楠本 泰史
37
|
名前 |
くすもと たいし |
生年月日 |
1995年7月7日 |
経歴 |
花咲徳栄高−東北福祉大−横浜(17年D8位) |
入団年 |
17年ドラフト8位 |
在籍年 |
18年−24年 |
背番号 |
18年−24年[37] |
投打 |
右投げ左打ち |
守備 |
外野手 |
|
|
:松井祐の誘いでベイスターズジュニアに:
大阪の吹田市で生まれ、父親の方針で2歳の頃からボールで遊んでいた。小学1年の時に岡山県に引っ越し、小4から野球を始める。小6の時に横浜に引っ越して松井
裕樹と同級生になり、松井裕に誘われて横浜ベイスターズジュニアのセレクションを受験して二人とも見事に合格を果たした。また松井祐から「一緒にやろう」と誘われて石川サンダーボルトに入団した。中学でも青葉緑東シニアで松井祐とチームメイトだった。
:松井と対戦:
花咲徳栄では同級生の若月 健矢と共に1年秋からレギュラーになり、2年夏には3番ショートで県大会で21打数10安打を記録、秋の関東大会では準優勝を果たして3年春のセンバツ出場を掴んだが、センバツでは3打数0安打に倒れてチームも初戦敗退と悔しさを味わった。3年春の関東大会では桐光学園の松井祐と対戦、楠本が「心の底からワクワクした」と語り、松井も、「高校の中で一番楽しかった」というマッチアップは3打数1安打1三振で迎えた4打席に楠本がライトへ大飛球を放ったが、逆風とライトのファインプレーでアウトになった。なお同試合で松井は18奪三振を記録した。3年夏は準々決勝で敗れて夏の甲子園には出場できなかった。
:東北福祉大:
プロ志望でスカウトからも評価を受けていたが、岩井監督から大学で成長してからのプロ入りを勧められて監督の母校でもある東北福祉大へ進学、1年春からレギュラーとなり打率.324で新人王に選出された。右肩を痛めて苦しい時期も過ごしたが、大学2年の時に松井祐がインタビューで「小・中学校の同級生が仙台で野球を続けている。大学から必ずプロの世界に飛び込んでくる選手だと僕は信じている」と語っているのを目にして奮起、2年秋の仙台大戦で東北福祉大相手に2戦連続完封を記録していた熊原から決勝ソロを放ち、3年春には自己最高の打率.438に3本塁打、11打点で二冠王に輝いた。
:日米大学野球で4番:
3年の日米大学野球では15打数3安打に終わると、秋のシーズンは打率.256と打撃が低迷、ミートを意識するあまりスイングが弱くなっていることに気付いて修正し、4年春には打率.415で首位打者とMVPに輝いた。右肩を痛めた影響もあってショートから4年春に外野に転向、2年連続で出場した日米大学野球では4番を任されて打率.389(チーム首位打者)、8月14日に行われたJX-ENEOSとの練習試合では横浜でチームメイトとなる齋藤
俊介から先制スリーランを放った。4年春が終了した時点で通算91安打と東北福祉大史上初めての100安打が期待されたが、4年秋は8試合出場に留まった事もあり自身ワーストの8安打で大台に1安打届かなかった。
:横浜入団:
ドラフト会議で横浜から8位指名を受けて入団。指名された82選手中81番目の指名だった(育成除く)。オープン戦で15打数8安打(打率.533)、2本塁打も放って開幕一軍を勝ち取ると、開幕3連戦には代打で起用されて死球、四球、死球で全て出塁、桑原の不振もあって4月5日にはスタメン起用と順調にステップアップした。だが4試合のスタメン出場でヒットは打てず、14日の中日戦では四球で出塁した5回裏に嶺井のライトフライで一塁への緩慢な帰塁のスキを突かれてアウトとなり途中交代、11打数0安打で6四死球という成績を残して翌日に抹消となった。ストレスから食事量が減って体重が5キロも落ちていたため二軍では食生活の見直しも意識して体重を戻した。
:初ヒット:
5月31日の楽天戦から1軍に合流すると松井祐との対戦はなかったが試合前には再会を喜び合った。6月3日のソフトバンク戦でスタメンで起用されると3回表に武田から初ヒット、9回表には守護神の森からツーベースを放った。12日のロッテ戦では3番に抜擢されてチームが完封負けを喫する中で2安打と一人気を吐いた。その後は抹消もあったが徐々に数字を上げて73打数15安打で打率.205ながら、初ヒットを放った6月3日以降は打率.250というまずまずの成績を残した。
:オープン戦首位打者:
19年はキャンプからアピールを続けてオープン戦では12球団トップの打率.388を記録、球団のオープン戦日本人首位打者は高木豊以来31年ぶりだった。OPSも1.046という好成績で一気に開幕スタメンの座を掴むと、開幕戦で2安打3四死球を放って勝利に貢献した。翌日の守備でソトと激突し、ソトの膝が顔面に入り首を痛めたが、テーピングで固めて強行出場した第3戦では先制とサヨナラにつながる2安打を放った。だが翌日から精彩を欠くプレーが続き、4月5日の巨人戦で併殺と空振り三振で途中交代、12日の広島戦には先制タイムリーを放ってお立ち台に上がったが、19日の広島戦では2安打を放ったが暴走でチャンスをつぶすと、翌日から9打数連続のノーヒットに倒れて5月3日に抹消となった。
:史上2人目の初本塁打:
6月4日に再昇格を果たすと、9日の西武戦で2点を追う8回裏の二死満塁で代打起用されて逆方向へと打ち返した大飛球がレフトスタンドに飛び込む起死回生の逆転満塁ホームランとなってヒーローになった。初本塁打が代打満塁弾は史上7人目で、代打逆転満塁本塁打に限ると75年の久保俊巳以来2人目の快挙だった。お立ち台に上がった楠本は「野球をやってきてよかったなと思いました」答えて大歓声を浴びた。だが15日のソフトバンク戦でダイビングキャッチを試みて手首を負傷したこともあって再び抹消となった。シーズン終盤に昇格を果たしたが、負ければ逆転優勝の可能性が消滅し巨人が胴上げとなる9月21日の巨人戦で勝ち越しを許して迎えた10回裏に二死で代打起用されて空振り三振、捕手の小林が「よっしゃー!」と絶叫し、三塁側ベンチから巨人選手がマウンドにかけ集まっていく光景を打席で見つめることになった。
:抹消/昇格:
20年は開幕一軍に残って開幕直後の6月27日の阪神戦で2点を追う9回裏二死満塁で代打起用されたがレフトフライに倒れるなど結果が残せず7月6日に抹消となった。18日に再昇格を果たしたが24日に再び抹消、8月5日に再昇格して2番スタメンに抜擢された11日の阪神戦で初回に同点弾を放ったが、22日に抹消になるなど1軍では多くのチャンスはもらえなかった。だが2軍では30試合の出場ながら打率.365、出塁率.455、長打率.663という素晴らしい成績を残した。
:代打の切り札:
21年には5月26日にイースタンリーグの楽天戦でツーベース、ヒット、スリーベースを放って迎えた第4打席でライトスタンドにツーランを叩き込んでリーグ史上11人目のサイクルヒットを達成、その2日後に1軍昇格を果たすと代打として数多く起用されて、主力の故障でスタメン起用となった6月29日の中日戦では好守と逆転のきっかけとなるヒットと活躍、9月7日の巨人戦では変則左腕の大江から代打スリーランを放つなど後半戦は代打の切り札として起用された。同年の外野陣が佐野、桑原、オースティンがそろって打率上位に名を連ねるなど強力な布陣だった事もあってスタメンのチャンスは少なかったが、76試合に出場して打率.254、OPS.691を記録した。
:開幕スタメン:
22年は離脱したオースティンに代わって開幕戦に3番ライトで出場、開幕第3戦で先制打を含むツーベース2本を放つと、次戦でもタイムリーを含む2安打、4月5日の阪神戦では2安打に加えて阪神ファンからも拍手が上がる2つの好守を見せた。コロナウイルスで2週間離脱したが復帰戦でソロを含む3安打を記録するなどアピールを続けて、出場試合は1試合を除いて全て上位打線を任されるなど飛躍の1年になるかと思われていたが5月21日に走塁中に右足を痛めて離脱した。
:チャンス生かす:
一か月間で1軍復帰を果たすと復帰後は状態が上がらず数字を落としたが、8月21日の広島戦で先制弾を放ってお立ち台に上がると、翌日には3安打を放つなど復調、9月9日の阪神戦では逆転のきっかけとなるセンター前を含む3安打を放ってお立ち台に上がり、20日の阪神戦では9回表に勝ち越しタイムリー、29日の中日戦では同点ソロとツーベースで勝利に貢献するなど主力の故障で貰ったチャンスを生かして94試合に出場、打率.252、6本塁打、26打点という数字以上の印象を残した。
:お立ち台の常連も:
23年は開幕からの4試合中3試合で中軸を任されるなど期待されていたが開幕から13打数連続ノーヒットという不振に陥り拙守も見せるなど苦しい幕開けとなった。4月6日の巨人戦で代打でスリーランを放ってお立ち台に上がると、23日の広島戦では栗林から決勝タイムリーでお立ち台、29日の中日戦で決勝打を放ってお立ち台、5月3日のバウアー初登板試合でも勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台と代打の切り札として活躍、6月4日の西武戦でも同点タイムリーでお立ち台、7月2日の中日戦でも勝ち越し犠飛でお立ち台と活躍を続けた。だが8月6日の阪神戦でどよめきが上がる中で不振の佐野に代わって代打起用されて凡退すると、以降は数字を落とし、勝てば2位の最終戦では走塁ミスという歯がゆさの残るシーズンとなった。 |
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初記録 |
初出場 |
2018年3月30日ヤクルト戦 |
初安打 |
2018年6月3日ソフトバンク戦:武田から |
初本塁打 |
2019年6月9日西武戦:ヒースから |
初打点 |
2018年6月15日オリックス戦:内野ゴロで |
初盗塁 |
2018年4月8日広島戦 |
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|
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
18 |
横浜 |
56 |
73 |
4 |
15 |
3 |
0 |
0 |
18 |
2 |
2 |
1 |
0 |
0 |
6 |
3 |
19 |
0 |
0 |
.205 |
19 |
横浜 |
39 |
72 |
6 |
15 |
4 |
0 |
1 |
22 |
6 |
0 |
2 |
0 |
0 |
7 |
2 |
19 |
1 |
0 |
.208 |
20 |
横浜 |
28 |
26 |
6 |
4 |
2 |
0 |
1 |
9 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
7 |
0 |
0 |
.154 |
21 |
横浜 |
76 |
114 |
9 |
29 |
7 |
0 |
2 |
42 |
18 |
1 |
4 |
0 |
1 |
10 |
2 |
23 |
1 |
0 |
254 |
22 |
横浜 |
94 |
282 |
27 |
71 |
13 |
0 |
6 |
102 |
26 |
6 |
2 |
13 |
2 |
23 |
7 |
55 |
4 |
2 |
.252 |
23 |
横浜 |
94 |
157 |
14 |
30 |
9 |
0 |
2 |
45 |
21 |
0 |
0 |
2 |
3 |
11 |
3 |
35 |
2 |
0 |
.191 |
|
通算 |
6年 |
387 |
724 |
66 |
164 |
38 |
0 |
12 |
238 |
74 |
9 |
9 |
15 |
6 |
59 |
18 |
158 |
8 |
2 |
.227 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
22 |
横浜 |
2 |
6 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.167 |
23 |
横浜 |
1 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.500 |
. |
通算 |
2年 |
3 |
8 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.250 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
18 |
横浜 |
48 |
164 |
22 |
53 |
15 |
1 |
1 |
73 |
16 |
3 |
2 |
1 |
12 |
25 |
2 |
2 |
.323 |
19 |
横浜 |
70 |
257 |
34 |
81 |
13 |
1 |
7 |
117 |
38 |
5 |
1 |
2 |
29 |
39 |
7 |
1 |
.315 |
20 |
横浜 |
30 |
104 |
24 |
38 |
13 |
0 |
6 |
69 |
24 |
2 |
0 |
0 |
17 |
24 |
1 |
0 |
.365 |
21 |
横浜 |
42 |
131 |
18 |
34 |
9 |
2 |
5 |
62 |
25 |
10 |
2 |
2 |
31 |
19 |
2 |
1 |
.260 |
22 |
横浜 |
7 |
23 |
4 |
6 |
2 |
0 |
0 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
5 |
0 |
0 |
.261 |
23 |
横浜 |
5 |
16 |
3 |
6 |
2 |
0 |
1 |
11 |
4 |
0 |
0 |
1 |
5 |
2 |
0 |
0 |
.375 |
|
通算 |
6年 |
202 |
695 |
105 |
218 |
54 |
4 |
20 |
340 |
107 |
20 |
5 |
6 |
98 |
114 |
12 |
4 |
.314 |
|
|
|