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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
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桑原 将志
1
名前
くわはら まさゆき
生年月日
1993年7月21日
経歴
福知山成美高−横浜(11年D4位)
入団年
11年ドラフト4位
在籍年
12年−
背番号
12年−17年[37]:18年−[1]
投打
右投げ右打ち
守備
内野手
:
最初で最後の夏
:
福知山成美高では1年春からサードでレギュラーを掴んだが、野球部員の不祥事で1年の夏、2年の春夏と大会に出場する事すらできない悔しさを味わった。桑原は「腐ったら夢だったプロ野球に行けないと思って練習だけは続けた」。3年夏には主将として府大会に臨んだが初戦、第2戦でチームは勝ったものの桑原は6打数0安打と結果が残せなかった。その日の夜に2学年上のOBから電話があり「気負いすぎだ。原点に戻って楽しめ」とのアドバイスを受けて、次戦で2安打2打点を記録。府大会の準決勝で破れて甲子園出場はならなかったが、同年のドラフト会議で横浜から4位指名を受けて入団した。
:
初打席で初ヒット
:
ルーキーイヤーには慣れ親しんだショートからセカンドに転向した影響もあってイップスになり外野手としても起用された。5月にはイースタンリーグで打率.367を記録して月間MVPに選出され、フレッシュオールスターでも2安打を放つなど光るものを見せた。シーズン終盤には一軍に昇格して10月1日の中日戦で守備から入って初出場を果たすと、8回裏の初打席で山井から初ヒットを放った。翌13年には春のキャンプで本格的に外野に挑戦して、4月23日には荒波、多村の故障に伴って一軍に昇格。翌日の巨人戦で初スタメンとなる7番センターで出場したが杉内らの前に3三振を喫して試合も1対17と大敗。5試合の出場で登録抹消となった。
:
3打席で29球
:
14年は6月21日にイースタン・リーグのロッテ戦でセンター前、スリーラン、スリーベースを放ってサイクルヒットにリーチをかけて迎えた第5打席でレフトオーバーのツーベースを放って見事に記録を達成。通算でも打率.291という好成績を残して6月28日に一軍へ昇格。7月4日の阪神戦でスタメンのチャンスを貰うと好投手のメッセンジャーから第1打席で9球粘って四球、第2打席は併殺に倒れたが10球、第3打席も10球粘って四球と3打席で29球という驚異的な粘りを見せて中畑監督から賞賛された。7月11日のヤクルト戦でタイムリーヒットを含む2安打を放つと、そこから6試合連続ヒットを記録した。
:
サヨナラヒットを含む5安打
:
8月5日の巨人戦は桑原の2安打1犠打の活躍もあって5対0とリードしたが8、9回で5点を奪われて同点に追いつかれてしまう。9回裏には桑原がレフト線にツーベースを放ってサヨナラのお膳立てをしたが後続が倒れて延長戦に突入。チームが前日まで2試合連続延長サヨナラ負けという事もあって嫌な雰囲気になり、延長11回表にはついに勝ち越し点を奪われてしまったが、その裏に桑原の4安打目となるツーベースから同点に追いつくと、引き分けを目前にした12回裏に一死一、二塁で打席に入った桑原がライト前にしぶとく落として劇的なサヨナラ勝利となった。お立ち台に上がった桑原は「とにかく必死だった」と答えつつも、コマネチのポーズを披露するなど持ち前の明るさもアピールした。
:
月間2度目の
:
8月30日の巨人戦では試合途中からセンターに入ったが8回表の守備で坂本が放った右中間への飛球に追いつけず逆転を許すきっかけを作ってしまう。「悔しくて申し訳なかった」という桑原は4対4の同点で迎えた延長10回裏に二死二、三塁というチャンスで打席に入ると、マシソンが投じた初球のストレートは見逃してしまったが、4球目の156キロにバットを出すと、飛球がサード村田の後方にポトリと落ちて月間2度目の巨人戦サヨナラ打を記録した。翌日の巨人戦では江柄子が投じた142キロのストレートを頭部に受けて交代になったが、桑原は倒れ込みながら中畑監督に「いけます」と出場を直訴した。同年には53試合に出場して打率.257とチャンスを掴んだが、9月4日にCSを争う阪神戦で逆転に繋がる落球を犯してしまうなど課題も残る一年となった。
:
開幕スタメンも
:
飛躍の年としたい15年は開幕スタメンこそ勝ち取ったが巨人との開幕3連戦で10打数1安打、4月7日の阪神戦では4打席連続三振を含む5タコに倒れるなど打撃で苦しんで4月23日に登録抹消、約一か月後に昇格を果たすと6月6日の西武戦では6回裏一死で代打起用されてノーヒットピッチを続けていた菊池からセカンド頭上を越えるライト前ヒットを放ったが、その後はヒットが続かず前年を上回る60試合に出場したが打率.184と期待に応えられなかった。
:
菅野打ち
:
16年は4月20日の広島戦でポテンヒット2本を含む3安打2打点、27日〜28日の中日戦では2試合連続ホームランを放つなど梶谷の故障で手にしたチャンスをものにすると、5月18日の巨人戦ではフェンス際の飛球を落球して無死三塁のピンチを作ってしまったが、クルーズのライトフライで見事なバックホームを投じてミスを取り返し、6月24日の巨人戦では開幕から102イニングで自責10という神がかり的な活躍を見せていた菅野から初回に先制のきっかけとなるヒット、2回裏に2点タイムリー、3回裏に満塁弾で6打点を記録、翌日にも勝ち越しタイムリーを含む3安打1四球を放って2日連続のお立ち台に上がった。
:
レギュラー
:
球宴を挟んだ10試合では41打数4安打という不振に陥って3割を超えていた打率も2割6分台まで降下したが、7月28日の中日戦で久々の猛打賞を記録すると、翌日の広島戦でスリーランを含む2安打2四球、31日の広島戦では先頭打者本塁打と復調、8月中旬には再び不調に陥ったが、8月23日からの6連戦で25打数12安打を記録すると、9月には月間打率.349という好成績を残して球団初のCS出場に大きく貢献した。またリーグ3位の得点圏打率.370や、広い守備範囲がラミレス監督から高い評価を受けて1番センターの座をものにした。
:
序盤は不調も
:
17年は4月9日の中日戦で同点を阻止するバックホームと2安打で濱口の初勝利を援護したが、4月下旬から絶不調となり5月16日からは4試合連続ノーヒットを記録するなど一時は打率.200まで成績が落ち込んだ。だが20日の巨人戦で24打席ぶりのヒットとなる勝ち越しタイムリーを放つと、23日からの6連戦では30打席で18出塁(10安打8四死球)を記録するなど復調、6月6日の楽天戦では先頭打者本塁打を含む4安打、17日のオリックス戦でも2本塁打を含む4安打、交流戦明けのヤクルト3連戦でも12打数7安打を放つなど一気に数字を上げた。
:
先頭弾&逆転満塁弾
:
7月1日の巨人戦では初回に先頭打者本塁打を放つと2対4の劣勢で迎えた9回表二死満塁で打席に入って抑えのカミネロからレフトスタンドへ劇的な逆転満塁ホームランを叩き込んで同年初となる貯金をチームにもたらした。先頭弾と満塁弾は史上6度目で先頭弾と9回に逆転満塁弾はMLBでもない歴史的な快挙だった。同月には月間打率.389でOPS1.117という驚異的な活躍を見せて月間MVPに選出された。8月4日の広島戦でも逆転満塁弾を含む3安打を放つなど印象深い活躍を見せたが、CSを争う最終盤には23打席連続ノーヒットを記録すると、日本シリーズでも第2戦で史上5人目の4打数4三振に倒れるなど26打数で10三振を記録した。シーズンでは球団史上4度目の38二塁打に13本塁打を記録したが、序盤と終盤の不調が響いて打率.269に留まった。
:
定位置失う
:
18年に入ってもオープン戦で打率.167と苦しみ、開幕第2戦では9回裏のチャンスに代打を送られ、第3戦では指定席だった1番から7番に降格、続く試合で1点差に追い上げた8回裏のチャンスで凡退すると、翌日には早くもスタメン落ちとなった。前年にはレギュラーを明言して全試合で1番センターを任せてくれたラミレス監督からは「昨シーズンの終盤から調子が悪い」と信頼を失い、打率は2割台前半を留まり、6月終了時点で打点もわずか7とチャンスでも凡退を繰り返した。
:
サイクルヒット
:
正念場に追い込まれたが、7月3日の巨人戦で久々に1番で起用されると勝ち越しタイムリーに3四死球、翌日には左中間への打球をフェンスにぶつかりながら好捕、翌日には4安打、さらに次戦からも2安打に好守、2安打、同点弾を含む3安打と前年に続いて7月に絶好調を迎えた。オールスターが明けても好調を持続させて20日の阪神戦では初回に先頭打者ホームランを放つと、ヒット、スリーベース、四球を挟んで、ツーベースと全てファーストストライクを打って史上67人目のサイクルヒットを達成、同日には盗塁に加えて好守も連発するなど一人舞台の活躍を見せた。7月には前年を超える打率.421、OPS1.128という驚異的な活躍で7月1日には.231だった打率を一気に300まで引き上げた。だが8月に入ると再び不調にはまって打率.261でシーズンを終えた。
:
打撃不振
:
19年は開幕から15打数1安打と苦しんで4月24日に2軍降格、5月6日に昇格するとチャンスはなかなか回ってこなかったが、5月22日の巨人戦でソロ、6月8日の西武戦では久々のスタメンで勝ち越し打を含む2安打1四球1犠打と活躍、6月12日には最愛の母である栄美さんが50歳の若さで死去、19日の日本ハム戦でスタメンを任されると初回に母に捧げる特大の先制ソロを放った。29日の広島戦で代打でサヨナラにつなげるスリーベースを放つなど徐々に数字をあげたが、7月6日から3試合連続でスタメンを任されたがノーヒットに終わって抹消となった。8月10日に昇格すると途中出場でサヨナラにつながる内野安打、翌日にはスタメンで逆転の2点タイムリー、9月14日のヤクルト戦で猛打賞と見せ場はあったが、72試合出場で102打数19安打という苦しい1年になった。
:
崖っぷちに
:
コロナウイルスの影響で開幕が延期となった20年は開幕1軍に残ったが、7月18日の巨人戦で2点差に追い上げた9回裏二死満塁で代打起用されたが三球三振、翌日の巨人戦でも2点を追う9回裏の無死一、二塁で代打起用されたがショートゴロ併殺に倒れるなど勝負所で結果を残せず抹消となった。8月11日に再昇格を果たしたがスタメンに抜擢された同日の阪神戦で好守は見せたが3三振に倒れてチャンスを逃した。同年はほぼ途中出場の34試合出場で打率.139とさらに数字を落として終えて秋には内野手転向も打診された。
:
スタメン奪取も
:
梶谷がFAで巨人へ移籍し大きなチャンスとなった21年は2軍キャンプで球春を迎えたが、練習試合とオープン戦で攻守にアピールして開幕1軍を超えて1番センターを勝ち取った。開幕第3戦で2安打を放つと、続くヤクルト戦で4安打、4月6日の中日戦では前年に25回無失点に抑え込まれた大野から3打数3安打とトップバッターとして活躍した。だが16日からの巨人3連戦の守備で判断ミスを連発すると、5月12日の巨人戦では9回裏二死から内野フライを打ち上げると意気消沈して全力疾走を怠り、巨人内野陣が譲り合ってヒットになったが二塁に進めず、26日のオリックス戦では二死満塁で平凡な飛球を落球と悪夢が重なって大きな非難を受けた。
:
自分らしく
:
スタメンを失いかけたが神里の故障で6月2日のソフトバンク戦で1番センターに復帰するとダイビングキャッチやスライディングキャッチで好捕を連発、翌日にもダイビングキャッチで勝利に貢献、持ち味である積極性を失わず前向きなプレーを続けて、6月には6度の猛打賞を含む35安打を放って打率.372、OPS1.010に加えて27得点という驚異的な成績を残した。東京五輪の中断を挟んでも好調をキープして8月22日の巨人戦で2安打を放って打率がリーグトップの.320まで上昇、9月19日と20日の中日戦で同じ弾道で史上35人目の2試合連続先頭打者本塁打を記録、シーズン終盤まで活躍を続けてリーグ5位の打率.310、3位の161安打、2位の84得点という素晴らしい成績を残した。
:
4年契約
:
オフに年俸変動制の4年契約を結び主力選手として期待された22年はオープン戦から打撃不振に陥り、4月7日にはコロナウイルスに感染して離脱、2週間後に1軍へ復帰したが状態が上がらず5月4日にスタメン落ちとなった。だが6月に入ると9日の日本ハム戦で同点ソロを含む3安打、19日の阪神戦で2点タイムリーを含む3安打と固め打ちを見せるようになり1割台だった打率も徐々に上昇、28日の阪神戦では代打で同点タイムリーを放ってお立ち台に上がると、1番に復帰した30日には猛打賞を放ってポジションを取り戻した。
:
好守
:
7月7日の中日戦ではフェンス際の大飛球に全力疾走で追いついてジャンピングキャッチで好捕すると、勢いは止まらずフェンスに激突したが打球を離さないガッツを見せた。3日後の巨人戦では8回裏の二死満塁のピンチで吉川が放ったセンター前への打球をダイビングキャッチで好捕、同年の球団のベストプレーともいわれる好守で巨人ファンからも拍手が上がった。
:
夏男
:
7月17日のヤクルト戦ではソロ、バントヒット、2点タイムリーツーベースと大技小技でお立ち台に上がり、8月16日の巨人戦でも3安打でお立ち台、24日の阪神戦では満塁弾、9月1日の中日戦は先制弾でお立ち台と夏男ぶりを発揮して夏場以降に快進撃を見せたチームを引っ張った。惜しくも優勝には届かず9月26日のヤクルト戦では直接対決で敗れて目の前で胴上げを許したが、丸山が放った左中間を破るサヨナラヒットの打球を拾うと歓喜に沸くヤクルトの選手たちの輪に近づき、オスナにウイニングボールを手渡して敬意を表した。CSでは三浦監督からキープレーヤーに指名されたが初戦、2戦目と凡退すると第3戦はスタメン落ちとなった。
:
6年ぶり
:
23年は開幕から5番という不慣れな打順を任されたが打率3割前後の好成績を残した。バウアーの初登板で異様の奮起となった5月3日の広島戦では同点打を含む3安打を放ってお立ち台に上がり、翌日には好守連発にソロと攻守に躍動してチームを引っ張った。5月9日から5試合連続ノーヒットで数字を落としたが、18日の広島戦では5打数5安打の固め打ちでお立ち台に上がった。だが6月14日に左ふくらはぎを痛めて抹消となると、時間を置かずに25日に再昇格したが7月1日に右ふくらはぎを故障、出場を続けて7月25日の中日戦で慣れ親しんだ1番で出場するとチーム5連敗を止める3安打を放ったが夏場以降は徐々に数字を落とした。同年は132試合に出場して打率.252、7本塁打というまずまずの成績を残し、6年ぶりのゴールデングラブに選出された。
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
ゴールデングラブ
●
●
2回
初記録
初出場
2012年10月1日中日戦:守備から
初安打
2012年10月1日中日戦:山井から
初本塁打
2014年9月28日巨人戦:澤村から
初打点
2014年7月11日ヤクルト戦:八木から適時打
初盗塁
2014年7月11日ヤクルト戦:初回にニ盗
その他の記録
日本シリーズMVP
24年
月間MVP
17年7月
サイクルヒット
18年7月20日阪神戦
記録達成日
1000試合
2023年8月29日阪神戦
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
12
横浜
3
3
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.333
13
横浜
5
6
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
3
0
0
.000
14
横浜
53
144
15
37
7
2
1
51
13
4
1
8
0
15
2
32
5
5
.257
15
横浜
60
103
14
19
4
1
1
28
5
1
1
8
0
5
0
26
1
1
.184
16
横浜
133
462
80
131
23
2
11
191
49
19
11
8
0
38
14
93
5
4
.284
17
横浜
143
598
87
161
38
5
13
248
52
10
11
10
0
45
11
116
8
3
.269
18
横浜
127
379
57
99
24
5
9
160
26
17
3
7
0
32
3
71
3
1
.261
19
横浜
72
102
14
19
3
1
2
30
7
2
0
3
0
9
1
26
0
1
.186
20
横浜
34
36
8
5
0
0
1
8
2
0
0
1
1
3
1
11
2
0
.139
21
横浜
135
519
84
161
39
2
14
246
43
12
7
4
0
44
4
75
12
3
.310
22
横浜
130
475
61
122
32
1
4
168
39
13
8
7
1
42
4
89
3
0
.257
23
横浜
132
429
48
108
23
4
7
160
35
3
8
11
6
23
10
54
11
3
.252
通算
12年
1027
3256
468
863
193
23
63
1291
271
81
50
67
8
256
50
597
50
21
.265
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
17
横浜
6
26
2
4
0
0
0
4
1
1
2
0
0
2
0
10
0
0
.154
通算
1年
6
26
2
4
0
0
0
4
1
1
2
0
0
2
0
10
0
0
.154
クライマックスシリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
16
横浜
7
30
2
5
2
0
0
7
1
0
0
0
0
2
0
5
0
0
.167
17
横浜
8
32
8
9
2
0
1
14
5
2
0
1
1
3
0
6
2
2
.281
19
横浜
3
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
22
横浜
3
8
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
0
2
0
0
.000
23
横浜
2
4
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
5年
23
75
10
14
4
0
1
21
6
2
0
2
1
5
0
13
2
2
.187
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
12
横浜
89
298
47
67
14
3
2
93
18
13
5
0
27
73
6
12
.225
13
横浜
90
278
44
75
11
4
2
100
27
9
14
1
33
56
1
11
.270
14
横浜
67
251
43
73
10
5
5
108
33
12
6
1
30
62
6
6
.291
15
横浜
35
137
24
41
4
7
5
74
21
6
5
1
17
30
1
0
.299
19
横浜
34
137
18
30
1
3
3
46
12
4
3
0
14
27
2
2
.219
20
横浜
28
102
20
25
1
2
5
45
17
6
0
1
13
13
4
0
.245
22
横浜
2
4
4
1
0
0
0
1
0
0
0
0
3
0
0
0
.250
23
横浜
2
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
1
0
0
.000
通算
8年
347
1209
200
312
41
24
22
467
128
50
33
4
139
262
20
31
.258