中井 大介
0
|
名前 |
なかい だいすけ |
生年月日 |
1989年11月27日 |
経歴 |
宇治山田商高−巨人(07年D3巡)−横浜DeNA |
入団年 |
19年に巨人から移籍 |
在籍年 |
19年−21年 |
背番号 |
19年−21年[0] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
内野手 |
|
|
:投手としても活躍:
小1で進修スポーツ少年団で野球を始める。内野手だったが中3からは投手としても起用されて、宇治山田商では1年夏から投手兼内外野手でレギュラーを獲得、1年の秋には東海大会の初戦で投げては完投、打っては本塁打という活躍で注目を集めた。2年春に右ひじを痛めて投手としては1年間を棒に振ったが、3年春に復帰すると東海大会で投打にわたる活躍を見せて優勝に導いた。
:延長15回:
3年夏は不調で先発投手の座を下級生に譲ったが甲子園出場を果たすと、甲子園では初戦の佐賀北戦で5回裏の二死満塁で走者一掃の逆転スリーベースを放つと、4対3とリードした7回表からマウンドへ上がり同点には追いつかれたが140キロを超えるストレートを制球良く投げ込んでゼロ更新、13回表には3四死球で一死満塁のピンチを背負ったが浅いライトフライと空振り三振で切り抜けるとそのまま延長15回まで投げ続けて史上5度目の引き分け再試合に持ち込んだ。
:再試合:
試合終了後にストレッチを始めた時には体中がつっていたほど疲れ切っており、146球の熱投から中1日で行われた再試合では先発を任されたが疲労から球が走らず1対1で迎えた6回に3点を勝ち越されて降板となった(宇治山田商を破った佐賀北はがばい旋風を巻き起こして全国制覇を達成)。高校生ドラフトで巨人から3位指名を受けて入団。高校通算28本塁打。
:平成生まれ:
ルーキーイヤーは一軍出場こそ叶わなかったがイースタンリーグで94試合に出場、リーグ最多の98安打を放つ一方でヒット数を上回る105三振も記録、
フレッシュオールスターでは4番で起用されてツーランを含む3安打を放って優秀選手に輝いた。2年目には1軍キャンプで原監督から「太田に負けるなよ」と声をかけられた際に「絶対に負けません」と答えた事が原監督の印象に残り、5月12日に一軍へ抜擢されて同日の横浜戦でスタメンを任されたがウォーランドに3打数3三振に抑え込まれて途中交代となった。抹消となったが6月8日に再昇格を果たすと同日の楽天戦で初ヒットを記録、シーズン終盤の9月10日の横浜戦で工藤からタイムリーを放って初打点、翌日の広島戦では小松からバックスクリーンに初本塁打を叩き込んでプロ野球初の平成生まれの本塁打を記録した。
:二軍で打点王:
10年はイースタンリーグで77試合に出場したが右足の靭帯を痛めた事もあって打率.246と苦しみ、シーズン終了後に右足甲の関節固定手術を受けた。翌11年はイースタンリーグで90試合に出場して打率.281と復調、5年目となる12年にはイースタンリーグで最多安打と打点王を獲得、3度の一軍昇格ではチャンスが少なかったこともあって8打数0安打と結果が残せなかったが、9月7日に4度目の昇格を果たすと同日のヤクルト戦ではスタメンで起用されて第3打席にセンター前ヒットを放って3年ぶりに一軍でヒットを記録した。
:寝落ち:
13年はシーズン早々から一軍で起用されて5月23日の楽天戦では代打でスリーランを記録、6月3日の西武戦では1番に抜擢されて勝ち越し打を含む2本のタイムリーを放つと、そこから4試合連続で1番を任されるなど大きなチャンスを貰ったが、6月11日に10時から始まる全体練習に遅刻、眠っていた中井はマネージャーからの電話で起きて、1時間近く遅れて合流したが2軍落ちと罰金のペナルティを課せられた。
:時計:
父からは母が代筆した「遅刻とは何事!!やっと芽が出て来たと毎回テレビを楽しみにしていたが、絶対やってはいけない事を…」という長文のメールが届き、恐怖から父の電話を着信拒否していると、「おまえの代わりに昇格した坂口君がヒットを打ったぞ」といったメールが数日置きに届き、スポーツ紙の報道などもあって中井は「寝るのが怖い」と大きな重圧を受けた。だがファンからプレゼントされた物を含めて5個の目覚まし時計とスマートフォンを枕元にセットして再発防止に努めると、6月25日に故障のロペスに代わって一軍に再昇格、中井は新横浜に出発時間の50分近く前に目覚まし時計を持って合流した。
:目覚め:
7月2日の阪神戦で能見から3安打を放つと延長11回表には勝ち越しに繋がるレフト前ヒットを放って自身初の4安打を記録、7月7日に東京ドームで行われた横浜戦では鈴木尚と矢野のイタズラで登場曲をSPEEDの「Wake
Me Up!(起こして)」に変えられる洗礼を受けたが、「朝の太陽〜、疲れたBODY目覚めさせて〜」という痛烈な歌詞に苦笑いを見せながら初回に三浦からセンター前ヒットを放つと、3回裏にツーベース、4回裏にはレフトポールを直撃する決勝ツーランとプレッシャーをはねのけて本拠地初のお立ち台に上がった。
:故障も日本シリーズで復帰:
8月3日の阪神戦では7回裏に能見から勝ち越しソロを放って勝利に貢献するなどチャンスを掴みかけていたが、翌日の阪神戦で新井貴が放ったセカンド後方への飛球にダイビングキャッチを試みて左膝の靭帯を損傷、打率.324を記録しながら48試合出場に留まった。日本シリーズで復帰すると第4戦では大不振のロペスに代わってファーストでスタメン起用、第1打席で三振に倒れて途中交代となったが、第5戦もファーストスタメンで5回裏に則本からチーム初ヒットとなるセンター前ヒットを放った。
:サヨナラヒット:
14年は左膝の具合が思わしくなくキャンプは二軍スタート、右肘も痛めて一軍合流が遅れたが、5月25日に昇格すると1番に抜擢されて、翌日の日本ハム戦では同点で迎えた9回裏の一死二塁というチャンスで打席に入ってレフト線に人生初というサヨナラヒットを放ってヒーローとなった。お立ち台では阿部のアドバイスで「最強に最高で〜す!」と絶叫したが、打率が2割そこそこと低迷して後半戦はほとんど二軍で過ごした。
:83代:
15年は開幕から代打として起用されていたが、4月25日のヤクルト戦で途中出場で2打数2安打を放つと、主力打者が深刻な打撃不振に苦しんでいたこともあって翌日から3試合連続でスタメン出場、中でも29日の中日戦では抹消となった坂本に代わって巨人軍第83代の4番としてアナウンスされて東京ドームにどよめきが起こった。開幕から17打数7安打という好調を買われての抜擢だったが2打数ノーヒットで途中交代となると、そこから6試合連続ノーヒットに倒れて抹消となった。16年もそれなりにチャンスをも貰ったが3年連続で打率2割前後という苦しい立場に追い込まれた。
:10000:
17年には初めて開幕戦にスタメンで出場すると、打率.230前後ながら37試合連続でスタメン起用と現役時代に自主トレ仲間だった高橋監督から高い期待をかけられた。。7月2日の横浜戦では不慣れなレフトでスタメン出場となったが、古巣横浜との初対戦となった先発の山口が背負った2回表の二死一、二塁のピンチで倉本のレフトフライを後逸して大量失点に繋げてしまった。後半戦は途中出場が主になったが9月26日のヤクルト戦では7番セカンドでスタメン出場して、4回裏に巨人通算10000号ホームランとなる5号ソロを放ってお立ち台に上がり「すごく光栄なことではあるんですけど、複雑というか、僕でよかったのかな」と恐縮した。同年はラスト2週間で大幅に数字を上げた事もあって90試合の出場で打率.249、5本塁打というまずまずの成績を残した。
:横浜入団:
18年は開幕から外野でたびたびスタメン起用されて4月12日の横浜戦では3安打を放つなど春先はまずまずの活躍を見せたが4月下旬から状態を落として、5月以降は代走や守備固めでの起用が主になった。同年は70試合に出場したが打率.186(86打数16安打)で1本塁打に留まり、多くのチャンスをくれた高橋監督が解任されたこともあって戦力外通告を受けた。合同トライアウトを経て横浜ベイスターズに入団した。
:便利屋期待を超える:
キャンプにはグラブを6個持参して臨むなど便利屋をアピールして開幕1軍を勝ち取ると、4月9日の阪神戦で6番スタメンに抜擢されて、4回表にツーベース、5回表にはレフト前、7回表にはバックスクリーン右にソロと3安打の固め打ちを見せた。その後も左投手が先発の試合でたびたびスタメン起用されて、5月5日の阪神戦では同点タイムリーを含む2安打、6月8日の西武戦では3安打を放ってお立ち台、7月4日の阪神戦では代打で試合を決めるツーランと期待を超える活躍を見せた。8月3日の古巣巨人戦ではバックスクリーン直撃の140メートルの特大弾を放つなどシーズン終盤までリーグ制覇の可能性を残したチームに貢献したが、9月21日の直接対決でマジック2としていた巨人に敗れて優勝の可能性がなくなり、胴上げを目の当たりにするとベンチで号泣した。
:お立ち台:
20年もスーパーサブとして活躍、8月5日の中日戦で代打で起用されてライトオーバーのツーベースを放つと、翌日の中日戦ではスタメンに抜擢されて松葉から先制ソロを放ってお立ち台に上がった。8日のヤクルト戦でも追撃の2号ソロを放って出場試合2試合連発弾を記録、続く10日の阪神戦では5番で起用されて2安打を放つと、2番で起用された14日のヤクルト戦ではセカンドとファーストで好守を連発するなど故障者の穴を埋めてチームを支えた。
:現役引退:
21年は開幕を1軍で迎えると2試合のスタメンを含む6試合に出場したが9打数1安打に終わって4月16日に登録抹消となった。5月11日に1軍へ復帰したが再び6試合の出場で抹消となり同年限りで戦力外となった。引退試合として行われた10月20日の巨人戦で2対3で迎えた7回裏に代打で出場、かつての同僚でもある畠との真剣勝負で3球目の148キロのストレートをライト前にはじき返して有終の美を飾った。代走を送られて涙を流しながらベンチへ向かう中井には巨人ファンからも大きな拍手が送られた。引退後は球団のゲームアナリストに転身。 |
|
初記録 |
初出場 |
2009年5月12日横浜戦 |
初安打 |
2009年6月8日楽天戦:長谷部から |
初本塁打 |
2009年9月11日広島戦:小松から |
初打点 |
2009年9月10日横浜戦:工藤から |
初盗塁 |
2009年6月8日楽天戦 |
|
|
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
09 |
巨人 |
18 |
30 |
2 |
7 |
2 |
0 |
1 |
12 |
6 |
2 |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
11 |
0 |
3 |
.233 |
10 |
巨人 |
6 |
6 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
3 |
0 |
1 |
.000 |
11 |
巨人 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
12 |
巨人 |
16 |
26 |
1 |
7 |
0 |
1 |
0 |
9 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0 |
7 |
0 |
0 |
.269 |
13 |
巨人 |
48 |
139 |
19 |
45 |
6 |
0 |
4 |
63 |
17 |
2 |
1 |
2 |
0 |
8 |
0 |
12 |
4 |
1 |
.324 |
14 |
巨人 |
23 |
49 |
5 |
10 |
2 |
1 |
0 |
14 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
13 |
3 |
1 |
.204 |
15 |
巨人 |
29 |
43 |
2 |
9 |
1 |
0 |
0 |
10 |
2 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
1 |
9 |
0 |
2 |
.209 |
16 |
巨人 |
43 |
51 |
3 |
10 |
2 |
1 |
0 |
14 |
4 |
0 |
0 |
1 |
1 |
7 |
1 |
13 |
0 |
2 |
.196 |
17 |
巨人 |
90 |
229 |
32 |
57 |
12 |
1 |
5 |
86 |
15 |
2 |
1 |
4 |
1 |
19 |
1 |
44 |
5 |
5 |
.249 |
18 |
巨人 |
70 |
86 |
8 |
16 |
5 |
0 |
1 |
24 |
6 |
0 |
0 |
3 |
0 |
6 |
2 |
25 |
3 |
2 |
.186 |
19 |
横浜 |
79 |
161 |
24 |
40 |
4 |
0 |
3 |
53 |
7 |
2 |
1 |
3 |
1 |
18 |
0 |
34 |
9 |
4 |
.248 |
20 |
横浜 |
69 |
100 |
12 |
25 |
3 |
1 |
2 |
36 |
4 |
1 |
0 |
1 |
0 |
3 |
1 |
23 |
1 |
3 |
.250 |
21 |
横浜 |
13 |
15 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
.133 |
|
球団 |
3年 |
161 |
276 |
36 |
67 |
7 |
1 |
5 |
91 |
11 |
3 |
1 |
4 |
1 |
21 |
1 |
63 |
10 |
7 |
..243 |
|
通算 |
13年 |
506 |
937 |
109 |
228 |
37 |
5 |
16 |
323 |
65 |
11 |
3 |
17 |
4 |
71 |
7 |
201 |
25 |
24 |
.243 |
|
|
日本シリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
13 |
巨人 |
2 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
.250 |
|
通算 |
1年 |
2 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
1 |
.250 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
12 |
巨人 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
16 |
巨人 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
19 |
横浜 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
3年 |
4 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
08 |
巨人 |
94 |
367 |
44 |
98 |
16 |
2 |
10 |
148 |
50 |
3 |
2 |
1 |
20 |
105 |
7 |
18 |
.267 |
09 |
巨人 |
83 |
324 |
43 |
95 |
21 |
2 |
9 |
147 |
43 |
3 |
0 |
1 |
30 |
74 |
6 |
22 |
.293 |
10 |
巨人 |
77 |
285 |
32 |
70 |
14 |
3 |
5 |
105 |
27 |
3 |
0 |
4 |
18 |
68 |
6 |
17 |
.246 |
11 |
巨人 |
90 |
317 |
45 |
89 |
21 |
5 |
3 |
129 |
40 |
9 |
5 |
4 |
35 |
55 |
7 |
18 |
.281 |
12 |
巨人 |
92 |
359 |
45 |
116 |
17 |
4 |
6 |
159 |
48 |
19 |
1 |
2 |
25 |
43 |
6 |
21 |
.323 |
13 |
巨人 |
41 |
139 |
18 |
47 |
11 |
0 |
3 |
67 |
22 |
3 |
0 |
3 |
11 |
18 |
1 |
5 |
.338 |
14 |
巨人 |
73 |
228 |
33 |
61 |
10 |
0 |
8 |
95 |
31 |
6 |
0 |
1 |
28 |
28 |
12 |
5 |
.268 |
15 |
巨人 |
60 |
224 |
22 |
59 |
6 |
1 |
2 |
73 |
20 |
5 |
1 |
2 |
22 |
37 |
3 |
5 |
.263 |
16 |
巨人 |
46 |
127 |
21 |
36 |
8 |
0 |
1 |
47 |
13 |
0 |
1 |
3 |
35 |
19 |
2 |
7 |
.283 |
17 |
巨人 |
16 |
49 |
3 |
14 |
2 |
0 |
1 |
19 |
6 |
0 |
1 |
0 |
4 |
7 |
3 |
0 |
.286 |
18 |
巨人 |
20 |
62 |
14 |
14 |
3 |
0 |
4 |
29 |
9 |
0 |
1 |
0 |
9 |
13 |
2 |
1 |
.226 |
19 |
横浜 |
7 |
24 |
4 |
6 |
1 |
0 |
1 |
10 |
3 |
0 |
0 |
0 |
4 |
8 |
1 |
1 |
.250 |
21 |
横浜 |
39 |
101 |
8 |
28 |
7 |
0 |
1 |
38 |
13 |
1 |
1 |
2 |
11 |
35 |
2 |
0 |
.277 |
|
通算 |
13年 |
738 |
2606 |
332 |
733 |
137 |
17 |
54 |
1066 |
325 |
52 |
13 |
23 |
252 |
510 |
58 |
120 |
.281 |
|
|
|