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白崎 浩之



名前 しらさき ひろゆき
生年月日 1990年8月20日
経歴 埼玉栄高−駒澤大−横浜(12年D1位)−オリックス
入団年 12年ドラフト1位
在籍年 13年−18年シーズン途中
背番号 13年−15年[29]:16年−18年シーズン途中[6]
投打 右投げ右打ち
守備 内野手
駒沢大進学
北海道の岩見沢市生まれ。小学校1年時に野球を始め、中学時代は岩見沢シニアで投手兼ショートとしてプレー。中学生の時に日本ハムが北海道に移転してきてプロの存在をより身近に感じるようになり、内地(本州)に進学したほうがスカウトの注目を集めやすいと考えて埼玉栄高に進学。1年時からスタメンとして活躍したが甲子園出場を逃した事もあってプロ入り志望届が出さずに駒澤大学に進学した。

横浜入団
駒沢大では1年の春からベンチ入り。2年春には開幕戦の専修大戦でスリーランを放って初ヒットを本塁打で記録した。2年秋からはクリーンナップを任されたが打率2割そこそこと期待に応えられない日々が続き、3年秋も打率.205で0本塁打と苦しんだが、負ければ2部との入れ替え戦となる中央大との最下位決定戦で0対0で迎えた9回裏に鍵谷からレフトスタンドに劇的なサヨナラアーチを放って1部残留を決めた。白崎は涙を流し「自分が行くしかないと思った。ずっと迷惑をかけてきたから、なんとか決めてやろうと思いました」と答えた。4年春にはショートに復帰して2度の4安打を記録するなど打率.395(43打数17安打)で首位打者に輝いた。同年秋のドラフト会議で駒沢大のOBである中畑監督が率いる横浜から1位指名を受けて入団した。

初打席初安打
石井 琢朗の退団以降ショートがウィークポイントになっていた事もあって期待されていたがルーキーイヤーはキャンプ序盤に右足の肉離れで離脱。5月1日のヤクルト戦で1軍に昇格すると同日の試合で守備固めから試合に入り9回裏の打席でサードに内野安打を放って初打席初ヒットを記録した。その後は降格と昇格を繰り返したが8月18日の広島戦でスタメン起用されて同点タイムリーを含む2安打を放った。だが梶谷がショートとして大ブレイクした事もあり、チャンスを掴む事はできなかった。

守乱
14年はソフトバンクの内川と合同自主トレを行い、オープン戦では2試合連続本塁打を放って梶谷の外野転向で空いたショートスタメンをアピールする。だが開幕戦をインフルエンザで欠場してしまうと、4月23日の巨人戦ではスタメン出場も初回の守備で坂本のショートゴロで悪送球を投じると、5回裏に坂本のショートゴロをファンブル、7回裏には村田のショートゴロをファンブル、8回裏にもエラーはつかなかったが拙守を見せてしまうと、9回表にはホームランで同点の場面で痛烈な打球を放ったが無常にもセカンドの片岡に捌かれてしまうと、ヘッドスライディングも及ばず併殺となって最後の打者になってしまった。

サヨナラ
5月3日の広島戦で初の猛打賞を記録したが5月中旬からは16打数連続ノーヒットで一気に数字を落としてしまう。だが5月29日のソフトバンク戦で5対5の同点で迎えた延長11回裏に二死一、二塁という絶好機で打席に入って岡島からセンターオーバーのサヨナラタイムリーを放った。中畑監督から手荒い祝福を受けた白崎は「最高にうれしいです。自分が決めるという強い気持ちで臨んだ」。同年には8月28日の中日戦で延長12回表にこの試合4安打目となる決勝の勝ち越しタイムリー、シーズン最終戦では小川から初本塁打と印象に残る活躍も見せたが打率は.234に留まり、9月19日の広島戦ではミスが5つ重なるなど攻守に課題が残る一年になった、

6本塁打で打点9
15年は左ふくらはぎの肉離れで3年連続キャンプ離脱となったが、4月17日に一軍へ昇格すると同日のヤクルト戦で7回表に小川の完全試合を阻止するライト前、19日のヤクルト戦では4安打の固め打ち、5月24日には山崎康の危険球退場でピンチとなった阪神戦の9回表に抜けていれば逆転もありえたサード頭上のライナーをジャンピングキャッチで好捕するなど光るものも見せたが、6月13日の日本ハム戦では先制につながる送球エラーと決勝点となる送球エラーを投じて登録抹消となった。後半戦から再昇格を果たすと8月20日のヤクルト戦で先制ソロと好守で誕生日にお立ち台に上がったが、6本塁打を放ちながら打点9という勝負弱さが響いてレギュラーを奪取する事は出来なかった。

代打守備固めで活躍も
脱臼癖のあった左肩を手術して臨んだ16年はオープン戦で打率.347、2本塁打、7打点という好成績を残して1番サードの座を掴んだが、開幕から打率1割台に低迷、4月7日の中日戦では引き分けに持ち込む1号ソロを放ったが、17日のヤクルト戦では2点リードの9回裏にバレンティンのサードゴロを後逸して逆転サヨナラ負けのきっかけを作って翌日に登録抹消となった。5月4日に昇格を果たすとリーグ3位の代打打率.381を記録するなど代打、守備固めとして活躍したがスタメンでは結果を残せずチャンスを掴めなかった。また同年には6本塁打を放ったがプロ入り以来すべてソロ本塁打という珍記録は継続となった。

サヨナラ内野ゴロ
17年にはオープン戦で打率.348、4本塁打を放って開幕一軍に残った。4月14日のヤクルト戦の試合前セレモニーで幸運の青ベコをチーム代表として受け取ると、試合では10回裏一死一塁で打席に入ると暴投とボークで一死三塁という絶好のチャンスとなり、白崎は平凡なサードゴロに倒れたが三走の関根が好走塁でホームに還ってサヨナラ内野ゴロ(記録は内野安打)となりお立ち台に上がった。一旦は抹消となったが交流戦初戦で昇格を果たすと6番DHで出場し、初回の二死満塁で先制の2点タイムリーツーベースを放った。だが6月6日の楽天戦で一塁へヘッドスライディングした際に左手首を骨折し登録抹消となった。

まさかの一発
シーズン後半戦から一軍に復帰したが打撃不振で一軍定着は果たせず入団以来最少の34試合出場に留まった。だが日本シリーズ第6戦の試合前練習で絶好調であることを見抜いたラミレス監督がまさかの7番DHでスタメン起用、横浜ファンの動揺が収まらないうちに迎えた第1打席にライト前ヒットを放つと、迎えた第2打席には同点ソロをレフトスタンドに叩き込んで横浜ファンの度肝を抜いた。

移籍
18年は開幕から一軍のチャンスを貰えないまま迎えた7月9日に高城とともに伊藤、赤間との2対2のトレードでオリックスへ移籍となった。移籍直後の7月16日に昇格すると25日の西武戦で自身初の犠牲フライ、翌日にはツーベースを含む2安打、8月2日の楽天戦では先制の2点タイムリー、12日のロッテ戦では通算14本目にして初のソロ以外のホームランとなるツーランを放った。この時点では打率.324という好成績を残していたが、続く14日の西武戦ではタイムリーを放ったが不慣れなファーストに回った終盤で拙守を連発して逆転負けの一因になってしまった。ここから状態を大幅に落として5打席連続三振を含む10打席連続ノーヒットに倒れて登録抹消になると、シーズン終盤に再昇格を果たしたが好結果は残せずトレードのチャンスを生かせなかった。

新庄から
19年は5月5日に一軍昇格、11日の楽天戦では8回裏に同点の2点タイムリーを放ってお立ち台に上がったが打撃の状態が上がらず6月5日に抹消となった。シーズン終盤の9月6日に再昇格、翌日の日本ハム戦では5番スタメンで有原からソロ、11日のロッテ戦では2回表に先制タイムリーを放ったが、自己ワーストの25試合出場に留まった。翌20年は途中出場の3試合出場のみに終わって戦力外通告を受けた。トライアウトでは48歳にしてトライアウトを受験した新庄とキャッチボールして、バットも貰う幸運に恵まれたが、2三振を含む4タコに倒れた。九州独立リーグの大分にコーチ兼任で入団した。


初記録
初出場 2013年5月1日ヤクルト戦
初安打 2013年5月1日ヤクルト戦:山本哲から
初本塁打 2014年10月7日ヤクルト戦:小川から
初打点 2013年8月18日広島戦:中崎から
初盗塁 2014年4月19日広島戦


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
13 横浜 47 52 16 11 1 0 0 12 1 0 1 4 0 4 0 11 2 0 .212
14 横浜 101 209 24 49 8 1 1 62 11 4 2 15 0 16 0 50 4 11 .234
15 横浜 81 204 25 46 9 1 6 75 9 2 4 22 0 11 1 45 1 6 .225
16 横浜 92 203 20 42 11 0 6 71 12 0 1 2 0 6 3 32 8 5 .207
17 横浜 34 54 5 10 3 0 0 13 4 0 0 0 0 1 0 19 0 1 .185
18 オリックス 30 67 4 16 5 0 1 24 9 0 0 0 1 3 2 20 1 4 .239
19 オリックス 25 49 6 10 0 0 2 16 6 0 0 0 0 5 0 14 1 4 .204
20 オリックス 3 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 5年 355 722 90 158 32 2 13 233 37 6 8 43 0 38 4 157 15 23 .219
通算 8年 413 838 101 184 37 2 16 273 52 6 8 43 1 46 6 191 17 31 .220


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 2 5 1 2 0 0 1 5 1 0 1 0 0 0 0 2 0 0 .400
通算 1年 2 5 1 2 0 0 1 5 1 0 1 0 0 0 0 2 0 0 .400


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 4 7 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 2 0 1 .286
17 横浜 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 2年 6 8 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 3 0 1 .250


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
13 横浜 61 239 43 64 10 3 1 83 22 6 8 1 25 51 7 8 .268
14 横浜 4 17 2 6 0 0 0 6 1 0 0 0 1 2 1 0 .353
15 横浜 26 93 20 34 6 0 2 46 18 1 4 1 10 16 1 2 .366
16 横浜 15 55 16 23 6 1 2 37 10 2 0 0 9 4 3 4 .418
17 横浜 49 149 21 36 8 1 5 61 16 1 1 0 17 27 4 1 .242
18 横浜 53 160 17 43 8 0 2 57 23 0 0 0 21 21 3 4 .269
18 オリックス 14 47 1 5 1 0 1 9 7 0 0 0 2 9 1 0 .106
19 オリックス 39 96 12 29 0 2 3 42 16 5 0 0 15 18 2 0 .302
20 オリックス 46 109 15 27 9 1 3 47 19 2 1 1 14 28 3 1 .248
通算 9年 307 965 147 267 48 8 19 388 132 17 14 3 114 176 25 20 .277