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城 俊人



36
名前 たかじょう しゅうと
生年月日 1993年5月3日
経歴 九州国際大付属高−横浜(11年D2位)−オリックス―横浜
入団年 11年ドラフト2位
在籍年 12年−18年シーズン途中:20年−22年
背番号 12年−18年シーズン途中[32]:20年−22年[36]
投打 右投げ右打ち
守備 捕手
世界一
野球を始めた小学校2年時からポジションはキャッチャー。6年時には秋山 幸二監督率いる福岡ソフトバンクホークスジュニアの正捕手を任された。多々良中央中ではボーイズリーグの粕屋フェニックスに所属して3年時には日本代表に選出されて世界大会で優勝を成し遂げた。

甲子園で8打数連続安打
九州国際大付では3年春のセンバツで北海との準々決勝で先制タイムリーを放つと、キャッチャーゴロを全力疾走で内野安打にするなど5打数5安打を記録してチームを初のベスト4に導いた。東海大相模との準決勝でも初回に内野安打を放って大会タイ記録となる8打数連続安打を記録したが、試合は1対6で敗れて全国制覇はならなかった。同大会では個人大会安打記録にあと1に迫る12安打(19打数)を記録した。夏の甲子園にも出場を果たしたが、関西戦で渡邊 雄貴のサヨナラ内野ゴロで破れ初戦敗退となった。同年のドラフト会議で横浜から2位指名を受けて入団。

23年ぶりの高卒ルーキースタメンマスク
ルーキーイヤーには高卒新人ながら1軍キャンプに第2クールから合流するとシートノックなどで強肩を披露して中畑監督を驚かせた。開幕は二軍で迎えたがイースタンリーグで正捕手として起用されて64試合に出場。7月17日に一軍に昇格すると、翌日のヤクルト戦で初出場初スタメンのチャンスを貰うと先発の小林太を強気なリードで引っ張って6回まで無失点で抑えた。6回裏に代打を送られて交代となったがチームの完封リレーに貢献した。なお高卒ルーキーのスタメンマスクは球団では89年の谷繁以来23年ぶりだった。

最下位のチャンス
8月に入ると大きなチャンスを貰って連日のようにスタメンマスクを任された。当初は自慢の強肩も送球が乱れ、打撃でも初打席から15打数ノーヒットと苦しんだが、8月17日の中日戦でバットを折りながらセンター前に落として初ヒットを記録。シーズン終盤には徐々に送球も安定するなど光る物を見せた。また中日の谷繁が気に懸けてくれているという情報を得ると9月30日の中日戦で谷繁にアドバイスを求めて技術的な助言と共に「今のお前は自分の実力で試合に出ているんじゃない。最下位というチーム状況の中で試合に出させてもらっているんだ。そのことを忘れずに頑張れよ。俺もそうだったから」という激励を受けた。

19歳でサヨナラヒット
13年は志願して谷繁と合同自主トレを行い、前年には二軍でも打てなかった本塁打をオープン戦で2本放ってアピール。谷繁の20歳3ヶ月を抜いて球団史上最年少となる19歳10ヶ月での開幕マスクを勝ち取った。だが開幕すると打撃不振にも苦しんで4月16日の中日戦では谷繁から「もうちょっと打てよ」とゲキを飛ばされた。そして17打数連続ノーヒットで迎えた翌日の中日戦では引き分け目前の延長12回裏に一死二塁で打席に入ると、思いっきり引っ張った打球がレフト線へ弾んで19才11ヶ月という球団初の10代サヨナラ打になった。だが同年は攻守に結果を残すことが出来ず前半戦限りで登録抹消となった。

チャンス逃す
14年はFAで獲得した久保の補償選手として前年の正捕手鶴岡が阪神に移籍したため大きなチャンスが開かれたシーズンとなったが、誕生日の5月3日に2点タイムリースリーベースを放ったが課題の打撃で打率.145と苦しんでシーズンの大半を一軍で過ごしながら49試合、69打数の出場に留まった。翌15年は三浦の同年初登板となった5月5日のヤクルト戦で初本塁打となる逆転ツーランを放ってチームの首位浮上に貢献したが、5月26日のオリックス戦で月間4個目となる死球を手の甲に受けてから状態を落としてレギュラーを掴めなかった。

山口とバッテリー
16年もルーキーの戸柱が開幕から正捕手を掴んだため控え捕手となったが、山口からはバッテリーに指名されて6月5日のロッテ戦では先制タイムリーを含む自身初の3安打に盗塁刺しで完封の山口をアシスト、7月5日のヤクルト戦でも先制タイムリーを放つと、完封の山口と共に上がったお立ち台では「無駄な四球が多かった。次は無四球でお願いします」と発言してスタンドの笑いを誘った。同年は山口登板試合の19試合を含む33試合のスタメン出場、シーズン最終戦では引退登板の三浦を号泣しながらリードして話題になった。

ミスターの記録に
専属捕手を務めていた山口がFA移籍となった17年はワンバウンドを多投するルーキー濱口の専属捕手を任されて、小さくまとまらせないリードで濱口の良さを引き出した。5月30日の日本ハム戦でタイムリースリーベースを放って勝利に貢献すると、続く楽天戦でもスリーベースを含む2安打を放ち、さらに6月14日のロッテ戦でもスリーベースを含む2安打を放って濱口とともにお立ち台に上がった。これで出場3試合連続三塁打となり、長嶋 茂雄が持つプロ野球記録の4試合連続三塁打に王手をかけたが残念ながら次戦は2打数ノーヒットで途中交代となり日本タイ記録はならなかった。

日本シリーズで活躍
球宴明けからは濱口が離脱したこともあって長い期間スタメンから外れたが、8月27日のヤクルト戦で濱口を好リードし、打っても3安打を記録するなど濱口の二けた勝利に貢献した。同年には14安打を放ったが二塁打と本塁打が0本で三塁打3本という珍記録を残した。日本シリーズでは0勝3敗と後がなくなった第4戦のスタメンマスクを任されると5回表にはワンバウンドを握り損ねて振り逃げを許したが、濱口とのバッテリーで強打のソフトバンク打線を8回表の一死までノーヒットに抑え込むと、打席でも7回裏にソロ、8回裏にダメ押しの2点タイムリーという大仕事を見せてチーム19年ぶりの日本シリーズ勝利に導いた。

トレード
18年はラミレス監督が捕手二人制を敷き、濱口が肩痛で出遅れたこともあって、5月5日になってようやく1軍初出場を果たした。5月29日の楽天戦では先制に繋がるツーベースを含む2安打に犠牲フライを放ってお立ち台に上がった。正捕手だった戸柱が打撃不振に苦しんでいたこともあって6月には多くのチャンスを貰ったが、6月23日から17打数連続ノーヒットと好結果が残せず、7月9日に白崎とともにオリックスの伊藤、赤間とのトレードで移籍となった。

1年半で横浜復帰
移籍後はウエスタンリーグで打率.229と苦しんで一軍出場は果たせなかった。19年は5月10日に1軍へ昇格して、翌日の楽天戦でスタメン出場、3回裏に移籍後初ヒットを放つと、迎えた第2打席でもレフト前ヒットを打って勝利に貢献した。だが翌日以降は7打数ノーヒットに留まって6月3日に抹消となった。同年オフには戦力外通告という厳しい決断を告げられたが、横浜から声がかかって古巣復帰となった。

まさかの3戦連発
復帰初年度は開幕第4戦が行われた6月23日に濱口とともに昇格すると、同日の中日戦で濱口の8.1回を無失点に抑える好投を引き出してラミレス監督から称賛されたが、当初の予定通り翌日に抹消となった。2週間後の7月7日の昇格すると翌日の広島戦で2安打を放ったが翌日に抹消と濱口専属捕手としての極端な起用が続いた。だが続く22日のヤクルト戦で1905日ぶりの通算2号となるソロを放つと、抹消せずに翌週の29日の巨人戦に先発して2試合連発となるツーランを放って勝利に貢献、さらに1週間後の8月5日の中日戦でまさかの3戦連発となるソロを放って課題だった打撃で大きな結果を残した。だが打撃好調は長くは続かず、走守でミスが重なり、頼みの濱口が故障で離脱したこともあって23試合出場の打率.190に留まった。

第3捕手
21年は第3捕手として長期間1軍に登録されたが、試合出場はわずか7試合で打数は4とほとんどチャンスを貰えないままシーズンを終えた。22年は8月14日に1軍へ昇格したが、試合出場がないまま18日に登録抹消になるなど1軍出場は果たせず同年オフに戦力外通告を受けた。高城は「現役にこだわることも考えましたが、大好きなベイスターズで野球人生を終える。これで良かったと思います」と現役引退を決断した。


初記録
初出場 2012年7月18日ヤクルト戦
初安打 2012年8月17日中日戦:小笠原から
初本塁打 2015年5月5日ヤクルト戦:成瀬から
初打点 2013年3月31日中日戦、山内からタイムリー
初盗塁 2018年6月14日ロッテ戦


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
12 横浜 45 106 6 18 3 0 0 21 0 0 0 4 0 5 7 33 6 3 .170
13 横浜 51 110 6 15 4 0 0 19 4 0 0 7 0 6 1 42 2 2 .136
14 横浜 48 69 8 10 1 1 0 13 4 0 0 0 0 5 2 28 0 2 .145
15 横浜 64 129 9 26 7 0 1 36 9 0 0 7 0 8 4 32 6 4 .202
16 横浜 47 92 4 15 2 0 0 17 9 0 0 2 0 8 1 31 3 4 .163
17 横浜 29 56 11 14 0 3 0 20 4 0 1 2 0 3 0 15 1 2 .250
18 横浜 28 66 7 9 1 0 0 10 3 2 0 4 1 2 2 25 1 1 .136
19 オリックス 5 11 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 4 0 0 .182
20 横浜 23 42 4 8 0 0 3 17 5 0 0 1 0 2 1 22 1 0 .190
21 横浜 7 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 1 0 0 1 .250
球団 9年 342 674 55 116 18 4 4 154 38 2 1 28 1 40 19 228 20 19 .172
通算 10年 347 685 56 118 18 4 4 156 38 2 1 28 1 41 19 232 20 19 .172


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 2 5 1 3 0 0 1 6 3 0 0 0 0 0 0 2 0 1 .600
通算 1年 2 5 1 3 0 0 1 6 3 0 0 0 0 0 0 2 0 1 .600


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
12 横浜 64 183 12 48 9 1 0 59 16 3 6 1 18 42 4 3 .262
13 横浜 23 43 1 6 1 0 0 7 5 1 2 1 3 16 1 2 .140
14 横浜 22 66 4 7 1 0 0 8 1 0 2 0 2 18 3 0 .106
15 横浜 13 33 3 8 1 0 0 9 5 0 3 0 5 5 0 2 .242
16 横浜 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
17 横浜 12 39 2 7 3 0 0 10 2 0 0 1 2 17 0 0 .179
18 横浜 13 24 5 7 0 0 2 13 4 0 4 0 4 4 1 0 .292
18 オリックス 27 70 5 16 0 0 2 22 5 0 4 0 13 23 2 0 .229
19 オリックス 25 30 2 3 0 0 0 3 1 1 0 0 3 7 0 1 .100
20 横浜 5 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .000
21 横浜 23 47 7 11 0 0 0 11 3 0 0 1 8 15 1 2 .234
22 横浜 39 78 4 16 1 0 1 20 4 0 3 0 11 15 2 2 .205
通算 11年 267 623 45 129 16 1 5 162 46 5 24 4 69 167 14 12 .207