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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
関連リンク
久保 康友
27
名前
くぼ やすとも
生年月日
1980年8月6日
経歴
関大一高−松下電器−千葉ロッテ(04年D自由枠)−阪神−横浜
入団年
14年に阪神から移籍
在籍年
14年−17年
背番号
14年−17年[27]
投打
右投げ右打ち
守備
投手
:
関大一高へ
:
小1から少年野球チーム「ホワイトベアーズ」で野球を始める。強豪八木中では2年までベンチ入りを果たせず、3年時にも2、3番手投手だった。当時はスカウトされるレベルではなかったという久保は勉学と野球を両立できる高校ということで関大一高へ進学した。
:
69年ぶりの甲子園
:
エースになった2年の秋季大会では関西創価高戦で大量リードの展開から追いつかれたが、久保は「打てるものなら打ってみろ!俺は絶対に打たれない」と思いながら投げて勝ち越しは許さず勝利に貢献。「あの試合が投手としての転換点になった」という久保はその後も大会を勝ち抜き、近畿大会で強豪の智弁学園を完封してチームを69年ぶりのセンバツへと導いた。センバツでは2回戦の鈴鹿戦で4回以降は走者すら許さず完勝、今治西戦ではエラーから1点こそ失ったが3安打完投、準決勝では館山 昌平を要する日大藤沢に5対3で勝ってついに決勝戦まで駒を進めた。
:
甲子園決勝
:
横浜高校との決勝戦では2回表に後藤のレフト前ヒットから3安打を集中されて1点の先制を許すと、その後は粘り強く追加点を与えなかったが、打線が松坂の前にゼロ更新を続けると、ホームスチール失敗で同点のチャンスを逃した直後の7回表に柴のスリーベース、暴投、松坂のスリーベース、小山の犠飛、後藤のセンター前、小池のレフト前と打ち込まれて突き放されてしまった。久保は13安打を打たれながら3失点に抑えて、7回裏には松坂からセンター前ヒットも放ったが0対3で破れて全国制覇はならなかった。
:
春夏連続出場
:
夏の県大会でも準決勝の桜宮戦で延長11回を1失点完投、決勝の桜塚戦では5安打完封とチームを引っ張って春夏連続で甲子園に出場。準々決勝まで駒を進めたが明徳義塾戦で11奪三振は奪ったが初回に4点を奪われてしまうと、意地で9回を投げ抜いたが11失点と大敗してしまった。高校卒業後は慶応大への進学を目指したが受験失敗。声をかけてくれていた松下電器へ入社したが故障などもあって苦しい日々が長く続き、気持ちが切れた久保は練習もろくにしないどん底の時期を過ごした。
:
ロッテ入団
:
入社から4年間は芽が出ず「もう今年で終わったな」と野球人生の最後を覚悟したが、それで開き直った久保は自分の好きなように野球を始めると結果が出始めて5年目の03年に復活の兆しを掴む。世界でも塁を見ないほど高速なクイックモーション(0.99秒)も習得し、翌04年にはエースとして都市対抗、ハーレム国際大会、キューバとの壮行試合と日本を代表する投手として活躍。5月27日には湘南シーレックスとのプロアマ交流戦で2回を1安打、4奪三振に抑えて、シーズン中にもかかわらず視察に訪れたロッテのバレンタイン監督から「すぐにでもウチの投手陣に加わって欲しい」とラブコールを送られた。松坂世代最後の大物と呼ばれ、横浜、ヤクルト、近鉄なども獲得を目指していたが自由獲得枠でロッテに入団した。
:
初先発
:
ルーキーイヤーには初先発となった4月24日の楽天戦で4安打、1四球、13奪三振という圧巻の結果で完封勝利。ロッテの投手が初先発で完封を成し遂げたのは69年の村田 兆治以来36年ぶりだった。続く楽天戦でも6回途中無失点で勝利投手になり、その間にチームは45年ぶりの12連勝。引き分けを挟まず全て先発投手が白星というリーグ初の快挙を達成した。続く交流戦でも4勝1敗、防御率2.29という好成績を残すと、交流戦明けのオリックス戦で完封を記録して月間MVPに選出されるなど首位を争うチームを引っ張った。
:
新人王
:
8月3日の楽天戦でも勝利投手になって7連勝。新人投手の7連勝はパでは92年の高村祐以来という快挙だった。この時点では9勝1敗という快進撃だったが、夏場に入って疲れが出たのか続く登板から大量失点が続いてしまう。二桁勝利に向けて5度目のチャレンジとなった9月17日の西武戦で5安打完封を記録してロッテの新人としては球団創設年に新巻と榎原が記録して以来55年ぶり3人目となる二桁勝利を達成。なお同年のロッテは渡辺俊、小林宏、セラフィニ、清水、小野と42年ぶり3チーム目の二桁投手6人を記録した。久保は10勝3敗、防御率3.40という好成績で中村剛の8票、ダルビッシュ有の1票に大差をつけて新人王に選出された(161票)。
:
夏場に失速
:
06年はエース格の清水直、渡辺俊、小林宏がWBCに出場した事もあって開幕投手を任されたが6回5失点で敗戦投手になってしまった。交流戦に入ると5月18日の横浜戦で8回無失点、6月15日の横浜戦でも8回1失点と好投を見せて2年連続で交流戦で4勝を記録した。だがリーグ戦が再開すると打ち込まれる試合が続き、8月以降は勝ち星なしの6連敗と大幅に数字を悪化させて7勝13敗、防御率4.55に留まった。
:
128.1回で11
:
07年も交流戦で3連勝と白星を重ねていたが、6月25日の横浜戦で2回表に金城のソロで先制を許すと、3回表にも金城に2点タイムリースリーベースを打たれるなど3失点。そして5回表には金城のピッチャー返しを左手甲に受けて骨折となり1カ月間離脱となってしまった。復帰後は好投が続いたが離脱したことが響いて9勝8敗と二桁勝利には届かなかった。なお同年には128.1イニングを投げて11四球という凄まじい与四球率を記録した。プレーオフで第2ステージの初戦を任されたが、2回裏に一死から稲田のライト前、金子誠のライト前、鶴岡の内野安打、森本のツーベースと4連打を集中されて2回途中KOとなってしまった。
:
阪神移籍
:
08年は5試合に先発した時点で防御率11.07と結果が残せず中継ぎ転向。ラスト2試合は先発で1失点完投、7回1失点と好投を続けて何とか防御率を4点台に持ち込んだが4勝7敗に終わった。同年オフに実績に大きな開きがある橋本 健太郎との不可解なトレードで阪神に移籍した。移籍初年度は開幕から好投を続けながら白星が付かない試合が続いたが、5月25日の古巣ロッテ戦で6回を2失点に抑えて移籍後初勝利。7月14日の中日戦に勝って全12球団から白星を記録、7月30日の横浜戦では2安打、無四球、12奪三振という完璧なピッチングで4年ぶりの完封勝利と好投が続いて9勝8敗、防御率3.75と復活を印象付けた。
:
14勝
:
10年には6月に登板試合全てで白星を上げて月間MVPを獲得。また5月18日のソフトバンク戦から7月30日の中日戦まで11試合に先発して6勝0敗、勝敗が付かなかった5試合も全てチームが勝って先発試合でチームが11連勝。この間に無失点に抑えた試合はなく、4失点以上も5回記録するなど援護に恵まれた面も大きかったが、開幕から18試合連続で6イニング以上という安定感で激しく首位を争うチームを支えた。結局1ゲーム及ばず2位に終わったが、久保はリーグ2位の14勝、202.2回を投げて防御率3.25という素晴らしい成績を残した。また同年には高速クイックモーションと高速牽制球で盗塁を1度しか試みられなかった。
:
故障で離脱
:
11年は5月29日の楽天戦で8回を1失点に抑えてお立ち台に上がったが、続く6月5日のオリックス戦では試合前から背中に違和感を抱えたまま登板したが1.0回で被安打7、2四死球に自らのエラーまで飛び出して7失点KO。試合後に検査を受けた結果「左腹斜筋挫傷」との診断で登録抹消。7月29日の横浜戦で復帰すると8月には4戦4勝を記録する活躍を見せたが、9月に入ると4連敗を喫して8勝8敗に留まった。
:
防御率2.33も
:
12年は5月8日の広島戦、20日の楽天戦と2試合連続で5回を投げ切れず4失点を喫してしまうと、この時点の防御率は3.06だったが先発を外されてしまう。そして5月30日のロッテ戦で4回表二死満塁という場面でリリーフのマウンドに上がったが、井口にバックスクリーンに満塁ホームランを叩き込まれてしまう。続く登板でも打ち込まれて登録抹消。7月14日のヤクルト戦で先発として一軍に復帰すると7回を無失点に抑えたが白星を逃してしまう。すると同日から閉幕までに10試合に先発して、この間に防御率1.59という素晴らしい成績を残したが打線の援護が得られずわずか2勝。シーズンを通しても防御率2.33を記録しながら4勝7敗という結果に終わった。
:
抑え起用
:
13年はシカゴ・カブスに移籍した藤川 球児に代わって抑えで起用される事になった。初セーブがかかった4月5日の広島戦では1点リードの9回裏に二死からの連続四球で追い付かれてしまうと、抑えにもかかわらず4イニングを投げて勝利投手になった。続く登板からは7試合連続無失点を記録するなど4月は防御率0点台の安定したピッチングを見せたが、ゴールデンウィークに満員の観客で埋まった甲子園で3試合連続2失点を喫してしまう。5月22日のロッテ戦で井口に同点ツーランを打ち込まれてしまうと、28日の楽天戦も3失点で登録抹消。故障もあって2ヶ月以上戦線から離脱したが8月に復帰すると中継ぎとして好投を続けて大幅に数字を良化させた。
:
横浜入団
:
13年オフにFAを宣言して先発投手を熱望していた横浜DeNAに移籍。阪神からも残留要請を受けたが、横浜DeNAになってから2年間二桁勝利投手がいなかった事もあって中畑監督から「君が最初の2桁勝利投手になってほしい」と熱心に口説かれ、「自分を本当に必要としてくれていると感じ、グラッときた」と意気に感じての横浜入団となった。
:
ホーム開幕戦で先発
:
移籍初年度の14年にはホーム開幕戦の4月1日巨人戦で先発を任されて白星こそつかなかったが、7回をアンダーソンのタイムリーのみに抑えて試合を作った。4月8日は甲子園での対戦となった古巣阪神戦で中盤に掴まって6回4失点を喫したが、7回表に久保への代打金城から打線が繋がってブランコの満塁弾で一挙5点を上げて大逆転となり移籍後初勝利が記録された。だが続く中日戦では自身が「最悪の内容だった」と語るように制球にも苦しんで4回途中6失点KO、続く巨人戦は粘ったが5回裏にアンダーソンに満塁弾を打ち込まれて逆転負けと苦しい試合が続いてしまう。
:
10勝
:
5月には2勝を上げたが内容的には今一つで中畑監督からは奮起を促されたが、6月3日の西武戦では中村に2本のソロを被弾したが9回を投げ抜いて6安打、2四球で4年ぶりの完投勝利を記録した。続く楽天戦では雨に苦しんで4回7失点でKOされたが、6月26日の日本ハム戦で7回1失点に抑えてハマスタのお立ち台に上がると、続く中日戦でも7回1失点、巨人戦で6回無失点、広島戦で5回2失点と好投がつながって4連勝を記録した。8月12日の中日戦で7回2失点に抑えて、井納に続く2人目にはなったが入団交渉時の中畑監督の言葉に応える10勝を早くも記録した。なお3球団での二桁勝利は史上14人目の快挙。
:
最多勝目前も
:
9月9日のヤクルト戦では4安打に抑え込んで自身初の無四球完封を達成。リーグ単独トップの12勝となり、球団史上21年ぶりの最多勝は目前だったが、そこから中日戦で6回1失点、阪神戦で8回1失点に抑えながら白星なしに終わると、続く阪神戦では145球を投げ抜いて9回を無失点に抑えたが援護点を貰えず降板、9月には5試合に先発して月間防御率0.90で1勝という悲劇的な成績に終わり最多勝を逃した。それでもローテを外れる事なくシーズンを過ごしてリーグ3位の12勝、同3位の178.1投球回という素晴らしい成績を残した。またクイックがさらに高速になった上に走者がいない状態でもクイックを投球に織り交ぜて打者を幻惑、3連戦の頭を任されて打線のタイミングを壊して、翌日にタイプの違う投手が好投を続けるなど計り知れない貢献を見せた。
:
開幕投手も
:
15年はキャンプ、オープン戦と万全の調整を続けて早い時期から開幕投手に指名された。だが巨人との開幕戦ではチャンスで打順が回ってきた事もあって4回3失点で敗戦投手となり、続くヤクルト戦では畠山が打ち上げた飛球が強風に乗って満塁弾になる不運もあって5回7失点という厳しい船出となった。だが4月28日の広島戦で8回を無失点に抑えて初勝利を記録すると、5月4日のヤクルト戦では6回までパーフェクトに抑えるなど2安打、無四球で1失点完投、大記録を逃した久保だったがお立ち台では「野球は仕事なので運は人生に使います」とらしい返答を見せた。
:
チームと歩調合せる
:
チームが大失速した交流戦では白星を挙げることが出来なかったが、交流戦明けの6月23日の巨人戦で5回2失点ながらチームの連敗を12で止めると、続く沖縄で行われた中日戦では猛暑の中で若松との投手戦を制して自身初の1対0での完封勝利を達成、続く広島戦でも8回1失点で勝利投手と前半戦を首位で折り返したチーム同様に白星を積み上げた。だが後半戦の開幕となったヤクルト戦で2回7失点KOと試合を壊してしまうと、続く広島戦でも4回9失点と史上初の首位ターンからの最下位となったチーム同様に後半戦は調子を落として8月下旬に登録抹消、8勝7敗で防御率4.12、投球回も規定に届かない122.1回に留まった。
:
少ないチャンスで
:
16年はキャンプで2500球を超える投球練習を行い、練習試合からオープン戦にかけては15イニング無失点という順調な調整を見せて広島との開幕第2戦の先発を任されたが、粘り切れず6回裏に逆転を許して敗戦、続く4月2日の阪神戦でも8回2失点に抑えながら援護なく敗れると、12日の阪神戦では5回4失点と打ち込まれて早くも登録抹消となった。だが1日だけの昇格となった4月27日の中日戦では6回3失点で勝利投手になると、続く登板は一か月以上が経過した6月3日のロッテ戦となったが、古巣相手に投げては8回途中1失点、打っても全力疾走の内野安打で追加点に繋げ、守ってもピッチャー返しを止めるなど勝利への執念を見せてお立ち台に上がった。
:
スライド登板で完封
:
6月10日のオリックス戦でも8回途中1失点に抑えて史上初のセ・パ両リーグから交流戦での10勝以上を記録、続く楽天戦は7回途中6失点となったが、中12日を空けた上にスライド登板となった30日の阪神戦では5回までパーフェクトに抑え込むなど3安打、無四球で二塁すら踏ませず完封勝利を達成、7月も試合を作って勝敗を5勝5敗の五分に持ち込み防御率も2点台まで引き下げたが、8月9日の巨人戦では6回を被安打10で5失点、17日のヤクルト戦では6回裏二死一塁でピッチャーの小川に勝ち越しツーランを被弾、24日の阪神戦では4回途中6四死球という大乱調と信頼を失う試合が重なって登録抹消となり、初出場となったCSでも出番は与えられなかった。
:
勝ち運
:
17年は強力な若手投手陣に阻まれて二軍スタート、初登板となった4月30日の広島戦で5回3失点に抑えて13年連続の白星を記録したが、続く5月7日のヤクルト戦では初回に2四球に守備のミスも絡んでイニング5失点、2点の援護を貰った直後の2回表にも2失点を喫するなど5回8失点で登録抹消となった。6月17日に再昇格を果たすと同日のオリックス戦で6回3失点、28日の広島戦で5回5失点、7月9日の中日戦で5回3失点とそれなりに打ち込まれながらも打線の援護を受けて3連勝、防御率6点台で4勝1敗まで数字を伸ばした。
:
四球と落球
:
8月8日のヤクルト戦で2点リードの3回裏に一死三塁のピンチを招くと、内野手が後ろに守って1点はOKというチームオーダ-だったにもかかわらず1番2番を歩かせて塁を埋め、続くバレンティンはサードファウルフライに打ち取ったが宮崎が落球すると、次の球をレフトスタンドに叩き込まれて逆転満塁被弾と不運もあったがベンチの信頼を失い登録抹消、以後は一軍登板は果たせず、オフに大幅減俸を拒んで戦力外となった。
:
米へ
:
自由契約から1週間の間にNPB球団からの声はかからなかったため新たな道を求めて、18年は37歳にして米独立リーグのゲーリー・サウスショア・レールキャッツに入団、久保は「人生で何が一番大事なのかまだ分かっていない。それを探しに行くというか。その中に野球をやるチャンスが含まれている」と新たなチャレンジに向けた心境を語った。7月10日には高レベルの独立リーグであるアトランティック・リーグのシュガーランドへ移籍した。
:
メキシコへ
:
19年はメキシカンリーグのブラボス・デ・レオンに移籍、開幕投手を任されて7回を3安打無失点で10奪三振という素晴らしい幕開けとなった。給与未払や12時間の移動、極寒のマウンドやサソリなどの日本では体験できない経験を積み、休日には観光やサルサを楽しむなど人生を満喫。サムライシリーズとして行われたモンテレイ戦では元横浜の荒波と対戦し、モスコーソととも食事もして再会を喜び合った。同年には奪三振の球団記録を更新する154奪三振を記録、超打高メキシコリーグという事もあって8勝14敗、防御率5.98に留まったがベストナインの候補になった。
::
コロナウイルスの影響で渡航が困難になったため、20年からは「世界中の世界遺産を見て回る」という趣味を兼ねた海外で野球をする目的は中断したが、22年はトレーニングを兼ねて自宅に近い関西独立リーグの兵庫で無給でプレー、夏には北海道の富良野ブルーリッジに移籍して2週間プレーした。趣味の野球を続けるために23年は野球新興国のドイツのハンブルク・スティーラーズに入団した。
初記録
初登板
05年4月2日ソフトバンク戦
初勝利
05年4月24日楽天戦
初奪三振
05年4月24日楽天戦:山崎武司から
初セーブ
13年4月11日巨人戦
初完投
05年4月24日楽天戦
記録達成日
1000投球回
12年8月1日ヤクルト戦
1500投球回
16年8月24日阪神戦
1000奪三振
15年7月13日巨人戦:長野から
その他の記録
月間MVP
05年6月、10年6月
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
新人王
●
1回
オールスター
●
1回
投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
05
ロッテ
19
5
3
10
3
0
121.2
120
13
26
6
84
5
0
52
46
3.40
06
ロッテ
23
1
0
7
13
0
140.1
153
11
32
11
119
1
1
73
71
4.55
07
ロッテ
21
2
0
9
8
0
128.1
139
11
11
8
82
6
0
62
57
4.00
08
ロッテ
33
1
0
4
7
0
91.0
104
10
33
6
70
5
0
52
50
4.95
09
阪神
26
1
1
9
8
0
151.1
140
14
50
16
113
9
0
66
63
3.75
10
阪神
29
4
1
14
5
0
202.1
183
22
45
12
158
4
0
75
73
3.25
11
阪神
20
0
0
8
8
0
109.2
108
10
36
4
73
0
0
53
46
3.78
12
阪神
18
1
0
4
7
0
108.0
99
7
25
5
65
2
0
31
28
2.33
13
阪神
44
0
0
3
4
6
53.2
48
4
17
2
46
2
0
19
17
2.85
14
横浜
28
2
1
12
6
0
178.1
181
8
54
11
119
12
1
68
66
3.33
15
横浜
21
2
1
8
7
0
122.1
130
16
27
5
88
3
1
64
56
4.12
16
横浜
15
1
1
5
8
0
96.1
102
5
28
3
80
4
0
44
38
3.55
17
横浜
7
0
0
4
2
0
37.0
46
6
14
0
33
1
0
30
22
5.35
球団
4年
71
5
3
29
23
0
434.0
459
35
123
19
320
20
2
206
182
3.77
通算
13年
304
20
8
97
86
6
1540.1
1553
137
398
89
1130
54
3
689
633
3.70
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
05
ロッテ
19
6
1
2
1
0
0
3
2
0
0
1
0
0
0
1
0
0
.333
06
ロッテ
23
7
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
5
0
1
.143
07
ロッテ
21
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
0
0
0
0
0
1
.000
08
ロッテ
33
4
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
3
0
0
.250
09
阪神
27
45
3
4
1
0
0
5
0
0
0
3
0
0
1
23
0
1
.089
10
阪神
30
67
3
8
1
0
0
9
4
0
0
6
0
0
0
28
1
1
.119
11
阪神
21
29
1
0
0
0
0
0
0
0
0
3
0
0
0
14
0
2
.000
12
阪神
18
31
0
3
0
0
0
3
1
0
0
5
0
1
0
15
0
0
.097
13
阪神
44
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
1
0
0
.000
14
横浜
28
43
1
5
0
0
0
5
0
0
0
12
0
1
0
25
0
1
.116
15
横浜
21
28
1
2
0
0
0
2
0
0
0
5
0
1
0
17
0
3
.071
16
横浜
15
27
0
2
0
0
0
2
1
0
0
3
0
0
0
16
0
1
.074
17
横浜
7
14
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
9
0
2
.071
球団
4年
71
122
2
10
0
0
0
10
1
0
0
20
0
2
0
67
0
7
.082
通算
13年
307
303
10
29
3
0
0
32
8
0
0
40
0
4
1
157
1
13
.096
プレーオフ投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
07
ロッテ
2
0
0
0
1
0
1.2
7
0
1
1
2
0
0
6
6
32.40
10
阪神
1
0
0
0
0
0
6.0
9
0
0
1
7
0
0
2
0
0.00
13
阪神
2
0
0
0
0
0
1.1
0
0
0
1
2
0
0
0
0
0.00
通算
3年
5
0
0
0
1
0
9.0
16
0
1
3
11
0
0
8
6
6.00
プレーオフ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
07
ロッテ
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
10
阪神
1
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
13
阪神
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
3年
5
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
オールスター投球成績
回数
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
通算
1回
1
0
0
0
0
0
2.0
0
0
0
0
2
0
0
0
0
0.00
二軍投球成績
チーム
登板
完投
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四死
三振
失点
自責
防御率
05
ロッテ
3
0
2
0
0
14.0
10
0
2
13
2
2
1.29
07
ロッテ
3
0
0
1
0
7.0
14
1
4
6
9
9
11.57
08
ロッテ
3
0
2
1
0
12.2
17
0
8
9
7
7
4.97
09
阪神
1
0
0
1
0
2.2
8
0
3
2
5
5
16.88
11
阪神
3
0
1
0
0
13.0
14
2
6
12
5
5
3.46
12
阪神
4
0
1
3
0
19.0
17
1
5
21
6
5
2.37
13
阪神
9
0
0
0
2
8.2
9
0
3
4
2
2
2.08
14
横浜
1
0
0
1
0
4.0
4
0
9
1
4
3
6.75
16
横浜
8
0
1
6
0
49.0
61
5
12
21
28
23
4.22
17
横浜
12
0
1
5
0
54.0
65
4
14
36
30
28
4.67
通算
10年
47
0
8
18
2
184.0
219
13
66
125
98
89
4.35