嶺井 博希
39
|
名前 |
みねい ひろき |
生年月日 |
1991年6月4日 |
経歴 |
沖縄尚学高−亜細亜大−横浜(13年D3位)−ソフトバンク |
入団年 |
13年ドラフト3位 |
在籍年 |
14年−22年 |
背番号 |
14年−22年[39] |
投打 |
右投げ両打ち |
守備 |
捕手 |
|
|
:選抜優勝:
小学校1年時から野球を始める。中学時代は投手兼捕手として活躍し、3年春には九州中学生選抜軟式野球大会の2回戦でノーヒットノーランも記録している。沖縄尚学高では1年秋にエース東浜とのバッテリーで九州大会準優勝に導き、2年春の選抜では東浜の好投で順調に勝ち進み、準決勝の東洋大姫路戦では7回まで佐藤の前に無得点に抑え込まれてきたが、8回裏に1点差に迫り、なおも二死満塁から嶺井がライト前に逆転の2点タイムリーを放って決勝進出。聖望学園との決勝戦は9対0と圧勝して全国制覇を達成。嶺井は打率.188と打撃では今一つの成績に終わったが5試合で5失点に抑えて全国制覇に貢献した。
:亜大進学:
2年夏も県大会決勝まで駒を進めたが、東浜たち3年生が引退すると2年秋は県大会2回戦で敗退。3年夏ではまさかの県大会1回戦敗退に終わった。東浜の後を追って亜細亜大学に進学すると1年春からファーストでスタメン出場を果たして9安打を放った。1年秋から正捕手となったが2年春に打率.107に低迷するなど打撃不振に苦しみ左打席にも挑戦したが結果が残せず右打席に専念する事になった。2年秋は右手首を骨折して出場無しに終わったが主将となった4年春に打率.361と大きく数字を伸ばすと、秋にも.324という好成績を残した。また4年夏の日米大学野球では全試合で日本代表の先発マスクを任された。3年春から4季連続ベストナイン
:大学日本一:
13年のドラフト会議で横浜から3位指名を受けて入団。ドラフト後に行われた明治神宮大会では準決勝の桐蔭横浜大戦で1対1のまま迎えた延長10表の一死満塁からのタイブレークでレフト前に決勝打となるタイムリーを放った。明大との決勝戦でも4回に先制ソロ、6回にはセンター前タイムリーを放つなど同大会で11打数7安打を記録して亜大を7年ぶり4度目の大学日本一に導いた
:初ヒットが:
ルーキーイヤーは開幕一軍に残ったが試合出場がないまま登録抹消。黒羽根が右手を骨折したため抹消から10日後の4月12日に一軍復帰となり二軍の遠征先である沖縄から朝一の飛行機で横浜に飛んで一軍に合流したが2試合の出場で再び登録抹消となった。だが6月15日に一軍へ再昇格すると21日の西武戦で代走から試合に出場して6対7とリードを許して迎えた延長10回裏に二死一、二塁という大舞台で打席に入った。嶺井は緊張を隠せずこわばった表情をしていたが、カウント2−0からストレートを右方向へ打ち返すと「レフトへ引っ張ったつもりでどこへ跳んだのかわからなかった」という嶺井だが、打球はライトフェンス直撃の逆転スリーベースとなって劇的なサヨナラ勝利!初打数がサヨナラスリーベース(初打席は四球)という大仕事をやってのけた。
:サヨナラパスボール:
15年は同年の初スタメンとなった4月25日の中日戦で3回裏に同点ソロを放ってお立ち台に上がり、特徴的なハスキーボイスで声を張り上げた。7月14日の巨人戦では第1打席で内野安打、第2打席で2点タイムリースリーベース、第3打席でツーベースと安打を連ねて勝利に貢献。後半戦に入ると飛距離が大幅に伸びて8月30日の広島戦ではバックスクリーンにツーランを叩き込んでお立ち台に上がり「めんそーれー横浜!」と絶叫し、9月22日の中日戦ではソロを含む4安打と課題だった打撃で成長の跡を見せたが、9月29日の阪神戦で同点で迎えた9回裏に先頭打者を振り逃げでの出塁を許すと、無死一、三塁からセ14人目でチームでは56年6月14日の土井以来59年ぶり2人目となるサヨナラパスボールを犯してしまった。
:二軍:
16年はラミレス新監督が捕手二人制を選択した事もあって二軍スタート。6月15日に昇格すると6月17日の楽天戦では5点を追う9回裏一死満塁で松井祐からツーベースを放った。7月1日の広島戦では7回裏無死満塁というチャンスで代打起用されて死球を受けたが、協議の結果「肘を出している」と判定されて死球が取り消され、打ち直しでサードゴロに倒れた。右の代打としてまずまずの活躍を続けていたが、右の代打の切り札的存在だった後藤が昇格したため7月14日に登録抹消となった。
:CSファーストステージ最終戦:
ペナントレースはわずか11試合出場に留まったが、CS前の練習試合にDHとして起用されるなどラミレス監督から打力を評価されて代打兼第3捕手としてCSでは一軍のチャンスを掴んだ。引き分けでもファーストステージ敗退となる第3戦では3対3で迎えた8回裏二死一、二塁で代打起用されたがセカンドフライに倒れて勝ち越し機を逃してしたが、そのままマスクを被ると砂田-三上-田中をリードして巨人打線をゼロに抑え込み、東京ドームを埋めた横浜ファンから地鳴りのような声援を受けて打席に入った11回表の一死二塁というチャンスで躊躇なく初球を振り抜くと打球はレフトフェンスを直撃する勝ち越しタイムリーとなって球団史に名を刻んだ。また同日に奥さんの陣痛が始まり、試合後に横浜市内の病院に駆けつけて長男の出産に立ち会った。
:終盤にチャンス掴む:
17年は5月5日に一軍へ昇格すると10日の中日戦で同郷の平良とバッテリーを組んで実に1年半ぶりのスタメン出場、好リードで平良を初勝利に導いた。その後も数少ない出場機会の中で6月25日のヤクルト戦で今永と組んで4安打完封、打っても2年ぶりのホームラン、8月16日の中日戦では2対2の同点で迎えた9回表に山崎康が作った無死満塁のピンチで「1点でも4点でも同じだぞ」と声をかけて開き直らせて無失点に抑えると、その裏にはライト前ヒットと激走でサヨナラに繋げるなど評価を高めた。嶺井が先発マスクをかぶった試合は高勝率で防御率も良かったこともありシーズン終盤にはラミレス監督から「キーマン」に指名された。
:日本シリーズでミス:
CSでも8試合中5試合でスタメンを任されて1勝1敗で迎えたファーストS第3戦では初回に2点タイムリー、ファイナルS第3戦で完封リレーなど攻守で活躍して日本シリーズ進出に貢献、日本シリーズでは第5戦で同点に追いついた直後の6回裏一死一、三塁で代打で起用されるとスクイズファウルを挟んでからのセカンドゴロに倒れたが明石が弾いて勝ち越し点となり、ヘッドスライディングを見せた嶺井は寝ころんだまま喜びを表現した。だが後がない第6戦では東浜との対戦となった2回表の一死一、三塁で三振ゲッツー、2点リードの8回裏一死三塁のピンチでは柳田をピッチャーゴロに打ち取ると三塁走者が飛び出したが嶺井が一塁を指示して失点となり逆転負けの一因を作ってしまった。
:6-2-5:
18年は開幕第二戦の自身初打席で先制ソロを放つと、4月7日の広島戦でも先制弾を放ち、10日の巨人戦では上原からの勝ち越し打を含む2本のツーベースに逆転を防ぐ好守と活躍、19日の巨人戦でもタイムリー2本を放って勝利に貢献すると、29日の中日戦では無死満塁のピンチでショートゴロのバックホームを受けると二走のスタートが遅れたのを見逃さず三塁へ送球して6-2-5という珍しい併殺を完成させた。嶺井は試合後に高校2年夏の県大会決勝で打者として同様の併殺打に打ち取られていた事を明かした。
:チャンス逃す:
戸柱の打撃不振もあって正捕手の座を掴んだかと思われたが、嶺井も4月24日から19打数連続凡退を記録して打率が1割台に急降下すると、20日の試合では自打球をぶつけて抹消とチャンスを掴み切れなかった。6月1日に復帰したが三振を量産するなど打撃が上向かず、7月に伊藤光がトレードで加入すると併用起用となり、8月28日の中日戦では勝ち越しソロにタイムリー、9月9日のヤクルト戦ではスリーランと持ち前の長打力は見せたが、5月から5か月連続で月間打率1割台を記録するなど打率.177と打撃不振に苦しみ続けた1年となった。
:連敗止める:
19年も引き続き伊藤光が正捕手を務めたため限定的な起用が続いたが、チームが泥沼の連敗にはまっていた4月29日の巨人戦ではスタメンを任されると初回に盗塁を刺し、6回表に追撃タイムリーを放って連敗を10でストップさせる力になった。7月31日には故障で戦列を離れた伊藤光に代わってスタメン起用されてソロを放ちチャンスをつかむと、以降は正捕手として起用されて8月24日巨人戦では8回表に逆転弾を放った。
:出番減少も:
コロナウイルスの影響で開幕が延期となり短縮シーズンともなった20年も第3捕手としての起用が続いたが、同年の初スタメンとなった7月3日のヤクルト戦でタイムリーを放って勝利に貢献、30日の巨人戦では7回表に代打で起用されて同点タイムリー、8月18日の広島戦では亜大でバッテリーを組んでいた九里から先制タイムリー、20日の広島戦でも先制の2点タイムリーツーベース、27日の広島戦では同点タイムリーと数少ない出番で勝負強いバッティングを見せた。同年は先発マスクは13試合を含む41試合出場と出場機会は減少したが、打率.327、OPS.765という好成績を残した。
:開幕マスクも:
21年は初の開幕マスクを任されたが初回から濱口が大乱調で3回までに6失点を喫すると、第2戦も3回まで毎回失点で途中交代、その後もスタメンを任されたがチーム状態が上向かず、5月に伊藤光が復帰すると出番が大幅に減少して6月21日に登録抹消、9月27日に右肘のクリーニング手術を受けて離脱した。同年は36試合出場で打率.189という厳しい成績にとどまった。
:お立ち台:
22年の開幕は2軍で迎えたがコロナウイルスで大量離脱が発生して4月12日に1軍昇格、同日から地元沖縄で開催された巨人2連戦では初戦で代打で登場してライト前ヒットを放つと、翌日にはスタメンでタイムリーを2本を放ってチームは敗れたが両チームでもっとも大きな拍手を受けた。チャンスをつかんだ嶺井は5月4日の中日戦で3年ぶりのホームランを放ってお立ち台、20日のヤクルト戦では2安打に盗塁刺2つでお立ち台、6月30日の阪神戦では同点に追いついた9回裏に二死一、二塁で打席に入るとしぶとく一二塁間を破るサヨナラヒットを放ってお立ち台と活躍を続けて正捕手の座をつかんだ。
:福岡移籍:
7月12日の広島戦ではソロと走者一掃のツーベースで自己最多の4打点を記録してお立ち台、20日の中日戦では先制ツーラン、8月2日の広島戦ではタイムリーに好ブロックでお立ち台、11日の阪神戦では勝ち越しツーランでお立ち台、19日の広島戦では走者一掃の逆転打でお立ち台と持ち味の勝負強い打撃でお立ち台の常連になった。同年には74試合のスタメン出場を含む自己最多の93試合に出場、打率.205ながら5本塁打、30打点というキャリアハイの成績を残した。同年のオフにFAで準地元でもある福岡ソフトバンクに移籍した。 |
|
初記録 |
初出場 |
2014年4月15日中日戦 |
初安打 |
2014年6月21日西武戦:ウィリアムスからサヨナラ |
初本塁打 |
2015年4月25日中日戦:バルデスから |
初打点 |
2014年6月21日西武戦:ウィリアムスからサヨナラ |
初盗塁 |
|
|
|
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
14 |
横浜 |
10 |
11 |
1 |
3 |
0 |
1 |
0 |
5 |
3 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
2 |
0 |
1 |
.273 |
15 |
横浜 |
74 |
186 |
18 |
44 |
8 |
1 |
5 |
69 |
26 |
0 |
0 |
3 |
2 |
12 |
5 |
46 |
2 |
6 |
.237 |
16 |
横浜 |
11 |
15 |
2 |
5 |
1 |
0 |
0 |
6 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
1 |
0 |
.333 |
17 |
横浜 |
52 |
121 |
14 |
30 |
3 |
1 |
3 |
44 |
12 |
0 |
0 |
4 |
0 |
4 |
6 |
35 |
3 |
1 |
.248 |
18 |
横浜 |
91 |
209 |
10 |
37 |
7 |
0 |
5 |
59 |
25 |
0 |
0 |
6 |
1 |
6 |
8 |
56 |
9 |
2 |
.177 |
19 |
横浜 |
64 |
114 |
13 |
24 |
4 |
1 |
2 |
36 |
12 |
0 |
0 |
5 |
0 |
7 |
4 |
23 |
5 |
2 |
.211 |
20 |
横浜 |
41 |
55 |
2 |
18 |
3 |
0 |
0 |
21 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
1 |
14 |
1 |
0 |
.327 |
21 |
横浜 |
36 |
74 |
1 |
14 |
4 |
0 |
0 |
18 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
2 |
24 |
1 |
0 |
.189 |
22 |
横浜 |
93 |
244 |
15 |
50 |
7 |
0 |
5 |
72 |
30 |
0 |
1 |
5 |
2 |
6 |
5 |
54 |
10 |
3 |
.205 |
|
通算 |
9年 |
472 |
1029 |
76 |
225 |
37 |
4 |
20 |
330 |
126 |
0 |
1 |
24 |
5 |
45 |
33 |
256 |
32 |
15 |
.219 |
|
|
日本シリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
17 |
横浜 |
4 |
10 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
.200 |
|
通算 |
1年 |
4 |
10 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
.200 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
16 |
横浜 |
3 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.500 |
17 |
横浜 |
6 |
21 |
3 |
6 |
1 |
0 |
0 |
7 |
2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
7 |
1 |
0 |
.286 |
19 |
横浜 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
22 |
横浜 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
4年 |
11 |
26 |
3 |
7 |
1 |
0 |
0 |
8 |
3 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
7 |
1 |
0 |
.269 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
14 |
横浜 |
57 |
170 |
19 |
35 |
7 |
1 |
2 |
50 |
28 |
0 |
14 |
3 |
14 |
34 |
4 |
2 |
.206 |
15 |
横浜 |
36 |
99 |
12 |
23 |
4 |
0 |
2 |
33 |
11 |
0 |
6 |
0 |
12 |
17 |
2 |
1 |
.232 |
16 |
横浜 |
81 |
203 |
22 |
53 |
5 |
1 |
5 |
75 |
22 |
1 |
3 |
1 |
18 |
36 |
4 |
5 |
.261 |
17 |
横浜 |
15 |
45 |
4 |
12 |
3 |
0 |
1 |
18 |
3 |
0 |
1 |
0 |
1 |
8 |
0 |
0 |
.267 |
19 |
横浜 |
9 |
25 |
1 |
6 |
2 |
0 |
0 |
8 |
5 |
0 |
1 |
0 |
2 |
5 |
0 |
1 |
.240 |
20 |
横浜 |
10 |
31 |
4 |
10 |
0 |
0 |
2 |
16 |
4 |
0 |
0 |
0 |
2 |
6 |
1 |
0 |
.323 |
21 |
横浜 |
29 |
92 |
9 |
26 |
5 |
1 |
3 |
42 |
9 |
1 |
3 |
1 |
6 |
17 |
2 |
2 |
.283 |
22 |
横浜 |
1 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
8年 |
238 |
668 |
71 |
165 |
26 |
3 |
15 |
242 |
82 |
2 |
28 |
5 |
55 |
124 |
13 |
11 |
.247 |
|
|
|