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神里 和毅



名前 かみざと かずき
生年月日 1994年1月17日
経歴 糸満高−中央大−日本生命−横浜(17年D2位)
入団年 17年ドラフト2位
在籍年 18年−
背番号 18年−[8]
投打 右投げ左打ち
守備 外野手
陸上
豊見城高のエースとして3年時に石嶺 和彦とバッテリーを組み4季連続甲子園出場を果たした父・昌二の息子として生まれる。神里は幼い頃から野球をやりたかったが、社会人のプリンスホテルで故障してプロ野球の夢を断念していた父がなかなか野球を始めることを許してくれなかった。野球を断念してから陸上を行っていた父に無理やり陸上をやらされて、のちにインターハイに出場する姉と共に本格的なトレーニングで後に武器となる俊足を鍛えた。そのかいあって幼少時代に友達の家の玄関から犬に追い回されたが逃げ切れたという伝説を作った。

100メートル1位
小4になって父に「やらせてください」とお願いして、ようやく野球を始めることができた。父親の勧めで左打者になり、中学時代は内野手だったが、糸満高の2年秋から外野手に転向。野球を忘れたがっていた父親は試合を見に来ることもなかったが、小6の頃から徐々に見に来るようになり、高校時代の試合は毎日のように見に来てくれた。中学時代は無名で糸満高へは一般入試での入学だったが、500人以上が出場した高野連主催の野球部対抗競技会で100メートル走で1位、ランニングシューズで11.37という好タイムを残すなど俊足を武器に琉球のイチローとして名を売った。3年夏には県大会準決勝で3安打を放つなどチームを引っ張って糸満高を初の甲子園出場に導いた。甲子園では初戦の英明高戦3打数ノーヒットに終わりチームも敗れた。

プロ入りならず
憧れていた島袋を追って中央大に進学。1年春には阪神二軍との交流戦で内野安打を放つと、リーグ戦でも全12試合に出場して、第7戦からは3番に入って終盤には猛打賞を2回記録するなどリーグ9位の打率.297を記録した。1年秋は打率.094、2年春に.216、秋にはノーヒットと苦しんだが3年春には開幕カードの亜細亜大戦で山崎康から6打数4安打を放つなどリーグ3位の打率.350と復活、3年秋からはインコース攻めに苦しんだが4年秋には克服して打率.313を記録した。プロ志望届を提出したが指名を受けることはできなかった。

横浜入団
日本生命に入社すると、名門で1年目からレギュラーを任されて都市対抗野球にも出場し本戦でヒットも放った。メンタル面も成長してミスを引きずらないようになり、淡白だった打撃も粘りが出てきて、2年目には都市対抗野球の予選で打率.455、本選の初戦で3本の長打に2四死球と全打席で出塁を記録した。同年のドラフト会議で横浜から2位指名を受けると神里は「父の夢だったプロで活躍し、喜ばせたい」と抱負を語った。なお野球への情熱を取り戻した父は神里の8歳年下の末っ子の陸を幼稚園からマンツーマンで鍛え上げて、17年には社会人代表とU15で兄弟そろって日本代表に選ばれた。ドラフト会議で横浜から2位という想像を超える評価を受けて入団。入寮時には金色のシーサーを2つ持参してチームに合流した。

開幕スタメン
筒香、梶谷、桑原で外野のスタメンが固定されていたため厳しい立場かと思われたが、オープン戦で走攻守でアピールすると梶谷の故障もあって開幕戦に7番ライトでスタメン出場、セレモニーの時から足が震えていたという神里は2三振を含むノーヒットに守備でも悪送球というデビューになってしまったが、翌日にはツーベース、タイムリー、四球と活躍、第3戦では1番を任されて四球とツーベースに加えて初盗塁も決めて勝利に貢献した。続く試合で2安打2盗塁を記録すると、6日の広島戦では二塁打2本を含む3安打に1盗塁、12日の巨人戦では先頭打者本塁打で初ホームランと期待されていた走守だけではなく長打力も見せるなど躍動した。

お立ち台
4月下旬から打撃の状態が落とすと、24日広島戦では守備で二死満塁からセンターフライを落球し、走塁ミスも犯すなど苦難の時を迎えた。だが父からのアドバイスでバットを少し短く持つと、力みが抜けて5月5日の巨人戦でホームランを含む2安打を記録、梶谷、ソトが復帰したためスタメンを外れる試合も増えたが、梶谷が再び故障してチャンスが回ってくると6月9日の日本ハム戦では決勝タイムリーを含む4打数4安打1盗塁を記録(球団新人の4安打はドラフト以後では94年の波留以来二人目)、二塁走者として筒香の内野安打でホームに還る好走塁も見せた。お立ち台では前日も試合観戦に訪れていた両親からLiNEで「明日お立ち台よろしく」と頼まれていた事を明かし「おとん、おかん、やったよー!」と絶叫した。

骨折
6月にはお立ち台の翌日にもツーランを含む2安打、16日のオリックス戦では延長11回表に勝ち越しのタイムリースリーベース、24日の中日戦で二塁打2本を含む3安打、29日の広島戦で8回裏に起死回生の同点スリーランと印象的な活躍を見せてリーグ4位の月間28安打を放った。だが同点弾の翌日から26打数連続ノーヒットという深刻な打撃不振に落ち散って7月は月間0安打、8月3日の広島戦で久々のヒットと勝ち越しタイムリーを放ったが、12日の阪神戦で右足甲に死球を受けて骨折となりシーズンを終えることになってしまった。なお入団時からイケメンとして話題になり、俊足を生かしたプレースタイルもあって高い女性人気を獲得、86試合出場で打率.251ながら、新人王を獲得した同期の東を超えるグッズ売り上げを記録した。

サイクルヒット逃すも4安打
19年は開幕スタメンこそ譲ったが4月7日の巨人戦で2安打、10日の阪神戦で先制弾を含む3安打、翌日にもスリーランを放つなど打撃好調で1番センターに定着、21日の広島戦では史上16人目で球団初の5打数5三振を記録するなど三振も量産したが、力強さを増した打撃で長打を量産、6月1日のヤクルト戦でスリーベースを含む4安打を放つと、11日のロッテ戦では第3打席までにツーベース、ホームラン、シングルヒットと打ち分けて迎えた第4打席では左中間を抜いて大歓声が上がる中で三塁を狙ったがアウトとなってサイクルヒットはならなかった。

イニング2二塁打
6月15日はリーグ2位の打率.329まで数字を上げて、22日の楽天戦では初回に先頭打者としてツーベースを放つと再び回ってきた初回の第2打席でも走者一掃のツーベースを放つなど6月終了時点でリーグトップの26二塁打と打線をけん引、オールスターにも初選出された。だが夏場に入ると打率が急降下、7月30日からのスターナイト3連戦では14打数9安打を放ったが、守備でも球際の弱さを見せたこともあってスタメンを外れる試合が増えて9月13日に抹消となった。だがCSでは初戦で4安打を放つと第2戦では初回にヘッドスライディングの内野安打で味方を鼓舞すると、追いつかれた直後の6回裏に勝ち越しタイムリーを放つなど大一番で輝きを見せた。

最終戦でサヨナラヒット
ラミレス監督から1番センターのレギュラーとして期待された20年はオープン戦から絶不調で2軍スタートとなった。7月5日に昇格したが同年に首位打者に輝く佐野、打率2位の梶谷に加えてオースティンが強烈な外野陣を形成していたためなかなかチャンスは得られなかった。オースティンの故障でスタメンを任された8月4日の中日戦でツーベース2本を含む4安打を放ってお立ち台に上がると、二日後の中日戦でも特大ソロとタイムリーを放ってお立ち台に上がった。8日のヤクルト戦で3安打を放つと、12日の阪神戦でも3安打と気を吐いたが、ソトが外野でも起用されるなどレギュラーを掴むことは出来なかった。だがシーズン最終戦では1点を追う9回裏二死満塁でセンター前ヒットを運んで逆転サヨナラ勝ち、同年限りで監督を退任するラミレス監督の有終を飾った。

チャンス逃す
21年は梶谷がFAで巨人へ移籍したため1番センターの最有力候補として期待されたがオープン戦で結果を残せず桑原にその座を譲った。同年の初スタメンを任された4月4日の広島戦では先制ソロに加えて左中間への飛球を野球人生で初めてというダイビングキャッチで好捕してチームの初勝利に貢献してお立ち台に上がった。続く中日戦でも大野から満塁弾を放って2試合連続お立ち台に上がると、翌日には3安打という派手な活躍を見せた。23日の阪神戦では満塁でヒットを放つとライトが後逸して神里までホームに還る激走を見せると、守備でもファインキャッチを見せてチームの連敗を10で止めるなど印象的な活躍もあったが打率は1割台に低迷、6月1日に左足首を負傷して抹消となると、夏場に復帰したが最後まで数字を上げられなかった。

青柳キラー
22年は開幕からまもなくコロナウイルスに感染して離脱、復帰後も状態が上がらず5月5日の中日戦で13打数目にしてようやく初ヒットを放つと、翌日には延長11回表に決勝タイムリーとなるスリーベースを放ったが打率1割台という苦しい日々が続いた。6月17日の阪神戦では好相性の青柳対策としてスタメンで起用されてスリーランを放つと、19日の阪神戦でも決勝のタイムリースリーベース、21日の巨人戦で決勝の2点タイムリーと代打として活躍したが同年のスタメン出場は18試合に留まった。

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23年は阪神との開幕戦で青柳キラーを期待されて3番に抜擢されたが2打数2三振で途中交代に終わるなど好結果が残せず打率1割台に低迷、8月に右ひじのクリーニング手術を受けて離脱した。


初記録
初出場 2018年3月30日ヤクルト戦
初安打 2018年3月31日ヤクルト戦:石川から
初本塁打 2018年4月12日巨人戦:大竹から
初打点 2018年3月31日ヤクルト戦:石川から
初盗塁 2018年4月1日ヤクルト戦


18 19 20 21 22 23
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
18 横浜 86 247 31 62 14 3 5 97 21 15 9 4 0 19 3 68 4 3 .251
19 横浜 123 427 62 119 31 3 6 174 35 15 10 3 0 26 2 121 7 3 .279
20 横浜 80 169 38 52 8 1 3 71 17 7 1 1 2 15 3 42 3 2 .308
21 横浜 88 110 13 21 3 0 4 36 15 4 3 1 1 6 0 49 1 0 .191
22 横浜 81 95 12 18 4 3 1 31 10 6 3 1 0 8 3 26 1 0 .189
23 横浜 64 49 11 8 1 1 0 11 3 0 1 0 0 3 1 16 0 0 .163
通算 6年 522 1097 167 280 61 11 19 420 101 47 27 10 3 77 12 322 16 8 .255


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 横浜 3 14 3 6 1 0 0 7 1 0 1 0 0 0 0 3 0 0 .429
22 横浜 2 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .500
通算 2年 5 16 3 7 1 0 0 8 1 0 1 0 0 1 0 3 0 0 .438


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
18 横浜 3 12 2 7 1 0 0 8 2 2 1 0 1 2 0 0 .583
19 横浜 12 41 14 12 2 1 1 19 5 6 0 0 13 10 1 0 .293
20 横浜 6 18 4 5 1 0 0 6 0 3 0 0 4 0 0 0 .278
21 横浜 19 53 10 16 5 3 1 30 9 2 0 0 17 11 1 1 .302
22 横浜 7 21 4 5 1 0 1 9 5 0 0 0 2 9 0 0 .238
23 横浜 16 57 13 19 4 1 6 43 13 2 1 2 8 16 0 0 .333
通算 6年 63 202 47 64 14 5 9 115 34 15 2 2 45 48 2 1 .317