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菊地 和正



30
名前 きくち かずまさ
生年月日 1982年6月27日
経歴 樹徳高−上武大−日本ハム(04年D6巡目)−横浜
入団年 12年に日本ハムから移籍
在籍年 12年−14年
背番号 12年−14年[30]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
日本ハム入団
小学4年生までは水泳教室に通っていたが、辞めたら母親に他のスポーツをするように言われて野球を始めた。中学まで内野手で樹徳高の1年時からピッチャーも始めたがレギュラーになる事は出来なかった。上武大に進学するとエースとして活躍し、04年のドラフト会議で日本ハムから6巡目指名を受けて上武大から始めてのプロ野球選手になった。

一軍登板2試合で
ルーキーイヤーはシーズン終盤の9月25日オリックス戦で初登板のマウンドに上がって1イニングを三者凡退に抑えたが、翌06年は一軍登板なしに終わった。07年も10月2日の楽天戦でようやく同シーズンの一軍初登板を果たすと、この試合で2イニングで3奪三振を奪う好投を見せる。同年のクライマックスシリーズで一軍登板はまだ2試合の菊地が第2ステージの4戦で起用されて代打堀をセンターフライ、今江をファーストゴロに打ち取って無失点で抑えた。続く日本シリーズでも第2戦で起用されたが森野にツーランを運ばれてマウンドを降りた。

開幕一軍
08年はイースタンリーグで防御率2.77という好成績を残したが、一軍では11試合登板で防御率9.90と結果を残せなかった。だが同年から本格的に肉体改造を行った菊地は、翌09年のオープン戦で好投を続けて開幕一軍を勝ち取ると、開幕から勝ちゲームのリリーフとして10イニング連続無失点という好投を見せる。

初勝利
4月15日のオリックス戦では11対4と大量リードした7回表一死一塁で起用されてフィルナンデスを見逃し三振、日高をサードゴロに打ち取って無失点で抑えた。同試合は先発投手の交代時は同点であり、勝ち越し時に投げていた宮西は0.2回を投げたがカブレラのソロで1点を失っていたため菊地に初勝利が記録された。菊地は宮西が勝利投手だと思っていたが、試合後の場内アナウンスを聞いて「今菊地って言ったな…って。オレなのかな」と思っていると、投手コーチの吉井から抱きついて祝福されて初勝利を確信した。

村田に2試合連続本塁打を喫す
5月27日に相模原で行われた横浜戦で4対4の同点で迎えた7回裏からマウンドに上がったが、8回裏に村田にライトスタンドへ勝ち越しソロを運ばれて初の敗戦投手になった。続く29日の横浜戦でも2対0とリードした6回裏からマウンドに上がったが村田にソロを運ばれてしまった。6月11日に札幌ドームで行われた横浜戦では8対3とリードした7回表からマウンドに上がると、7回表を三者凡退、8回表には内川にライト前ヒットを打たれたが、続く村田は変化球のサインに首を振ってストレートで空振り三振に切って取って2イニングを無失点に抑えた。

初めてのお立ち台
7月に調子を落としたものの8月15日の西武戦で1イニングを三者凡退に抑えて3勝目を記録するなど、この時点で44試合登板とチームに欠かせない戦力として活躍。その後チームを襲ったインフルエンザ騒動で10日間の戦線離脱となってしまったが、登録即登板となった8月29日のソフトバンク戦で2回を無失点に抑えてスレッジと共に初めてのお立ち台に上がった。菊地は「タミフルにありがとうと言いたかったです」と発言して笑いを誘った。なお菊地は療養中は好物のカレーではなく刺激の少ないハヤシライスで英気を養ったとか。

リーグ優勝に貢献
同年には58試合に登板して5勝2敗、防御率3.67、先発とリリーフの違いがあるとはいえダルビッシュを上回る奪三振率9.1という素晴らしい成績を残してチームのリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは第3戦で3対5とリードされた7回裏にマウンドに上がって脇谷をセカンドゴロ、代打古城をレフトフライ、坂本をセンターフライで三者凡退に抑える。するとその直後の8回表に巨人のミスで1点差に追い上げたが、続投した菊地が8回裏に小笠原を四球で歩かせると、ラミレスにサード内野安打を打たれてしまう。ここで菊地はマウンドを降りたが後続も打たれて試合を壊してしまった。

横浜移籍
10年は春のキャンプで守備練習をした際に右手薬指を亀裂骨折して離脱。7月18日の楽天戦で一軍復帰登板を果たすと、そこから17試合に登板して、防御率1.45を記録した。翌11年はイースタンで38試合に登板して防御率2.87を記録したが、層の厚い一軍投手陣には食い込めず一軍登板なしに終わると、同年のオフに戦力外通告を受けて退団。12月11日に横浜DeNAに入団した。

30試合連続無失点
12年の開幕は二軍で迎えたが開幕直後に藤江がインフルエンザで離脱して緊急昇格。4月7日の広島戦では0対0で迎えた9回表のマウンドを任されたが先頭打者への四球から二死満塁というピンチを背負うと、倉に痛恨の押し出し四球を与えて敗戦。13日の巨人戦では危険球退場と開幕当初は不安定な投球もあったが、勝ち試合負け試合を問わず起用されて4月から5ヶ月連続で二桁試合に登板。5月30日のソフトバンク戦からは球団史上2位でセ4位タイの30試合連続無失点を記録するなど中継ぎとして申し分のない活躍を見せた。またリリーフカーを使わずにBOOWYの「Marionette」が流れる中でマウンドに走っていく登場スタイルが人気を集めた。

1球敗戦
13年は前年の登板過多の影響があったのか24試合の登板で防御率4.95と大幅に数字を落としてしまうと、翌14年は開幕直後の4月4日に一軍へ昇格すると同日の広島戦で1対1で迎えた延長11回裏にマウンドに上がったが先頭の梵に初球をレフトスタンドへ運ばれて史上26人目の1球敗戦を記録してしまった。続く9日の阪神戦では8回裏二死で登板して藤井を初球でサードゴロに打ち取ったが翌々日に登録抹消になり、結局同年は一軍ではわずか2球のピッチングに留まった。オフに戦力外通告を受けると、トライアウトは受験せず限界を迎えていた右肩を手術、翌年のキャンプで入団テストを受ける事を目標にリハビリを行った。

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15年は古巣の日本ハムで入団テストを受けたが不合格となり、独立リーグの群馬に兼任コーチで入団した。また母の実家である養豚場の仕事にも就いた。


初記録
初登板 05年9月25日オリックス戦
初勝利 09年4月15日オリックス戦
初奪三振 05年9月25日オリックス戦:的山から
初セーブ 12年8月2日広島戦
初完投


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
05 日本ハム 1 0 0 0 0 0 1.0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00
07 日本ハム 1 0 0 0 0 0 2.0 1 0 1 0 3 0 0 0 0 0.00
08 日本ハム 11 0 0 0 0 0 10.0 17 1 3 0 4 0 0 11 11 9.90
09 日本ハム 58 0 0 5 2 0 61.1 59 5 11 2 62 2 0 25 25 3.67
10 日本ハム 17 0 0 1 1 0 18.2 18 0 6 0 13 0 0 4 3 1.45
12 横浜 63 0 0 3 2 1 49.1 34 2 24 2 19 1 0 15 13 2.37
13 横浜 24 0 0 0 1 0 20.0 28 2 7 2 12 0 0 13 11 4.95
14 横浜 2 0 0 0 1 0 0.1 1 1 0 0 0 0 0 1 1 27.00
球団 3年 89 0 0 3 4 1 69.2 63 5 31 4 31 1 0 29 25 3.23
通算 8年 177 0 0 9 7 1 162.2 158 11 52 6 114 3 0 69 64 3.54


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
05 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
07 日本ハム 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
08 日本ハム 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
09 日本ハム 58 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
10 日本ハム 17 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
12 横浜 63 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
13 横浜 24 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
14 横浜 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 3年 89 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 8年 177 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
07 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0.2 3 1 1 0 0 1 0 2 2 27.00
09 日本ハム 1 0 0 0 0 0 1.1 1 0 1 0 0 0 0 2 2 13.50
通算 2年 2 0 0 0 0 0 2.0 4 1 2 0 0 1 0 4 4 18.00


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
07 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
09 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 2年 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  プレーオフ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
07 日本ハム 1 0 0 0 0 0 1.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00
09 日本ハム 1 0 0 0 0 0 1.0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00
通算 2年 2 0 0 0 0 0 2.0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
07 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
09 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 2年 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
05 日本ハム 26 0 3 6 2 69.1 78 4 32 32 42 41 5.32
06 日本ハム 18 0 1 3 0 52.1 59 6 22 31 27 23 3.96
07 日本ハム 24 0 5 3 0 46.0 48 7 13 31 28 23 4.50
08 日本ハム 33 0 1 3 6 55.1 54 2 18 40 20 17 2.77
09 日本ハム 2 0 0 0 0 2.0 6 0 1 4 3 1 4.50
10 日本ハム 23 0 1 1 3 19.2 28 7 7 14 18 16 7.32
11 日本ハム 38 0 2 2 9 37.2 43 1 7 18 13 12 2.87
12 横浜 2 0 0 0 0 2.0 6 0 0 0 5 1 4.50
13 横浜 21 0 0 1 0 18.2 10 2 4 15 2 2 0.96
14 横浜 17 0 1 0 0 16.2 16 1 3 11 7 7 3.78
通算 10年 204 0 14 19 20 319.2 348 30 107 196 165 143 4.03