佐野 恵太
7
|
名前 |
さの けいた |
生年月日 |
1994年11月28日 |
経歴 |
広陵高−明治大−横浜(16年D9位) |
入団年 |
16年ドラフト9位 |
在籍年 |
17年− |
背番号 |
17年−20年[44]:21年−[7] |
投打 |
右投げ左打ち |
守備 |
内外野手 |
|
|
:高校時代には捕手も:
小学校1年から彦崎少年野球団で投手として野球を始める。小2から左打ちに転向し、中学時代にはヤングリーグの倉敷ビガーズで投手兼サードとして全国大会で準優勝に貢献、U15日本代表にも選出された。倉敷ビガーズの先輩でもある野村
祐輔に憧れて広陵高に進学。2年春からショートとしてベンチ入りして、2年の11月からプロ入りの可能性を高めるために捕手に転向した。最後の夏は県大会で本塁打を含む8打数5安打4打点を記録したが3回戦で敗れて甲子園出場は果たせなかった。高校通算9本塁打。
:ベストナイン:
野村の後を追って明治大学に進学、パワーアップを目指して1食1キロもの米を食べて体重を10キロ以上増加させた。2年春からベンチ入りして3年時には高山
俊の練習パートナーを務めて刺激を受けた。ファーストのレギュラーを掴んだ3年秋には慶応戦で2試合連続本塁打を放つなど打率.277でベストナインに選出された。4年春には慶大4回戦でバックスクリーンへ満塁ホームランを放つなど打率.302、3本塁打を記録してリーグ優勝に貢献するとともに2季連続のベストナインに輝いた。六大学通算54安打、6本塁打、33打点。
:横浜入団:
ドラフト会議で横浜から9位指名を受けて入団。横浜は最後の一人として別の内野手を指名予定だったが、若い代打を求めていた高田GMが「どっちの方が打てるんだ?」と打撃力を重視したため佐野指名となった。正月に帰省した際にはソフトバンク3軍監督で現役時代には「MLBでも通用する」と言われた名外野手の偉大な叔父である佐々木
誠から「1年目が勝負だぞ」とアドバイスを送られた。
:オープン戦で輝くも:
オープン戦では94年の波留以来球団23年ぶりとなる新人初打席初ホームランを放つと、その後も打ち続けて打率.319に99年の巨人二岡以来となる新人2本塁打&11打点を記録して開幕一軍を掴んだ。4月8日の中日戦では1点を追う7回表に代打で起用され同点タイムリーで初ヒットを記録すると、翌日にはスタメン出場となったが3打数0安打で途中交代、ルーキーイヤーは21打数で2安打と期待に応える事はできなかった。シーズンオフにはアジアウインターリーグに参加して打率.391、5本塁打、18打点という好成績を残してMVPに選出された。
:初本塁打:
18年はキャンプで緊急事態に備えて捕手での練習も行い、オープン戦では打率.440を記録して開幕一軍に残ったが、ほぼ代打で12打数0安打と結果を残せず4月30日に抹消となった。だが二軍で打率.367と格の違いを見せて5月31日に一軍へ昇格すると、翌日のソフトバンク戦では5番に抜擢されて初本塁打となる先制ソロにツーベースを放った。さらに6月8日の日本ハム戦で代打でソロを放つと、12日の試合前練習では佐野が放った打球が大和の頭部を直撃して大和が救急車で搬送される事態となったが、大和から「気にせず頑張れ。打たなかったら怒るぞ」と激励されて翌日のロッテ戦で同点ソロを放った。
:サヨナラヒット:
印象的な活躍を見せた6月の締めとなった29日の広島戦では同点の9回裏にアドゥワが投じたチェンジアップを狙い打って人生初のサヨナラヒットを放って見せた。7月9日の中日戦でも7回裏に代打で起死回生の同点ツーランを放って勝利に貢献。8月10日の阪神戦ではシーズン89打席目にして初の四球を選び、出塁率としては凡退としてカウントされる犠飛が打っていたため続いていた打率より出塁率が低いという珍現象をストップさせた。8月25日のヤクルト戦で代打でスリーラン、9月16日の阪神戦では初の猛打賞を放つなどハマった時には強打を見せたが、一方で変化球にもろくチャンスの打席では変化球攻めにあって得点圏打率は.139と期待に応える事ができなかった。
:4打席で8打点:
19年は2軍キャンプスタートとなったが練習試合で快打を連発して1軍昇格、開幕戦に代打で出場して2点タイムリーを放つと、第3戦では同点で迎えた9回裏一死一、三塁で代打起用されてレフト前にサヨナラヒット、4月2日のヤクルト戦で8回表に代打で同点タイムリー、翌々日には代打で満塁ホームランという驚異的な活躍で4打数4安打、代打のみでリーグ3位の8打点を記録した。その後は安定して打率3割前後を記録し、スタメン出場も増加、6月30日の広島戦では9回裏の二死三塁で代打起用されて左腕のフランスアから同点タイムリーを放つと、そこから苦手だった左腕相手にも好結果が残せるようになって評価を高めた。
:ダンス:
7月2日の阪神戦では2番に抜擢されて同年から増席されたライト側ウイング席に筒香に次ぐ2号を叩き込むと以降はクリーンナップとしての起用が増え、8月18日の広島戦では初の4番を任されると、続く阪神3連戦では11打数5安打を記録、雨天中止となった9月3日の阪神戦では一人グラウンドに姿を見せて華麗かつ奇妙なステップでスタンドを沸かせると、翌日には被本塁打0でチームが7.0回被安打0に抑え込まれてきた難攻不落のジョンソンから同点弾、15日の中日戦で先制タイムリーを含む3安打、24日中日戦ではCS出場を決定づける2点タイムリーを放つなど中軸としての期待に応えた。同年には課題だった左投手、変化球にも対応力を上げて200打数で打率.295、5本塁打、得点圏打率.367で33打点を記録した。
:4番主将:
日本を代表するスラッガーの筒香がメジャーリーグへ移籍した20年はラミレス監督から4番レフトに加えてキャプテンという異例の大抜擢を受けた。レギュラーとは言えない立場から筒香が担っていた重責を引き継ぐ形になったが、オープン戦で打点王に輝く勝負強い打撃を見せると、コロナウイルスの影響で大幅に延期となった開幕戦にもコンデションを合わせて、12球団唯一の開幕戦から9試合連続ヒットを記録、ホームランこそ出なかったが3割台後半という高打率でチームを引っ張った。開幕から28試合目となる7月22日のヤクルト戦で待望の1号ソロを放つと、そこから3試合連続ホームランを記録、中でも熱望していた自身の応援歌がリモート演奏で初披露された24日の広島戦では1点を追う9回裏に史上31本目の逆転サヨナラ満塁ホームランという劇弾を放った。
:5試合連発:
8月1日の阪神戦ではスリーベース、ツーラン、ライト前を放って、サイクルヒットにリーチをかけて迎えた9回表の打席でレフト前ヒットを放ったが一塁にストップ、ベース上で横浜ベンチからのヤジに笑顔を見せた。5日の中日戦ではソロにタイムリー2本の猛打賞を記録してトップを走ってきたヒット数に加えて打率でも首位に浮上した。29日のヤクルト戦でも4安打を放って月間MVP(打率.343、6本塁打、22打点)を受賞、9月6日からは3試合連続猛打賞を記録して打率とヒット数でトップを独走、9月には球団記録に迫る月間39安打を記録、10月になると打率は落としたが11日から球団記録に並ぶ5試合連続ホームランを放った。
:首位打者:
大型連戦が続く過密日程を、初のレギュラーを任されたシーズンにもかかわらず全試合に出場して結果を残してきたが、5試合連発の直後に背中の張りで全試合出場が途切れると、3試合の欠場で復帰したがスタメン復帰試合となった10月25日の広島戦の走塁で暴走気味に三塁をオーバーランして帰塁時に左肩を脱臼、抹消となりシーズンを終えた。最多安打は逃したが打率.328で首位打者を受賞、初めて規定打席に届いたシーズンに100試合以上4番打者を務めての日本人首位打者は史上初で、ドラフト9位以降の指名からの首位打者は史上2人目だった。またセ外野手では最多票を集めてベストナインにも初選出された。
:前半戦打率トップ:
21年も引き続き4番を任されて3割を超える打率を残したが、開幕から打点が伸び悩んでいたため5月18日から3番に打順変更となった。4月上旬から27試合連続出塁を記録するなど高い出塁率を生かして得点に貢献、7月6日の広島戦では8回表にフランスアから勝ち越し弾を放つなど夏場からは勝負強い打撃も取り戻した。共にリーグトップの打率.328、109安打で前半戦を終えてオールスターにも初出場、オールスター初戦では守備から途中出場、同点で迎えた9回表に一死満塁という大チャンスで初打席を迎えたが空振り三振に倒れてMVPを逃した。
:全試合にスタメン出場:
後半戦に入ると本塁打も量産し、10月8日の中日戦では初回にソロ、2回裏に2イニング連発となる満塁弾という離れ業を見せた。同年はヤクルトから三塁手が一二塁間を守る極端な守備シフトをひかれるなど12球団トップの57回の守備シフトを受けて、意識するあまり三塁線にゴロを打とうとして高めのボール球を空振りする悪循環にも陥ったが、全143試合にスタメン出場してリーグ6位の打率.303、4位の出塁率.376、共に7位の73得点と72打点という好成績を残した。ベストナイン投票では惜しくも外野手4位となり2年連続の受賞は逃したが、ドラフト9位以降の選手としては史上2人目の年俸1億円の大台に到達した。
:デスターシャ:
22年はキャンプイン前日にファーストとレフトの併用との指示を受けて数年ぶりにファーストの守備練習を再開、開幕戦には離脱したソトに代わってファーストで出場した。広島との開幕第3戦でチーム1号を放ってベンチに戻るとカメラ前でパフォーマンス「デスターシャ!」を初披露、5月6日に背中を痛めて抹消となったが21日に復帰すると翌日には二塁打2本を含む4安打を放ち、次戦でもソロを含む3安打を放ってお立ち台、6月25日の広島戦では抑えの栗林から同点タイムリーを放つなど活躍を続けた。
:最多安打:
7月には月間打率.365を記録、18日の中日戦では高橋宏から逆転ツーランを放ってチームが5割復帰、20日の中日戦でも3安打3打点と放つなどヒットを積み上げて前半戦をリーグトップの3割3分1輪で終えてオールスターに選手間投票で選出された。後半戦に入っても8月11日の阪神戦で同点ソロ、18日の巨人戦では同点弾と勝ち越し弾、9月6日の巨人戦では抑えの大勢から決勝ソロ、20日の阪神戦で9回表の同点打を含む4安打という勝負強い打撃で快進撃を続けたチームを引っ張った。三冠王を獲得した村上との首位打者争いには敗れたがリーグ3位の打率.306を記録、最終戦でレフト前ヒットを放って初の最多安打に輝いてベストナインにも選出された。
:空高く:
オフに右ひじのクリーニング手術を受けて迎えた23年はホーム開幕戦のセレモニーでバックネット裏の最上部からワイヤーで宙づりになった状態で150メートルの距離を滑空、両手を高々と掲げながらグラウンド上に設置された高さ30メートルの山頂に到達するパフォーマンスを見せて話題になった。開幕から高い出塁率を生かして1番として起用されると4月9日の中日戦でハマスタ凱旋の砂田からのソロを含む3安打、5月5日のヤクルト戦では2本塁打、翌日には先頭打者弾を含む3安打3四球、18日の広島戦ではスリーランを含む4出塁とホームランを量産した。
:代打:
攻撃的な1番打者としてホームランと四球では期待に応えたが、持ち味の打率が2割5部前後から上向かず6月8日からは打順が3番変更となった。6月16日のロッテ戦では好機に凡退して寝れないほどの悔しさを味わったが翌日には満塁走者一掃のタイムリーを放ってお立ち台に上がった。6月には月間打率.322と復調したかに思えたが月間本塁打は0本、選手間投票で球宴には出場したが、7月には月間打率.224で0本塁打とどん底を味わって8月6日の阪神戦では逆転機で代打を送られた。ベンチで目を真っ赤にしながら声出しをして必死に前を向いたが、シーズン終盤には手首を骨折してCSも欠場するなど悔しさが残るシーズンとなった。 |
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初記録 |
初出場 |
2017年3月31日ヤクルト戦:代打で三邪飛 |
初安打 |
2017年4月8日中日戦:若松から |
初本塁打 |
2018年6月1日ソフトバンク戦:千賀から |
初打点 |
2017年4月8日中日戦:若松から |
初盗塁 |
2018年6月16日オリックス戦 |
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|
|
|
|
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
|
首位打者 |
|
|
|
● |
|
|
|
1回 |
最多安打 |
|
|
|
|
|
● |
|
1回 |
ベストナイン |
|
|
|
● |
|
● |
|
2回 |
オールスター |
|
|
|
|
● |
● |
● |
3回 |
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
17 |
横浜 |
18 |
21 |
1 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
5 |
0 |
0 |
.095 |
18 |
横浜 |
73 |
126 |
6 |
29 |
4 |
0 |
5 |
48 |
14 |
1 |
0 |
0 |
1 |
3 |
0 |
26 |
3 |
0 |
.230 |
19 |
横浜 |
89 |
200 |
23 |
59 |
10 |
0 |
5 |
84 |
33 |
0 |
0 |
0 |
0 |
13 |
2 |
39 |
9 |
2 |
.295 |
20 |
横浜 |
106 |
402 |
48 |
132 |
20 |
1 |
20 |
214 |
69 |
0 |
0 |
0 |
3 |
42 |
4 |
58 |
13 |
4 |
.328 |
21 |
横浜 |
143 |
545 |
73 |
165 |
34 |
2 |
17 |
254 |
72 |
0 |
1 |
0 |
4 |
61 |
5 |
73 |
14 |
4 |
.303 |
22 |
横浜 |
133 |
526 |
63 |
161 |
29 |
1 |
22 |
258 |
72 |
2 |
1 |
0 |
1 |
43 |
4 |
57 |
14 |
4 |
.306 |
23 |
横浜 |
141 |
560 |
67 |
148 |
26 |
2 |
13 |
217 |
65 |
0 |
2 |
0 |
3 |
46 |
4 |
77 |
9 |
5 |
.264 |
|
通算 |
7年 |
703 |
2380 |
281 |
696 |
124 |
6 |
82 |
1078 |
326 |
3 |
4 |
0 |
12 |
211 |
19 |
335 |
62 |
19 |
.292 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
19 |
横浜 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
22 |
横浜 |
3 |
10 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.100 |
|
通算 |
2年 |
5 |
11 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.091 |
|
|
オールスター打撃成績
|
回数 |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
通算 |
3回 |
6 |
11 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.091 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
17 |
横浜 |
77 |
243 |
30 |
62 |
15 |
0 |
11 |
110 |
35 |
1 |
0 |
0 |
30 |
46 |
7 |
1 |
.255 |
18 |
横浜 |
19 |
60 |
13 |
22 |
5 |
0 |
2 |
33 |
10 |
0 |
0 |
0 |
8 |
2 |
2 |
0 |
.367 |
22 |
横浜 |
2 |
7 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
.286 |
|
通算 |
3年 |
98 |
310 |
43 |
86 |
20 |
0 |
13 |
145 |
46 |
1 |
0 |
0 |
38 |
49 |
9 |
1 |
.277 |
|
|
|