:奪三振と四球:
11年のドラフト会議でレンジャースから3巡目指名(全体の924 番目)を受けて契約。同年にはルーキーリーグで3試合、A-で9試合に登板して、計20.1イニングでイニング数を大幅に上回る31奪三振を奪う一方で16四球と制球に課題を残した。翌12年にはAで33試合に登板して防御率1.90、A+でも7試合の登板で防御率0.87という好成績を残した。
:MLB昇格:
13年にはAAにステップアップして29試合の登板で防御率2.52を記録、53.2回で44四球と制球力には依然として課題が残っていたが、翌14年には四球数が激減してAAで24試合の登板で防御率0.81、AAAでは9試合の登板で防御率0.00、18.1イニングで被安打率.119、28奪三振という圧倒的な成績を残して8月1日にMLB初昇格を果たした。
:本塁打:
8月1日のインディアンズ戦で1対11と大量リードを許した6回裏にMLBデビューのマウンドへ上がったが、いきなり先頭のロニー・チゼンホールにホームランを打たれてMLBの洗礼を浴びた。ダルビッシュ有が好投を見せた8月3日のインディアンズ戦では9回裏に抑えが打たれて同点に追いつかれてしまうと、3対3で迎えた12回裏という厳しい場面でクラインがMLB2試合目のマウンドへ上がったが、ここでも先頭のマイケル・ブラントリーにソロを運ばれてサヨナラ負けとなってしまった。
:初勝利:
心を折られてもおかしくないような厳しい幕開けとなったが、続く試合からは6試合にまたがって7.0イニング連続無失点を記録、8月22日のロイヤルズ戦では青木のファーストゴロの間に1点を奪われたが、続く試合でも無失点に抑えるなど好投を続けた。9月12日のブレーブス戦では1対1の同点で迎えた8回表一死一塁でマウンドに上がってアップトン、ジョンソンから連続三振を奪うと、その裏にチームが勝ち越してクラインにMLB初勝利が記録された。同年には17試合の登板で防御率2.84、19イニングで被安打11、10四球、23奪三振という好成績を残した。
:先発転向:
15年は先発に転向してAAAで18試合(先発10)に登板して防御率2.97を記録、MLBでも5月20日のレッドソックス戦で先発して5.1回をボガーツのソロの1点に抑えて先発でのMLB初勝利を記録した。だが続く5月25日のインディアンズ戦では7点の大量援護を貰いながら、2.0回で7失点と打ち込まれてマイナー降格となった。7月にMLB再昇格を果たすと初回に5点を先制しながら2回表に11点を奪われた7月28日のヤンキース戦で3回表の無死一塁で登板して3.0回を1失点に抑える好リリーフを見せたが、6回表にクラインをリリーフしたパットンが3失点と打ち込まれるなどチームは5対21で大敗となった。
:横浜入団:
16年は開幕から5試合連続無失点を記録して6.1回を2安打、無四球で9奪三振という素晴らしいピッチングを見せたが、4月30日のエンゼルス戦でプホルスのソロなどで2失点、続く5日3日のブルージェイス戦では1対1で迎えた10回裏に登板してスモークにサヨナラツーランを被弾、さらに続く試合でも失点してマイナー降格となった。6月19日にフィリーズへ移籍するとAAAでは10試合の先発を含む14試合に登板して5勝1敗、防御率1.52を記録。65.1イニングで被安打44、13四球で76奪三振という素晴らしい内容だったが、MLBでは4試合の登板で防御率8.44と苦しんだ。同年オフに横浜DeNAベイスターズに移籍。
:期待と四球:
1億5000万円という高額契約で高田GMからは「ずっと追いかけていた。彼がやってくれなかったら誰がやってくれるんだというくらいの投手」と高い期待をかけられ、入団会見では201センチという長身を生かして天井にタッチするパフォーマンスを見せた。キャンプでも練習試合で153キロのストレートを投じて他球団のスコアラーから絶賛する声が上がったが、オープン戦が始まると17イニングで危険球を含む23四死球という大乱調で大きな不安を感じさせた。
:打撃でお立ち台:
ペナントレースではヤクルトとの開幕第2戦を任されると不安定な内容ながら広いストライクゾーンにも助けられて5回を4安打、4四球で1失点を粘って勝利投手になった。続く7日の中日戦では4.2回4失点でKOされたが、16日のヤクルト戦ではバレンティンに特大のソロを2本浴びたが5.1回を3失点に抑え、4回裏の打席で自ら高校時代以来の適時打となる逆転の2点タイムリーを放ってお立ち台に上がった。
:乱調と守乱:
4月23日の中日戦では6回で5安打4四球ながら粘投で1失点に抑え、球速も149キロを計測したが打線が零封されて敗戦、一旦登録抹消となり5月20日に復帰すると同日の巨人戦で5回4失点、27日の阪神戦では2回までは好投も3回裏に先頭糸原のセーフティーバントを蹴飛ばしてしまうと、暴投、四球でピンチを作り、糸井のスリーランなどでイニング5失点、6月2日のソフトバンク戦でも初回に自らのエラーなどもあって4失点、2回表には2四球と自らのベースカバーを怠る内野安打でピンチを作って犠牲フライと自滅が続いて登録抹消、以後は右ひじの違和感を訴えて二軍でも登板機会がなく、8月7日に治療のために帰国した。 |
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