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坂本 裕哉



20
名前 さかもと ゆうや
生年月日 1997年7月28日
経歴 福岡大附属大濠高−立命館大−横浜(19年D2位)
入団年 19年ドラフト2位
在籍年 20年−
背番号 20年−[20]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
東と同部屋
福岡市西区の横浜出身、ソフトバンクの和田のファンで大学時代に野球部のマネージャーの経験もあった母親から「和田になりなさい」とピッチングフォームを手ほどきを受けた。幼少時代はサッカーの方が好きだったが、小学校4年の時に友人の誘いで野球クラブに入り本格的に野球を始める。中学時代には軟式野球部でプレー、練習メニューを自分たちで考える自由や方針もあって過度な投げ込みとも無縁に育ち、3年時には九州大会で優勝。

東と同部屋
福岡大大濠高に進学すると1年秋からベンチ入りし、2年秋からエースになったが甲子園出場は果たせなかった。立命館大に進学すると2年時にはベイスターズから1位指名を受ける東と寮で同部屋となりチェンジアップなどを伝授された。2年秋には故障で離脱した東に代わって先発を任されたが5四死球を与えて5回途中4失点KO、この試合の悔しさを糧にして飛躍のきっかけとした。

体力強化
3年春には京大2回戦で15奪三振を奪って完投勝利を記録、球数が100球に近づくとスタミナ切れを見せることが多かったが、3年冬には大学日本代表の強化合宿で日体大の北山比呂からトレーニング法を学び、肉体改造を決意、食事量も増やし、1日3回プロテインを摂取するなど短期間で体重を10キロ近く増加させた。

MVP
エースになった4年春には京大1回戦で5安打完封、続く近大第1戦でもオリックスから3位指名を受ける村西との1対0の投げ合いを制して5安打完封勝利、第3回戦でも村西と投げ合って4安打2失点(自責0)の完投という圧巻のピッチングで優勝に貢献。同季には5勝1敗、防御率0.84を記録してMVPに選出された。

横浜入団
秋には関大第3回戦で自らの悪送球もあって5回3失点と崩れ試合後には涙を見せた。ドラフト会議を目前に控えた近大戦では第1回戦で最速148キロを計測するなど6安打完封を記録したが、第3回戦では8回に4安打を浴びて逆転負け、試合後には「今日の投球で2年間鍛え直してプロに行った方がいいなと思った。これが自分の実力」と指名漏れも覚悟したが、同秋にも5勝3敗、防御率1.24という好成績を残して横浜から2位指名を受けて入団した。ドラフト時には弟が1週間泊りがけでハマスタに応援に駆け付けるほどのベイファン(嶺井ファン)という事が話題になり、弟はドラフト会議で兄の入団が決まると「兄がベイに来た」と興奮を隠せなかったとか。

初登板で快投も
ルーキーイヤーは開幕前の最終テストとなった練習試合で3イニングを1安打に抑えて開幕ローテを勝ち取ると、中日のルーキー岡野とのセ史上70年ぶり2度目の新人初登板対決となったデビュー戦では5回までノーヒット、1四球というほぼ完ぺきなピッチングを見せると、6回表の無死一、二塁も無失点で切り抜けて球団の新人左腕としては野村弘樹以来2人目となる初登板初勝利を記録した。だが6回表の守備でベースカバーに入った際に足をひねって降板となり翌日に抹消となった。

球団34年ぶり
当初は軽度の捻挫かと思われたが長期離脱となり二か月半が経過した9月8日に一軍復帰、同日の阪神戦では初回に大山に満塁ホームラン、3回表にも大山にツーランを被弾するなど3本塁打を浴びて5回7失点でKOされた。だが大量援護で黒星を免れると、続く15日のヤクルト戦では3回から立ち直って5.1回を3失点にまとめて2勝目を記録した。続く阪神戦は5回2失点で勝ち負けがつかなかったが、29日のヤクルト戦で5回4失点ながら大量援護で球団新人34年ぶりの無傷の3連勝を記録した。だがその後は10月6日の巨人戦で3回4失点でKOされるなど序盤降板が続いて、10回の先発登板で4勝1敗ながら防御率は5.67と苦しんだ。

憧れのソフトバンク相手に
21年は4月16日に1軍昇格、同日の巨人戦は坂本に被弾するなど5回10安打3失点と打ち込まれたが、続く阪神戦では神里の好守にも助けられて6回を3安打1四球で1失点に抑えてチームの連敗を10で止めてみせた。続くヤクルト戦で村上が放った痛烈なライナーが左肩を直撃して登録抹消になったが、一月後の5月28日楽天戦で1軍に復帰すると、6月3日には幼いころからファンだったソフトバンクと初対戦、初回の一死三塁で柳田を打ち取るなど毎回のように走者を背負いながら粘り強いピッチングで6回を無失点に抑えた。だが続く西武戦で押し出しを含むイニング4四死球で2.2回降板、さらに広島戦では8点リードの5回表に4失点を喫して勝利投手の権利まであと1アウトで降板と好調を持続させることはできなかった。

先輩
前夜に福岡の周船寺第二幼稚園の先輩でもある抑えの三嶋が阪神打線に悔しい大逆転サヨナラ負けを喫した7月13日の阪神戦では「やりかえしてやろう」と気迫の投球を見せて、課題だった左打者への内角にも攻め込むなど阪神打線を7回5安打1四球で1失点に抑えてリベンジを果たした。続く阪神戦でも6回2失点に抑えて阪神戦3連勝を記録、前年に引き続き強力な打線の援護を受けて先発試合でチームが8勝3敗という高勝率も残していたが、終盤は4連敗と失速して10月5日の阪神戦では前半戦にスーパールーキーとして話題を集めた阪神の佐藤の連続打席ノーヒットを59で止めるタイムリーヒットも許してしまった。

球団初の
22年はオープン戦で好投を続けて開幕ローテを勝ち取ると、広島との開幕第3戦で4回まではパーフェクトに抑え込んだが5回表に二死からの4連打で4失点を喫して逆転を許した。その後に先発予定試合が2試合連続で中止となると、中18日で迎えた4月15日のヤクルト戦では自らの好守もあって5回3失点でまとめたが、続く阪神戦では代打小野寺逆転満塁弾を浴びて4回5失点で降板、続く巨人戦でも中島に満塁弾を被弾してリーグ史上9人目で球団初となる2戦連続満塁被弾を記録した。シーズン終盤にはリリーフでも起用されたが0勝5敗、防御率6.19と期待に応えることはできなかった。

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23年はロングリリーフとして起用されたが好結果は残せず、9月5日の広島戦では先発で起用されたが連続四球などで崩れてチャンスを生かせなかった。


初記録
初登板 2020年6月25日中日戦
初勝利 2020年6月25日中日戦
初奪三振 2020年6月25日中日戦:阿部から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
20 横浜 10 0 0 4 1 0 46.0 48 10 17 3 29 1 0 30 29 5.67
21 横浜 16 0 0 4 6 0 70.1 89 9 22 3 46 2 0 43 41 5.25
22 横浜 15 0 0 0 5 0 48.0 52 9 21 3 28 1 0 33 33 6.19
23 横浜 13 0 0 0 1 0 25.0 27 2 12 2 13 1 0 16 16 5.76
通算 4年 54 0 0 8 13 0 189.1 216 30 72 11 116 5 0 122 119 5.66


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
20 横浜 10 16 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 4 0 0 .063
21 横浜 16 16 0 1 0 0 0 1 0 0 0 4 0 0 0 4 0 0 .063
22 横浜 15 11 1 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 5 0 1 .091
23 横浜 13 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000
通算 4年 54 45 1 3 0 0 0 3 0 0 0 6 0 0 0 13 1 1 .067


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
20 横浜 4 0 0 0 0 18.1 9 0 10 14 3 3 1.47
21 横浜 8 0 2 2 0 31.2 19 0 16 33 9 7 1.99
22 横浜 10 0 2 2 0 45.1 55 7 17 41 29 22 4.37
23 横浜 16 0 2 2 0 45.0 36 3 12 36 10 9 1.80
通算 4年 38 0 6 6 0 140.1 119 10 55 124 51 41 2.63