柴田 竜拓
31
|
名前 |
しばた たつひろ |
生年月日 |
1993年12月16日 |
経歴 |
岡山理科大附属高−國學院大 −横浜 (15年D3位) |
入団年 |
15年ドラフト3位 |
在籍年 |
16年− |
背番号 |
16年−[31] |
投打 |
右投げ左打ち |
守備 |
内野手 |
|
|
:ショート:
7歳の時に野球をしていた父の影響もあって野球を始める。中学時代にはヤングカープ岡山に所属してヤングの全国大会で優勝。小さいころから石井琢朗や小坂誠といった名ショートに憧れ、岡山理科大付では1年秋からショートのレギュラーを掴んだ。2年秋からキャプテンを任されたが甲子園出場はならなかった。國學院大に進学すると167センチと小柄ながら2年春からレギュラーとなり、高校時代から定評のあった守備を上月コーチとの二人三脚で磨き抜いてスカウト陣から「プロの1軍レベル」との声が上がるまでになった。
:横浜入団:
2年秋に打率.294を記録してベストナインに選出されると、3年春にも打率.316で2季連続ベストナインに輝いた。3年時にはハーレム大会で最優秀守備賞を受賞、4年時のユニバーシアードで9打数3安打5四球を記録して世界一に貢献するなど経験も積み、ドラフト会議で横浜から3位指名を受けて入団した。
:ルーキーイヤー:
オープン戦で打率.375を記録して開幕一軍に残るとショートのレギュラー争いは倉本に敗れたが開幕戦に7番セカンドで出場して2回表の初打席でジョンソンが投じた145キロの初球をセンター前にはじき返して初打席の初球で先制2点タイムリーを放って見せた。球団の新人が開幕戦で打点を記録したのは60年の黒木以来で開幕戦の初打席でタイムリーは球団史上初だった、また開幕戦で全打点を記録してチームを勝利に導いたのは史上初の快挙だった。翌日には3安打を放つなど注目を集めたが、不慣れなセカンドの守備で拙守を見せたこともあってスタメンを外れると代打では結果が残せず5月2日に登録抹消となり、イースタンリーグでは打率.215に留まった。
:サヨナラヒット:
17年は開幕から守備固めとして起用され、5月6日のヤクルト戦では11回表の守備から試合に入り、その裏の一死二塁で前進守備のセンター頭上を越えるサヨナラ打を放ってお立ち台に上がった。球宴明けからはレギュラー候補の不調もあってセカンドスタメンのチャンスを貰うと7月23日巨人戦で6回裏に同点タイムリー、9回裏に二死走者なしから筒香のサヨナラ弾につなげるヒットを放つなど活躍、負ければ4位転落の9月3日の巨人戦では0対0で迎えた8回表に見事な守備で併殺を完成させると、その裏に決勝の犠牲フライでお立ち台に上がった。
:拙守の翌日に:
2位攻防戦となった9月9日の阪神戦では初回に糸井のセカンドゴロをはじいて先取点に繋げてしまうと、12回裏二死満塁で前日に2000安打を達成した鳥谷の二遊間への打球を取り損ねてサヨナラという苦難を味わったが、翌日には初本塁打となる勝ち越しソロを放って雪辱を果たした。CSでも大一番となったファーストステージ第3戦で好守を連発すると、打っても3安打を記録してファイナル進出に貢献、ファイナルでも3勝2敗で迎えた第6戦で3安打を放つと、日本シリーズでは18打数2安打に留まったが第3戦では12球粘って四球を選ぶ粘りを見せた。
:ポジションを失うも:
18年はFAで大和が加入し、はじき出された倉本がセカンドにコンバートされたためポジションを失い、主に守備固めで出場したが打撃では開幕から13打数0安打と苦しんだ。5月13日のヤクルト戦で初ヒットとなるツーランを放つと、そこから全て途中出場で3打数連続ヒットを記録、5月下旬からは徐々にスタメン起用も増え、6月24日の中日戦では3安打を放って勝利に貢献した。6月28日の阪神戦では飛球を譲り合って勝ち越し点を与えてしまうと、9回表にもファーストのベースカバーで送球を捕球できず決勝点を献上してしまったが、7月3日の巨人戦では6番に抜擢されて先制ツーランを含む2安打2四球を記録。8月24日のヤクルト戦で2点タイムリーを含む2安打を放ってお立ち台に上がると、翌日にも3安打1四球と活躍、同年はセカンドに加えてサードの守備固めや大和が故障した際にショートでも起用されるなど113試合に出場、多くの打席で粘りも見せて出塁率を向上させた。
:通算6本塁打記念:
19年は5月30日の中日戦で3安打を放つと、翌日にもスリーベースを含む2安打、6月14日のソフトバンク戦では千賀から346日ぶりのホームランとなる先制ソロを含む2安打など要所で活躍を見せたが、前半戦は打率.179という打撃不振に苦しみ、守備でも拙守を見せるなど苦しんだ。だが意識を変えてデータを活用し打撃フォームも変更するなど試行錯誤を繰り返すと、8月中盤から大幅に状態をあげて14日のヤクルト戦から4打数連続安打を記録、17日の広島戦では2号ツーランを放つと、手作り感あふれるハートフルな「通算6本塁打、おとん、おかん、ありがとう」ボードを持って同試合で200号を放った筒香がインタビューを受けるお立ち台に苦笑いを浮かべながら乱入して話題になった。
:CS進出に貢献も:
8月25日の巨人戦ではビッグプレーで併殺を完成させるなど好守を連発、打っても先制につながるツーベースを放って勝利に貢献、29日のヤクルト戦では同点タイムリーを含む3安打、9月16日の中日戦でも3安打を記録、球宴以降は打率.338で8月のOPSは.992、9月も.965とチームの21年ぶりの2位以上に貢献した。CSでもファーストステージ第3戦で一塁側ファールゾーンへの飛球を好捕するなど3連戦を通じて好守を見せて、初戦では2点タイムリーを放ったが、7対8で迎えた第1戦の9回裏二死一、二塁でレフトフライに倒れると、第2戦では一死二、三塁で空振り三振、第3戦でも同点に追いついた直後の一死満塁で空振り三振と勝負所で打てずチームも敗退、慕っていた筒香の日本最終戦となった事もあって第3戦後に行われたファンへのあいさつで号泣した。
:半レギュラー:
コロナウイルスの影響で開幕が延期となった20年は7月16日の中日戦で3安打を放つなど開幕当初は好調な出足を切ったが、8月1日の阪神戦で右膝付近に死球を受けると、そこから15打数連続ノーヒットと数字を落とした。だが状態が悪い中でも好守を見せてチームに貢献すると、シーズン終盤には打撃でも盛り返して、120試合の短縮シーズンで110試合に出場、ソトが内野専任となった事もあってポジション争いが激化する中で試合数の半数を超える61試合でスタメンを任されて出塁率.356を記録した。
:負傷:
21年は開幕からチームがどん底の9連敗に沈んでいた4月22日の中日戦で0対0で迎えた9回表に二死一塁から二遊間への打球に追いついたが悪送球を投じて決勝点を献上、翌日の阪神戦では二遊間後方の飛球を追い過ぎて大和と衝突、左肩の脱臼で抹消となった。6月19日に一軍へ復帰すると翌日の広島戦で1安打2四球に好守も連発して勝利に貢献したが、久々にショートでのスタメンとなった7月9日の中日戦の守備で盗塁へのタッチプレーで指をスパイクされて再び抹消となった。後半戦から復帰すると8月21日の巨人戦で一死二、三塁で追い込まれた所でピッチャーが変わる奇策を仕掛けられたが大江から決勝の犠飛を記録、10月10日の中日戦ではサヨナラ犠牲フライを記録した。同年には85試合の出場で打率.234と数字を落とした。
:打率.000:
22年は開幕戦でスタメンを任されるなど期待されていたが15打数0安打という打撃不振に陥り、4月6日にコロナウイルスに感染して離脱、復帰後も連続ノーヒットが続き、5月4日の中日戦で34打席目にしてようやく初ヒットを放ったが打撃不振からは抜け出せず、6月終盤には打席に入る際に不安げな表情を見せるなど苦しい日々を送った。夏場に入ると状態を上げたがシーズン序盤の数字を上げきれず、同年は96試合に出場したが打率.195という自己ワーストの成績に終わった。翌23年は86試合に出場したが試合数を下回る66打席と打席機会は少なくシーズン7安打と守備固めの役割にとどまった。 |
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初記録 |
初出場 |
2016年3月25日広島戦 |
初安打 |
2016年3月25日広島戦:ジョンソンから |
初本塁打 |
2017年9月10日阪神戦:桑原から |
初打点 |
2016年3月25日広島戦:ジョンソンから |
初盗塁 |
2016年4月5日中日戦 |
|
|
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
16 |
横浜 |
19 |
39 |
4 |
8 |
0 |
1 |
0 |
10 |
2 |
1 |
0 |
2 |
0 |
5 |
0 |
8 |
1 |
4 |
.205 |
17 |
横浜 |
88 |
215 |
25 |
50 |
8 |
0 |
1 |
61 |
11 |
1 |
1 |
11 |
2 |
17 |
3 |
50 |
2 |
4 |
.233 |
18 |
横浜 |
113 |
224 |
32 |
49 |
6 |
0 |
3 |
64 |
13 |
2 |
1 |
6 |
0 |
30 |
5 |
45 |
3 |
6 |
.219 |
19 |
横浜 |
111 |
164 |
22 |
42 |
8 |
1 |
3 |
61 |
17 |
3 |
0 |
10 |
2 |
20 |
0 |
38 |
3 |
2 |
.256 |
20 |
横浜 |
110 |
233 |
33 |
62 |
14 |
0 |
2 |
82 |
20 |
0 |
0 |
9 |
1 |
29 |
4 |
50 |
1 |
6 |
.266 |
21 |
横浜 |
85 |
222 |
21 |
52 |
15 |
0 |
2 |
73 |
15 |
1 |
1 |
14 |
3 |
26 |
1 |
39 |
1 |
8 |
.234 |
22 |
横浜 |
96 |
169 |
17 |
33 |
5 |
1 |
0 |
40 |
1 |
1 |
2 |
8 |
0 |
20 |
1 |
29 |
3 |
3 |
.195 |
23 |
横浜 |
86 |
49 |
7 |
7 |
1 |
1 |
0 |
10 |
2 |
0 |
1 |
6 |
0 |
9 |
2 |
9 |
0 |
2 |
.143 |
|
通算 |
8年 |
708 |
1315 |
161 |
303 |
57 |
4 |
11 |
401 |
81 |
9 |
6 |
66 |
8 |
156 |
16 |
268 |
14 |
35 |
.230 |
|
|
日本シリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
17 |
横浜 |
6 |
18 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
3 |
1 |
0 |
.111 |
|
通算 |
1年 |
6 |
18 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
3 |
1 |
0 |
.111 |
|
|
クライマックスシリーズ打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
17 |
横浜 |
8 |
27 |
2 |
11 |
1 |
0 |
0 |
12 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
4 |
0 |
6 |
0 |
0 |
.407 |
19 |
横浜 |
3 |
11 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
.182 |
23 |
横浜 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
3年 |
12 |
38 |
2 |
13 |
1 |
0 |
0 |
14 |
2 |
1 |
0 |
3 |
0 |
5 |
0 |
9 |
0 |
0 |
.342 |
|
|
二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
16 |
横浜 |
87 |
251 |
25 |
54 |
8 |
2 |
2 |
72 |
25 |
0 |
16 |
3 |
34 |
48 |
7 |
9 |
.215 |
17 |
横浜 |
7 |
17 |
2 |
6 |
2 |
1 |
0 |
10 |
3 |
0 |
3 |
0 |
5 |
2 |
0 |
0 |
.353 |
21 |
横浜 |
8 |
27 |
4 |
7 |
0 |
0 |
0 |
7 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
7 |
0 |
0 |
.259 |
22 |
横浜 |
2 |
5 |
3 |
3 |
1 |
0 |
0 |
4 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
1 |
.600 |
|
通算 |
4年 |
104 |
300 |
34 |
70 |
11 |
3 |
2 |
93 |
32 |
0 |
19 |
3 |
43 |
57 |
7 |
10 |
.233 |
|
|
|