:MLBデビュー:
05年のドラフト会議でフィリーズから12巡目指名を受けて入団。3年目の07年にA+で12試合に登板して16.1回で被安打6、防御率1.10という好成績を残して5月13日にAAに初昇格。AAでも6試合で7イニングで被安打2に抑えて、5月25日にAAAと飛び越えてMLBに昇格、AAへの初昇格からわずか12日での抜擢となった。同日のブレーブス戦で7対3で迎えた8回裏にMLB初登板、1イニングを三者凡退に抑えてMLBデビューを飾った。
:初勝利:
6月7日のメッツ戦では3対3で迎えた9回裏にマウンドへ上がって元ロッテの代打フリオ・フランコ(48歳)に四球を与えるなどでピンチを招いたがベン・ジョンソンを空振り三振に切って取って無失点に抑えると、打線が10回表にアトリーのタイムリーなどで3点を勝ち越してザガースキーに初勝利が記録された。その後も左のワンポイントとしてまずまずの活躍を見せていたが、7月25日のナショナルズ戦で4対3と1点をリードした9回表に一死二、三塁という大舞台を任されたが代打の代打フローレスに逆転の2点タイムリーツーベースを打たれてしまうと、翌日にも1点リードの8回表にフローレスに逆転スリーランを浴びてマイナー降格となった。
:カープ移籍:
08年にトミージョン手術を受け、翌09年は主にAAでプレーして45登板で防御率3.57を記録。10年にはAAAで52試合に登板して防御率3.27を記録したが、MLBでは8登板で防御率10.29と好結果は残せなかった。翌11年もAAAでは好成績を記録しながらMLBでは4試合しかチャンスを貰えなかったが、ダイヤモンドバックスに移籍した12年はMLBで自己最多の45試合に登板、防御率5.54を記録した。13年はパイレーツに移籍して6試合、シーズン途中に移籍したヤンキースでは1試合登板に留まると、翌14年はAAAで好成績を残しながらMLBでは登板なし終わって広島カープに移籍した。
:横浜入団:
カープでは109キロというぽっちゃり体型と愛嬌のある笑顔で来日前から人気者になった。2月3日には恵方巻きを食べて1年間の健康を願ったが翌日の守備練習で右足首をひねって捻挫、離脱中には前田
健太から送られた144個のハイチュウに舌鼓を打って糖分を摂取、開幕1軍に間に合わせると2試合目の登板となった4月2日の横浜戦ではマウンドですってんころりんと転倒、マウンドに座り込む姿がクマのプーさんに似ていると話題になった。ピッチングでは奪三振を量産するなど結果を残したが外国人枠の関係もあって19試合の登板に留まり、防御率2.40ながら同年限りで退団となり、翌16年の開幕直後に横浜に入団した。
:巨人戦で3勝:
4月22日に一軍へ昇格すると3試合連続無失点に抑えたが、大勝ムードだった5月1日の阪神戦で先発の山口が7回裏に突然の乱調で無死満塁というピンチを作って降板すると、ザガースキーが急きょマウンドへ上がったが、気持ちの準備ができていなかったのか代打狩野にストレートの押し出し四球、大和にもストレートの押し出し四球、鳥谷にタイムリーとまさかの内容で逆転負けに繋げてしまった。2イニングを無失点に抑えて待望の初勝利を記録した6月25日の巨人戦で「たくさんの種類のハイチュウが入ったバラエティーパックが必要なぐらいうれしいね」と独特の表現で喜びを表すと、7月22日、23日の巨人戦でも勝利投手となって巨人戦3勝を記録したが、続く試合から4試合連続失点となって登録抹消、同年限りで退団となった。
:5年ぶりのメジャー登板も:
帰国の翌年はAAAで今一つの成績に終わったが、翌18年には6月28日にブルワーズで5年ぶりのメジャー昇格を果たした。だが同年の初登板となった30日のレッズ戦で1点リードの7回裏無死一塁で登板も、いきなり四球を出すとジェネットに同点タイムリーツーベース、敬遠、ウィンカーに2点タイムリーと一死も取れずに降板して敗戦投手になってしまった。続く登板では7回表を三者凡退に抑えたが、イニングまたぎとなった8回表に2者連続のスリーベースを浴びるなど一死も取れずに降板となり同年は2試合の登板で防御率62.00が記録された。 |
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