大原 慎司
41
|
名前 |
おおはら しんじ |
生年月日 |
1985年6月30日 |
経歴 |
明秀学園日立高校−常磐大学−TDL−横浜(10年D5位) |
入団年 |
10年ドラフト5位 |
在籍年 |
11年−17年 |
背番号 |
11年−17年[41] |
投打 |
左投げ左打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:高校から投手:
小学4年から野球を始めて、中学では軟式野球でプレーした。中学まではファーストを守っていたが、明秀学園日立高に進学するとキャッチボールの肘の使い方を評価されてピッチャーに転向。1年の夏からエースとなり、2年夏にチームを創部以来初となる4回戦まで導いた。3年時も夏の甲子園予選で4回戦まで勝ち進んだが、水戸短大付属に9回二死から逆転負けを喫して甲子園出場はならなかった。常磐大学に進学すると3年からエースとして活躍した。
:東北予選MVP:
TDKに入社すると入社直後に故障して3月間練習も出来なかったが、2年目の日本選手権では東北2次予選で七十七銀行戦で先発して9回無失点、決勝のJR東日本東北戦でも8回無失点という素晴らしいピッチングを見せてチームを33年ぶりの東北予選優勝に導いた。17イニング無失点で16奪三振を奪った大原はMVPに選出されたが、日本選手権の本選では大和高田クラブに5.1回10安打、4失点と打ち込まれて初戦で敗退した。
:横浜入団:
10年のドラフト会議で横浜から5位指名を受けて入団。開幕一軍は逃したがイースタンリーグで5試合で5.1イニングを投げて2安打、無四球という好成績を残して4月30日に一軍昇格。同日の巨人戦で2対6と大差を付けられた9回表に初登板のマウンドに上がったが長野にツーランを運ばれて苦いデビュー戦となってしまった。
:初勝利:
5月11日の巨人戦で2対3とリードされた5回裏二死一、二塁という場面でマウンドに上がると小笠原を空振り三振に切って取ってピンチを切りぬける。するとその直後の6回表にハーパーが逆転ツーランを放って大原に初勝利が記録された。7球での勝利に「たなぼたの勝利ですね」と喜んだ大原だったが、20日のロッテ戦でも同点の6回裏の一死満塁でマウンドに上がって福浦をファーストゴロ併殺に打ち取ると、その直後に村田が勝ち越しツーランが飛び出して今度は5球で勝利投手になった。
:71試合登板:
一軍昇格した4月30日から26試合中18試合に登板するなど左のワンポイントとして毎日のように起用され、9月15日の巨人戦では56年の秋山登、58年の鈴木隆に並ぶ球団の新人タイ記録となる58試合登板を達成。10月21日の阪神戦ではリーグの新人新記録となる70試合登板。シーズン最終戦となった10月22日の巨人戦では42年の林安夫に69年ぶりに並ぶ新人の日本タイ記録となる71試合登板を達成した。
:後半戦に活躍:
12年は開幕第3戦で連続四球を出して降板するなど制球が定まらず4月21日に登録抹消。二軍での調整を経て約3ヵ月後の7月15日に復帰すると、翌日のヤクルト戦で2イニングを無安打、無四球に抑えて逆転勝利に貢献。その後も本来の力を発揮して33試合の登板で防御率1.80という素晴らしい成績を残した。またワンポイントではなくイニングをしっかり任されるようになったこともあり試合数を超える投球回を記録した。
:初セーブ:
13年は7月6日の巨人戦では9回表に荒波が逆転タイムリーを放つと、8回裏に抑えのソーサを投入していた事もあって大原が9回裏を任されると、一死一、二塁というピンチを招いてしまったが坂本をセカンドゴロ併殺に打ち取って初セーブを記録。巨人戦のビジターゲーム16連敗という悪夢をストップさせた。8月6日の巨人戦から17試合連続無失点、9月には月間14試合に登板と苦しいシーズン終盤まで好投を続けた。同年には48イニングを投げて被安打32、18四死球という素晴らしい安定感で6年ぶりの最下位脱出とCS争いに大きく貢献した。
:前半好調も:
14年は左手血行障害の手術の影響で開幕1軍こそ逃したが、4月1日に一軍へ昇格すると前半戦は自身も例年にない手応えを感じるほど素晴らしいピッチングを見せていたが、左肩をかばいながら投げているうちに状態を落とし、7月15日の広島戦で4安打を集中されて4失点、7月21日の中日戦で松井佑に同点被弾、8月1日の阪神戦では同点で迎えた延長10回裏に鳥谷のヒットと暴投でピンチを作ると福留にタイムリーを打たれてサヨナラ負け。この敗戦で3年以上続いていた連続試合無敗戦が史上3位の169試合でストップしてしまった。またシーズン終盤には脇腹の肉離れ、左肩痛などのけがに悩まされるシーズンとなった。
:左肩を痛める:
15年は左肩痛で出遅れてしまうと球宴明けからは8試合で7イニング連続無失点に抑えたが、8月7日の阪神戦では6点リードの9回表に4安打を集中されて3失点を喫してしまうなどシーズンを通した活躍は出来ず21試合登板に留まった。16年は5月中旬に昇格すると6月には10試合に登板するなどワンポイントとして活躍、6月10日のオリックス戦では2点をリードした8回裏一死一、二塁でリリーフすると全球スライダーで3番糸井をファーストゴロ、4番T-岡田を空振り三振に切って取って勝利に貢献したが後半戦は二軍でシーズンを送り復活はならなかった。
:引退:
17年はイースタンリーグで26試合に登板して防御率3.70を記録したが、入団以来初めての一軍登板なしに終わって戦力外通告を受けると同年限りで現役を引退した。15年に痛めた肩の状態が本来の状態に戻らない苦しい日々が続いていた大原は「言われたときは変な話、ホッとしたんです。もやもやが取れたというか…。クビを宣告されたら他に行くという選択肢はなかった。そんなに器用には生きられない」 |
|
初記録 |
初登板 |
11年4月30日巨人戦 |
初勝利 |
11年5月11日巨人戦 |
初奪三振 |
11年5月1日巨人戦:亀井から |
初完投 |
|
初セーブ |
13年7月6日巨人戦 |
|
|
|
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
11 |
横浜 |
71 |
0 |
0 |
4 |
1 |
0 |
44.1 |
40 |
4 |
15 |
2 |
36 |
4 |
0 |
19 |
15 |
3.05 |
12 |
横浜 |
33 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
35.0 |
31 |
2 |
15 |
0 |
20 |
2 |
0 |
7 |
7 |
1.80 |
13 |
横浜 |
58 |
0 |
0 |
2 |
0 |
2 |
48.0 |
32 |
6 |
17 |
1 |
38 |
1 |
0 |
18 |
16 |
3.00 |
14 |
横浜 |
44 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
32.1 |
32 |
1 |
13 |
2 |
28 |
2 |
0 |
18 |
16 |
4.45 |
15 |
横浜 |
21 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
15.2 |
16 |
3 |
2 |
1 |
13 |
0 |
0 |
7 |
7 |
4.02 |
16 |
横浜 |
16 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
12.2 |
15 |
4 |
6 |
2 |
14 |
0 |
0 |
7 |
7 |
4.97 |
|
通算 |
6年 |
243 |
0 |
0 |
10 |
3 |
2 |
188.0 |
166 |
20 |
68 |
8 |
149 |
9 |
0 |
76 |
68 |
3.26 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
11 |
横浜 |
71 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
.000 |
12 |
横浜 |
34 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
13 |
横浜 |
58 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.000 |
14 |
横浜 |
44 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
15 |
横浜 |
21 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
16 |
横浜 |
16 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
6年 |
244 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
.000 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
11 |
横浜 |
5 |
0 |
1 |
0 |
0 |
5.1 |
2 |
0 |
0 |
6 |
1 |
1 |
1.69 |
12 |
横浜 |
24 |
0 |
3 |
2 |
1 |
21.2 |
16 |
0 |
7 |
26 |
5 |
4 |
1.66 |
13 |
横浜 |
12 |
0 |
0 |
0 |
0 |
11.0 |
8 |
1 |
3 |
10 |
1 |
1 |
0.82 |
14 |
横浜 |
9 |
0 |
0 |
0 |
0 |
9.0 |
9 |
0 |
3 |
5 |
3 |
3 |
3.00 |
15 |
横浜 |
15 |
0 |
0 |
1 |
1 |
13.2 |
11 |
0 |
8 |
8 |
5 |
4 |
2.63 |
16 |
横浜 |
24 |
0 |
1 |
2 |
1 |
25.1 |
28 |
4 |
15 |
26 |
15 |
13 |
4.62 |
17 |
横浜 |
26 |
0 |
0 |
1 |
1 |
24.1 |
19 |
2 |
10 |
25 |
10 |
10 |
3.70 |
|
通算 |
7年 |
115 |
0 |
5 |
6 |
4 |
110.1 |
93 |
7 |
46 |
106 |
40 |
36 |
2.94 |
|
|
|