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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
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中村 紀洋
99
名前
なかむら のりひろ
生年月日
1973年7月24日
経歴
大阪府立渋谷高−近鉄(91年D4位)−オリックス-ドジャース-オリックス-中日-楽天-横浜
入団年
11年に途中入団
在籍年
11年−14年
背番号
11年−14年[99]
投打
右投げ右打ち
守備
内野手
:
近鉄入団
:
85年4月17日に甲子園球場で行われた阪神巨人戦で飛び出した伝説のバックスクリーン3連発を観客席で目撃してホームランに憧れを持った。1年目から試合に出るために無名の大阪府立渋谷高に進学。入学時には体重が100キロ近くあったがわずか3ヶ月で70キロ台まで絞り上げた。90年夏の大阪府予選で2年生ながら4番を任されると決勝戦の上宮高戦で2本塁打4打点を記録、リリーフとしてもマウンドに上がってチームを甲子園初出場に導いた。甲子園では初戦で宮内洋を擁する宇部商に4対8で敗れたが府立高校の出場という事もあって話題になった。翌91年のドラフト会議で近鉄から4位指名を受けて入団。
:
初安打が本塁打
:
ルーキーイヤーはウエスタンリーグで打率.233ながら6本塁打、25打点を記録。6月12日に一軍初出場を果たすと6月18日の日本ハム戦で河野からスリーランを放って初安打&初本塁打を記録。7月4日のロッテ戦でも園川からソロ本塁打を放った。ジュニアオールスターにも選出されたが2打数ノーヒットに終わって8回表に代打を送られると、代打の鈴木 一朗が有働から勝ち越しホームランを放ってMVPに選出された。翌93年はウエスタンリーグで打率.197、7本塁打に留まったがヒット数を大幅に上回る75四死球を選んだ。
:
サヨナラヒット
:
守備練習をほとんどしない近鉄のチームカラーもあって、ひたすら打撃練習を繰り返してフルスイングに磨きをかけ、3年目の94年に早くも開幕1軍の座を掴むと序盤は代打や守備固めでの出場が多かったが、6月1日の西武戦で中根 仁のハーフスイングの判定で鈴木監督が猛抗議を見せて人生初の退場になった試合で9回裏に新谷からサヨナラヒットを放つなど活躍。8月6日には西武との首位攻防戦で7回裏に代打で同点ツーランを放つと、1点を追う延長10回裏にも渡辺久から同点ソロを放ってチームの勝利に貢献した。
:
サイクルヒットも新人王ならず
:
94年9月18日の日本ハム戦で史上47回目のサイクルヒットを記録。21歳1ヶ月での達成は史上3番目の年少記録だった。同年には高卒3年目で打率.281、8本塁打、36打点を記録したが、新人王は渡辺 秀一(8勝4敗、防御率3.20)に次ぐ次点に留まった。
:
高卒4年目で4番
:
95年は金村がFAで移籍した事もあってサードのスタメンを掴むと、開幕第2戦で2本塁打を含む3打数3安打を記録。シーズン中盤に石井浩とブライアントが故障で離脱すると21歳にして4番を任されて20本塁打、64打点を記録し、51四球も選ぶ活躍を見せたが打率は.228に留まった。
:
タイトルならず
:
96年には開幕から本塁打を量産し、5月25日のオリックス戦では3回裏に内匠の満塁ホームランで近鉄が逆転すると、7回表にイチローの満塁ホームランで再逆転を許したが、その裏に中村紀が逆転の満塁ホームランを放つという史上初の1試合3満塁本塁打も記録。シーズン終盤まで本塁打王を争ったが、9月12日に左手首骨折(有鉤骨)で登録抹消となって惜しくもタイトルはならなかった。それでも打率.273、26本塁打、67打点という結果を残した。
:
故障開けの試合で3本塁打
:
背番号が66から3になった97年は左手首が完治しないままシーズンに突入した事もあって不調が続き、9月7日には死球を受けて薬指の健が断裂。復帰まで数ヶ月との診断だったが13日後のオリックス戦で復帰すると、同試合で3本塁打6打点を記録する離れ業を見せた。また3本塁打をレフト、ライト、センターと3方向に打ち分けており、これは史上6人目でパリーグでは始めての3方向本塁打だった。だがシーズンを通しては結果を残す事ができず前年を下回る打率.240、19本塁打、68打点に留まった。
:
ベストナイン
:
98年はシーズン序盤は下位打線での起用が多かったが、7月下旬から3番に定着して打率.260でリーグ2位の32本塁打を放って90打点に74四球という素晴らしい成績を残した。99年にはさらに数字を伸ばして共にリーグ2位の31本塁打、95打点を記録してベストナインに選出された。また当初は下手だった守備も結婚式で赤堀からのビデオレターで「ちゃんと守ってくれ」と言われたことにショックを受けて奮起、守備練習にも力を入れ始めると打撃練習よりも隙になり守備力が向上、99年からの4年連続を含む7度のゴールデングラブに選出された。
:
二冠王
:
00年は5月に打率.340、8本塁打、28打点を記録して月間MVPに選ばれると、6月1日のロッテ戦と3日のオリックス戦で満塁ホームランを記録。9月には5日のオリックス戦でパ・リーグ新記録の6得点を記録すると、7日のオリックス戦では3打席連続本塁打を放つなど凄まじい成績を残して、シドニーオリンピックで7試合を欠場したにもかかわらず月間MVPに選出された(打率.413、8本、17打点)。オリンピックでも日本の4番として打率.308、2本塁打、8打点を記録したがチームは3位決定戦に敗れてメダルを獲得することが出来ず、中村は試合後に号泣した。無念の帰国となった中村だが帰国後も打ちまくって39本塁打、110打点で二冠王に輝いた。
:
首位ターン
:
99年、00年と中村は素晴らしい活躍を見せたがチームは2年連続の最下位で01年も最下位候補との評価が多かった。だが開幕戦で開幕投手の門倉が初回5失点でKOされたが10対9で大逆転勝利を飾ると開幕8試合を5勝3敗で乗り切る。その後4連敗を喫したが6連勝で盛り返すと、5月には5連敗を記録したが、延長12回表に中村が満塁ホームランを放って連敗を止めると、そこから6連勝と連勝、連敗を繰り返しながらも上位につける。球宴直前のロッテ戦では5点を追う9回表に8得点をあげる大逆転勝利で10年ぶりの首位折り返しとなった。
:
最下位からの優勝
:
球宴後も凄まじい猛打で首位戦線をリードすると、9月18日の西武戦で岩隈の初完封勝利でマジック6が点灯。勢いに乗った近鉄は連勝を重ねて、9月24日の西武戦では中村が松坂からサヨナラツーランを放ってマジック1として優勝を決定的にする。そして9月26日のオリックス戦で2対5とリードされて迎えた9回裏に北川が逆転サヨナラ満塁ホームランを放ってプロ野球史上に残る劇的な幕切れで優勝を決めた。
:
二人で101本塁打
:
同年には132打点で2年連続の打点王を獲得。本塁打も自己最多を更新する46本塁打を放ったが同僚のT
・ローズが日本タイ記録の55本塁打を記録したためタイトルはならなかった。同年に中村&ローズが記録した101本塁打は85年阪神のバース&掛布の94本を大幅に更新するコンビ本塁打記録となった。また中村は打率.320に104四球を記録して最高出塁率を獲得。ベストナインにゴールデングラブと最高の1年となった。
:
近鉄残留
:
02年には打率.294、42本塁打、115打点を記録。日本を代表する打者になった中村は「中村紀洋というブランドを近鉄で終わらせていいのか」という迷言を残してFAを宣言。巨人と交渉を持ったが巨人がペタジーニを獲得したため破談になり、12月19日に大リーグのメッツとの契約合意と報道されたが中村は契約内容が漏れた事に激怒して交渉を白紙に戻し、12月21日に4年20億+出来高という大型契約での近鉄残留が発表された。だが翌03年は右膝を痛めた事もあって打率.236、23本塁打、67打点という期待を裏切る成績に終わってしまった。
:
近鉄消滅
:
04年には6月13日に「近鉄とオリックスが球団合併」というショッキングなニュースが流れた。中村は同年の9月11日にはアテネオリンピックから帰国後初出場となったダイエー戦で初回にスリーランを放って、土井 正博の持つ球団記録305本塁打を更新する306本塁打を達成。同年限りで本当に近鉄が消滅してしまったため中村が近鉄で放った307本塁打は永遠に抜かれない球団記録となった。
:
転落
:
05年は分配ドラフトによるオリックス入団を拒否してロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んでMLBに移籍した。だがドジャースでは打率..128(39打数5安打)に終わって同年のオフにオリックスに入団した。同じくオリックスに加入した清原との大砲コンビが大きな期待を集めたが、共に3度の登録抹消になるなど結果が残せず、打率.232、12本塁打、45打点に終わった中村には野球協約を超える大幅な減俸が提示されたが、中村はこれを拒否して自由契約になった。
:
育成枠
:
退団した中村は他球団からの連絡を待ったが、奔放な性格が敬遠されたのか獲得する球団はなかなか現れなかった。翌07年に中日の落合監督から「テスト生でいいなら来てもいいよ」と声をかけられて2月12日にテスト生としてキャンプに参加し、入団テストを経て育成選手として年俸400万円、背番号205での入団が決まった。中村はオープン戦初戦の西武戦で本塁打を放つなどアピールして開幕直前の3月23日に支配下選手となった。
:
日本シリーズMVP
:
中村はサードで開幕スタメンの座をを勝ち取ると、5月に打率.297、7本塁打、21打点を記録するなど主軸としてチームを引っ張った。シーズン終盤には3番で起用されるなど打率293、20本塁打、79打点を記録してチームのクライマックスシリーズ進出に貢献。クライマックスシリーズでも打率.350(20打数7安打)を記録して日本シリーズ進出にも貢献すると、腰痛に苦しみながら出場した日本シリーズでは優勝を決めた第5戦で決勝タイムリーを放つなど打率.444(18打数8安打)という素晴らしい活躍を見せて日本シリーズMVPに選出され、お立ち台で涙を見せた。
:
楽天移籍
:
08年も7月29日の横浜戦で2回裏に小林太から逆転ツーランを放つと、6回裏にも小林太から同点ソロ、8回裏にも寺原から同点ソロを放って史上3位タイの4回目の1試合3本塁打を記録。シーズンを通しても打率274、24本塁打、72打点と結果を残して同年のオフに2度目のFAを宣言して楽天に移籍した。だが移籍初年度には開幕第3戦の日本ハム戦で4安打1四球で5打点を記録したが故障もあって、打率.221でわずか2本塁打と全く結果が残せなかった。
:
横浜入団
:
10年は好スタートを切って6月終了時点で打率.297、10本塁打、43打点という好成績を残していたが、後半戦は打率.223、3本塁打、21打点と大幅に数字を落としてしまった。それでも打率.266で13本塁打、64打点というまずまずの成績だったが、同年のオフに戦力外通告を受けて退団となった。中村は合同トライアウトは受けずに他球団からのオファーを待ち、翌11年の5月23日に横浜ベイスターズへの入団が発表された。
:
杉内から同点ツーラン
:
6月8日に一軍に昇格すると同日の楽天戦で7番ファーストでスタメン出場。3回表の移籍後初打席で田中将からレフト前ヒットを放った。18日のソフトバンク戦では2対4とリードされて迎えた7回裏二死一塁という場面で代打起用されて杉内から起死回生となる同点ツーランを放ってお立ち台に上がった。同年にはハーパーが左投手に苦しんでいた事もあって左投手時にはスタメンで多く起用されて、対左投手では打率.255、出塁率.345と結果を残したが右投手には打率1割台と苦しんだ。また捕手の練習も行い、10月13日に20年目で国内初の二塁でスタメン出場を果たすなど出場機会を求めてアピールを続けた。
:
得点圏
:
12年は新潟で行なわれた4月15日の巨人戦で延長11回裏に西村から自身10本目のサヨナラホームランを放つ大仕事をやってのけると、4月20日の阪神戦で能見から先制ツーラン、5月4日の中日戦では9回裏にラミレスの本塁打で1点差に追い上げた直後に2者連続となる劇的な同点ソロを運ぶなど開幕から状態の上がらない打線を一人で引っ張った。中でも得点圏では凄まじい勝負強さを見せて開幕12試合消化時点では得点圏で9打数7安打、開幕から2カ月が経過後も12球団トップの得点圏打率.484という圧倒的な存在感を見せた。
:
古巣大阪ドームで特大アーチ×2
:
6月13日には古巣の大阪ドームで行なわれたオリックス戦で8回表に平野からレフトスタンド最上段の5階席に飛び込む特大の勝ち越しソロを放った。近鉄時代のファンも詰め掛ける中での特大アーチに中村は「育ててくれた球場。まだあそこまで飛ぶんだと思い出させてくれた」と感慨深げに語った。そしてファン投票で選出された8年ぶりのオールスターゲームでも大阪ドームで行なわれた第1戦の2回表に近鉄時代の応援歌が流れる中で斎藤 佑樹からレフトスタンドに特大の逆転ツーランを叩き込んでMVPに選出された。
:
ベストナインならず
:
8月も折り返し時点で月間打率..372、2本塁打、11打点という好成績を残して月間MVPの有力候補になっていたが8月16日から右肘の故障で欠場となり18日に登録抹消。その後の報道で抹消理由が故障ではなく「フリーで走ってよい」という指示を受けている内村が中村の打席で二盗を行なった事に激怒して内村を叱責したことが首脳陣批判と判断されての抹消である事が報じられた。だが実際に左膝に何本も痛み止めの注射を打つなど満身創痍の状態でもあり、9月4日の復帰後は打率1割台と大きく数字を落とし、出場が一塁と三塁に分かれていたことも響いてベストナイン、ゴールデングラブには選出されなかった。
:
2000安打
:
12年の契約更改では好成績を残したにもかかわらず年俸3000万円を提示されて「来季は代打要員」と告げられた。翌13年はブランコを加入した事もあって厳しい立場に追い込まれたが、筒香の不調もあって開幕第3戦からスタメンを任されると打率3割を超える好成績を残して2000安打へのカウントダウンを一気に進める。そして1998安打で迎えた5月5日の中日戦で5回表にタイムリーヒットを放つと、8回表に左中間へ2点タイムリーツーベースを運んで史上43人目の2000安打を達成した。かつての古巣ナゴヤドームでヒーローインタビューを受けた中村は「3人の娘が応援に来ることができるのは今日だけだったから家族の前で打ちたかった」
:
サヨナラ打
:
6月30日の中日戦では2回裏に史上18人目の400号本塁打を達成すると、同点で迎えた9回裏にはセンター前へサヨナラタイムリーを放って好投の三浦に白星をプレゼントした。また39歳11ヶ月のサヨナラ打は58年8月3日に児玉が記録した39歳5ヶ月を55年ぶりに更新する球団史上最年長サヨナラ打となった。8月20日の阪神戦でも0対7からの大反撃で同点となり迎えた9回裏に代打でサヨナラヒットを放って記録を40歳0ヶ月に更新。同年は9月以降に数字を落としたが打率.281、14本塁打、61打点という好成績でチームを支えた。
:
チームの危機に活躍も
:
14年もバルディリスが加入した事もあって開幕二軍という厳しい立場でスタートしたが、4月18日に故障したブランコに代わって一軍昇格。同日の広島戦で4番ファーストでスタメン出場すると2点を追う3回裏にタイムリー、翌日にも同点タイムリー、さらに翌日にも2点タイムリーツーベースを含む2安打を放つなど5試合連続打点を記録して低迷するチームを引っ張った。だが5月6日巨人戦の試合中にコーチに状況によっては走者を走らせないで欲しいと要望したところ、これがチーム批判ととられて登録抹消。フェイスブックで「必要とされていないのか」と苦しい心情を吐露したが批判もあり翌日に謝罪した。その後は一軍昇格は果たせず同年オフに戦力外通告を受けて退団となった。16年に横浜が初のCS進出を決めるとCSのファーストステージで東京ドームの横浜側スタンドに登場してベイスターズを応援する姿が大きな話題になった。
::
サードとしては史上最多となる7回のゴールデングラブを受賞。
初記録
初出場
92年6月12日ダイエー戦
初安打
92年6月18日日本ハム戦:河野から
初本塁打
92年6月18日日本ハム戦:河野から
初打点
92年6月18日日本ハム戦:河野から
初盗塁
96年5月17日西武戦
その他記録
月間MVP
99年8月、00年5月、00年9月
01年5月、02年5月
日本シリーズMVP
07年
オールスターMVP
01年第3戦、12年第1戦
サイクルヒット
94年9月18日日本ハム戦
記録達成日
1000安打
02年5月29日ロッテ戦:ミンチーから
2000安打
13年5月5日中日戦:中田賢から
記録達成日
100本塁打
98年9月16日ロッテ戦:河本から
200本塁打
01年6月13日ダイエー戦:吉田から
300本塁打
04年6月4日ロッテ戦:高木から
400本塁打
13年6月30日中日戦:山本昌から
1000打点
07年7月5日広島戦:フェルナンデスから
92
93
94
95
96
97
98
99
00
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
本塁打王
●
1回
打点王
●
●
2回
最高出塁率
●
1回
ベストナイン
●
●
●
●
●
5回
ゴールデングラブ
●
●
●
●
●
●
●
7回
オールスター
●
●
●
●
●
●
●
●
●
9回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
92
近鉄
11
27
4
6
1
0
2
13
5
0
0
0
0
0
0
8
0
1
.222
93
近鉄
8
9
1
1
0
0
0
1
1
0
0
0
1
2
0
4
0
0
.111
94
近鉄
101
192
23
54
13
1
8
93
36
0
0
2
2
19
0
49
2
7
.281
95
近鉄
129
470
62
107
19
1
20
188
64
0
1
3
1
51
3
92
12
18
.228
96
近鉄
110
411
60
112
15
1
26
207
67
4
1
0
0
39
4
89
7
11
.273
97
近鉄
128
455
54
109
22
3
19
194
68
3
2
2
3
54
5
105
13
18
.240
98
近鉄
132
481
74
125
14
1
32
237
90
1
1
2
2
74
5
114
12
13
.260
99
近鉄
135
514
83
134
23
0
31
250
95
3
0
1
3
79
4
116
21
8
.261
00
近鉄
127
476
82
132
26
0
39
275
110
1
1
0
5
80
3
112
17
12
.277
01
近鉄
140
525
109
168
25
0
46
331
132
3
2
0
3
104
4
106
26
13
.320
02
近鉄
140
511
87
150
27
1
42
305
115
2
1
0
0
86
5
136
10
14
.294
03
近鉄
117
381
54
90
14
1
23
175
67
1
1
0
2
72
1
96
18
9
.236
04
近鉄
105
387
59
106
16
1
19
181
66
0
0
0
1
73
1
88
13
7
.274
06
オリックス
85
328
39
76
22
0
12
134
45
0
1
0
2
26
3
70
10
5
.232
07
中日
130
457
64
134
24
0
20
218
79
2
1
4
8
51
0
87
18
13
.293
08
中日
140
493
56
135
20
0
24
227
72
0
1
10
3
50
1
119
11
9
.274
09
楽天
77
263
16
58
11
0
2
75
26
0
1
1
1
29
0
41
11
5
.221
10
楽天
129
473
51
126
23
0
13
188
64
0
1
1
2
44
1
84
18
12
.266
11
横浜
62
115
6
24
3
1
1
32
14
0
1
0
2
9
0
27
1
2
.209
12
横浜
126
442
50
121
24
1
11
180
61
1
1
0
6
50
2
72
14
10
.274
13
横浜
122
431
37
121
19
1
14
184
61
1
0
0
5
32
5
66
20
6
.281
14
横浜
13
49
5
12
2
0
0
14
10
0
0
0
1
6
0
10
3
2
.245
球団
4年
323
1037
98
278
48
3
26
410
146
2
2
0
14
97
7
175
38
20
.268
通算
22年
2267
7890
1076
2101
363
13
404
3702
1348
22
17
26
53
1030
47
1691
257
195
.266
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
01
近鉄
5
18
2
2
1
0
1
6
1
0
0
0
0
2
0
5
0
1
.111
07
中日
5
18
3
8
4
0
0
12
4
0
0
0
0
2
0
3
1
0
.444
通算
2年
10
36
5
10
5
0
1
18
5
0
0
0
0
4
0
8
1
1
.278
プレーオフ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
07
中日
5
20
3
7
1
0
0
8
2
0
0
1
0
1
0
8
0
0
.350
08
中日
7
26
0
4
1
0
0
5
1
0
0
0
0
2
1
7
2
0
.154
通算
2年
12
46
3
11
2
0
0
13
3
0
0
1
0
3
1
15
2
0
.239
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
9年
23
56
8
16
1
0
5
32
10
0
0
0
1
5
0
21
1
1
.286
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
犠打
犠飛
四死
三振
併殺
失策
打率
11
横浜
4
16
0
3
0
0
0
3
0
0
0
0
0
2
1
0
.188
12
横浜
3
9
1
2
1
0
0
3
4
0
0
0
3
1
0
0
.222
14
横浜
43
100
7
29
3
0
1
35
10
0
0
0
12
9
5
1
.290
通算
3年
50
125
8
34
4
0
1
41
14
0
0
0
15
12
6
1
.272
球団在籍時のみ
MLB打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
05
ドジャース
17
39
1
5
2
0
0
7
3
0
0
0
0
2
0
7
3
1
.128
通算
1年
17
39
1
5
2
0
0
7
3
0
0
0
0
2
0
7
3
1
.128.
AAA打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
05
AAA
101
357
54
89
17
1
22
174
67
0
0
0
5
45
1
70
19
20
.249
通算
1年
101
357
54
89
17
1
22
174
67
0
0
0
5
45
1
70
19
20
.249
オリンピック打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
00
日本
9
39
3
12
3
0
2
21
8
0
0
0
0
3
0
11
2
2
.308
04
日本
9
30
2
7
1
0
2
14
8
0
0
1
2
5
0
6
2
1
.233
通算
2年
18
69
5
19
4
0
4
35
16
0
0
1
2
8
0
17
4
3
.275