抑えて試合を作り、シーズン終盤には勝ちパターンでの起用も増えるなどフル回転でチームを支えた。同年は46試合で64イニングを投げて防御率2.11という好成績を残した。またバウアーがお立ち台でファンを盛り上げる妙な日本語のゴーストライターとしても活躍、シーズン終了後には伝授されたギャグがサインされたグラブをバウアーからプレゼントされた。 |
|
初記録 |
初登板 |
2019年4月2日ヤクルト戦 |
初勝利 |
2019年5月18日ヤクルト戦 |
初奪三振 |
2019年4月2日ヤクルト戦:荒木から |
初完投 |
|
初セーブ |
|
|
|
|
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
19 |
横浜 |
25 |
1 |
1 |
7 |
6 |
0 |
134.0 |
136 |
14 |
51 |
3 |
102 |
3 |
1 |
68 |
59 |
3.96 |
20 |
横浜 |
11 |
1 |
1 |
2 |
3 |
0 |
59.0 |
57 |
8 |
20 |
2 |
50 |
4 |
0 |
29 |
27 |
4.12 |
21 |
横浜 |
8 |
0 |
0 |
1 |
3 |
0 |
34.0 |
37 |
5 |
17 |
1 |
26 |
1 |
0 |
27 |
27 |
7.15 |
22 |
横浜 |
13 |
1 |
0 |
3 |
6 |
0 |
66.2 |
65 |
8 |
17 |
2 |
49 |
0 |
1 |
40 |
35 |
4.73 |
23 |
横浜 |
46 |
0 |
0 |
5 |
3 |
0 |
64.0 |
53 |
3 |
26 |
4 |
54 |
3 |
0 |
21 |
15 |
2.11 |
|
通算 |
5年 |
103 |
3 |
2 |
18 |
21 |
0 |
357.2 |
348 |
38 |
131 |
12 |
281 |
11 |
2 |
185 |
163 |
4.10 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
19 |
横浜 |
25 |
44 |
4 |
8 |
0 |
0 |
0 |
8 |
4 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
15 |
0 |
2 |
.182 |
20 |
横浜 |
11 |
19 |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
10 |
1 |
0 |
.158 |
21 |
横浜 |
8 |
7 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
0 |
.143 |
22 |
横浜 |
13 |
15 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0 |
6 |
0 |
0 |
.200 |
23 |
横浜 |
46 |
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
.000 |
|
通算 |
5年 |
103 |
90 |
6 |
15 |
0 |
0 |
0 |
15 |
5 |
0 |
0 |
13 |
0 |
3 |
0 |
39 |
1 |
4 |
.167 |
|
|
クライマックスシリーズ投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
19 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
23 |
横浜 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2.0 |
4 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
2 |
2 |
9.00 |
|
通算 |
2年 |
3 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
3.0 |
4 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
2 |
2 |
6.00 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
19 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
23 |
横浜 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
2年 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
19 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4.0 |
7 |
0 |
1 |
1 |
3 |
3 |
6.75 |
20 |
横浜 |
6 |
0 |
1 |
1 |
0 |
23.0 |
17 |
0 |
4 |
30 |
6 |
4 |
1.57 |
21 |
横浜 |
14 |
0 |
4 |
0 |
0 |
61.2 |
51 |
6 |
12 |
50 |
23 |
19 |
2.77 |
22 |
横浜 |
7 |
0 |
2 |
2 |
0 |
29.0 |
31 |
3 |
8 |
27 |
15 |
13 |
4.03 |
23 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2.0 |
3 |
0 |
0 |
1 |
1 |
1 |
4.50 |
|
通算 |
5年 |
29 |
0 |
7 |
3 |
0 |
119.2 |
109 |
9 |
25 |
109 |
48 |
40 |
3.01 |
|
|
|