森 敬斗
6
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名前 |
もり けいと |
生年月日 |
2002年1月28日 |
経歴 |
桐蔭学園高−横浜(19年D1位) |
入団年 |
19年ドラフト1位 |
在籍年 |
20年− |
背番号 |
20年−[6] |
投打 |
右投げ左打ち |
守備 |
内野手 |
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:中学からベイスターズ:
3000メートル級の山々に囲まれた静岡市葵区に生まれ育った。4歳年上の兄の影響もあって幼い頃から野球を楽しみ、放課後には友達と猿や猪が出る野性味あふれる野山を駆けのぼってのちに大きな武器となる俊足を身につけた。小学校ではサッカーもプレーしたが、中学に進学すると大洋ホエールズでプレーした沢本
正樹が監督を務める島田ボーイズ・ベイスターズに入団して硬式野球一本に絞った。当初は外野やピッチャーでプレーし、3年春からサードに転向した。
:決勝で大敗:
中3になった頃から父親のアドバイスもあって1日5食の食トレを行い、57キロだった体重を増加させて長打力が大きく増した。高校は声をかけてくれた桐蔭学園へ進学、1年夏からベンチ入りを果たし、主将を任された2年秋には県大会決勝まで勝ち上がった。だが決勝戦では自らのエラーもあって横浜高に2対11で大敗、試合中からイライラを隠せなかった森は試合後に監督と2時間にわたって話し合って、常に明るく前向きな気持ちを持ってプレーする事を誓った。
:逆転サヨナラ満塁弾:
桐蔭学園にとって9年ぶりの出場となった関東大会では初戦の常総学院戦で2点を追う9回裏にライトスタンドに飛び込む逆転サヨナラ満塁ホームランという大仕事をやってのけた。さらに決勝の春日部共栄戦では先制ツーランと決勝スリーランを放ってチームを24年ぶりの関東王者に導いた。神宮大会では初戦で森が3エラーを犯したことも響いて敗戦、3年春のセンバツでは初戦で3安打を放って評価を高めたが、1点差に追い上げた3回裏の二死満塁では三球三振に倒れて初戦敗退となった。
:横浜入団:
U-18日本代表に選出されて、ワールドカップではセンバツ直前に捻挫した右足首が完治していない状態で不慣れなセンターで起用されたが1番打者として25打数8安打9四死球と活躍を見せた。3年夏は県大会4回戦で敗れて最後の夏を終えた。横浜から1位指名を受けて入団。
:初ヒット:
ルーキーイヤーはイースタンリーグで打率.210と苦しんだが、後半戦から徐々に状態を上げるとシーズン最終盤の10月27日に一軍昇格、同日の巨人戦で8回裏に代打で初出場、ビエイラの154キロのストレートをレフトフェンス上部にはじき返して初ヒットを記録、セカンドベース上で巨人の坂本から祝福された。負ければ巨人が胴上げとなる29日の巨人戦でも代打でセンター前ヒットを放って勝利に貢献するなど印象的な活躍を見せた。
:初盗塁失敗も:
21年は前半戦にイースタンリーグでほぼフル出場して打率.255、6本塁打、16盗塁を記録、7月10日に1軍へ昇格すると翌日の中日戦でスタメンに抜擢されて3回表に内野安打で出塁したが二盗に失敗して初盗塁は逃した。だが1点差で迎えた9回表二死から守護神のR・マルティネスからライト前ヒットで出塁し、失敗すれば試合終了となる場面で初盗塁となる二盗を決めると佐野のタイムリーで同点のホームを踏み、その裏の一死満塁のピンチではショートゴロを落ち着いて処理してバックホームして併殺を完成させて引き分けに持ち込む立役者となった。
:26打数連続ノーヒット:
初盗塁の翌日には阪神戦で青柳から左中間へタイムリーツーベースを放って初打点を記録、翌日の阪神戦でも2安打を放つなど前半戦ラスト5試合で印象的な活躍を見せた。東京五輪の中断が開けても8月17日の阪神戦でツーベースと内野安打2本を放って初の猛打賞、2日後には藤浪の159キロを打ち返してタイムリー、さらに翌日の巨人戦では山口から同点タイムリーとなるスリーベースと活躍を続けた。だが守備で盗塁へのベースカバーでタッチミスを連発し、送球ミスも犯すなど課題も見せると、8月24日の阪神戦から26打数連続ノーヒットと大きな壁にぶつかった。同年は打率.194に終わったが44試合に出場して経験を積んだ。
:初本塁打:
22年はオープン戦で右太ももの肉離れで長期離脱となった。5月中旬に2軍で復帰すると6月3日に1軍昇格、同日の楽天戦に途中出場、守備で強肩を見せてスタンドを沸かせた。翌日には代打でヒットを放つと二盗を成功させて佐野のタイムリーで勝ち越しのホームを踏んで勝利に貢献、22日の巨人戦では2回裏の守備で中継プレーの強烈なバックホームでセーフを確信してスライディングをしなかった三走のメルセデスをアウト、4回裏には宮崎がはじいた内野ゴロをカバーすると再び強肩を見せて東京ドームをどよめかせた。翌日の巨人戦で初本塁打となるツーランにタイムリーを放つなど輝いたが7月以降は打撃が低迷、飛躍が期待された1年だったが61試合の出場で打率,234と伸び悩み、オフにはポジションが重なる京田が加入して厳しい立場に追い込まれた。
::
23年はオープン戦で30打席連続ノーヒットを記録、開幕1軍には残ったが、調整で出場していた4月14日の阪神戦でファールチップで鼻を骨折、7月29日にはイースタンリーグで右手有鈎骨を骨折と故障に泣いた1年となった。 |
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初記録 |
初出場 |
2020年10月27日巨人戦 |
初安打 |
2020年10月27日巨人戦:ビエイラから |
初本塁打 |
2022年6月23日巨人戦:戸田から |
初打点 |
2021年7月12日阪神戦:青柳から |
初盗塁 |
2021年7月11日中日戦 |
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|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
20 |
横浜 |
8 |
12 |
3 |
3 |
1 |
0 |
0 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.250 |
21 |
横浜 |
44 |
103 |
15 |
20 |
4 |
2 |
0 |
28 |
5 |
4 |
2 |
1 |
2 |
7 |
0 |
30 |
1 |
6 |
.194 |
22 |
横浜 |
61 |
154 |
15 |
36 |
3 |
0 |
2 |
45 |
6 |
5 |
4 |
1 |
0 |
13 |
0 |
42 |
4 |
6 |
.234 |
23 |
横浜 |
9 |
12 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
2 |
.167 |
|
通算 |
4年 |
122 |
281 |
33 |
61 |
8 |
2 |
2 |
79 |
12 |
10 |
6 |
3 |
2 |
21 |
0 |
74 |
5 |
14 |
.217 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
22 |
横浜 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
1年 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
20 |
横浜 |
58 |
186 |
22 |
39 |
3 |
2 |
2 |
52 |
13 |
7 |
7 |
1 |
13 |
48 |
3 |
11 |
.210 |
21 |
横浜 |
69 |
271 |
36 |
69 |
7 |
3 |
6 |
100 |
29 |
16 |
5 |
2 |
19 |
74 |
3 |
17 |
.255 |
22 |
横浜 |
14 |
47 |
5 |
12 |
2 |
0 |
0 |
14 |
6 |
1 |
0 |
2 |
3 |
15 |
0 |
0 |
.255 |
23 |
横浜 |
57 |
217 |
30 |
54 |
8 |
3 |
2 |
74 |
21 |
9 |
2 |
1 |
21 |
50 |
3 |
9 |
.249 |
|
通算 |
4年 |
198 |
721 |
93 |
174 |
20 |
8 |
10 |
240 |
69 |
33 |
14 |
6 |
56 |
187 |
9 |
37 |
.241 |
|
|
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