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櫻井 周斗



41
名前 さくらい しゅうと
生年月日 1999年6月25日
経歴 日本大学第三高−横浜(17年D5位)−楽天
入団年 17年ドラフト5位
在籍年 18年−23年
背番号 18年−22年[41]:23年-23年途中[041]:23年途中−23年[41]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
二刀流
埼玉県所沢に生まれ、小1から野球を始める。地元の埼玉西武ライオンズに所属していた石井 一久に憧れた。6年時にはヤクルトジュニアでプレーし、NPBジュニアトーナメントで準優勝、中学時代には新座シニアに所属して1番ピッチャーで関東大会へ出場したが、2年時に肘を疲労骨折して投手を断念。日大三高では1年秋から外野手として活躍した。投手陣に故障が相次いだ2年夏に投手へ再転向、楽天の則本を参考にして代名詞となるスライダーに磨きをかけ、スピードよりコントロールを意識して練習を積むうちに投球フォームが安定して球速も上がり、背番号8ながら主力投手となった。

清宮から5奪三振
秋の都大会では6試合で44.2イニングを投げて防御率1.81、58奪三振を記録、打っても3本塁打を放った。決勝戦では早稲田実業と対戦、高い注目を集めていた清宮効果もあって神宮球場を埋めた2万人が観戦する中で、清宮から全てスライダーで5打席連続三振を奪うなど14奪三振を記録、試合は球数が150球を超えた9回裏に逆転を許してサヨナラ負けとなったが、清宮が「今までやってきた投手の中でダントツ。当たんないっス」と語るなど大幅に評価を高めた。

安田から3打席連続
3年春のセンバツでは初戦の履正社戦で敗れはしたものの、安田 尚憲からの3打席連続、4番若林からの4打席連続を含む13奪三振、打っても3番打者で2安打2打点を記録、安田は「高校でやってきて一番すごかった」と舌を巻いたが、終盤に腕が振れなくなりは安田に弾丸ライナーをはじき返されるなど打ち込まれて初戦敗退となった。春季大会では再び決勝で早稲田実業と対戦したが、夏の対戦を見越して登板を回避して打者として出場、ソロを含む3安打を放ったが延長12回の末に17対18という大激戦で敗れた。

日本代表の5番
5月の関東大会で大幅に状態を落とすと、最後の夏は西東京の準々決勝で東海大菅生に0対5で敗れて早稲田実業との対戦はならなかった。ドラフト直前に行われたU-18ワールドカップではドラフト1位でプロ入りする清宮、安田とともに日本代表のクリーンナップを組んだ(6番中村もドラフト1位)。ドラフト会議で横浜から5位指名を受けて入団。高校通算32本塁打を放ったが指名あいさつで投手を志願し、入団会見では「ウィーランド選手のような、打撃でも試合に貢献できる投手になりたい」と強打の投手を目指してのプロ入りとなった。

オープン戦で好投
ルーキーイヤーには巨人とのオープン戦開幕戦でスライダーに加えて濱口、東に教わったチェンジアップと146キロのストレートで1回を無安打に抑えて、オープン戦開幕戦で高卒新人として28年ぶりの白星を記録した。日本ハムとのオープン戦では申告敬遠で二死満塁としてから清宮から見逃し三振を奪って高校時代からの連続三振を6打席連続まで伸ばした。オープン戦では5試合に登板して4.2回で1安打、4四球と結果を残したが、89年の石井 琢朗以来の球団29年ぶりの高卒投手の開幕一軍は掴めなかった。シーズンに入るとイースタン・リーグで先発、リリーフで起用されて経験を積んだが、18試合の登板で48.2回を投げて防御率7.03に留まった。

初登板
19年は二軍で好投を続けて6月6日に初昇格、翌日の西武戦で初登板のマウンドに上がると山川から空振り三振を奪うなど三者凡退に抑える上々のデビューを飾った。1試合で抹消となったが、23日に再昇格を果たすと7月16日の広島戦では流れを変える三者凡退で逆転勝利に貢献した。21日の中日戦で初ホールドを記録、8月1日のヤクルト戦では3.1回を2安打1四球の4奪三振に抑えて打席では初ヒットも放ったが、8日の広島戦で連続四球からのスリーランを浴びて抹消となった。シーズン終盤に再昇格を果たすと9月27日の巨人戦で初先発、2イニングを投げて坂本、丸、大城から三振を奪うなど無安打1四球に抑えた。

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CSファイナルの先発候補に残ったが、チームがファースト・ステージで敗退したため大舞台は回ってこなかった。オフにはファーム施設の視察に訪れた世界トップクラスの現役投手トレバー・バウアーからナックルカーブを伝授されるなど、ピッチングスタイルを再構築した。

チャンス逃す
20年はキャンプで先発調整を行ったが、楽天とのオープン戦で3.1回で8四死球の大乱調、日本ハムとのオープン戦でも清宮に押し出し四球を与えるなどオープン戦で9.1回で15四死球を記録、シーズンに入っても7月1日の巨人戦で先発を任されたが初回に先頭への四球から失点すると、4回裏にウィーラーのピッチャーゴロを捕球できず内野安打として3.1回3失点で降板となった。10日の阪神戦では2回表からのロングリリーフで3.0回を無失点に抑えたが、打席でバントのサインを見逃して併殺に倒れてしまうと、16日の中日戦で1.0回2安打2四球と崩れて抹消となり、ラミレス監督の高い期待に応えることができなかった。

初敗戦
21年は開幕直後に1軍へ昇格、4月24日の阪神戦で初回6失点KOの上茶谷の後を受けて2回裏から登板すると、3回表の打席ではタイムリーヒットを打ったが、ピッチングでは3回5失点と試合を立て直せず抹消となった。だが6月10日に再昇格を果たすとロッテに移籍した国吉に代わるロングリリーフとして活躍、7月6日の広島戦では2回をパーフェクトに抑えて逆転勝利に貢献した。10月2日の巨人戦では3回裏から登板すると打線が4回表に同点に追いつき、その裏を櫻井が三者凡退に抑える良い流れを作ったが、3イニング目となった5回裏には連続四球と暴投でピンチを作って降板となり初敗戦となってしまった。

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22年は年明け早々に左ひじを手術、7月2日にイースタンリーグで復帰を果たしたが1軍昇格はならず、10月に再び左ひじを疲労骨折して同年オフに育成契約となった。翌23年の4月8日に支配下へ復帰、同年はイースタンリーグで36試合に登板して防御率3.38というまずまずの成績を残した。同年の現役ドラフトで楽天に移籍した。


初記録
初登板 2019年6月7日西武戦
初勝利
初奪三振 2019年6月7日西武戦:山川から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
19 横浜 14 0 0 0 0 0 16.2 17 1 10 1 17 1 0 9 9 4.86
20 横浜 3 0 0 0 0 0 7.1 12 0 3 0 4 1 0 6 6 7.36
21 横浜 30 0 0 0 1 0 41.0 36 3 29 0 37 3 1 15 14 3.07
通算 3年 47 0 0 0 1 0 65.0 65 4 42 1 58 5 1 30 29 4.02


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 横浜 14 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .333
20 横浜 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000
21 横浜 30 2 0 2 0 0 0 2 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1.000
通算 3年 47 8 0 3 0 0 0 3 1 0 0 1 0 0 0 2 1 0 .375


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
18 横浜 18 1 2 3 0 48.2 53 7 36 37 42 38 7.03
19 横浜 22 0 3 2 0 32.0 24 0 18 24 10 8 2.25
20 横浜 17 0 0 2 1 29.0 40 2 27 31 21 21 6.52
21 横浜 15 0 1 1 6 25.2 23 2 11 24 8 7 2.45
22 横浜 13 0 1 1 2 15.2 8 0 12 17 5 4 2.30
23 横浜 36 0 1 2 0 40.0 33 3 21 32 17 15 3.38
通算 6年 121 1 8 11 9 191.0 181 14 125 165 103 93 4.38