白根 尚貴
60
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名前 |
しらね なおき |
生年月日 |
1993年4月28日 |
経歴 |
開星高−福岡ソフトバンク(11年D4位)-横浜 |
入団年 |
16年にソフトバンクから移籍 |
在籍年 |
16年−18年 |
背番号 |
16年−18年[60] |
投打 |
右投げ右打ち |
守備 |
内野手 |
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:1年からエース:
小学3年から野球を始める。開星高では1年秋からエースを任されて中学大会優勝に貢献。2年春の選抜では初戦の向陽戦で3安打、6四球で2失点(自責1)に抑え、打っても9回表に1点差に迫るタイムリーツーベースを放ったが敗退、名物監督の野々村が「21世紀枠の学校に負けたのは末代までの恥」とコメントした事で辞任に追い込まれる騒ぎとなった。
:まさかの…:
2年夏には県大会で36イニングを投げて1失点という圧倒的な成績を残して春夏連続で甲子園出場。1回戦の仙台育英戦で7回裏に勝ち越しソロを放つなど3本の長打で3打点を記録し、ピッチングでは毎回のようにピンチを背負いながら粘って何とか5対3で8回裏を終えた。そして迎えた9回表に勝利まであと1アウトの二死走者なしからヒット、死球、失策、ヒットという仙台育成の粘りで、1点差に追い上げられてなおも二死満塁という大ピンチとなり、ここで白根は日野を平凡なセンターフライに打ち取り、大きなガッツポーズを見せたが、強風で戻された飛球をセンターがまさかの落球で逆転、その裏の二死一、二塁では左中間への大飛球を相手外野手にダイビングキャッチで好捕されて試合終了という高校野球史に残る悲劇的な敗戦となった。
:山陰のジャイアン:
体重100キロを超える巨漢からサイド気味の投球フォームで最速149キロを投じ、打撃でも豪快に長打を運ぶ強烈なキャラクター性から山陰のジャイアンの異名をとり、高い注目を集めたが、秋季大会は初戦で0対0で迎えた8回裏にソロアーチを浴びて敗戦となりセンバツは逃した。2年冬に右肘の遊離軟骨の除去手術を受け、痛みが残る中で3年夏に県大会予選で準決勝、決勝と2試合連続完投、打っては決勝戦で場外弾という大仕事で3季目の甲子園出場を果たした。甲子園では初戦の柳井学園高戦で3安打完封を記録、2回戦では同大会を制する事になる日大三高に8対11で敗れたが打席では吉永
健太朗から4安打を放った。
:激ヤセ:
ドラフト会議でソフトバンクから4位指名を受けて入団。入団間もない2月に右肘の靭帯再建手術を受けてルーキーイヤーはファームでも出場なしに終わった。またリハビリやトレーニングで体重が30キロ近く減少するなど本人も病気を心配するほどの激ヤセで別人のようにスリムになった。2年目には春のキャンプで東京ガスとの練習試合で途中出場し、ソフトバンク初打席となった9回裏に三遊間を抜くサヨナラヒットを放ってアピール、三軍戦にも38試合に出場したが7月に右肩の亜脱臼で離脱して不完全燃焼のシーズンとなった。
:育成降格:
3年目には3軍で93試合に出場し打率.297、10本塁打を記録したがオフには一軍には出場できない育成選手としての契約という厳しい現実を突きつけられた。この頃には大リーグ関係者から投手としてAAでやらないかと声をかけられたが野手一本に絞っていた事もあって残留、4年目の15年には2軍で打率.274、3本塁打、14打点、3軍で打率.335、6本塁打、30打点という他球団であれば一軍昇格のチャンスを貰ってもおかしくない成績を残したが12球団屈指の選手層の厚さを誇ろソフトバンクという事もあって翌年も育成選手での契約を提示された。
:育成契約を断り、トライアウトへ:
白根は出場機会を求めて育成での再契約を断り、12球団合同トライアウトを受験、藤江 均からレフトフェンス直撃のツーベースを放つなど3安打を記録してアピール、NPBからのオファー以外は断ることを決意していたため「最後の打席は現役最後の打席というつもりで入った」と退路を断っての挑戦だった。巨人から育成契約での獲得申し出があったがソフトバンクへの義理が立たないため断り、最終日の7日目を迎えると高校の先輩である梶谷から電話があり「高田GMから話があるみたいだから代わるね」と告げられて横浜に支配下選手として入団した。
:初一軍:
移籍初年度となった16年には春先にイースタン・リーグで打率.372(86打数32安打)を記録して4月13日に自身初の一軍昇格を果たした。初出場初スタメンとなった16日のヤクルト戦では第1打席で空振り三振、第2打席でショートゴロ併殺に終わって途中交代、続く19日の広島戦では代打でファーストゴロに倒れて登録抹消となった。その後も3・4月度のファーム月間MVPを受賞(119打数39安打)するなど、イースタンでリーグトップの118安打を放ったが一軍での初ヒットは記録できなかった。
:初安打が:
17年は6月14日に一軍へ昇格すると17日のオリックス戦で7回裏二死一塁で代打起用されて高めのストレートを振り抜くと打球はレフトスタンド中段に飛び込んで記念すべき初安打をホームランで記録した。白根は「夢中でとにかく強く叩こうと…よく覚えていません」と待望の一発に喜びをかみしめた。だが翌18年はイースタンリーグで66試合に出場したが打率.251で本塁打は1本と苦しみ戦力外通告を受けた。 |
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初記録 |
初出場 |
2016年4月16日ヤクルト戦 |
初安打 |
2017年6月17日オリックス戦:佐藤達から |
初本塁打 |
2017年6月17日オリックス戦:佐藤達から |
初打点 |
2017年6月17日オリックス戦:佐藤達から |
初盗塁 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
16 |
横浜 |
3 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
.000 |
17 |
横浜 |
12 |
13 |
2 |
3 |
0 |
0 |
1 |
6 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
.231 |
|
通算 |
2年 |
15 |
17 |
2 |
3 |
0 |
0 |
1 |
6 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
1 |
0 |
.176 |
|
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二軍打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
13 |
ソフトバンク |
2 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
14 |
ソフトバンク |
7 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
3 |
1 |
0 |
.000 |
15 |
ソフトバンク |
59 |
179 |
17 |
49 |
8 |
0 |
3 |
66 |
14 |
0 |
3 |
2 |
10 |
31 |
5 |
2 |
.274 |
16 |
横浜 |
120 |
438 |
51 |
118 |
23 |
0 |
10 |
171 |
58 |
3 |
1 |
4 |
39 |
85 |
7 |
12 |
.269 |
17 |
横浜 |
73 |
166 |
22 |
42 |
6 |
0 |
6 |
66 |
28 |
0 |
0 |
3 |
30 |
42 |
8 |
3 |
.253 |
18 |
横浜 |
66 |
187 |
13 |
47 |
7 |
1 |
1 |
59 |
15 |
0 |
0 |
1 |
17 |
39 |
9 |
2 |
.251 |
|
通算 |
6年 |
327 |
978 |
104 |
256 |
44 |
1 |
20 |
362 |
115 |
3 |
4 |
10 |
99 |
200 |
31 |
19 |
.262 |
|
|
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