:グリエル:
父はキューバで2000安打以上を放ち、日本のいすゞ自動車などでもプレーしたルルデス、二人の兄もキューバ代表選手で特に次男のユリエスキは世界的に名の知られたスーパースターという野球一家に育つ。17歳でサンクティ・スプリトゥスに所属し国内リーグにデビュー、3年目にはレギュラーとなり、5年目の14-15シーズンには打率.308を記録してキューバ代表に選出された。
:横浜移籍?:
15年2月2日には兄ユリエスキが所属する横浜DeNAベイスタースと年俸3500万円の2年契約で入団決定と報じられたが、開幕直前になって兄とともに故障を理由に来日を延期、横浜が診断書の提出を求めても返答がなかったため他球団への移籍などを禁じる制限選手としての処置がとられた。同年11月に行われたWBSCプレミア12には二人の兄とともに代表入りを果たして代表に3人のグリエルが名を連ねた。同年オフに横浜から自由契約の手続きが取られた。
:亡命:
15-16年シーズンは国内リーグで打率.321、8本塁打、32打点を記録。2016年の2月にカリビアンシリーズの敗退後に兄のユリエスキと共に亡命して11月11日にブルージェイスと7年2200万ドル(23億円)で契約を結んだ。
:MLBデビュー:
初年度はAAで46試合に出場して打率241で4本塁打と適応する事ができなかった。2年目となった18年はAAで開幕から打ちまくって4月20日にAAAを飛び越えてメジャーに昇格、同日のヤンキース戦で9番セカンドでMLBデビューすると第2打席で逆転の2点タイムリーを放って初ヒットを記録、第3打席では勝ち越しタイムリーを放った。29日のレンジャース戦ではコローンから初本塁打も放ったが、5月に38打数6安打と苦しんでマイナー降格となった。
:45年ぶりの快挙に兄弟記録:
7月2日の昇格後に4試合連続ヒットを放つと、11日のブレーブス戦から2安打、2安打、2安打、3安打、2安打、2安打、2安打、2安打と打ちまくって27日のホワイトソックス戦では2本塁打を含む3安打を放って球団タイ記録となる9試合連続複数安打を記録、翌日に球団新の10試合連続を達成すると、29日のホワイトソックス戦で3安打を放ってメジャー史上45年ぶりの11試合連続複数安打を記録した。メジャー記録の13試合も見えてきたが走塁中に左足を痛めてDL入り、8月24日のフィリーズ戦で復帰したが1安打に留まって記録更新はならなかった。9月21日にはレイズ戦で2本塁打を放ったが兄のユリエスキもエンゼルス戦で2本塁打を放っていたためメジャー史上初の兄弟同日複数本塁打が記録された。同年は65試合に出場して打率.281、11本塁打、35打点を記録した。
:連発×連発:
19年には開幕間もない4月9日のレッドソックス戦でホームスチールを決めて話題になったが打撃が上向かずマイナー落ちとなった。だが5月24日にメジャーへ復帰すると同日から3試合連続ホームランを記録、6月14日のアストロズ戦では兄弟そろって3番で出場、26日のヤンキース戦で2本塁打を含む3安打を放つと、続く試合でも2本塁打を放って球団史上4人目の2試合連続複数本塁打を記録した。レフトに加えてセカンドとファーストでも出場するなどチームに貢献していたが、8月8日のヤンキース戦の走塁で左足を痛めてに故障者リスト入り、314打数で20本塁打を放ったが84試合出場に留まった。
:30打点:
コロナウイルスの影響で60試合の短縮シーズンとなった20年は57試合に出場して打率.308、11本塁打、33打点、OPS.882という好成績を残した。翌21年はキャリアハイを大幅に更新する141試合に出場して打率.276、21本塁打、84打点を記録、中でも9月には4日のアスレチックス戦で満塁ホームランを放つと、12日のオリオールズ戦では満塁弾を含む2本塁打7打点を記録するなど月間30打点という驚異的な勝負強さを見せた。
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22年は121試合に出場して打率.291を記録したが本塁打は5本にとどまって、オフにトレードでダイヤモンドバックスへ移籍した。23年は145試合に出場して打率.261ながら24本塁打、82打点を記録、選手間投票でオールスターゲームへの出場も果たした。 |
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